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2005年8月25日 (木)

スワニー河

娘のピアノの発表会があった。

 『足をそろえて踊ろうよ』という民謡と、『スワニー河』を弾いた。スティーブン・コリンズ・フォスター(1826~1864)作曲の、『スワニー河』は『故郷の人々』という題名でも親しまれている。明治の頃より日本でも愛唱歌としてたくさんの曲が歌われているのだ。私も『おおスザンナ』『主人は冷たい土の中に』『オールドブラックジョー』『草競馬』などがすぐに思い浮かぶ。平易なメロディーの繰り返し、「起・承・転・結」のメロディーラインが覚えやすく、安心して聞ける。何処となく哀愁を持つ響きが日本人の感性に合うのかもしれない。

なぜこの曲になったのか聞いてみた。彼女は今グローバー・ピアノ教本を使っているのだが、この併曲集の中から先生が何曲かピックアップして弾いてみせ、、その中で娘が弾きたい曲を選ばせたのだそうだ。『スワニー河』は「おばあちゃんが好きそうな曲だから」選んだのだという。

『スワニー河』はとてもよい曲だと思うし私も好きだけれど、小5の子の弾く曲かな?というのが第1印象だった。高学年になれば、べートーヴェンやバッハ、ショパンなどを弾く子もいるだろうに・・・

でも、まあ仕方がない。練習が嫌いで全然鍵盤に触れようとしない子でも、それなりには弾けそうである。

幼稚園の年中からヤマハの音楽教室に通っている。私も幼稚園の2年間通ったことがあって懐かしかったので娘も通わせてみた。同じ幼稚園のお友達もいてグループレッスンは楽しそうだった。

しかし、だんだんレッスンが難しくなってくると、練習不足はてきめんにたたってくる。小学校に入学する前に「グレード」といって進級試験のようなものがあった。さすがに練習させなければとつい小言を言ってしまう。すると娘はプイとふくれる。「こうしたほうがいいんじゃない」と言っても言う事を聞かないので、「素直じゃないな」と腹を立ててしまう。―バトル状態。

 私の方はただアドバイスしたつもりでも、娘の方は、押し付けられていると感じていたかもしれないのに・・・

そんな関係が小学校に入っても続いていた。「嫌いなら、やめればいいじゃない」「いやだ」「じゃあ、しっかりやりなさい」

小2の時、友達関係のトラブルで登校拒否になりかけたことがあった。この時は、先生にお話して、何日か少し遅れて学校に連れて行った。また、本人の話をよく聞こうという態勢をとると案外いろいろなことを話してくれたため、それを担任の先生にも細かく伝えた。  

先生の方も、子ども達をみていて、なるほどとうなずける点があったらしく、うまく対処してくださったと思う。 また何より、本人が自分自身で乗り越えようとする意志を持ってくれたので、大事には至らなかった。

ただ、音楽教室のほうはだめだった。また2回目の「グレード」が近づいていたせいかもしれないが・・・・・。欠席が続くので、音楽教室の先生も心配して電話をくださった。実は、本人にやる気がみえないので、辞めさせようかと思っている旨をお伝えすると、先生は、ここですっかり辞めてしまうのはもったいない、期限付きの休会という方法があるので、今はお休みして、元気になったら再開しましょう、再開してみてだめだったらその時にお辞めになったらいかがでしょうか。とおっしゃる。

私も本心としては続けて欲しかった。音楽は、もちろん聴くだけでも楽しみであるが、何か弾けたり、吹けたり、歌えたりするとアクティブに楽しめるし、自分を癒すことができると思っているからだ。また大人になってから、何か違う楽器を習いたいなと思った時にベースラインができていると、楽である。

こうして、めいっぱい休ませてもらって、個人のピアノレッスンということで再開した。

最初は、少し張り切って、練習もしていたが、すぐにもとの通りに。言うことも聞かない。また例のバトルも繰り返されることになる。主人や義父までも「・・・・ もう、本当に辞めさせたら?」本人にも「じやあ、今月で辞めようね」と了解を取り、先生にお手紙を書き、レッスンの日に持たせた。ところが帰ってきて開口一番「あたし、やっぱり辞めないからね。」

同じ幼稚園だったけれど違う学校に行っているお友達が、前の時間に来ていて、重なり合う時間にノートの受け渡しをして、交換日記をしているのだった。どうもそれが楽しいために辞めたくないのだろう。

それから、ずるずると今まで続けている。

その間、先生の都合で、新しい先生になったのだが、少し頑張るのは最初だけ、あとは元通り。ただ、去年の今ごろ、同じように発表会(みゅーじっくふれんどコンサート)があった時には、さすがに練習していた。先生との連弾の曲だったので、プレッシャーも少なかったのか、つっかえることなく弾けて客席の私達はほっと胸をなでおろしたものだった。

今年。

例のごとくレッスンの時に、先生の前だけで練習しているため、どのくらい弾けるようになったのかわからなかった。『スワニー河』だけはおばあちゃんのために、おばあちゃんの家で弾いていたらしいが、明らかに、去年より練習していない。もう一つの曲はおばあちゃんも心配になって1週間ぐらい前に、なんとか曲になるまで、練習させたと言っていた。

発表会の3日前、ようやくお尻に火のついたらしい娘は家でも練習し始めた。「えっ、これで本当に発表会に出るの?」という感じだった。『足をそろえて踊ろうよ』はリズムがとれていない。『スワニー河』は、ほぼできているのだが、いつも必ず間違う場所がある。楽譜を見ていない人にはわからないと思うので、この期に及んでそれを指摘して直したほうがよいかどうか・・・。それに平易な曲なのでクレッシェンド、デクレッシェンドで曲をふくらませないと薄っぺらな印象だ。

バトルを覚悟して、教え始めた。

「『足をそろえて踊ろうよ』は、あせらずにって先生が書いてくれてるよ。」「この、先生の書いた指使いをするとスムーズに弾けるんだよ」「一つづつ、しっかり音を出すといいよ」

「『スワニー河』は大体いいのだけれど、レレドをレーレレドって弾いてるよ。これは2回目の時。」「ほら、先生がだんだん大きくとかだんだん小さくって書いてくれたでしょ。バーンて急に大きくしたらよくないんじゃない?」「まだここから小さくしない、ここはふくらませるところ」

案の定、私の一言一言に口を尖らせ、「わかってるよ!」

「あのねぇ、押し着せていってるわけじゃないんだよ。こうしたほうがもっと良くなるなと思って言ってるんだから」「確かに自分の意見も大事だけれど、自分より経験を積んだ人の意見はひとまず、素直に聞いておくもんだよ。」「聞く耳を持とうね」

発表会当日。  おじいちゃんとおばあちゃんの前でおさらい。私にも聞いてくれと言う。最初2曲とも少し間違えた。2回目、『足をそろえて踊ろうよ』が格段に良くなった。思わず、「そう、そう、すごくいいよ!」と誉めた。『スワニー河』の時、私はピアノの横に立って「レレドだよ」とか「だんだん大きくして」「そうそう・・」とか小さな声で励ましていた。私の言う通りに娘は弾いている。すごくよいでき!感動した。「よかったねぇ」おじいちゃんとおばあちゃんからも拍手をもらった。

これを忘れずに弾いてくれれば・・・

発表会が始まって、いよいよ、娘の出番。最初はテンポの良い『足をそろえて踊ろうよ』。リズミカルに弾くことができた。すぐに『スワニー河』。「あっ、間違えないように考えてるな」と多分私にしかわからない一瞬の間。その他はなかなかの出来。広い会場で聞く『スワニー河』はまた良いものだ。通路をはさんで斜め前の年配のご婦人が首を振りながら、聞き入っていた。    

人に喜んで聞いてもらえる曲が弾けたね!

帰りの車の中。おばあちゃんから「上手だったよ」と誉められても、「でも、強弱が思ったよりつけられなかったんだ。お昼の練習の時みたいに弾けてたらなぁ・・・。あれが最高にうまく弾けたんだけど・・。」と娘。そう、私と心が通い合った(と、一人で錯覚してるだけかもしれないが。)時に弾けたのが最高の出来だったのだ。

『スワニー河』、さらに心に沁みいる曲となった。

           

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