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2005年9月23日 (金)

お彼岸

今日はお彼岸の中日でした。主人の母方の祖父母のお墓にお参りに行ってきました。

秋のお彼岸には、「おはぎ」、春のお彼岸では、「ぼた餅」を食べて、お墓参りをする。

と、だけしか思っていませんでしたが、此方の岸「此岸(しがん)」=現世、煩悩の世界から向こう岸=彼の岸「彼岸」=来世、悟りの世界へ渡る仏道修行週間でもあるそうなのです。
 

「暑さ寒さも彼岸まで」という諺の通り、暑からず寒からず昼と夜の長さが同じである、春分の日と秋分の日の前後一週間を、「お彼岸」といいます。
  彼岸(ひがん)は、古代インドのサンスクリット語「パーラミター[波羅蜜多](はらみった)」の訳語「到彼岸(とうひがん)」を略した言葉です。到彼岸(とうひがん)とは、「此岸(しがん)」すなわち、人間の苦しみ、恨み、悲しみ、喜びなどが混在している迷いの多いこの世界から、「彼岸(ひがん)」すなわち、仏様の世界、迷いのない理想的な世界へと自分を高めて、永遠の「安らぎ」の世界へ到達しようと努力することを意味します。
 したがって、お彼岸の一週間はお墓参りや先祖供養(せんぞくよう)をするだけの行事ではなく、本来であれば日々を心して過ごさなければならないのですが、ともすると怠惰(たいだ)に流れがちな私達の心をひきしめ、自覚と反省を促すために設けられた、私達自身の修養(しゅうよう)のための行事なのです。
 尚、このお彼岸の行事はインドや中国にはなく、日本特有の仏教行事であることから日本人の仏教観(ぶっきょうかん)を最もよく表した行事であると言えましょう。

                     (日蓮宗) http://www.yk.rim.or.jp/~ryogenji/gyouji.html より

この「此岸」から煩悩の海を渡って迷いのない「彼岸」に到達するために、大乗仏教では六つの実践方法、すなわち六波羅蜜の教えを説いています。

  1. 布施波羅蜜(ふせはらみつ)  施そう、物と心!
  2. 持戒波羅蜜(じかいはらみつ)  守ろう、規則や約束!
  3. 忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)  こらえよう、どんなことにも!
  4. 精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)  努力しよう、与えられた仕事に!
  5. 禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)  冥想しよう、心静かに!
  6. 智慧(般若)波羅蜜(ちえ(はんにゃ)はらみつ)「=ものごとを正しく判断すること。前の五波羅蜜(ごはらみつ)を成就(じょうじゅ)することで得られる心の作用」を実践すること   目覚めよう、仏心に!

また先祖や精霊の追善供養はどうして行うのかというと

 一つには、迷いの「此岸から成仏できずにいる精霊を、悟りの「彼岸」へ救い導くため。

 更には、既に成仏して「彼岸」にある精霊の果報を倍増するため。

なのだそうです。         (真言宗) http://www.daishouji.jp/arekore.html#ohiganより

そして、追善供養を行なった人には、やがて功徳となって自分自身に還ってくるといいます。

この年になって、初めて知りました。(今まで深く考えたことがなかったから・・・)

大体の日本人はどこかのお寺の檀家で、ということは、一応「仏教徒」であるはずなんだけれども、日常はまったく意識することがない。お葬式をする時になってあらためて、うちは何宗だったなどと思い至る。お坊さんの唱えるお経の意味も分からず、したがってありがたみも分からず、ただ単に儀式としか思えなくなってしまっている、のが現状です。

宗派の違いにも無頓着です。戒律の厳しい宗教では結婚するのに改宗しなければならないといいますが、日本ではそんなことを考えて結婚する人は稀でしょう。嫁いでからその違いに戸惑うくらいで・・

私の実家は真言宗で、「弘法も筆の誤り」の弘法大師が開いたものですが、その教えの一つに「即身成仏」というものがあるそうです。すなわち、菩薩道を行く修行者となって、日々精進を重ねることで、生きながらの仏にすら成り得るというもので、このような菩薩が地上に満ち溢れた世界を「蜜厳国土」と呼ぶのだそうです。

「自力での修行」が大切だということを説いているものだと思うのですが、私はその対極にある他力本願の浄土真宗の家に嫁いでしまいました。

親鸞聖人の起こした浄土真宗は本願寺派(お西)、大谷派(お東)やその他、真宗と言われる派に分かれているけれど、教義としては「臨終即往生」で、命終と同時に阿弥陀如来がつくった「浄土」に往生させていただき仏になるので、通夜や葬儀のあと家に帰っても清めの塩はいらないのです。「草葉の陰」などと言う言葉はもってのほか、もう仏様なので、「ご冥福を祈る」こともしなくていいのです。

3年前、義叔父のお通夜の時に親族の控え室で、葬儀社の人が説明してくれたことで、初めてその違いが分かりました。「あら、違う・・・」主人も知らなかった・・・・。でも死者の穢れなどを考えなくて良いし、受け入れやすいと思いました。

最近亡くなった、主人の母方の叔母は曹洞宗の檀家で、曹洞宗では、お通夜の晩、みなの唱えるお経を聞きながら、自身もお棺の中で修行して、一晩で仏様になるのだそうです。

んー、なんだか分からなくなってきます。本当の信徒ではないからでしょうか。

追善供養も浄土真宗では仏事としては行わないらしいので、この記事に書いた一般的な「お彼岸」の修養とは関係ないということになるんでしょうね。

今日はAさんの四十九日でもありました。

追記
 コメントから・・・
  ・・・浄土宗を興した法然上人の門下に親鸞さんは入っているので、いわば師弟関係にあるんですね。・・・・念仏を称えることで阿弥陀仏の本願成就して築かれた浄土に、命終後行き着くことができる、浄土宗ではその浄土において、仏になるために菩薩行を積み、やがて仏となるのだそうですが、浄土真宗では、阿弥陀如来をただひたすら信じることで、その力=「他力」によって「本願」=「あらゆる人々に南無阿弥陀仏を臣事させ称えさせて浄土往生せしめよう」がかない、迷い無く救われ、命終後すぐに仏となることができる。』

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コメント

こんにちは。
私の実家も浄土真宗です。
ダンナは浄土宗なので、結婚してからいろいろな違いに初めて気付きました。
義母の実家も浄土真宗だったので「門徒もの知らず」と言われたそうです。
以前実家のお寺さんが「自分の足で山の頂上まで登っても、乗り物で頂上まで行っても、頂上まで行った事に変わりはない。浄土真宗は乗り物で頂上まで行くようなものだが、それでも自力で登った人と同じように頂上の素晴らしい景色を眺める事ができる。」というような事を
言っていたのを思い出しました。
布教する上で、この手軽さは効果抜群だっただろうなあと、罰当たりな事を思ってしまいました。(苦笑)

投稿: 銀の無限角 | 2005年9月26日 (月) 11時52分

銀の無限角さん、こんにちは♪
(コメントのお返事を書こうと思ったら、余りにも無知だったのでちょっとお勉強してみました。)

『ダンナは浄土宗なので、結婚してからいろいろな違いに初めて気付きました。
義母の実家も浄土真宗だったので「門徒もの知らず」と言われたそうです。』

浄土宗を興した法然上人の門下に親鸞さんは入っているので、いわば師弟関係にあるんですね。そんな意識が働いているのでしょうか、「門徒(浄土真宗の信徒)は信心に偏りすぎて、ほかの事を知らない」と少しさげすんだような言い方をされるのは。義母さまもご苦労なさったんでしょうね。

似たような教義なのに色々違いがあるとは思いませんでした。
根本的に何が違うのかなと思って調べてみました。

念仏を称えることで阿弥陀仏の本願成就して築かれた浄土に、命終後行き着くことができる、浄土宗ではその浄土において、仏になるために菩薩行を積み、やがて仏となるのだそうですが、浄土真宗では、阿弥陀如来をただひたすら信じることで、その力=「他力」によって「本願」=「あらゆる人々に南無阿弥陀仏を臣事させ称えさせて浄土往生せしめよう」がかない、迷い無く救われ、命終後すぐに仏となることができる。

こんなところでしょうか。まだ浅いので良く書き表せませんが・・・

いい機会なのでもう少し理解できるようになろうかと思いました。

投稿: まりママ | 2005年9月27日 (火) 12時34分

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