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2007年12月20日 (木)

法は人を救えるか

この国に暮らす全ての人が、公平に扱われ、秩序正しく平穏に、幸せな社会生活がおくれる基盤となるもの。
犯した罪は償わさせ、受けた被害には補償を与えるもの。

そういうものが、「法律」ではないのか。

福岡市で去年の8月に起きた3幼児死亡の飲酒運転追突事故で、危険運転致傷罪道交法違反(ひき逃げ)の罪(・・・法定刑上限の懲役25年)に問われた元市職員の被告について、福岡地裁が、検察側の立証では深酔い状態の証拠が足りないと判断、危険運転致傷罪の認定が困難とし、福岡地検に、より量刑の軽い業務上過失致傷罪道交法違反(酒気帯び) (・・・上限は懲役7年6ヶ月)を予備的訴因として追加するように命じたという。

公判では、被告が危険運転致傷罪の適用要件である「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」だったかが争点となったが、「飲酒の影響で正常な運転が困難だったのではなく、わき見運転による前方不注意」という弁護側の主張の方を地裁が採った模様である。

ちょっと待ってほしい。

調べでは、ビールに水割り(9杯)、缶チュー杯など、大量のアルコールを摂取していた事実があるという。これは酩酊するに足る量だと思える。そして、逃げていて時間が経てば、呼気中のアルコール濃度も減るし、さらに、意図的に大量の水を飲んでいたらしい!

これでは、ひき逃げして、時間をかせいで、アルコール濃度を減らすような、悪質で卑怯な人間の方が、罪が軽くなるようなものではないか。

「危険運転致傷罪」を適用することで、飲酒運転撲滅のための礎になるべき判例だったのが、飲んで轢いたら、逃げて証拠隠滅と言う、卑怯な人間を作り出すような判例に成り下がりそうである。

それに、予備的訴因を追加しなさいというのは、そうしないと、「危険運転致傷罪」が認定されない場合、『無罪』になってしまうからだという。無罪にしないために予備的訴因を追加するのだそうだが、何か、おかしい!

 薬害C型肝炎の集団訴訟に対する、大阪高裁の和解案も「法的」には妥当なのだろうが、人々を、公平に助けるものではない。

国と、製薬会社の法的責任を認めた期間(フィブリノゲンで1985年8月~1988年6月、第9因子製剤で1984年1月~)に、フィブリノゲンなどの血液製剤を投与された患者に限って、支援金を払うが、この期間から外れた患者の場合、未提訴の患者は救済されない。和解成立時までに提訴した人には、一括して「訴訟遂行費」として支援金を支払う。

というものであった。原告団は「命に差をつけるな」と、拒否をしたが当然であろう。

この期間外にも現実的に投与されているのだし、当時の厚生省が、知っていながらも怠慢で告知しなかったがために、今でも自分が該当者であるか、わからないから提訴も出来ない患者さんもいるのだから。

あと、法的に罪はないが、薬剤を投与した医師!

自分で投与したことは覚えているだろう。カルテを調べれば、誰に投与したかも特定できるだろう。どうして問題になった時に、すぐ患者さんに連絡しなかったのか。感染しているかもしれないから検査をしたほうがいいと言えなかったものなのか?法律で拘束力はないけれど、良心の問題であると思う。

アメリカで投与禁止になってからも使い続けた医師は、不勉強のそしりを免れない。

政府もおかしい。

政治決断をすると、司法を否定することになるといっていたようだ。

何のための政治、何のための司法なのか。すべて国民のためではないのか。

一律に救済すると莫大な補償費がかかるといっているが、官僚・役人が今までのような税金の無駄遣いを全て止めたら、簡単に捻出できるであろう。

原告団も、一人あたりの補償費を減額してもいいから一律救済をと、妥協案を示しているらしいし、法を超えて、早く決着して欲しい問題である。

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