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2009年5月

2009年5月30日 (土)

充実した日

一週間のうち、唯一土曜日が、「仕事をした」と充足感を味わえる日だ。

「土曜日しか来れない」という患者さんのなんと多いことか。

5月は、運動会シーズンで、月曜日が代休になることが多く、最近は月曜日も仕事をした。

皆、学校・幼稚園は休ませたくないのだ。また、連れて来る保護者の仕事の休みが土曜日という都合も関係している・・・。

さて、今日の診療は、矯正の診断から始まったのだが、分析した資料を基に、どう説明しようかと昨日から考えていた通りに調子良く話せて、お母さんと子供本人の理解も得たのに気分を良くし、ハイテンション。

そのままずっと最後までハイテンションな気分が持続して、弁舌滑らかに、すべての患者さんとコミュニケーションをはかれたと自画自賛。

夜のビールが美味しかった。

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2009年5月29日 (金)

今週の出来事

ふと気付けば、もう金曜日。

昨夜から、未明にかけて、腹痛で苦しみ(私だけ、もったいないからと前の日の残り物を食べて当たったせいか・・・。冷蔵庫に入れておいたものをチンしたのだが・・・。)、ブログどころではなかったが、今週に入ってからずっと更新してなかったので、それでは、6日分まとめて書いておこうかと、重い腰を上げた。

24日(日)

夫はゴルフ、娘は部活。
私は映画館。

「天使と悪魔」を観てきた。「ダ・ヴィンチ・コード」の時は、小説を読んでから観に行ったが、今回は、読んでなかった。少し原作と違うらしい。

宗教VS科学ということだが、ヴァチカンの宗教色が濃い。

フィクションと思ってみれば「反物質」のこともスルーできるけれど、一度見ただけではよくわからない部分も多かった。
ただ、ローマは、いたるところに歴史的建造物があってすごいものだという印象が強く残った。映画で教会巡りをした感じ。

展開がスピーディーで、いたるところに、「わっ!」とか「はっ!」と言うところあり、あっという間にどんでん返しのラストまで観せられた。

25日(月)

あの北朝鮮が、2006年以来2度目の地下核実験を行った!

また、短距離地対空ミサイル3発も発射したらしい。

まったく、言語道断の国だ。

我が国は、このことを事前に知る術もなく情けない。北朝鮮は、韓国・米国には実験直前に通報しているようなのだが、両国から日本への情報がなかったという。

26日(火)

「レッドクリフ」のPartⅠをビデオで観る。

金城武は好きだったのだが、これは、トニー・レオンがいい。

三国志は、小学校の時児童向けのものを読んだきりなので、また、読んでみたくなった。

ウォーキングを一緒にしている友達も、「レッドクリフ」「トニー・レオン」がいいと、意見が一致したので、来週のレディスデイに、今上映しているPartⅡを観に行こうということになった。

PartⅠは、あくまで序章。
あの終わり方はずるい。絶対PartⅡの本編が観たくなる。

来週が、待ち遠しい。

27日(水)

キリンカップサッカー。

チリ相手に、4-0で快勝!すごくいい攻めだった。

ウォーキング後、何となくTVをつけて、チャンネルを変えたらやっていた「アイシテル」。
初めて見たのだが、 殺人を犯した少年と、その母親の関係ということがわかる。加害者の両親の葛藤、被害者家族の葛藤等が描かれ、重いテーマだなと思ったが、最後まで見てしまった。次回はどうなるか興味がある。

28日(木)

午前中は、保育園の歯科検診に出務。

久しぶりにうちにいた夫と、昼は「チーパー麺」を食べに出かける。

ジャスコで特別招待会あり、ポイント5倍、20%、などの言葉につられ、買い物に。

夜は、北海道からゆうパックで取り寄せたウニ(知床・羅臼産だったか)で、ウニ丼。毎年取り寄せるが、今年は特に美味しかった。

そのほかに、2~3つまむものがあって、その中の一つが、犯人として濃厚なのだが(他の人は食べなかったから)、食当たりを起こしてしまった模様。

あんなに長い間、トイレの中で苦しんだのは初めて。

29日(金)

朝は、寝不足もあり、まだふらふらしていた。娘を送り出してから、横になっていたら、夫が先に行くと言って出掛けたことまで覚えているが、その後熟睡してしまったようだ。診療室からの電話で目覚める。

飛び起きて、診療室に向かう。寝る前に服用した整腸剤が効いたのか、だんだん平常に戻る。(ただ、診療室に着いた時はまだ、真っ青な顔をしていたらしい。)

ウォーキングも休まずに行けた。

友達も、今日は少し具合が悪かったとのこと。

この頃、免疫が落ちているし、体力がなくなっているし、年をとったせいかしらねと言い合う。

まだ若い気でいたのにね・・・。

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2009年5月22日 (金)

無罪放免

新型インフル感染者が300人以上の神戸・大阪から帰って来て今日で7日。

無事元気に過ぎようとしている。

途中、喉が痛くなった日もあり、ひやっとしたが、毎朝の検温では、発熱の兆候もなく、7日間の「拘留期間」を経て、「無罪放免」となった。

一緒に行動を共にした先生とも連絡をとったが、彼女も、無事1週間が過ぎたことを感謝していた。

まだ、毎日新しい感染者が新しい地域で発生していて、予断を許さないが、各自が、しっかり自分のするべきことをして、予防・感染拡大防止・治療に努め、収束に向かっていけたらと思う。

海外から日本への旅行キャンセルが相次ぐなど、経済的にも打撃を受けることは必至であるが、なるべく早く事態が改善するよう願うばかりである。

さて、「無罪」という言葉を使ったが、昨日から裁判員制度が始まった。

『裁判の進め方やその内容に国民の視点,感覚が反映されていくことになる結果,裁判全体に対する国民の理解が深まり,司法が,より身近なものとして信頼も一層高まることを期待』して、この制度を施行することとなったとのことだが、もし、私がその立場になったら、果たして冷静に責務を果たせるか、疑問である。

裁判員がかかわる事件は、殺人事件、死亡事件などが多いから、どうしても、被害者遺族の心情に肩入れしてしまいそうである。

また、量刑も決めなくてはならず、傍観者の立場では、「こんなひどい奴、死刑だ」と簡単に言えるが、「死刑」という判決、執行に自らの責任の一端が科せられていると思うと、重い。

「死刑」ではなく、「終身刑」や「懲役100年」などの加算刑だと、判決を下すのに抵抗がないかもしれない。

そして、受刑者は税金でご飯を食べさせてもらうのではなく、自らの食いぶちは自らの手で賄えるような労働をする。・・・畑で作物を栽培したり、発電機を動かして電気を作ったり・・・。などということは、あり得ないことだろうか?

「有罪か無罪か」「懲役何年か」ということだけではなく、受刑者の刑罰、待遇等にも意見が言えればいいのにと思った次第である。

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2009年5月20日 (水)

母の旅行

「私に何かあっても大丈夫なように、お父さんが一人でやっていけるように予行演習!」

と言って、実家の母は、13日より、東欧5カ国の旅に出かけて行った。
なんども「予行演習」は聞いたような気がする。
本日帰国。

今回は、旧東ドイツ(ベルリン)、チェコ(プラハ)、スロバキア、ハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン)への旅だったらしい。

「ブダペストはすごく良かった。」「ベルリンの壁は155kmあったのが、今は1.5kmで、それも崩壊寸前のようだったけれど、遺跡として残すように修復中」「どこの国も、マスクをしている人はいなかったよ。」「成田での検疫は時間がかかった。成田に降りてからマスクした。」と語る母は、偏西風のおかげで10時間で着いたためか、まだ、興奮冷めやらぬせいか、長旅の疲れも見せず、元気な声だった。

2月に会った時には、「近くの整形外科では治らなかった」と、背骨が左に曲がり、股関節や膝の痛みに耐えて歩く姿は、何とも”老いた”わしや・・・といった風情だったのだが、その後、私がインターネットで調べて、通える範囲に、カイロプラクティックの治療院を見つけ、受診をすすめたところ、数回通って、骨盤の歪みをある程度治してもらったらしい。

少し調子良くなったところで、大きな総合病院の事務をしている、近所の親類から、評判だという整形外科の先生を紹介してもらい、リハビリ科にも通うようになったら、歩くたびにずきんずきんと、脳のてっぺんまで走るような痛みだったのが、そんなにひどくはなくなったとのこと。

これで、また、旅行に行こうという気が湧いてきたのだと思う。

このところ、旅の友は、元保育園園長で、市会議員も2期務めた89歳の女性。とても闊達な方のようだ。以前カンボジアに行った時も彼女のお誘いだったらしい。

老婆ペアは、周りの人たちから、いろいろ気を使ってもらい、居心地が良かったとのこと。

「旅行に行こう」という気力・体力があるうちが華だと思うので、自分より10歳以上年上の、良いお手本もいて、何よりである。

母は旅行に出る前、地元の農家に、そらまめと甘夏を、私のところに送るように手配していったが、おかげで、「着いたよ」と電話をかけるため、わずか1週間足らずのうちに2度も父の”安否確認”をするはめとなった。それを見越して手配していったとしたら、たいしたものである。

昨日の電話では、父は朝に朝・昼・晩三食分の味噌汁を作っていると言っていた。昆布と鰹節を「お母さんのようにケチらず」たっぷり入れるから、おいしいのだそうだ。「お母さんが作るより美味しいよ。」とのたまわったので、「じゃあ、今度、お母さんに作ってあげれば」と言っておいた。私も飲んでみたいものだ。

私が子供のときには、右のものを左にすることもなかった父が、変われば変わるものだと驚いたと同時に、母の作戦はひとまず成功しているようで、goodである。

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2009年5月18日 (月)

潜伏期間

新型インフルの国内感染者、今日のお昼までに、すでに130人!(22:00の段階では、139人に!)

あっという間に増えている。

JR三ノ宮の売店の女性も感染していたし、大阪吹田市では、学校・保育園の休校があり・・・。まさに、ピンポイントの場所に滞在していたのだ!

「感染地からの帰国者」のような心境。

少し喉が痛いのが気になる。

明日まで大丈夫なら、1~4日の潜伏期間をクリアするので、ひとまずほっとするだろうが、最長7日間潜伏期間はあるので、今週の金曜日まで、針の筵に座らせられ状態は続く。。。

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2009年5月16日 (土)

大阪の学会

Ca380224 14日、15日と大阪大学のコンベンションホールで行われた学会に出席してきた。

万博記念公園が近いことをいいことに、天気の良かった14日、連れの先生と、ちょっと寄り道をしてきた。

大阪万博の時、インパクトのあった太陽の塔が迎えてくれた。

人・人・人・・・人波にもまれて長時間並んでアメリカ館で月の石や、アポロ宇宙船などを見たことなどを思い出した。

当時小学生だった私はかなりカルチャーショックを覚えたと思う。

いろいろなパビリオンが建っていたところは、今は広大な公園として整備されている。

幼稚園から中学くらいまでの子供の遠足や、リタイアして時間の余裕のあるような方たちが大勢、憩いの時を過ごしていた。

私達は、ほんのわずかしか時間がなかったので、駆け足で、国立民族博物館や大阪民芸館の展示物を見たり、バラ園の中を通ったりした。
博物館のレストランでは、外のテラス席にすわり、松花堂弁当での早めのお昼にした。

日本庭園では、池を渡る涼風に、つかの間、癒された。

やっぱり、緑は目にいいと、つくづく思った。

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(午後はしっかり講演を聴きました。)

翌15日は、午前中で切り上げ、もう一人の先生の用がある神戸へ。

昼食は三ノ宮で。
JA兵庫直営のお店で、地場産で、産地にこだわりのある新鮮な野菜と、神戸牛を使ったせいろ蒸しをいただく。

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コースだったので、美肌酢(もしくはいちじく酒)、前菜2種、ご飯、香の物、味噌汁、デザート、食後の飲み物(コーヒー、紅茶、エスプレッソ、カプチーノ の中から1種類)と、お腹は大満足だった。

・・・と、楽しく帰って来てみれば、なんたることか、神戸でそして大阪で次々に新型インフルエンザに感染した高校生たちが出ているではないか!

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2009年5月10日 (日)

母の日のプレゼント

今日は期せずして娘から、うれしいプレゼントをもらった。

明け方にせき込んで目覚め、その後、二度寝をしてしまった私は、夫がゴルフ、娘が部活に行くのを寝床の中から見送った。誰もいないのをいいことに、10時過ぎまで布団の中でうつらうつらしていた。

遅い朝ごはんを食べて、一昨日、近医でもらってきた薬を飲んでからTVをつけて、適当にチャンネルを変えていたら、宇宙の話をしていた。杉山 直先生の熱弁に引き込まれて見入ってしまった。ダークエネルギーとかダークマタ―の興味深い話を、薬でうすぼんやりした頭で聴いていたら、うっかり、娘の昼ご飯の用意を忘れてしまった。

半日の部活が終わって帰宅した娘に、「お母さん、今日のお昼ごはん何?」と聞かれ、「目玉焼き丼でも・・・。」と言ったところ、いつもだったら目を三角にして怒るであろう娘が、「チャーハンつくろうか。」と言うではないか。

びっくり。

助手の私は、「サラダオイルはここです。」「塩コショウはこれです。」「ガラスープの素も入れるといいですよ。隠し味で。」「はい、お醤油です。」と最低限の手伝いをして、あとは、娘に任せた。

小葱と、ペッパーローフと卵でシンプルながらも美味しいチャーハンを作りあげた。

娘は、母の日だからと特別にしたわけではないようであるが、私にとっては、昼食を作ってくれたということが、うれしいプレゼントだった。Ca380220

食後、娘は友達と遊びに出かけたが、その前に『おかあさん、いつも Thank you! (絵文字・グラフィック) 風邪早くなおしてね。』と、メールが入っていた。

帰ってきたら、カーネーションをくれた。

玄関に活けておいたが、娘の心づかいがうれしかった。

ちなみに私も、義母と、実家の母へ、それぞれ抹茶のお菓子と、ミニバラを贈ったのであった。

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2009年5月 7日 (木)

発熱

38.8℃!

どおりで、体全体がだるく、熱っぽいわけだった。

5月3日、軽井沢から帰る途中、急激に具合が悪くなった。それまでは、前日からくしゃみと鼻水が少々出ていて、当日は少し頭が重いかなという程度だったのだが、車中で状態が悪化した。これはまずいと、遅まきながら、マスクをする。

食欲はあったので、夕飯は食べ、家に帰ってブログをアップしたところで、力尽きた。

発熱の予感あり、氷枕に着替えに、タオル類一式を整えて、枕もとにペットボトルに入れた水も用意して、床に入る。娘と一緒の部屋なので、マスクはつけたまま寝る。

夜中、2度目の着替えをする前に検温したら、前述したように、近来稀な高熱だったのだ。

やばい!…インフルエンザかも。

明けて5月4日。

朝起きられず、夫も娘も各々朝ごはんを食べたらしい。お弁当も作れないので、娘には、お金を渡してお昼をコンビニで買うように頼む。私は軽くヨーグルトとコーヒーを摂る。

しばらく横になってから、休日診療所の午前の受け付けぎりぎりに受診する。

休日診療所の玄関は、足の踏み場もないくらい靴であふれていた。待合室も、開いている椅子がほとんど見つからないくらいだった。

皆ただひたすらに順番を待っている。小さな子が泣いたり、ぐずったりするのも仕方がないことと思える。 小学生以上の子は泣き言も言わず、耐えていた。

私は肩身の狭い思いをしていた。
「このだるさは、インフルエンザ様症状だ。もし、インフルエンザだったら、昨日私は、マスクもせずに人ごみの中を出歩いていたから、知らずに他人に感染させてしまったかもしれない・・・。」「この中でも、具合の悪い人にうつしてしまうかもしれない。」・・・と。

2時間待ってようやく順番がきた。症状を話すと、インフルエンザの検査をしてみましょうということになった。

待っている間、薬剤師の患者への説明が聞こえてくるのだが、「タミフル」「リレンザ」という言葉を何度となく耳にした。看護婦さんも、次に受診する医療機関に見せるようにと、プリントを何人もの人へ渡していた。やっぱり、インフルエンザは、はやっているのだ。

5日間は服薬が必要で、その間は登校(就業)禁止となる。どうしよう、予約。どうしよう、吹部の保護者会総会の挨拶・・・。

「結果が出ました」と呼ばれてはいっていく。と、担当の先生が、簡易キットを見せながら、「結果はマイナスですね。インフルエンザではありませんでした。」と告げた。

ほっとひと安心。思わず、「ありがとうございました。」とお礼を言って出てくる。

これで、人にうつしたのではという罪悪感からは逃れることができたけれど、どうして、こんなに、だるいのか不思議で仕方がなかった。

会計まで1時間、薬をもらうまでさらに1時間を要し、くたくたになる。

こんなに時間がかかるようでは、ただでさえ弱っているのに、インフルエンザの人と同じ待合室にいて、うつってしまうじゃないかと、文句を言いたくなった。ついさっきまでは、加害者になるのではと恐縮していたのに、今度は被害者になるかもしれないとあって、クレームをつけたがった。勝手なものである。

さて、投薬された薬は5種類。

セフゾンカプセル、PL顆粒、ロキソニン錠、アスベリン錠、マーズレンS顆粒。

食後にこれらの薬を飲むと、眠気が襲って来て耐えられず、布団に入る。

食べて、薬を飲んでは、寝て・・の、繰返しをこの2日間していた。ほとんど記憶が残っていない。

昨日、いただいた山菜で炊き込みご飯を作ったり、竹の子汁を作ったり、きんぴらを作ったけれど、あとは、娘がご飯を炊いたり、夫がコンビニで買ってきたりして、何とか食いつないできたようだ。お弁当も義母が作ってくれたし・・・。

どうやら、熱も下がって、ブログを書く気もおきたのだけれど、まだ本調子ではないようだ。あまり夜更かしをしないようにしておこう。

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2009年5月 3日 (日)

結婚記念日

23年前の今日、東京サミットで皇居周辺が厳戒態勢になっている中、「私達のために警備をしてくれているみたい」との勘違い甚だしく、学士会館で結婚式をあげた。

以来、この日は結婚記念日として旅行をしようと決めていたが、3年前を最後に、娘の都合で、泊りがけの旅行ができなくなった。

部活のためである。お弁当づくりをしなくてはならない。

今年も娘の部活の日程は、今日までしか休みがない。

新型インフルエンザに対する警戒で、人ごみに出かけるのは控えるべきなのは重々承知だったが、娘も、今日しかない休みをどこか日常と離れた場所に行きたがっていた。

甘い両親である。

娘が行きたがった、軽井沢のアウトレットショップに行ってきた。

ものすごい人であった。

どんなにマスクをした人が多いかと思ったら、期待外れだった。皆、「新型インフルエンザ」など、どこ吹く風である。私も、折角持って行ったマスクを車の中に置き忘れる失態。

車のことだが、行きの高速道路は上りだったため、途中までさほど混まなかったが、運悪く、佐久ICと軽井沢・碓井ICの間で災害のため通行止めとなっていて、一般道に降りざるを得なかった。

このため、行き帰りとも、18号は大渋滞であった。(パパ、お疲れさま。)

さて、駐車場になかなかはいれないので、プリンスホテルに停めて、ランチはプリンスホテルで食べた。泊まり客を装って堂々としていたため、怪しまれなかったcoldsweats01

アウトレットショップでは、私はウォーキング用のパーカー上下、夫は、珍しくブランド物のスニーカー(70%OFFだったので買う気になった模様)、娘は、こまごまとした衣類やら雑貨やら、友達へのプレゼントやらをそれぞれ購入した。

結婚記念日だからと言って特別なものを買わないのが、我が家流。(ちなみに20周年の時には、私は自腹で、婚約指輪をPtネックレスにリフォームした。本日もつけていったが・・・。)

Ca380216_3 一通り廻ったら、もう3人とも疲れて、裏手にある芝生広場や、コテージの散策をして、緑を目に、癒されてきた。

ホテルの庭には、鯉のぼりも泳いでいた。

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帰りは、遅くなってしまい、夕飯は思っていたところでは食べられなかった。

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ようやく、10時まで開いているレストランに入って注文ができた。これが、私の今夜のディナーである。

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2009年5月 1日 (金)

新型インフルエンザ

毎日新型インフルエンザ感染拡大のニュース。

じわじわ世界的に広がり、とうとうパンデミックの一歩手前。WHOはフェーズ5に警戒度を引き上げた。

日本でも、米国帰りの女性、カナダ帰りの高校生が、感染を疑われたが、遺伝子検査(PCR検査)でそれぞれ、A香港型、Aソ連型と判明して、ほっと胸をなでおろしていた。

と、つい先ほど、米国から帰国したトヨタの社員にも感染の疑いがあると知ったが、TVをつけっぱなしにしていたら、新型ではなかったと報道があり、安堵した。

今年の季節インフルエンザの流行もおかしくて、最近になってまたピークを迎えているのは、以前の記事でも書いた通りだが、近隣の小中学校で何校か学級閉鎖になったりしているのだ。
この2~3日で私の患者も4人インフルエンザでキャンセルになった。
今日来た子も2人、ちょっと前にインフルエンザにかかったんだと話していた。

ちょうど、ワクチンの効果が切れてきた時期だからなのか、ウィルスが微妙に変異したのか。

歯科医師会からもお達しが来た。

国内で感染者が出た場合、診療所閉鎖の要請も出されると。あとは、個人的な予防の徹底と、食糧・日用品・医療品を最低2週間分は備蓄するようにと。

人の大勢集まる場所にはなるべく行かないようにとのことだが、渡航禁止にはなっていないので、おおいに不安だ。

自己防衛と、水際作戦で、なんとか感染収束まで持ちこたえて欲しいと願うばかりである。

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