« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

2009年7月31日 (金)

Walkin' in the Clouds

「タタッタ~♪♪タタタタ~タタッタン♪タタッタン~♪タタタタ♪タタッタ~タタッタ♪タタタタ~・・・」

「パパっパ~♪♪パパパパ~パパっパー♪パパパパ♪パパっパ~パパっパ~♪パパパパ~♪・・・」

というピアノとテナーサックスの掛け合うメロディーが10日ばかり前から頭を離れない。

椎名豊さんのニューアルバム、『Walkin' in the Clouds』の中の表題曲。

ツアーの途中で、上越市の浄興寺で、ジャズのレクチャーライブがあった。地元、高田高校の管絃楽部と椎名さん率いるカルテットとのコラボ演奏があって、素人の私も友達と聴きに行ってきたのだった。

世界を股に活躍するミュージシャンとの共演は、高校生にとって音楽を楽しむ貴重な経験だっただろう。

私たちにとっても楽しいライブだった。

それで、この曲を気に入ってしまったので、CDも買って聴いている。

ジャズは、2拍めと4拍めにアクセントをつけて手拍子するとスゥイングできる。という当たり前のことを発見。

Ca380239

Ca380241

ピアノ : 椎名豊・・・「繊細にして縦横無尽」というコメントがぴったりの演奏。星のような煌めきを感じる。

テナーサックス : ティム・アマコスト・・・温かみのある音がいい。人のぬくもりを感じる。(調べてみたら、父君が、パパ・ブッシュの時代のアマコスト米駐日大使、同じくT.Sを吹く弟さんが、アイスクリームで有名なH社の重役という家系であった。)

ベース : ロドニー・ウィテカー・・・ 大地を支えるような重厚な響き。

ドラムス : 広瀬潤次・・・しなやか!リズムの要。自然体で確かな演奏。心地良い。

Ca380245

メンバー全員からサインをもらった。

アーティストはサインもかっこいい。

ちょっと、お宝かも。

椎名さんとアマコストさんに握手もしてもらったし、友達と一緒に興奮したひと時だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月29日 (水)

鴨川少年少女合唱団+加藤登紀子

24日にNHKのBS2で放送された「SOUND+1」。(再放送は こちら♪ )

ちょうど「鴨川」の出ている表記番組だったので、見逃した鴨川生まれの私に、ある先輩がダビングしたDVDを送って下さった。

小1~高3までの子供たちで構成される鴨川少年少女合唱団のコーラスと加藤登紀子さんとのコラボレーションを、最初から、ステージ発表まで、ドキュメンタリー風に撮った番組。

メッセージ性の高い歌を、子供たちと一緒に楽しく歌おうと働きかける加藤さん。子供たちもそれに応え、歌詞の意味を考えたり自分たちなりに、表現しようとする。

いい企画だなと思った。

加藤さんが鴨川でご主人と農業をし始めてから28年。ご主人亡き後も、「王国」を守って、鴨川に住み続けている。鴨川を第2の故郷と思ってくださっているようでうれしい。

鴨川少年少女合唱団が結成されてから26年。どうりで、鴨川を離れてから30有余年の私にはわからないわけだ。「えっ、合唱団なんてあったっけ?」と思ってしまったのだった。

HPをのぞいてみると、高橋史郎さんという長狭高校のOBの方が奥様と一緒に設立したとのこと。高橋さんは、在学中に須田七郎氏に師事して多大な影響を受けたそうなのだが、ここで懐かしいお名前を発見。

須田七郎先生は、もうお亡くなりになってしまったが、私が小学校の時のピアノの先生だったのだ。母も女学校の時に音楽を教わったらしい。

須田先生は、長狭高校の学生歌も作曲されている。

高1の時、応援団の怖いお兄さんたちがやってきて、私たち新入生は有無を言わせられず、校歌、応援歌、学生歌を覚えさせられ歌わさせられたのだったが、私は、須田先生作曲の歌が一番好きだったな…などということを感慨深く思い起こしたのだった。

合唱団の子供たちも加藤登紀子さんとのコラボ経験は、一生忘れられない思い出になることだろう。

できれば一度だけでなく、今後も定例的にコラボコンサートをしていただけたらと、子供たちに代わり、願うのであった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月25日 (土)

夏祭り

上越祭りが23~29日の日程で開催されている。

ここ高田では、23~25日が、歩行者天国になってイベントが行われた。

23日は、大民謡流し。24日は、小学生のマーチングや、子供神輿、夜は謙信太鼓や、神輿の宮入。そして今日の夜は、ダンスコンテストや大道芸パフォーマンス、ゲーム大会のような催しが行われた。

経済的な理由からか、高田での花火がなくなってからは、私は祭りに対しての興味がはなはだ低下して、今日もオールスターゲームなどを夫と家でTV観戦していたくらい・・・。

ところが、娘はこの3日間、今日などは夏休み初日で部活も丸一日あったのだが、友達と祭りに出歩いていた。3日間、それぞれ違う友達と一緒にsign01

遊ぶことにかけては、体力があるのに驚かされる。

それに、友達の多さにも。

受験生なのに…という言葉を飲み込み、まあ、これからは、遊べない夏休みになるわけだから、遊べるうちにストレス発散させてもいいかと、大目に見ることにしたのだった。

まあ、これだけ友達と一緒に遊べる娘が、うらやましく、ちょっとジェラシーを感じるのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月22日 (水)

日本の日食

日本列島では、46年ぶりの皆既日食が、トカラ列島、屋久島、奄美大島、硫黄島などで観測された。

特に悪石島では、皆既状態が最長6分44秒も続き、今世紀中に世界中で観測される皆既日食中最も長いとされていたが、あいにくの悪天候で、ダイアモンドリングや、コロナなどの観測はできなかった模様。ただ、すっと光が消え闇に包まれる神秘的な体験をしたツアー客と島民の方々は、「残念だったけれど感動」との感想が多かったようだ。

硫黄島は晴れていて、観測条件が良かったとのことだ。日食マニアのエリカ様夫妻が訪れている奄美大島も大丈夫だったらしい。

新潟県では、部分日食だったが、高田ではちょうど蝕の最大になったときには厚い雲に覆われていてよくわからなかった。曇り空・雨雲の空くらいの暗さで、特に「暗くなった」という印象はなかった。

それでも、たまに雲の切れ間から顔をのぞかせる太陽はいつもとちがっていたのだった。(やっぱり日食メガネを用意しておけばよかったと後悔!)

ピンホールを使ってその違いをカメラで記録してみた。
(ほんの僅かの間、晴れ間が差すので、そのチャンスを逃さないようにするのが大変。そしてせっかく撮影したが、ピンホールを作った厚紙の裏表が逆になってしまい、鏡像のようになってしまったのが残念。)

Ca380247  Ca380251

左が11時半、右が12時45分に撮ったもの。

明らかに違うので感激した。

今度日本列島で皆既日食が見られるのは26年後。しかも、新潟県は皆既日食帯にはいるようだ。

絶対それまでは元気で生きていて、皆既日食を観ようという意志を新たにしたのだった。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年7月18日 (土)

明日は土用丑の日だが、もう今日から、どのスーパーでも、うなぎのかば焼きの大セール。

それを横目で見て、やはり、買うのは明日にしようと思うのだった。

食品偽装で中国が槍玉にあがったころは、「中国産」のものは、肩身の狭い思いをしていたが、もう禊は済んだとばかりに、大量に売られていた。

確かに国産に比べて値段が安い。やはり経済的に、需要は多いのだろう。

(私は地産地消、「国産」保護のためというか、意地でも中国産のうなぎや、大蒜、椎茸を買わないと決めたので、買っていない。後、買わないのは、アメリカ産のブロッコリとかネスレ製品とか・・・。)

しかし、「国産のうなぎ」といっても、養殖の場合、稚魚はまだ輸入に頼らざるを得ないのではなかったか。

うなぎは、まだその生態が全部解明されていない不思議な淡水海水両生の魚である。

特にどこで卵を産むのかがわかっていなかったらしい。
今では、なんでも、東南アジアの海域で生まれ、日本の川まで数千キロの距離を泳いでやってきて、また、産卵のときには、数千キロを泳いでふるさとの海に帰るという、非常にタフなキャラクターであることが分かってきた。

日本でオス・メスを飼育していても、メスは卵を産まないのだそうだが、鮭の脳を移植すると卵を産むようになったということで、卵からの養殖が可能になりつつあるとの朗報がある。

ただ、何を餌に食べるのかわからず苦労したらしいが、試行錯誤の結果どうやら、サメの卵を選択的に食べるらしい。

栄養価も高く、スタミナをつけたい時には、食べたいと思ってしまう鰻だが、研究を進めて、純国産がもっと安く食べられるようになることを願っている。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年7月14日 (火)

夏期講習

今年は、吹奏楽コンクールが8月2日、マーチングコンテストが8月23日にあり、夏休みに入る7月25日から、お盆期間の3日(12・13・14日)を除いては、ほとんど部活に休みがない。

地区大会で、惜しくも部活引退を余儀なくされた人たちは、この夏が勝負と、夏期講習、夏期特訓など頑張れるが、娘は、塾の普通の夏期講習が受けられない。

個別で、なんとか…と思い、部活のスケジュールをにらみながら、コマを埋めてみたが、その時間枠では、個別の授業もないことが判明し、どうしようかと、今日、塾に出向いて相談してきた。

塾のマネージャー3人が一緒に相談にのってくれたが、誰もが、「こんなにきついとは・・・。」と絶句する始末。

結局、他の人が20コマとるところ、ようやく14コマ、それも特別に、少し時間をずらしてもらってとれるようにしてもらった。そのほかに4コマ、一番遅い時間に理科・社会のための自主学習システムとればいいということになり、ひとまず夏期講習には行けることになった。

それにしても、大変な夏になりそうだなぁ・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月10日 (金)

劔岳 点の記

Photo

公開前から気になっていた映画である。

日本映画界の「名カメラマン」木村大作監督の渾身作。

こだわりぬいた映像にただ感動。

実際に登った者でしか見られない美しくも厳しい山岳・自然をスクリーン上で見せてもらえてありがたい。

浅野忠信、香川照之をはじめとする俳優陣とスタッフの努力と忍耐も賞讃に価するものである。

Photo_2 100年前に、名誉も利も求めず、命懸けで「測量」という仕事を全うした男たちへのオマージュ。

俳優陣は芝居をしなくとも、自然に彼らと同化したにちがいない。

ただ登るだけでも大変なのに、そこからが本来の仕事となるところが同じだから。

香川照之が舞台あいさつで、裏話を披露していたのを動画で見た。

―劔岳登頂に成功したしたが、天気が悪くて撮影できず、頂上に数時間いて、そのまま降りざるを得なかった。登山としては成功なんだけれど、映画としてはまったく成立しなかった・・・。

―再度アタックして、7月13日、くしくも100年前登頂に成功したのと同じ日、監督の誕生日でもあったこの日に、また頂上に登ったが、先に登頂していた監督達が、周りの景色をばしばし撮影していた。
いつ、本編撮影になるのか合図を待っていたが、なかなか合図がない。
どうしたことかと思ったら、景色の撮影にフィルムを使いきってしまったとのこと。
普段は予備のフィルムも持ってくるのにこの時は、どうしたことかベースキャンプに置いてきてしまったという。ベースキャンプまでは、往復8時間かかる・・・。
次第に事の重大さに気付き、途方に暮れたが、ある登山経験豊富なスタッフが、取りに行ってくると言って下山した。いつもは50kg近くの荷を背負って歩いているのに、荷物なしの身軽な状態で行ったので、道をよく知っている彼は、1時間40分でもどってきた!

彼のおかげで撮影ができて、完成したといっても過言ではない。もし彼がいなかったら、きっと今頃まだ、剣岳の頂上で撮影中だろう(苦笑)・・・。

こんな苦労をして映画を完成させた彼らの顔は、本当にいい顔をしていると思った。

ストーリーの上で、あくまでも初登頂にこだわる軍部と、日本登山協会との競争を無暗にあおる新聞社には、腹が立ったが、最後に、測量部と、登山協会が、お互いの登頂を讃えあうシーンで、そんなことはどうでもよいことだ、軍部や新聞社などむしろ滑稽にすぎないと思え、観終わったときは清々しさが残った。

観て良かったと思える映画だった。

Photo

Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月 6日 (月)

裕次郎23回忌

昨日の23回忌は、ファンの前で行う最後の追悼イベントということで、スケールが違った。

国立競技場に、総持寺を建ててしまった。

法要をする総持寺の僧侶も100名を超えて集まっていた。

抽選で当選した5万人には、チケットと引き換えに記念品が配られた。

11万7000人近くのファンが追悼に訪れたという。

亡くなってから22年経つというのに、石原裕次郎の人気はすごいものだ。もっとも、裕次郎だけでなく、石原プロの、渡哲也、舘ひろし、神田正輝らの人気も相乗効果を及ぼしているのだと思うけれど・・・。

ファンサービスに怠りのない、石原プロであるが、ひとつ物を申したいことがある。

それは、世紀の大作『黒部の太陽』をどうして上映したり、DVD化しないかということだ。

何年か前の追悼イベントで、抽選5万人が映画鑑賞できたそうであるが、応募は30万人もあったという。

五社協定でもめたり、日活、石原プロ、三船プロとの関係で、すっきりしないこともあるのかもしれないが、ファンは、観たいのである。

それほどファンとは言えない私も、この3月にフジテレビ開局50周年記念ドラマ特別企画『黒部の太陽』が、香取慎吾の主演でリメーク版として放映されたとき、感動して、是非、オリジナルを観てみたいと思ったのだった。

オリジナルを求め、レンタルビデオ店でくまなく探しても、Amzon等で探しても、DVDはなかった。

調べたら、DVD化されることなく、再上映の予定もなく、お蔵入りしているとのこと。

もったいない。

監督の熊井啓氏が、亡くなる2年前に、『黒部の太陽』という、監督だからこそ書けた撮影裏話とシナリオを載せた本を上梓したが、このあとがきに、「上映を望む」と切なるコメントを寄せていた。

願いがかなうことなく、監督は鬼籍の人となってしまったが、今となっては、遺言のようなものである。このことを汲んで、ファンのためにも、絶対オリジナル版を上映して欲しいものである。

黒部の太陽

明日は七夕。

願い事を短冊にでも書こうか・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 4日 (土)

7月4日

今年も半分以上が過ぎてしまった( ̄○ ̄;)!。

1日1日がというより、1週間1週間が飛ぶように過ぎていく。

この前、夏至だったと思ったら、もう7月に入って4日が過ぎようとしている。

「7月4日」・・・何か特別な日だとインプットされていたが、アメリカ合衆国の独立記念日だった。1776年の独立宣言から、233年。若い国である。

「7月4日に生まれて」という映画もあった。確か、トム・クルーズ主演で、監督はオリバー・ストーンだった。当時はトム・クルーズが好きでよく観ていたが、これは、ベトナム戦争を扱った、テーマの重い映画だった(ミーハーの私には)と記憶している。

そうそう、「7」と「4」は、うちの電話番号の一部だし、夫と私の大学の時の学籍番号とも重なり、ちょっと特別な身近な数字だったのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

定期テスト

「今回は頑張る」

と言っていた娘のテストの結果が返ってきた。

確かに2年生の時よりは勉強していたようなので、今までで一番総合点は良かった。

ただ、問題と解答を見ていたら、「なんて、お馬鹿!」という間違いが多々あり、娘にそのことを指摘すると、本人も十分承知しているようで、「本当だよ。どうしてまちがえたんだろうまったく。くやしいよ!」

あと10点近くはアップしたはず。

「N(女の子)に負けちゃったよ。M(男の子)には勝ったけど・・・。」

プラスマイナス6~8点以内の僅差だったようだ。

ようやく、くやしがるようになってきたか。

ゆとりの教育とやらで、ぬるま湯状態の娘だったけれど、やっぱり適度な「競争」というのも、刺激になって、自分を高めるためには、必要なものだと思うのであった。

2学期はもっと頑張るそうなので、有言実行してちょうだいね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »