« 目の保養 | トップページ | 公共の駐車場について »

2013年5月31日 (金)

厳嶋神社弁財天巳年本開帳

私の生まれ故郷は、平安の昔、磯村という房総屈指の漁村だったようで、仁明天皇の承和年間(834年~848年)、慈覚大師円仁が、当地に巡錫した折、弁財天女のお姿を自作されてこの地(往時は浮島)に安置したのが磯村弁天島厳嶋神社の由来と伝えられている。

Dsc00442

磯村漁民の先祖は、弁財天尊像を大漁万作、海上安全、開運繁栄の守り神として崇敬し、伝統的な祭祀の行事を伝承してきた。

現在の弁財天尊像は、徳川吉宗の享保年間に作られたものだそうである。

本開帳が60年目に、中開帳が30年目に行われる。

当日は、岸から島までの海上には船橋が架けられ、近郷近在から多数の参詣があったとのことである。

今では、堤防がぐるりと造られ、歩いて行けるようになったが、私が子どもの頃は、まだ渡し船で渡っていたことを思い出した。

Ca3k0763 Ca3k0764

今年は、ちょうど60年目の本開帳の年で、ゴールデンウィークの5月4・5日に行われたので、実家に帰ってお祭りに参加した。

普通、御神輿は男性が担ぐのだが、弁財天は女性の神様なので、女神輿が出るのが特徴で、8歳年上の親戚のお姉さんから、一緒に担ごうと言われて担いだのだった。

昨日、実家の母からその時の写真が送られて来たので、アップすることにした。
残念ながら、担いでいる時の写真はなかったそうであるが、皆で撮った記念写真と船橋の写真である。

Ca3k0790

Dsc00487_2

私は中開帳の時にも御神輿を担いでいて、その時の写真がようやくみつかったので、30年前の写真「も、ついでにアップしてみる。

Pap_0114

Pap_0115_2

・・・やっぱり30年の差は大きいとつくづく思う^_^;。

もうひとつおまけに、記念Tシャツを紹介。

Pap_0113

左のTシャツは、万祝い着(大漁の時に網元が乗り子に贈った半纏)をプリントしてあるもの。本物の万祝い染めは藍玉を使う、漁民芸術の華である。

|

« 目の保養 | トップページ | 公共の駐車場について »

つぶやき」カテゴリの記事

行事、習慣」カテゴリの記事

コメント

まりママさん、こんばんは。

いえいえ、とても30年経っているとは思えない写真です。
28年くらいかと…

投稿: しりあげむし | 2013年6月 2日 (日) 20時49分

ブログを書かれていたのですね!
写真、面影ちゃんとあり昔もモテモテだったのでは?

ところで、ぜひ新潟の同窓会の出席お願いします。
ほんと、最近出席者が激減しています。

そういえば今年も高田高校から一名、医科歯科の歯学部に入学したようです。
同窓会報で今日知りました。


投稿: じゃが | 2013年6月12日 (水) 19時33分

しりあげむしさん
2年分若く見ていただいてありがとうございました

じゃがさん
コメントありがとうございました
今回、ちょうど新潟市に行くことになったので、出席させていただこうかと思っています(^^)/


最近、ずっとブログをご無沙汰しているので、コメントに返信が遅れてすみません

投稿: まりママ | 2013年6月16日 (日) 01時02分

慈覚大師の弁財天の開基は836年です この時清澄山の中興開基もされています 看板には840年頃と書かれていますが日本には大師は おいでになりません突然書き込みしまして申し訳ございません

投稿: 鴨川の川上と申します | 2013年11月 2日 (土) 12時11分

川上様

ご指摘ありがとうございました。

確かに、慈覚大師は、838年~847年の間、唐に留学されていたので、840年には日本にはいらっしゃいませんでした。

清澄山の中興開基をされたのが836年というのは、記録があることを調べました。地理的に言って、同じ年に、大師が鴨川を巡錫されていても辻褄が合うことですが、鴨川で見た案内に「唐より帰朝した慈覚大師」と書いてあるのが気になりまして、これが全く誤まった記述であるということは、はっきりとはわかりませんでした。そこで、はっきりするまでは「承和年間」ということにさせていただこうと思いました。

ご了解下さい。

また、ご教唆くださいませ。

投稿: まりママ | 2013年11月13日 (水) 19時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 厳嶋神社弁財天巳年本開帳:

« 目の保養 | トップページ | 公共の駐車場について »