育児

2008年12月24日 (水)

バトル

22日に14歳になった娘。

このところ、毎日1度は戦闘状態になる。

だいたい、言うことを聞かない、素直じゃない、変なところにこだわる。

勉強しない、携帯やPC、ハナチューとかポップティーンなどの雑誌にうつつを抜かし、化粧にまで興味を持ち始めた。

友達と自転車でジャスコとかバローとか、郊外の大型店にしょっちゅう遊びに行く。早く帰るように言っても聞く耳を持たない。

今、一番大事なのは何なんだ?優先順位があるだろう。やらなくてはならないことをしてから、いろいろ興味を持つのはいい。でも、中学生の本分が、三の次四の次になっているではないか。

1年生の3学期から、定期テストの点数がガクッと下がった。それでも、まだ、2年生の1学期までは、学年で上位10%の中には入っていた。
ところが、2学期は他の子たちが塾に行き出したり頑張ったりしたのか、点数自体は5教科で5点下がっただけなのに、順位が倍に落ちた。

これには、本人もショックを受けて、先生には、がんばるというようなことを言ったらしい(個人面談の時の先生からの話)が、喉元を過ぎればなんとやらで、一向に生活習慣を改めようとしない。

あまりにも、私が中学生だった時と比べて違うので、当惑している。

もっとも、昔は携帯もPCもないし、私の場合、田舎だったので、あまり周りに誘惑されるようなものがなかったからかもしれないが・・・。

また、小6の時にある一人の男の子が憎々しげに言った「今はできても、女の子は中学・高校と行くうちにだんだんできなくなって、二十歳過ぎればただの人だ」という言葉が呪縛となって、言うとおりになってたまるものかと、障害となるような誘惑を断ち切っていたからかもしれないのだが。

いずれにしても、一触即発の娘をどう扱うか、頭を悩ませているところである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年12月 7日 (日)

オムライス

今日は、小児歯科の同門会があって東京へ。

朝、高田には雪は降っていなかったが、直江津に着いたら、雪が積もっていた。日本海沿岸を走る列車に遅れがあり、待合室には多くの人があふれていた。

私が出かける時にはアクシデントが起きることが多い。

結局、乗り継ぎの新幹線一本遅れただけで済んだ。指定席の振り替えも直江津駅でできたので、問題なし。

さて、帰りは何事もなく、ダイヤ通りの運行。

ふと、夕飯を夫に託してきたが、どうしたものかと、娘にメールをした。

「夕飯、食べた?」

娘から「食べたよhappy01 オムライス作った」という返信。

「えっ、おまえが?」「おうgood

「美味しかった?」「多分」

家に帰って聞いてみると、冷蔵庫にあったウインナとハムを使ったけれど、玉ねぎが見当たらなかったので、入れずに炒めた。卵は、牛乳がなかったので生クリームを入れたとのこと。

・・・我が家のオムライスは「たんぽぽ・オムライス」で、ケチャップライス(普段はチキンライス)の上にプレーンオムレツをのせるので、その選択は、goodです。

結構おいしくできたらしい。

ほう、自分で作るくらいに成長したのだなぁ、と喜ぶ。

ただし、食器やフライパンが流しにそのまま積んであった。

「洗おうと思ったんだけど、宿題したり、お風呂に入ったり、メールしたりしてたらできなかった。」のだそうだ。

今度は片付けまでできるといいね。

あと、洗濯もね。

今、私は、娘の体操服の洗濯の最中。洗濯機が脱水までしてくれるのを待っているところ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 7日 (金)

遊具

娘の通った幼稚園がリニューアルした。

Dsc00519_2_2

Dsc00519

夏休みの頃から、地域に住む有志の画家さん達が、壁画を描き始め、園庭の周りの柵がペンキ屋さんによってお化粧直しされたかと思ったら、ジャングルジムや登り棒、うんていなども次々に壁画の中の色に塗りなおされていった。

滑り台や、ブランコも、白壁赤屋根だった小さなおうちも、見事にメルヘンの国に様変わり。

Dsc00523                                      

Dsc00520

Dsc00521_3

これは、元ブランコの枠。場所を移動して、フィールドアスレチック様の遊具に生まれ変わった。

園庭中央には小山も築かれ、嬉々として裸足で昇り降りする園児たちがいた。

子ども達の手形がペイントされたベンチもおかれ、お母さんたちが腰かけて話しながら、子どもたちを見守る姿も見受けられた。

なかなか楽しそうで、娘も羨ましがっていたが、ひとつ重大なことに気づいた。

ブランコがすべて、使えない状態だということ。

私の幼稚園時代、どの遊具が一番好きだったかと聞かれると、「ブランコ」だったから、これが使えないということはかわいそうなことと思ってしまう。

ブランコは、自分でこいだり、人に背中を押してもらったりして、風を切るのが気持ち良かった。青空に蹴上げた足が浮かぶのが楽しかった。誰が一番遠くまで飛べるかを競争したりもした。そんな思い出がある。

娘の時代には、それでも先生の監視下にブランコの経験があるようだが、今の園児達はまったくブランコに乗れないことになる。いや、その存在自体知らないことになってしまいやしないか。

なぜ、ブランコがはずされたのか。

落ちたり、ぶつかったりして、ケガをするからか?でも、それは、危険予知をし、自分で気をつけていれば、いいこと。私たちの時代、そんなに重篤な事故は起きなかったはずである。

責任問題、訴訟問題などという言葉が脳裏に浮かぶ。

また、ブランコの次に楽しかったのは、砂場での砂遊び、おままごとだった。

今は、猫のフン害があるため、全面解禁にはされておらず、普段は、ブルーシートがかけられたままだ。自由には遊べない。娘の時代、2年目ぐらいからそうなった。

昔は、猫も、わざわざ園庭の砂場まで用足しに来なくても、そこいらで充分用がたせたと思うのだが、現在は、周囲が皆コンクリートで舗装されてしまったため、気持ちの良い用足しのためには、砂場に出張してきていたのだろう。(まあ、昔もなくはなかったと思うけれど・・・。)

園庭が素敵になって良かったと思う反面、不自由な世の中になったことを感じるのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 9日 (水)

娘の腹痛

娘が昨日から、「気持ち悪い」「おなかが痛い」「熱っぽい」と訴えていた。

そして今朝、いつもの朝練より早く家を出なければならないのに、ぐずぐずしている。

「やっぱり、気持ち悪い。」

熱を測ったら「36.5℃」だそうで、日ごろ35℃台の低体温症の娘にしてみれば、普通の人が37℃台の微熱で、だるくてかなわないと感じているのと同じなのかと解釈する。

顔色も悪いし、おでこを触ると普段より温かい。

しかし、親としては、学校を休むほどひどい症状とは思えず、いったん登校して早退するか、良くなってから遅れていくかと提案してみたが、今、具合が悪く、またいつ良くなるかわからないので、休みの連絡をしてくれという。

自説を曲げそうにないので、仕方なく担任に連絡。

何かがあるとよく、「気持ち悪い」「頭が痛い」「お腹が痛い」を繰り返す子だったが、あまり学校は休んだことがなかった。1年生も皆勤だったし。

でも、今回は休むほどひどい(?)らしい。
何か器質的な問題があるといけないので、病院に行って検査してもらおうと、タウンページを開いて、消化器の専門医を探し、「病院に行こう。」と促すと、「病院に行くと思っただけで具合が悪くなる。」と、のたまわった。

今日は午後から新入生の歓迎オリエンテーリングがあって、吹奏楽部はマーチング演奏をするらしかった。観桜会の時のただ行進するだけの演奏ではなく、フォーメーションがある。

そういえば先日、家で譜読みをしていて、「楽譜の小節と、動きがあわない、どうしてもずれる」とイライラしていたことがあった。

「ははん・・・。」

一番の薬は、静かに夕方まで時間が過ぎる事か。

吹奏楽部の部員達は、ほとんどが小学校からの経験者だが、娘は小学校の時はカラーガードだったため、中学に入って初めて楽器に触れたに等しかった。しかも、ヤマハの音楽教室を続けることも四苦八苦した子だったから、どうなる事かと心配だった。

人づてに聞くところによると、その心配どおり、かなり苦労していたらしいが、家では弱音を吐かず、部活を休むこともなく、それだけはなかなか根性があるなと、ひそかに感心していたのだった。

1年生の頃はそれでも良かったのだろう。大変だったと思うが、本人も、初めはできないのが当たり前という意識があっただろうし、皆も大目に見てくれたところがあったのだろう。

ところが、2年生になって状況が変わったのではないか。1年間やってきて、できないといけない。先輩として、後輩を教える立場になった。

しかも、今日のオリエンテーリングは新入部員獲得のためのデモンストレーション。ここでミスをしたら・・・。そう思うと私もなんだか胃が痛くなってきた。

「休むのは今日だけ」

そう娘は言った。

しかし、今後も、気持ち悪くなって、お腹も頭も痛くなるようなことがいろいろ起きるに違いない。
自律神経のコントロール術を身につけるか、鈍感力を養うか。
歯をくいしばって努力して、課題を乗り越えていくか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月21日 (金)

娘の学力

世のお子様方は、大半、親が塾に行くように言うと素直に従っているようである。もしくは、通信添削を毎月提出していると聞く。

しかるに我が家の娘は、塾は嫌だ、通信添削も出さない。
3学期などは、定期テストだというのに教科書は学校においたまま。

吹奏楽部が忙しく、朝練・夕方・土日練習(一日はお弁当持ち)。学校から帰ってくると、おなかすいた、眠い。

起きているときは、夫所有の大量のコミックを片っ端から読みあさり、好きなTVのドラマは、録画してあるのに、オンタイムで見る。

茂木さんが、『脳を活かす勉強法』で言っているようなドーパミンは、娘の脳からは分泌されないらしい。「知らなかったことを知る」「できなかったことができる」ことに喜びを感じるまでには到っていないらしい。

まったく歯がゆい!

先ほど、終業式までに終わらせるはずの宿題『5科の総仕上げ』をパラパラ見ていて唖然とした。

なんでこんな問題ができないの!!!

診療室だと、なかなか治療に慣れない子供たちに対して、気長に忍耐強く少しでも出来れば褒めあげ、一歩一歩前進させて行くことができるのに、自分の子供だと忍耐ができない。

つい怒りがこみ上げてくる。

「自分の子には教えられない」と聞いていたが、その通りだ。
最初は優しく教えていても、反応が鈍かったり、反発する態度がみえてくると「馬鹿じゃないの!」「もっと素直になりなさいよ!」という気持ちがむらむらと湧いてきて、声を荒げてしまう。

最悪・・・。

目下のところ、彼女が私のストレスのもとである。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2008年2月14日 (木)

試験勉強

来週の月曜日から、娘の学年末の定期テストが始まる。

まったく無計画で、数学など何も勉強していないようだが、大丈夫だろうか。

この2~3日、今日のバレンタインデーの友チョコ作りに精を出していたし・・・。

友達からも”手作りチョコ”をたくさんもらってきた。

学年通信では、学校への持ち込みを禁止する旨書いてあったと思うが、子供たちには馬耳東風のようだ。

そのチョコレートのガナッシュを作るのに、チョコレート100gあたり、生クリームが50ml必要なそうで、娘が買ってきた製菓用のビタ-チョコレートを180gと、70gの板チョコでは、生クリームがどのくらい必要になるか、ちょうど簡単な比例の問題になるので、聞いてみたら、すぐにはわからない始末sign01。愕然としてしまった・・・。

そんな勉強嫌いの娘でも、不思議なことに、着うたの横文字だらけのグループと曲名はしっかり把握している。私は、何度聞いても判別が難しいのに・・・。

今はまっているのが、ET-KINGにBUMP OF CHIKEN、それにFUNKY MONKEY BABYSやらAqua Timez、GreeeeN、SoulJa、Monkey Magikなど。

何、それ?という感じなのだが。

曲のメロディーは知っていても、曲名とアーティスト名とが一致しない。

”ギフト” ”空はまるで” ”花の名” ”ここにいるよ” ”Lovin' Life” ”しおり~三ツ矢サイダー ” ”愛唄”

は、どのアーティストの曲か線で結びなさいと問題を出されたら、「はい?」となってしまうだろう。

娘には馬鹿にされるし、くやしいな。

頭に入らない、私の試験勉強。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年12月12日 (水)

背比べ

娘と一緒に歯磨きをしながら洗面所の鏡を見て、一回り小さいけれど輪郭は私に似ている、などと、ついこの間まで思っていた。

私と張り合って、首を伸ばしたりしていたのだが、まだ軍配は私の方にあった。

「もう少しで追い越すからね。」「もう『チビ』って呼ばせないよ。」

そう、挑む娘の言葉に「時間の問題か・・・。」と、覚悟はしていたものの、こんなに早くその日が訪れるとは思ってもみなかった。

「あれ~っ!ちょっと並んでみてぇ!」

という義妹の言葉に娘と背比べ。

「○○ちゃんの方が、肩の位置が高いみたい・・・」

「どれどれ?」と、義母。

「あら、ほんとだ・・・。」

「え~!」とショックをかくせない私。

「子どもは大きくなんなきゃね。」

と、自分もかつて息子から追い抜かれたことのある義父からの言葉に頷きながら、うれしいような、ちょっと悔しいような気分を味わった。

さっきも、「よちよち歩きの頃は、ひざまずいても、胸元にくるかこないかだったのに・・・。」と、娘の幼い時を思い出しつつ、感慨にふけっていたのだった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年8月20日 (月)

マーチングコンテスト

・・・残念だった。

昨日、朱鷺メッセで、小学咬のバンドフェスティバルと、中学・高校のマーチングコンテスト西関東予選があった。

朝6時半集合、7時にバス2台で出発。1台は応援する親達のバスだ。

高速道路は、途中何箇所か、バスがバウンドするところがあったが、無事、余分な時間もかからずに到着。

子供達は、所定の練習場所へ向かう。

親達は、開演13時、開場が12時なので3時間も待たなければならない・・・。よい席を取るために並ぶのだ。

携帯イス、飲み物、帽子、日傘を用意した方がいいと書いてあったプリントの意味がわかった。それでも今年は朱鷺メッセで、屋内で待てばいいのでいつもより楽なようだ。

私は、応援に来るか迷っていたため、チケットの共同購入応募締め切りに間に合わず、当日券販売の列に、一人だけ離れて並ばなければならなかった。11時半からの販売・・・。

覚悟を決めて、荷物を降ろし、自分も立ったり座ったり、腰に負担をかけないようにしながら、1時間半近く待っていると、保護者会の会長さんから声がかかる。同僚に出会ったら、連れ合いが急に来れなくなって、チケットが一枚余っているとのこと。渡りに船でチケットが買えた。

開場のほうも、10時半に変更になり、皆と一緒に入場できた。ラッキー!

前に並んでいた団体が、あっという間にセンターの場所を取っていたが、私たちもみんな、手荷物や応援団扇、パンフレットなどで、なんとかセンターの席を取った。

参加校何校かの会場練習を座って見ることができた。

小学生は、ここ何年も西関東、全国の常連2校が、やはり上手だった。高校生になると、動作が違う、音が違う。

中学生は・・・他の学校と余り差がないと思いたかった。でも、いつも練習していた体育館と音の響きが違うのか、音量が小さい感じ。あれ、3曲目で、娘のポジションと動きが、前に見たときと違うような・・・。本番では直っていて欲しい。

さて、開演。

皆、練習の時より、さらに観客にアピールした演奏演技をしている。

我が校も、先ほどよりは音が出ている。列もほぼそろっている。ただ、1曲目は緊張しているのか、いつもよりちょっと早くて、音も上滑りのような気がしないでもなかったが、だんだん調子も出てきた。いいのではないか。周りの親達も、子供達以上に緊張してみていた。

・・・3曲目の問題の箇所。やっぱり娘が微妙にずれている。他の人は気づかないと思う。けれど、マーチングの専門の審査員の先生が見たら、一目瞭然だろう・・・。胃の中が重くなった。

人数の多い中学校はやはり演奏演技に迫力があった。人数の少ない学校も、楽器構成で、音の大きく響く楽器を使い、前を向いた演奏が多かった学校は印象に残った。3校は、我が校よりも良いのではないかと思ったが、後はどんぐりの背比べ。どの学校も頑張って練習してきたのだ。

5校が西関東大会に進める。4位か5位にはなれるか・・・。でも、僅差だとしたら、あの娘のポジショニングが影響しやしないか・・。そう考えてしまう私を打ち消したいもうひとりの私がいた。

中学生の部が終わって、ひとまず緊張が解けたところで、素晴らしい高校生の演奏演技を堪能して鑑賞することにした。すごいなぁ。どれだけ練習すれば、この域に達することができるのか・・・。努力すればできる、というけれど、いくら努力してもそれ以上は・・・ということもある。努力する方向にも関係あるけれど・・。

成績発表。

銀賞。  「あァ~。」と思わず親達が皆どよめく。

でもまだ、西関東大会への切符はある。

出場校発表。

呼ばれなかった。  小さな声にならない悲鳴があがる。観客の前に整列している子供達が一斉に打ちひしがれ、空気が沈んだ。

親達もなかなか立ち上がれなかった。

この数年、毎年西関東大会に出場していたのに・・・。

子供達にとって、頑張りが報われないこともあるのを知った夏だろう。

特に下級生を引っ張ってきた3年生は可哀想だが、仕方がない。

まだ来月に、体育祭やマーチングフェスティバルがある。いろいろな課題をクリアするように、顧問の先生と一緒に、後輩の育成に力を貸して欲しい。

娘が吹奏楽部に入らなければ、おそらく見に行くこともなかっただろうマーチングコンテスト。初めての経験である。成績はともかく、楽しませてもらった。

それにしても、やはり、残念である・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年8月16日 (木)

千羽鶴

♪かあさんが、夜なべをして、てぶく~ろ 編んでくれた~♪

ではなく、

♪かあさんが、夜なべをして、千羽づ~る 折ってくれた~♪

である。

今度の日曜日に迫った、県のマーチングコンテストに向けて、必勝祈願?の千羽鶴を折ってくれるように、夕方娘を迎えにいった時に、保護者会の会長さんから折り紙を手渡された。1枚の1/4サイズのものを20羽がノルマ・・・。

良い成績を取るためのものなのかは「?」

先週迎えに行ったときに見学したが、まだ未完成で、県外からお呼びした専門の先生にお叱りを受けていたくらいだから。

この間、県の吹奏楽コンクールが終わったばかりで、マーチングと掛け持ちをしているので、なかなか大変なことは大変なのだ。

今日は、先週、気になっていたところは、ずいぶん改善されて、皆の動きが良くなっていた。ただ、また新たな問題が生じたようで、3年生のお母さん方が、撮ったビデオを再生しながら、額を寄せ合っていた。

これまで、土日もほとんど休みがなく、夏休みに入ってからも、毎日お弁当もちで頑張っていたのに、まだまだ、吹奏楽は、奥が深いようである。

あと2日間、冷房のない、蒸し風呂のような体育館での丸一日の練習が続く。

今日は、岐阜の多治見市と、埼玉の熊谷市で40.9℃という国内最高気温を記録し(74年ぶりの更新!)、熱中症で10人もの方が亡くなったという猛暑だった。

無事練習が乗り切れますように!

また、新潟市までの行程では、中越沖地震で、ダメージの残る高速道路を通っていかなければならず、安全の祈願と、一日一日進化して、120%の力が出せますようにと、祈りながら、金色の鶴を折った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月19日 (土)

コレクション

070518_2350 宝箱のような、乳歯入れBox。

娘が赤ちゃんの時、育児用の通販カタログの中に見つけて、購入してあった。

小学校に入ってから、抜けた乳歯や抜いた乳歯を一本ずつ、標本のように収めている。

生えてきた日と抜けた(抜いた)日が記入できるようになっていて、ヒストリーが刻まれる。

070518_2355 忘れてしまっていることも、ここにはメモしてあるので、状況を思い出す。

娘は歯の生えてきたときが遅く、一才になってからだった。歯の生える順序もめちゃくちゃで、普通は、下の前歯からなのに、上の前歯から生えてきた。

生えかわりも遅く、なかなか抜けないうちに、永久歯がとんでもなく裏側から生えてきたりした。

自然に生えかわらず、抜かなければならない乳歯も、診療していると良く経験するが、娘の歯は特別だった。070519_0004
抜けない歯は、歯根が吸収不全のことが多いが、むすめのは、まったく吸収していなくて、これぞ乳歯の標本というものもあった。

写真を見ておわかりのように、長い根っこである。
歯冠:歯根=1:3位の割合か。

このBoxには収まりきれなくて、底部に穴をあけなければならなかった。これは、右側の歯だが、左側の歯も同様だった。

赤い傍線が引いてある歯は、抜かざるを得なかった歯である。

前歯は、抜けた歯より、抜いた歯の方が多い。

今は奥の方の歯が生えかわってきている。

ぐらぐらして痛くてよく噛めないなどと言っていたが、私が夕飯を作っていて手が離せない時、「お母さん、抜けた」と報告があった。
「それじゃあ、なくさないように、わかるところにその歯を置いておいて」と、振り向きもしないで私は言ってしまった。

さて、夕飯。散らかったテーブルの上をかたづけて、食べ始めてから、「抜けた歯はどこ?」と聞いたら、「あ、ティッシュにのせて、広告の上に置いた」との返事。

「えっ!」さっき片付けた広告。ティッシュなんてのってたっけ。
それらしき広告を引っ張り出し、めくったり振ったり、テーブルの上下、探すもどこにも見当たらない。

やってしまった。

患者さんでも、取れた詰め物や被せもの、細かい矯正装置などをティッシュにくるんでおいてなくすことがよくあるが、それと同じことをしてしまった。

娘には、「広告の上なんかに置いたら、なくすに決まってるじゃない、何でもっとちゃんとしたところに置かなかったの、今度から良く考えなさい。」と文句を言っておいたが、本当は、私がもう少しきちんと指示すればよかったのだ。

それに、忙しいのにかこつけて、子どもの話を面と向かって聞いてやらなかったのがいけない。ほんの少し手を休めて、「どれどれ」と持ってこさせたらよかったのだ。やっぱり、子どもの話は、上の空で聞いてはいけないという教訓。

おかげで、あと4本、生えかわった歯を収めたとしても、コレクションは不完全なものになることが決定してしまった。

残念である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月14日 (月)

母の日

5月の第2日曜日、母の日が終わった。

いつもなら、娘から、何かしらプレゼントやらカードやらもらっていたのだが、今年は皆無!

小学校の時は、4月の終わり頃になると、私に何か欲しいものがあるか、どんな物、どんな色が好きかなどとリサーチしたり、本人の趣味でプレゼントをあつらえて、わたしてくれたのだったが・・。

マッサージ券、アクセサリー(父親を丸め込み、お金を出させた模様)、和風前掛け(お年玉の一部を使ったみたいだ)、手作りの布製のバラ(TV「伊藤家の食卓」の『裏技』でやっていた超簡単なものだが、以外にリアル)、入浴剤とソープセット、文房具など。それに手製のカードを添えて。

別にプレゼントが欲しいわけではないが、何となく寂しい。

気が回りすぎるくらい回る娘が、母の日などまったく忘れたかのように過ごしていたのは、もう「おかあさん、おかあさん」と、まとわりつく年齢では無くなったこともあるかもしれないが(現にPTAで、夜、飲み会に行っても、去年までなら、30分おきには、「今何してる?」とか「早く帰って来て」「遅い!」だのとメールをしてきたのに、今年は皆無・・)、中学に入って新しい環境で疲れるのと、部活が始まって、忙しくなり、ほかのことを考える余裕がなくなったからなのではないかと思う。

吹奏楽部に入部した娘は、月・木を除いて、帰宅が7時近くになる。土日もほとんど部活がある。

昨日は、地区の中・高校生吹奏楽部の合同バンド・フェスティバルがあって一日中応援に行っていた。

私は早起きしてお弁当作りと、会場までの送り迎えとで、こき使われた一日だった。

しばらく「母の日」は、おあずけのようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月11日 (水)

中学校生活

今日は、市内の多数の中学校で、NRTがあった。

小学校の基礎学力がついているかを見る実力テスト。「入学したらすぐテストがあるよ」と聞いていたので、娘には、小学校の復習をするように、問題をそれとなくおいたりしていたが、全然見向きもしなかった。

「塾に行っている子は、春休みも講習があって勉強してるんだよ」と言ってもどこ吹く風。それどころか、「お母さんは、すぐ人と比較する。人は人。」と反論される始末。

夫に言っても「今の実力を見るテストなんだから、特に勉強する必要ない。」とにべもない。
「はい?」
夫とは、どうも娘の勉強に対しては意見が合わない。
春休み中、小学校の時の友達と遊び歩いていたので、もう6年生で習ったことなど記憶からなくなっているんじゃないかと、それでも少し勉強すれば思い出して、定着してくれるのではないかと思ってのことだったのだが・・・。

案の定、今日帰ってきてから、テストのことを聞いてみたら、数学(算数)は時間が足りなくて2~3問できなかっただの、他の教科では時間は余ったが、見直してもわからない問題があっただのとか惨たんたるものだったようだ。

先が思いやられる。

ということで、思い出したのが、4日にあったガイダンスのこと。
中学生活のプレスタートといえるもの。
5・6年生の時は皆勤だった娘なのに、あろうことか、3日の夜から喉の痛みを訴え、4日の朝はとうとう発熱して、ガイダンスを欠席した。

幸先の悪いスタートだなと思っていた。

仲の良かった小学校の仲間たちがばらばらになるのに、最後まで抵抗していて、私が「小学校の時の友達は友達で、中学校では、また、新しい友達もできるよ」といくら言っても耳を貸そうとしなかった。
そして「卒業はやだ、入学もやだ」などと言っていたので、大事な時に急に熱が出るなんて、天罰かもしれないなどと思ってしまった。
(私の言うことを聞かないこと、我を押し通すところは誰かにそっくり!困り者だ。)

ガイダンスでは、体育館で教材を購入することになっていた。
中学校に欠席の旨電話すると、折り返し、担任になる先生から電話がかかってきた。保護者が、お金とひきかえに教材を取りに来るようにとのことだった。

「ご用意してお待ちしております。」と確か先生は言ったはずだった。

昼休みに取りに行くと大きな紙袋を2つ渡された。
家に帰ってから、どんな教材なのか出してみた。リストがはいっていた。
先生が「用意して」と言ってたから、もう確認するまでも無く、しっかりそろえられているだろうと思っていた。
でも念のため、どれがどの教材になるのか、一つ一つチェックしてみた。

「あれ?」
何回確かめても、6冊・個足りない。
「ちょっとちょっと、先生!」と思いながら、丸刈りのきびっとした、30代であろう男性教師の顔を思い浮かべた。感じの良い先生だったのだけれど・・・。

再び電話をすると、始めは信じられないといった風だったが、私が、リストの何番と何番が足りないとまくしたてると、すっかり恐縮したように謝って、「入学式までに、業者にいってまちがいなく、そろえておきます。」

先生が悪いのか業者が悪いのか、はっきりわからないが、とにかく早々にトラブルが生じたことは間違いない。

そんなこんなで、6日の入学式。
娘の熱も下がって、母と娘、胸に不信・不満を抱きつつも、無事に式はすませたのだった。

入学式とPTA入会式が終わってから、保護者が自分の子どものクラスに行って、学級活動を参観する、という日程があった。

ここで、私の不信感は徐々に消えていくことになる。

丸刈りのM先生は、実に生徒の気持ちをつかんで話を進める。きびきびしていてわかりやすい話をする。

決定的だったのは、皆にこんなクラスを望んでいると先生が語った時

「このクラスにはいろいろな人がいます。背が高い人、低い人。足が速い人、遅い人、負けず嫌いの人、のんびりした人。等々、等々。・・・、・・・。」「みんな誰もがそれぞれの個性を認め合える、そしてお互いに気遣いのできる、そんなクラスになって欲しい。」「もし、少し違うからといって、からかったり、馬鹿にしたりすることがあったら、私は絶対に許しません。」

いじめは許さないと、先生は断言したのだ。

この所信表明演説に、私は少なからず感動を覚えた。

「こんなしっかりしたポリシーを持った先生なら、教材の数を多少間違えたとしても、些細なことじゃないか、今度はちゃんとにもらったし。」ということで、M先生に対する評価はがらっと変わってしまった。

良い担任に恵まれて、娘も中学生活を楽しめるのではないかな、と思った次第である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 9日 (月)

新学期スタ-ト

今日から、娘の中学生活が始まった。

朝寝坊で、どうなることかと思っていたが、そんなにしつこく起こさなくても一人で起き、支度をした。
朝食も食べ(食べられるだろうというものしか出さなかったが・・)、歯も磨き、友達との待ち合わせ時間に間に合うように玄関を出た。

小学校の時の通学路順では、友達に出てきてもらって待たせたりしていたが(集団登校をする以前)、中学校の通学路順では、娘が一番先に出て行かなければならない。

まずは初日、順調な滑り出しである。(ほっと一安心)

ただ、今日の提出物の一つに、「ぞうきん2枚」というのがあったのだが、本人は全く気付いてなかった。
昨夜、私が東京から帰ってきてから、いろいろな調査票や出欠表などを書いたあと、チェックしていて気付いた。
一枚は新品があったのだが、あとは使用済みばかり・・・。仕方がない。本人はもう寝てしまっているし、タオルを四つ折にして運針をした。

疲れていたので、超手抜きぞうきんになった。(この頃自分に甘い。以前は完ぺき主義だったのに・・・.ブログも事実を載せることをモット-としていたのに、「春眠・・」のブログ、眠いからといってよく確認もせず、しばらく間違ったことを載せていた・・・。反省)

ま、これからは全部自分で確認してもらわなければ!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年3月24日 (土)

卒業式

つい、さっき帰宅したところ。

今日(あっ、日付が変わっていた・・・)23日は、朝から娘の卒業式、謝恩会、二次会、三次会、・・四次会と、出ずっぱりでした。

私は、自分の小学校の卒業式では泣いたことがなかったので、結構軽い気持ちで参列したのでしたが、親になってみると違うものですね。
また、私の場合、「歌」にそのツボがあるらしく、まず、校歌斉唱で、ウルウルッ。卒業生の歌2曲で、ポロポロ。全校の合唱「さよなら友よ」で、グスッ。

周りのお母さん方のハンカチを目に当てる仕草や、すすり泣いているような音にも反応し、目頭に熱いものが込み上げてくるといった調子で、全く、自分でも予想していなかった展開に陥ってしまいました。

やっぱり、感動的だったのです。

3年生の時の学担で、今は遠い町の教頭になっている先生が、やはり、今年娘さんの卒業式で、初めて親として参列したら、ぐっとくるものがあった、とおっしゃっていました。教師としてでは深く感じられなかったものを感じることができたのだそうです。

娘の小学校の生徒による「語り」や「歌」は、レベルが高いもので、県下の他の小学校でもあまり例を見ない、などと誉めてくださいましたが、本当に子ども達の語り、歌声は胸を打つものがありました。

フィナーレは、在校生が並んでつくる道を歩いて玄関まで行くというものでしたが、下級生の握手を求める姿や、涙に、卒業生達もこらえきれなくなていたようでした。さしもの娘も、たくさんの下級生達から握手を求められ、目を真っ赤にしていました。
「お母さんは、みっともないから泣くな」と娘に言われて、足早に歩いてしまった私ですが、後から来る娘は、私について行かなくてはと思っても、多くの下級生の握手に応えなくてはならないし、大変だったようです。下級生に人気のある娘を知ることができました。

本当に、いい子ども達、いい親達、良い先生に恵まれ、思いで深い小学校生活を送ることができたと思います。

謝恩会の「保護者の合唱」でしたピアノ伴奏は「あ~、失敗した!」のですが、「ご苦労様」「よかったよ」とか、ねぎらいの言葉をかけてもらえて、「ま、いっか。」とすることにしました。子ども達は、卒業式とはまた違った語りと歌を披露したのですが、舞台で発表という緊張をものともせず、堂々と成功させる姿に、脱帽しました。子ども達の能力に感動しました。

子どもたちを置いてきた、夜の二次会でも6人の先生方がきて下さり、楽しく、つい、三次会、四次会と行ってしまいました。(最後はソフトドリンクオンリーにしたので、二日酔いは無いな・・・。)

卒業式は、また、新たな生活の始まりでもあります。

未来へ向かっていく子ども達の応援団でありたいと誰もが思ったに違いない一日でした。

追記

残念だったのは、3月に入っても衰えることの無かったインフルエンザの猛威に、6年生も次々にやられ、とうとう2名卒業式に出席できなかったことです。

そのうちの一人は、ご丁寧に、A型が治ったかと思ったら、今度はB型に罹ってしまいアウトになってしまったのでした。

(予防接種していても罹ってしまった人も何人もいましたし、今年のインフルエンザの流行は、天候と同じくおかしいです。)

「語り」の部分も、急遽、欠席したニ人のところを言わなければならない人が出てきたわけなのに、とてもスムーズにできて、改めて、皆すごいなと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月20日 (火)

ファイナル・カウントダウン

小6の娘の卒業式まで、いよいよ秒読み態勢にはいった。

3月になってから娘は何かと忙しかったらしい。

☆「町づくりに対する自分の考え」をシートのまとめる・・・ラスト意見文
☆「6年生とのふれあい&感謝」・・・1~5年生とのラスト交流会
☆「6年生を送る会」・・・ラスト合唱発表・お礼の言葉発表
☆ラスト全校国語力・算数力テスト
☆「ラストメッセージ“ありがとう”」を学年通信に発表
☆ラストの心を見つめる日
☆ラストの発育測定
☆ラストの委員会活動
☆ラストの町別子ども会
☆ラストの運動遊びの日
☆ラストの部活動

9日からは、卒業式の練習が始まり、卒業プロジェクト(交流プロジェクト・謝恩プロジェクト・卒業式プロジェクト・同窓会プロジェクト)も立ち上がって、一人一人どこかのプロジェクトチームに入って活動していた。
(同窓会プロジェクトでは、タイムボックスを計画していて、中にそれぞれの思い出の物を入れて10年後の同窓会に開くらしい。)

20日は学級お別れパーティーがあり、(何か、プレゼントを買っていたようだ。)
22日に第3学期終業式。

そして23日が卒業式本番となる。

娘達は、小学校が、二つの公立中学の学校区にまたがっているため、必然的に別れる友達も出てくる。また、教育大学付属中学や、新制の中高一貫校に進学する友達、転勤で引っ越す友達もいて、ただでさえ、47人と人数が少ないのに、ばらばらになってしまう。それぞれの中学ではマイナーグループになるだろう。

このことで少し娘はナーバスになっていて、卒業による友達との別れを嫌がっている節がある。
さっきも、SMAP×SMAPで、「この春卒業する君へ」だったかテロップがついて、メンバーが『ありがとう』を歌っていたので、「ほら、卒業する君へだって!」と、話し掛けたら、無言のまま、すごい冷たい視線で睨まれてしまった。

その時は、娘の気持ちがわからなくて、何でそんな目をするのかと、咎めてしまったが、このブログを書いていて何となく娘の気持ちにシンクロできたような気がする。そうだよね、140人全員、同じ小学校から同じ中学に進んで、メジャーグループだったお母さんにはわからないよね。

私は私で、あれよあれよという間に卒業式がきてしまうことに、焦りを隠せないでいる。本当に6年間、きちんと見てきてあげたかな、話をちゃんとに聞いてあげたかな、仕事にかまけたり、他のことを考えていたりして、上の空だったことはなかったかな・・・。過ぎ去った日々のことを思い返し、多少反省モードになっている今日この頃である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月11日 (木)

中学受験

国立の教育大学付属中学の入試が、冬休み中に終わった。

新1年生の募集は120名。そのうち、付属小学校から60名余りが、試験はするが、ほとんど持ち上がりで進級するため、市内全域の小学校から、50~60名の定員を争うことになる。

そのため、付属小以外から付属中学に入ろうとする子ども達は、6年生になると学習塾通いをはじめる。(もちろん、そうでない子もいるが、附属小学校の子たちは、1年生の時から何らかの塾にいっているようである。)

「付属小」に行っている子ども達は、医者、歯医者、先生、自営業経営者などの子弟が多く、教育環境や、経済的に恵まれたある一定レベル以上の家庭であるといえる。それはそれでいいことなのだが、一方では、考え方の偏り、エリート意識のひけらかしもなきにしもあらず、反骨精神旺盛な夫は、「いろいろな家庭の子どもが通う公立小学校がいい。」と自分の母校に娘を通わせた。その延長で、中学も公立でよいと娘に言ってあった。

娘と、幼稚園の4年間と1年生~4年生まで同じクラスだった、S君が6年生になると、塾通いをはじめた。同じく1年から4年まで一緒だったT君と一緒に。

母親同士は、ウォーキング仲間なのでいろいろ話を聞いていた。
2人と付属中学を受験するという。
T君などは「受かっても受からなくても、挑戦してみるんだ。」と言っていたとのこと。

5~6年生で2人ともずいぶん変わったという印象を受けた。4年生までは、勉強に対しての取り組みは娘と同じようだったから・・・。

いろいろな人から、娘は付属に行かないのかと聞かれたが、本人に勉強する意思はないし、夫も何か「付属アレルギー」があるようで、別に行かなくてもいいと言っているし、私だけ躍起になっても仕方がないことなのと、私自身も小・中・高とずっと公立に通っていたので、まあいいか、と思っていた。

娘の小学校からは5名合格した。(例年より多い。)
細かく言うと、隣のクラス、24名のうちの5名が合格した。
(娘のクラスは1人も受験しなかった。)
前述の2人も、受かった。

「よかったね!」と自分のことのように喜んで、祝福した半面、「置いてかれた」という焦りのようなものが、どこからともなく沸いてくるのを押さえられなかった。チャレンジしようとする気持ちがあってうらやましいという、妬みにも似たような気持ちも混在していた。

正直なところ、『T君のように試験だけでも受けてみようという気概はなかったのか!』『いつもいつも、漫画を読んだり、テレビのドラマを見たりで勉強しないで、ちゃんとに基礎学力がついてるの?』と、娘をなじりたくもなった。

今年から、中高一貫の学校の第1期生の募集もあって、この入試にやはり隣のクラスから2名が受験する予定だという事を聞き、担任の先生の違い?とも思わざるを得なかった。

これらの私の心のうちの思いは、日増しにふくれてくるので、いつ娘に吐露してしまうかもしれない。

それだけは避けたいと思い、ブログに書き散らして、ガス抜きをしようと思った。

・・・・・今は少しすっきりしたところである。

| | コメント (2) | トラックバック (4)

2006年12月23日 (土)

親の小言と・・・

 文部科学省が発表した学校保健統計調査によると、「視力1.0未満小学生の3割」「中学生は50%を超す」ことがわかったと、昨日の新聞の一面に記事が載っていた。

テレビゲームやパソコンの影響によるものではないかと言う見方だが、ここ30年近くにわたって子どもの視力低下が続いているという。

この見出しを見たとき、『親の小言となすびの花は千に一つのむだもない』 という格言を思い出した。ナスは花をつけると、ほぼそのすべてに実がなるというが、これと同じで親の小言は、皆子どもの為になるという意味である。

私は小さい時から、姿勢や、明るさ、テレビからの距離、髪の毛の長さなど細かいことまで、すべて親から小言を言われて育ってきた。「そんな姿勢で目を近づけて字を書いていたら目が悪くなる。」「そんな暗いところで本を読んでたら目が悪くなる。」「テレビに近すぎる、目が悪くなるよ。」「前髪が目に入る。切りなさい、目が悪くなるから。」等々。

すべて、目のための小言。うるさいと思ったことが何度もあるが、いい子(!)だった私は、大体言うことを聞いていた。

私は今でも、視力は1.5~2.0(老眼はあるけれど)。昔から「目」だけは良かった。形態は小さいが、機能は自慢できた。

やっぱり、親の小言を守ったおかげかと思っているところである。

「感謝の気持ちを忘れるな」「身近な人にもちゃんとにお礼をいいなさい。」これも始終言われていた小言。

要は、たとえ親からでも何かをしてもらったら、当然と思わずに感謝の気持ちを表わすことが大事ということを言っていたのだと思うが、これも、今私の為になっている。

結婚してから、舅・姑さんや小姑との関係も「感謝」という潤滑油があって、まあうまくいっているのではないかな。

もう一つ、よく言われていたこと。

「外っかご(つま先が外向きになっていること)で歩かない。」「足開いたまま立ってない。」

こればかりは、なかなか直せずに最近まで至っていた。

あ~あ、ちゃんとに言うことを聞いていればよかった。もう少し足が細くなったかもしれないのに。
骨盤を立て、内ももも緊張させないと、足の外と内側の筋肉のアンバランスが生じ、脂肪がつきやすくなるらしいのだ。(これは最近得た情報)

今からでも遅くないかな?言うことを聞いて、歩き方に気をつけよう。

うるさがられても、小言を言いつづけた親に感謝しつつ、それを受け継いで、私も自分の子どものためになると思う小言は、言っていこうかと思っているところである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月30日 (木)

「いじめ」への提言

私の拙い体験から一番に思うことは、『人は誰でも「いじめ」の加害者になり得る』ということである。

小学校3年生のときの私がそうだった。自分が受けた暴力を自分より弱い者に向けた。

思わず湧き上がった、サディスティックな感情をコントロールできず、暴力をエスカレートさせてしまった。

親も先生も、この点をしっかり認識することが必要だと思う。
まちがっても自分の子はいじめをするわけはないとか、いじめをする生徒はいないとか思わないことだ。

まず、いじめの加害者にならないようにすることを教えよう。
「人の痛みがわかる」想像力・感性を養い、自分の感情を律する強い心を育てていこう。

私の小学校の時の体験は、ほんの些細な「いじめの芽」にすぎなかったかもしれない。だが、これが始まりなのだと思う。1対多数の卑怯ないじめに移行する前、まだいじめが根付かず、「芽」のうちなら、摘み取れるはずだ。

逃げないこと。声をあげること。あきらめないこと。
これで、1年生のときは乗り切った。何も言わず、黙っていると相手はつけあがってくる。執拗に繰り返してきたら、何度でも迎撃しよう。

相手と対等だと思うこと。卑屈にならないこと。相手を認めること。
3年生のときのいじめっ子は、自分のことを私が認めたので、満足していじめをやめたように思う。いじめる側は何かしら欲求不満を抱えているものだと思う。
私が、たった一度いじめる側になり、それを増長させたのは、相手の卑屈なまなざしが原因だった。決して、自分を卑下することなかれ。

嫌なことははっきりと「やめてほしい」とアピールすること。
6年生のときのあだ名は、私がもう少し強く嫌だと言っていたらどうだっただろうか。少なくても中学まで続くようなことはなかったのではないか。

娘が、学校で自分の嫌なあだ名で呼ばれることがあったらしいが、その時にちょうど、先生が皆に「何か、嫌なことを言われるとかということはありませんか?」と聞いてくれたのだそうだ。娘は勇気を出して、「○○ちゃんが、私のことを私の嫌なあだ名で呼ぶので、私はやめて欲しいです。」とはっきり主張したところ、やめてくれたというエピソードを最近話してくれた。

もし、それでも、そのあだ名が続く場合、
発想の転換をする。
私の場合だったら、「世界的に有名なミッキーマウスだってねずみなんだから、ねずみだって悪くない。」というふうに思う。プラス思考をする。
こだわらない。気にしないことにする。
高校になって仲良くなった違う中学出身の女の子まで、「○○チュ-」と呼ぶようになったので、なんでそんな呼び方をするのか聞いたところ、「かわいいじゃん」との答え。こだわっているのがバカらしくなって、気にしないことにしたのだった。

悪気のない仲間外れの場合、
相手の誘いを待っているのではなく、自分から行動を起こす。
迎合するわけではないが、たまに共通の話題をもつように努め、わいわいやるのも楽しいので、そうしたかったら、ちょっと努力することも必要。

以上は、私の体験を元にした、「いじめ」のほんの初期の段階における対処の仕方である。

このようにして、自力でいじめの芽が摘み取れればよいが、そうもいかず、根付いてしまったり、深刻になってしまった場合には、まったく違う方策をとる必要がある。

相談する。
一人で抱え込まないこと。誰かに話すことで少し楽になるはず。親も子供からの相談を待っている。何も言ってくれないことの方が心配なのだ。

学校では担任一人だけで対処しない。
相談を受けたものは学校と連携、学校は事実を確認する。加害者側の親にも事実の徹底調査をしていることを連絡する。このときに担任一人ではなかなか把握できないと思うので、何人かの先生方がチームを組んで行動できるといい。
いじめ問題の専門家のような人の協力を要請できれば、なお良い。

クラス全体での話し合い。
いじめの事実、経緯等を明らかにし、いじめ加害者に謝罪させる。と、同時に、見てみぬふりをしたり、周りではやし立てたりしていたものも同罪であることに気付かせる。卑怯ないじめは断固として許さないという毅然とした態度を先生方はとること。

ここまでしても、なおいじめが残るような時、
また、いじめが陰湿すぎたり、相談もなかなかできないような場合、
そして死んでしまいたくなったような時、
逃げよう。
生きていく世界は何もここだけじゃない。
飛び上がって周りを見回してみよう。
もっと、広い世界があることに気付くだろう。

「死」はすべてを解決するものではない。死んだら楽になるという保証は何もないじゃないか。この世に念を残して死んだ場合、成仏できないと聞いたことがある。あの世とこの世との狭間で、未来永劫に霊魂がさまよっていなければならないとしたら・・・。それでも死を選ぶだろうか。

新しい自分に生まれ変わって、新しい環境で頑張ること、だ。

そこまで人を追い込むようないじめをする加害者は、残ったものに対しても再犯を繰り返すだろうから、
クラスの中からいじめ加害者を引き離すこと。
この子達にも、ストレスなど何か抱えるものもあるだろうと思われる。親ともども
専門の施設でカウンセリングを受けるといい。
もし行っていたいじめが犯罪に近いものだったら、処罰も視野に入れておくことだ。

歯科の場合でも、お手入れが悪くて、細菌が歯の表面に強固なバイオフィルムを作ってしまうと、手用の歯ブラシではなかなか破壊することができないし、普通の薬剤も中には浸透できない。それと同じで、いじめも陰湿にしみついてしまうと、容易には撲滅できなくなる。

日ごろのお手入れが大事である。いじめも芽のうちに摘んでおくことだ。

だが、場所によっては歯磨きが困難なところもあり、PMTCと呼ばれるプロフェッショナルなクリーニングが定期的に必要となる。
いじめについても、定期的にプロの目で見回って、プロの手を介入する必要があるのではないだろうか。




| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月28日 (火)

私の「いじめ」体験から

私が小学校1年のとき、「小さいのになまいき」との理由でいじめられた。

「なまいき」と言われた時、はじめ何でそんなことを言われるのか良くわからず、反論もできないままだった。黙ってにらんでいると、「チ~ビ!チ~ビ!」とこづいてきた。

何回かそんなことが繰り返されたが、だんだん、私が体が小さくてスポーツは苦手だったけれど、勉強の方は多分その子よりもできたので、妬みで「なまいき」と思われているらしいことがわかって、その理不尽さに思わず腹が立って、「あんたなんか、キリンじゃない。キリン!」と、一回り背が高かったその女の子につかみかかっていった。

「チビ!」とこづかれながらも、「キリン!」とやり返していたら、次第にその回数が減っていって、いつの間にかやんだようだった。(2年生ではそんな記憶がないので)

3年生になったら、体が大きくスポーツが得意で、勉強もそこそこでき、男子の中ではリーダー格の目立つ存在だった男の子(ちょっと乱暴で、典型的ないじめっ子タイプ)から、やはり「なまいき」という理由で標的にされた。

言葉の暴力、スカートめくり、タッチ、etc。

その頃、下校前に帰りの会(・・学級会だったか)があって、その日の反省や出来事を先生立会いのもと皆で話し合っていたので、「〇〇君はこんなことをしました。反省してください。」と議題として提出したのだが、まったく反省の色がない。ほかの人も彼から被害を受けている人が何人かいるはずなのに、だまったまま。先生も、たいしたことはないと思ったのか、それとも生徒が主体の会だったので、口出ししなかったのかはわからないが、特にコメントはなかったように思う。

学級会で名指しで糾弾されたので腹が立ったのか、その後、彼の行動はエスカレートし、ますます暴力的になり、とうとう、振り上げて私の頭に打ち下ろした雑巾のそのちぎれた一部が、鞭のようにしなって私の顔にあたり、みみず腫れができるほどの事態を引き起こした。

さすがに、顔にみみず腫れができていれば、親も気付く。

「どうしたの!?」

ということで、洗いざらい親に話すことになった。

親は、「女の子の顔に傷をつけて!」と怒って学校に電話したようだ。

翌日、私は親が先生に言ってくれたので、先生が何とか対処してくれるだろうと、実は期待して登校したのだった。

ところが、朝、廊下の先から教室のほうへ歩いてくる担任の先生は、2~3人の同僚の先生達に向かって、「・・・怒って電話して・・・」と冷笑して話しながら来るではないか。

どきどきした。「もしかして私のこと?」「親があまりにヒステリック(?)に電話をしたから笑われた?」

帰りの会まで、先生からは何も言われなかった・・・と思う。(みみず腫れの事を聞かれたかもしれないが・・・。)

学級会でも推して知るべし。私は誤ってもらった覚えがない。先生が暴力はいけないと彼に諭した覚えもない。

この先生には失望した。こんな先生に頼っちゃだめだと思った。中年の女の先生。生徒の指導より、お化粧や帰宅時間を気にしていた先生。今でもフルネームで覚えている。

ある日、そのいじめっ子の手下のように動いていた男の子が私にちょっかいを出してきた。家が焼肉屋で、いつもそんな匂いのする子だった。あまり勉強もできる方ではなかったので、皆から少し軽く扱われている子だった。私は思わずかっと来て、その子を追い掛け回した。

追いかけて行って、手に持っていた下敷きで彼の頭をはたこうとした。彼は、手で払いのけながらまた逃げたので、私は執拗に追いかけた。

追いつめたとき、彼は小動物のようにおどおどとした、卑屈な目をして私を見た。この目を見た瞬間、私の中で何かがはじけて、サディスティックな感情に支配された。片隅に追いやられた良心が「それはいけない」とシグナルを出していたが、効き目はなかった。下敷きを90度持ち替えて、つまり広い面ではなくて「刃」のように当たるようにして、振り下ろしたのだった。鈍い音がして、彼の頭に命中し、彼は痛さのあまりうずくまった。

私は我にかえった。こわくなってその場から立ち去った。

あの目がいけない。あの目が私に下敷きを凶器として使わせた。
私は悪くない。そう言い訳しても、後味の悪い出来事だった。
何よりも、自分にこんな面があったなんて信じられなかった。

彼はこの件について黙っていた。私はもとより誰にも話していない。

さて、4年生になり、休み時間にバドミントンをしたり、キャッチボールをしたりする子が増えてきた。私は親から、弟よりも運動神経が良くないと言われていたし、自分でも運動音痴だと自認していたから、自分から進んではしなかったが、誘われれば下手なりに一緒に遊んだ。でも上手な子のことをいつも横目で見ていた。

そんな上手な子の中に、私をいじめた男の子もいた。

思わず「うまいね。」というと、彼は私に教えてくれると言う。今までのいきさつがあったから、私は始め躊躇したが、彼は別人のようだった。

私は彼に教えてもらって、ある程度うまくできるようになった。やっぱりスポーツはできるようになると楽しい。今私が、そこそこスポーツができるのも(とは言っても短距離走はいつまでも苦手だが)、この時期に自分で自分を閉じ込めていた「運動音痴」という殻を破れたからかもしれないと、彼には感謝している。

乱暴だった彼は、いじめをしなくなった。

6年生の時には、「トッポジ-ジョ」というあだ名をつけられた。

ある男の子が、私が体も顔も小さいので「ねずみ」のようだからというので、当時TVで放送していたねずみのトッポジ-ジョにちなんでつけたらしい。

私は嫌だった。ねずみ=溝鼠を連想したからである。

どこがねずみに似てるんだ?と思って抵抗したが、その「ねずみ」というのは周りに浸透していて、消すことはできなかった。

中学になっても「ねずみ」というイメージはつきまとっていて、苗字の一部とねずみの鳴き声の「チュ-」を合体させて、「○○チュ-」と命名された。

これは女の子たちにも受けて、以後、この呼び名は定着してしまった。(高校までも!)

あとは、あまり群れて行動できない私は、皆から「誘われない」ことも多々あり、自分のまいた種とはいえ、寂しい思いをしたこともある。皆が故意に一人に声をかけない、誘わなかったならば、これも一種のいじめになるかもしれない。

以上、私が今までに受けた「いじめ」らしきものを記憶の糸をたどって書いてみた。

そして自分の体験から、「いじめ」へ、どう対処したらよいか考えたので、次の記事にそれを書いてみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月24日 (金)

「いじめ自殺」をなくすには

「”いじめをなくそう”というスローガンを禁止する」というマニフェストが賛成多数で可決された。

日本テレビ系の番組『太田総理・・秘書田中』での擬似国会討論における採決の結果だ。

この番組は、本音で熱く討論しあうので、本物の国会中継より面白い。

はじめ、反対意見として、いじめをなくそうということを禁止したら、いじめを容認することになるのではないかという意見が多数を占めたが、そうではない。「スローガン」を禁止しようというのだ。
太田光の「いじめは人間の性として存在するものであり、完全になくすことはできないものという認識にたって、現場を見つめていかなければならない。ただスローガンだけ、いじめをなくそうとすると、学校はいじめはなかったことにするし、文科省もいじめ自殺ゼロ”という報告をする。それでは、命を救えない。」という意見(要約)には私も以前よりそう思っていたので、もとより賛成である。

若者の命を守るためには、生きていたらいいことがあると希望の持てる世の中にすること。また、自己嫌悪して自分なんか死んだほうがましと思う瞬間もあるかもしれないが、「自分を愛すること」ができていると、いや、ちょっと待てと方向転換ができる。

そのような趣旨の意見も出された。同感である。

周りの大人がしっかりしなくてはならないし、子供達には、セルフエスティメイトを高めるような教育が必要だと思う。

2週間~10日前の読売新聞に、『なくせいじめ自殺 私のメッセージ』と題した取材記事が5回にわたって連載された。いじめ問題にかかわったり、自殺を考えたりしたことのある5人が意見を寄せていた。

まず第1回は、『バッテリー』を書いた作家あさのあつこ氏。
 「周囲を見渡してごらん」  話を聞いてくれる人を見つけよう。

中学時代勉強もスポーツもパッとしなくて劣等感の塊だった。あることをみんなの前でからかわれ、恥ずかしくて死にたくなったという。周囲から認められなくて、生きていくのがしんどいと思っていたそうだ。それが、高校1年のときに夏休みの宿題として提出した小説が先生から誉められて、目の前の壁がパッと開け放たれたという。

相談できる人が見つからなくてもちょっと待って。高1のときに経験したようなすてきな瞬間が必ず訪れるはず。死んでしまったらそんな経験もできない。

第2回は仏教美術学園前園長の花輪次郎
 「君もいつか光り輝くことができる」 原石のまま死んじゃいけない。

非行少年の更正やいじめられっ子の受け入れに携わってきた。
学校、社会、人生も思い通りにはならないもの。時に厳しく大人が子供と正面から向き合うことが必要。そして子供の心が折れそうな時に暖かく包み込んであげる、その繰り返しが教育だという信念で、学園に来た子供達に接している。いじめられっ子で、厳格な両親には相談できず孤独のまま、学園にきた当初自殺未遂をはかった10代の子も立ち直り、今では医者になって非行少年の相談にも応じているとのこと。

第3回は俳優の河相我聞氏。
 「つらい経験が必ずいつか自分を救ってくれる」 だから死なんて考えないで。

内向的で、体も小さく運動も勉強も不得意な小学生時代はいじめれっ子だった。
母親に学校に行きたくないと相談すると、行かなくてもいいけど働きなさいとのことで、10歳から劇団に入る。ここで、こつこつと積み重ねていったら、今では幸せといえる生活を手に入れることができた。いじめを受けた人の心の痛みがわかることは、今の仕事にもプラスになっている。息子もいじめを受けて、相談してきたとき、救ってあげられた。

第4回は、『僕らの7日間戦争』を書いた作家宗田理
 「学校は身を守る知恵教えて」 

戦時中の疎開先で仲間外れにされ、殴られたいじめの経験をもつが、当時の子供達は、そろそろ仲間にいれてやろうという社会性があった。今は陰湿ないじめが続いている。
学校では今、いじめをなくせと言っているが、学校はどうやって生きるかを教えるところでもある。いじめをなくせないなら、いじめから身を守り、いじめっ子の中で生きる知恵を教えてやったほうがいい。
いじめられている子供達よ、人生には嫌なことはたくさんあるが、楽しいこともあり、いじめられたからといって自殺は考えてはいけない。

第5回は久高島留学センター代表の坂本清治氏。
 「希望奪う社会、大人に責任」 相次ぐいじめ自殺は、希望をもてない社会を作った大人へ突きつけられた子供からのメッセージ。

沖縄本島の南東の島で、いじめを受けたり不登校になったりした小中学生を受け入れている。“地域の教育力”が残る島で過ごすことで、いじめで傷ついた心が癒されていく。
「自分は周囲に大切にされている」と実感し、「だったら少し頑張ってみようか」という環境が子供には必要。いじめを克服したその先に、行きつづける意欲の持てる社会を、大人と子供とで作っていこう。

メッセージが届くと良いのだが・・・。

 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月 2日 (木)

14才の母

水曜夜10時からのドラマ。センセーショナルな題名が、一部で物議をかもしているようだが・・・。

うちでは12才になる娘も一緒に見ている。寝るように言っても寝ないので仕方なく。

小学校でどこまで教えてもらっているのか、娘がどのくらい理解しているのか把握していないので、とりあえず一緒に見ている。

先日、野口英世記念館に行ったときに、博士の業績として、梅毒スピロヘータ(トレポネーマ)の純粋培養に成功した(←今では?とするむきもあるけれど)と書かれてあるのを見た娘に「梅毒って何?」と聞かれたのだが、彼女がどれくらいわかっているのかがわからなかったため、このSTDのことを、どこからどこまで説明したらよいかとっさに思いつかず、絶句してしまったというだらしない経験がある。

いろいろとこれからきちんと教えていかなければと思っていたところだったので、まあいいか。

第一話では、お互いに名門中学で、塾が同じ14才の女の子と、15才の少年の無邪気なふれあいから話が始まる。
普通の家庭で、家族に愛されて育った女の子の明るさ、強さ、無鉄砲な位の行動力と、シングルマザーの起業家の母親に経済的には何不自由なく育てられているが、仕事第一の母に寂しさと不満を持つ男の子の翳を描くエピソード。
これが伏線となっているのだろうけれど、二人きりになると、
手が触れ合っただけで引っ込めあうような、ぎこちない初心な関係だったのに、何故か一気に、所謂深い関係に陥り、ただ1度だけの行為で、女の子は妊娠してしまう。
女の子は誰にも言えず、一人悩む。

「不自然」な感じが拭えなかった・・・。塾をサボってゲームセンターで遊ぶ二人に因縁をつける不良グループも、わざわざ人気のない公園に逃げる二人にも。そして、小屋の中に逃げ込んだ二人が精神的にハイになっているのはわかるが、それで、行為に及ぶものなのだろうか、おばさんの想像力からは逸脱しているのでわからなかった。よって、娘にコメントできず。

第二話は両親に知れるところとなり、争議となる。両親の嘆き悲しみ、葛藤etc。
実は、都合が悪くてこの回は見ていない。VTRも撮り忘れたので、予告編からの予想。

第三話は、迷っていた女の子が、男の子が自分のことを「好き」なら、妊娠したことを打ち明けようと決めて、告白できたが、事実を知らされた男の子は動揺し、父親になる覚悟はできない。出産に反対の両親は、中絶させようと、産婦人科に女の子を連れて行く。女医さんから、14才で出産することは命の危険性があることと、それ故、若年から深い関係になることは反対であることを諭される。
(そうそう、そういう言葉を言って欲しかった。)
手術前の母親とのひと時。母親から自分が生まれたときの事を聞き、また母親が女のこの子のことを世界で一番大切に思っていると言うことを聞いて、「お母さんが私のことを大切に思ってくれているということと、私が、私のおなかの中の赤ちゃんを大切に思うのと同じこと」ではないかと言って、病院から逃げ出す。

母親としては、「何があってもあなたの味方、中絶というつらいことがあってもあなたを護り助ける」と励ますつもりで言ったのだろうけれど、思惑が逆に働いてしまった。「命の大切さ」「母性」の方に。・・・そうなんだけれどね。う~ん。

第四話。女の子の妊娠は、学校に知られることとなり、騒然とする。「友達」も「学校の品位を貶めた」と一斉に女の子を非難。女性教頭をはじめとする先生たちも同じく。母親が呼び出され、「出産はさせないので、どうか退学にはしないで欲しい」と頭を下げる。
女の子の父親から叱責された男の子は罪の意識をもつが、海外に行こうという母親には逆らえない。だが、父親の涙に心打たれた彼は、自分の心からの「ごめん。でも会えてよかった
」という伝言を女の子の叔父に託す。これを聞いた女の子は、ふっきれたように「出産」を決意する。女の子は、学校に出かけ、「おなかの子供に会いたいから産む」とクラス全員の前で宣言。「お母さんは私を世界で一番大切と言ってくれたけど、私はこの子に会うために生まれてきた」「学校は辞める」とも。

副題に”~愛するために生まれてきた~”とあるけれど、このことを言っているのかなぁ・・。
授かった命の大切さはもちろんなのだけれど、14才で産むことの母体のリスクも考えなくてはならない。なおかつ、産む事は産めても、中学生では一人で育てることはできないではないか。自分の責任で育てることができないなら産むべきではないと思う・・・。

娘はとみると、ドラマの中で、このスキャンダルを執拗に記事にしようとしている雑誌の編集長のことを「こいつ、ひどい、やな奴」と憤慨したり、女の子を非難している友達に対して「こんなの友達じゃないよ」と言ったりしている。君はそっちの方に正義感が働くのか・・・。
『女王の教室』のときから、志田未来ちゃんのファンだったから、未来ちゃん扮する女の子を辛い目にあわせるものに対して、反応しちゃうのだろうね。

ティーンエイジャ-も多数この番組を見ているだろうことを思うと、今後の展開が気になるところである。


| | コメント (9) | トラックバック (2)

2006年8月 8日 (火)

納涼会

「納涼会」と言いながら、とても暑くて汗だくの、親子活動でした。

6年生恒例、子供達が学校内に一泊するお楽しみ会。親子で夕食を作り、親が企画したゲームや胆だめしをして、子供達を楽しませるというもの。

日曜日にしたので、ほとんどの親の参加がありました。

まずは、追加イベントとして、祇園祭の時ちょうど雨天で中止になってしまった、マーチングを再び親の前で披露してくれました。デビューした運動会の時より、緊張しないで演奏・演技をしていたようでした。(出来は、運動会の時の方が良い出来で、担任の先生も感極まって号泣したようでしたが・・)
親もゆったり鑑賞できてよかったと思いました。ただお祭りの時にしていれば、一般の市民の方たちにも披露できたり、TV放映があったりで、別の意味でよかったのだけれど・・・。

また当日になって急遽、この夏休み中に結婚式を控えている担任の先生(男性)のために、皆でお祝いのメッセージをビデオに撮ったりもしました。披露宴で流すのだそうです。

さて、夕食は定番のカレーライス。

10班に分かれてそれぞれ、隠し味を工夫したカレー作りをしました。親は、各班最低1名監督について、子供達が主体となって野菜を切り、肉をいため、皆でわいわい言いながら作っていました。狭い家庭科室の各テーブルで一斉に煮込むので、暑いの何の!親は団扇を片手に、子供達もあおいでやりながら、指図をすればいいのですが、親に最後の仕上げを任せて、子どもは外で涼んでいるちゃっかりした班もあったようです。

そして参加した兄弟も一緒に、多目的ホールでの会食と、修学旅行のときのビデオ鑑賞。時間が無くて、ビデオは余り見られずに残念でした。わが班のカレーは仕上がりがさらさらになってしまったけれど、味の方はまあまあよかったのでは。

夕食の後は、おまちかねの「ウォークラリー」です。

実は子供達がカレー作りをしている間、カレー班以外の親たちは、子供達に見られないように「ウォークラリー」の準備に奔走していたのでした。私はカレ-班でしたが、ウォークラリー班の人たちは、1ヶ月前から何回も集まって、案を練り上げてきました。

ウォークラリーは、グループで行うレクリエーションゲームのひとつ。 各グループに与えられたコース図に従って進み、途中で課題を解決しながら、設定された一定の時間で歩き、目的地にたどり着くというゲームである。 勝負は、タイム得点と課題得点の合計で決まるが、設定時間よりも早く着きすぎても減点となるので、急いで回る必要はない。設定時間は、歩く速さをもとに、課題解決の時間を加味して設定される。このため、体力差や年齢、性別に関係なく誰でも参加することができる。』            
       出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本来は屋外のリクリエーションで、「コマ図」という地図を片手に目的地を目指すゲームとのことですが、私たちの「ウォークラリー」は校舎・教室を使って屋内で、地図というより、言葉の指示でコースを与え、また出発点に戻ってくるという、アレンジしたものになっていました。
階段が2ヶ所にあるので、出発をAコースとBコースにわけ、もどって来たらもう一方のコースに行くという設定で、、10班がそれぞれのチェックポイントで用意されている課題に、グループ全員の協力で取り組み、勝敗を競いました。
Aコースの課題は
1.私は誰でしょう・・・先生達の幼少時の写真から、先生の名前を当てる
2.ネプリーグ・・・漢字の読み、四文字熟語、正しい漢字はどっち?
3.秘密の部屋その1・・・お化け屋敷
4.秘密の部屋その2・・・地獄の胎内めぐり
Bコースの課題は
1.宝捜し・・・教室に隠されたお宝をいくつ見つけられるか
2.IQサプリ・・・図形問題、頓智をきかせて絵文字を読む
3.ドリーム・フレンドパーク・・・ボールをゼリー用のスプーンに載せてリレーで運ぶ
 
というもので、制限時間内にできた分が得点となります。
子供達は、真っ暗な階段を懐中電灯を片手にきゃあーきゃあー言いながら、次々に課題に挑戦していきます。
お化け屋敷は凝ったつくりでお化け役の親たちも嬉々として、子供達をこわがらせようとしていました。このエリアに入る前に「懐中電灯はおいていきなさい」という指示があるので、本当に真っ暗な中を進まなければなりません。娘は、おどかされることより、こっちのほうがこわかったようです。
私は、「私は誰でしょう」コーナーで、係りのお母さん達と、子供たちの反応を見ていましたが、実に面白かった!グループで意見を統一して答えなければならないので、その答えのまとめ方や、正解・不正解に一喜一憂する姿が、グループによって個性があるけれど、どのグループの子達も、子どもらしく生き生きとしていて微笑ましく、楽しませてもらいました。
きっと、他のコーナーでもこんな感じだったのかなと思いながら見ていました。
優勝は、・・・なんと娘達のグループでした。勝因は「ネプリーグ」で、満点までもう1題という高得点をたたき出したことだとか・・・。お互いに得意分野を生かして助け合った成果なのでしょう。
夜遅くまで、学校を舞台に思う存分遊んだ思い出は、疲れたけれど親子双方、心に残るものになるだろうと思いました。
                                                                 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月27日 (火)

子どもの成長発育

娘の幼稚園の時の友達のお母さんに久しぶりに会った。

お母さんにはたまに出会っていたが、娘さんには3年くらい会っていない。

「Yちゃん大きくなったでしょ。」と私が言うと、
「もうすごいよ。160センチはあるし、ボインボインで・・・。見るのやだよ。パパと2人で、どうしたもんかと言い合ってるんだから。」「□□ちゃん(娘のこと)はいいよ。まだまだかわいらしくて・・・。」

確かに娘は発育の良い子に比べれば、まだ子どもではある。

娘の同級生を見まわしてみると、4年生から5年生にかけて、「あれっ」と思った子達は、さらに5年生から6年生にかけて「わー!」と驚くほどの発育ぶりを示している。私なんか、とっくに背の高さは追い越されているし・・・。成長曲線が急上昇中なんだろう。

成長が緩やかな子達も、やはり5年生の時とは、体つきや顔つきが変わってきている。

先日、修学旅行(今は宿泊体験学習と言うらしいが・・。)に行ってきたが、事前の説明会で、お風呂の入り方など指導があったそうだ。
『一緒にお風呂に入ってもお互いの体の事をとやかく言わないこと』
などが盛り込まれていたらしいが、男の子達のお風呂場では、「品評会」などが行なわれていたと、漏れ聞く。

気にするお年頃になったんだね。

成長発育には、形態、大きさなどの要素のほかに、機能も重要なポイントとして含まれる。
サイズで負けたって、そのうち機能が充実してくればいいじゃない、とおばさんは思う。(さっき、シングルモルトの水割りをたしなんだところです。何か、暑い・・・。)

さて、Yちゃんのお母さんに、「いつまでもかわいらしくて」と言われたうちの娘。スレンダーなのが自慢だったが、今朝、着替えのデニムパンツを出してあげたところ、「お母さん、時間が無いのに、なかなかはけないパンツ出すのやめてよ。」と怒られてしまった。

去年まで、スムーズに穿けてたのに・・・。

うちの娘も確実に育っているのだ。

スカートもピチピチ、このデニムもだめかというパンツも、もう1本・・と、出費を覚悟しなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月21日 (日)

マーチング・バンド

今日は娘の小学校最後の運動会。

昨日は雨模様でグランドコンディションが悪く、どうなる事かと心配したけれど、午前中は完成したばかりの新体育館の中で、プログラムを変更して行なう事になった。

少し運動の苦手な娘はあまり運動会の事を話したがらなかったが、応援合戦のグッズを作る事や、1年から6年までの縦割り班での対抗長縄跳び競争するのに1年生の面倒を見なくてはということなどは話してくれていた。

実際、1年生の女の子に、縄に入るタイミングを教えてあげている光景を見ることができた。「へぇー、お姉さんしているんだ。」と感心した。一人っ子のため、うちでは、親に依存することも多いのだが、学校ではちゃんとしているんだね。

6年生の運動会でのメインイベントは午後一番に行なう「マーチング・バンド」演奏。

去年の11月頃より、卒業した6年生について教わり、何回かマーチングの専門の先生の指導を受け、今年2月には移杖式があって、正式に引き継いだ、伝統のマーチング・バンド。

全国的な不審者騒ぎがあり、集団登下校が現在までも続いているため、例年よりはるかに練習時間が短かった。昼休みの練習に頼らざるを得ないため、給食を食べるのが遅い娘はよく愚痴をこぼしていた。

娘はカラーガードといって、入場の時は指揮者(ドラム・メジャー)のすぐ後ろで旗を持つポジション。

いろいろなフォーメーションで動き回り、旗を振る。その多彩な旗の動きは見るものの目を楽しませてくれる。

そんな役目なのだが、か細い娘の腕では重労働だったらしい。運動会の前までは疲れる、疲れると文句も言っていた。

今日は本番。

篤志家の寄付してくれた真新しいユニフォームに身を包み、全員ピンと緊張している。

引き締まった表情で、凛々しい。みんな、かっこいい。

演奏しながらのフォーメーション。短い練習だったのによく間違えないでできるものだ。音程も、リズムもそうだし、動き方もそうだし・・・。7人のガードもお互いにタイミングを合わせて、難しい技も成功させていた。文句を言っていたわが娘もなかなかやるではないか。

ドラムメジャーの笛の音でピシっと、演奏・演技が決まる。

感動した。

6年生の保護者は皆一様に「よかったねー!」と言い合った。

他の学年のお母さんにも「今年は上手だったね。」と言われたので、まんざら親バカなだけではないかもしれない。

" One for all , All for one. "

みんなの心が一つになった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月30日 (日)

カストーディアル

金曜日に、娘の学校の学習参観があった。

道徳の授業だった。

「今日の主役」=「カストーディアル」を引き出すために、
ディズニーランドを当てさせることから始まり、、
ディズニーランドには年間1千万人以上のお客さんが来るけれど、その90%はリピーターである事、
それは、ウォルト・ディズニーのコンセプト「お客様に感動をプレゼントすること」が徹底されているからであること、
そのお客様の夢と感動のために「キャスト」が7000人いて、
そのうちの600人が「カストーディアル」と呼ばれる、一番人気(?)のある大切なキャストであること、などを次々に当てさせていった。

クイズ形式の授業だったため、子供たちの食いつきも良く、親も面白く聞けた。(ディズニーランド通の方や、インターネットで調べ物をする方にはネタバレのものかもしれないが・・・。)

それではカストーディアルとは、どんな仕事をするキャストでしょう?

いろいろな意見が出た。答えは「掃除係」なのだが、誰も正解者はいなかった。(わからなくても『道徳の授業』ということから想像すればこれでしょう。)

さて、カストーディアルは300人が15分交代で、園内隅々を清掃するのだそうだ。

また、ナイトカストーディアルと言われる人達は、夜中の12時から、朝の7時までお客さんがいるときにはできないトイレ掃除や、地面の清掃を行なっているという。このときに、目標にしているのは、
「地面を赤ちゃんがハイハイしても大丈夫なくらい綺麗にする。」ということだった。

役員もナイトカストーディアルとして働く事があり、そのときのエピソードを紹介。(先生のための『ミニネタ博物館』 より)

 東京ディズニーランドの役員である北村さんは、従業員とコミュニケーションをとるために、月に2,3回は自らナイトカストーディアルとして深夜の掃除をするそうである。

 ある夜、北村さんがアドベンチャーランドを掃除し、食堂の厨房を洗い終えた午前三時頃、トゥモローランドへ移動した時のことである。そこには、大きなトイレがあり、若いナイトカストーディアルが掃除しているのが見えた。しかし、彼が一人で一生懸命ゴシゴシと便器を掃除しているはずなのに、そのトイレから話し声が聞こえるのである。

 北村さんが不思議に思って、近づいてよく聞いてみると、なんと彼は便器に話しかけながら掃除をしていたのである。これには、北村さんはビックリした。そして、なぜ便器に話しかけているのかを彼に尋ねた。彼はポツリポツリと話し始めた。

「僕は、自分で希望してこの職業を選んだけれども、この仕事が嫌で嫌でしかたありませんでした。夜はやっぱり寂しいし、こんなに広いところを少ない人数でピカピカにするのはつらい。どうしてこんなことをやっているのか、情けなくなってきたんです。何度もやめようと思った。でも、本場アメリカのディズニーランドへ行って、考え方が変わったんです。なぜなら、むこうのナイトカストーディアルは『こんな素晴らしい仕事をどうして嫌がるんだ?僕は全然さびしくないよ。なぜだか教えてやろうか』と言って僕をトイレに連れて行ってくれたんです。そして、『これは、みんな僕の友達だよ。名前もあるんだ』といって、ずらっと並んだ便器を『トム、ジャック、スティーブ・・・』と順番に呼んで紹介してくれました。『僕は、毎晩、彼らと話しながら仕事をしてるんだ』というなり、彼は『トム、どうだい元気かい?。そうか、今日は思いっきり汚されたからキレイにしてくれって?よし、思いきりキレイにしてあげるよ』なんて言いながら掃除していくんです。『こうしてキレイにしてあげると、便器も喜ぶし、お客さんも喜ぶんだ。そして、僕も楽しいよ』と。これはすごい。僕は思わず泣けてきました。よし、僕もこれでいこう。そう思って、日本に帰ってきてから、頑張っているんです。」
彼は、こんな話をしてくれた。

「お客様の夢と感動のためにはカストーディアルさん達の掃除が大切」なのだ。

楽しくかっこよく、掃除をしている。パレードの前に、先立ってごみを拾うカストーディアルさんはインラインスケートをはいて、スピーディに颯爽としている・・・・・・。

 最高学年になって、縦割り班の掃除で班長となる子供達にとっては、いい話だったかな。
それと「受けつぐもの・拓くもの」というテーマで「道」の学習のために修学旅行に行くのだが、行程にちょうど、ディズニーランドが入っていて、タイムリーな授業だったと思う。
きっと、ゴミとか、カストーディアルとか興味を持って見て来ることだろう。

何でカストーディアルっていうのか疑問に思った子もいたようで、直接聞いてみたりしたら面白いかも・・・。

物忘れがひどくなった私にも記憶に残る授業だった。

最後に、「みんなの〇〇のためには、わたしの〇〇が(も)大切」ということを考えさせ、シートに書かせて集めていた。

うちの娘はなんて書いたんだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 9日 (日)

娘とお風呂

ついさっき、娘と一緒にお風呂から上がったばかり・・・。明日は学校があって早く起きなくてはいけないのに、こんなに夜更かしをして(させて)どうするんだろう。

娘もウォーキングについて来るので、帰ってきたらすぐにお風呂に入れるようにしてあった。
「お風呂沸いてるから、先に入ってね。」と言い渡し、私はパソコンに向かった。この頃、違う調べ物をしていて、ブログ散歩はあまりしてなかったので、少し見てからと思ったのだった。

久しぶりに訪れたブログで、最近息子さんを踏切事故で亡くされたという記事があった。衝撃を受けて、一連の記事と多数のコメント、亡くなる前夜から1週間前くらいまでの平和なできごとなどを、つい読みふけってしまった。

ふと気付くと、娘がまだそこにテレビを見ながら、いるではないか。

「お風呂入るんじゃなかったの?」と、詰問する私に対して、

「お母さんも一緒に入ろうよ~。」と、背後から抱きついてくる娘。

小学校6年生になった娘。まだまだ、幼い。

ここで、「甘えるな、一人で入りなさい」と突き放した方がいいのか、「しょうがないわね」と一緒に入った方がいいのか、小6にもなって、一人でできないことを憂えるべきか、それともまだ慕ってくるのを嬉しがるべきか、しばし葛藤の、悩める母親であった。

私自身は、下に弟達がいたためか、自分から母親に甘えたことは一度も無かったし、母も甘えさせてくれなかったので、どうも甘えられると戸惑ってしまう。

どうなんでしょうね、まだ甘えさせてもいいんでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年2月14日 (火)

バレンタインデー

『友チョコ』 というのだそうだ。

娘に、おとといから買い物に付き合わされている。ラッピングの小物、チョコレートにマシュマロetc。おじいちゃんにチョコを買ったら小遣いがピンチというので、ほとんど私のポケットマネーからの出費。・・・親バカだ。

昨夜は一生懸命チョコレート菓子を作っていた。レンジで溶かしたチョコを簡易的にテンパリングして、マシュマロにコーティング。アザランや刻みアーモンド、トッピング用のカラーチョコレートを飾り付け、皿に並べていた。

「誰にあげるの?」と聞くと、
「Iちゃんでしょ、Hちゃんでしょ、Mちゃんに、Nちゃん。」
みんな、女の子の名前である。
「男の子にはあげないの?義理チョコとか・・・」
「好きな人いないし、義理チョコあげてもね・・・」

それで、女の子の友達同士、チョコレートを贈り合うようになってきているらしい。
(パパはまだ心配しなくてもいいみたい・・・。)

今朝は、固まったチョコレートをラッピングしなければならなかった。
普段は、起こしても起きない、最近などは、布団をはがしても、またもぐりこんで起きない娘が、今日はいつもより50分も早く、一人で起きた。

自分で思っていたようにはうまく行かないらしく、試行錯誤している。
とうとうあきらめて、私の提案に従う事にしたらしい。
それでも、嬉々として作業をしている。

時間配分を何も考えない娘のこと、学校へ行かなければならない時間が迫り来る。
仕方なしに少し手伝う。やっと完成。

「あ、Nちゃん、家遠いんだよね。どうしようかな?」

「学校に持って行って、帰りに渡したら?」

「学校に持ってっちゃいけないんだって。」

「・・・・・・・・・」

計画性のない娘である。

要は、誰かにあげるという想定で『作って包装する』ことを楽しみたかったんじゃないかな。

朝食も食べ散らかして登校した娘だが、集団登校のグループ集合時間に間に合わなかっただろうな・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年10月 2日 (日)

手作りのクッキー

「お母さん、お願い。」
金曜日の夜、スイミング・スクールに娘を迎えに行った時、友達と話していた娘が私を手招いて言った。

なんでも、5学年に来ている教生の先生が、近く大学に戻るそうで、お別れとお礼のプレゼントをしたいのだそうだ。手作りのパウンドケーキかクッキーかを有志の4人で作ってプレゼントにしたいのだという。

「ちゃんとに後片付けするから、日曜日にうちで作らせて。お願い。」
娘の友達からもお願いの視線と会釈があって、むげに断るわけにもいかなくなった。

『テーブル周りと台所、今めちゃめちゃ、わぁ-、困ったなー。』できれば却下したかったところのなのだが、娘達の熱意に負けたのと、ともすれば自分に甘くなって、片付けを後回しにしていたのを反省して、この際きれいにしようじゃないかと思って、OKした。娘達が喜んだのは言うまでもない。

今日、主人はゴルフの約束があって朝からお出かけ。(出かける頃から雨が本降りになってきたのだが、それでもするらしい。・・・ご苦労なことです。)片付けには好条件なのに、私は、先天的に「片付け下手」という障害を負っていると思われる。時間までに間に合わなくなりそうで、奥の手、「右のものを左に」ならぬ「この部屋のものをあっちの部屋へ」を使わざるを得なかった。

まあ、ともかく、娘達に提供する場所をすっきりさせた時、4人が買い物から帰ってきた。

早速テーブルの上に新聞紙を広げ、買ってきたものを並べる。クッキーミックス、卵、ココアパウダー、チョコチップスとラッピングの袋。1人分の予算300円以内にしっかりおさまっているようだ。バターはうちのを使うつもりなのかな・・・。

プレーンなものとココア入りのものをつくるつもりらしいのでボールとへらを2ヶずつ用意してあげた。クッキーミックスの箱の裏の作り方を、首っ引きで見ていた4人は、また皆で相談して、それぞれ、型抜きのものと絞り出しのものにしょうときめたらしい。どんぶりと、木じゃくし2ヶずつ追加。型抜きと絞り出しでは、バターと卵の量が若干違う。バターをいれるところだけ若干、手伝った。

1人ずつ、それぞれの生地の責任者となって、まとめていった。
見ているとおもしろい。
もくもくとていねいに、ぼそぼそだった生地をシッカリまとめ上げる子(将来の夢は確かパティシエと言っていたと記憶している。)もいれば、なかなかまとまらない生地に文句を言い始め、途中であきらめようとしている子もいる。その子に「もっと力をいれて、こねてこねてこねれば、〇〇ちゃんみたいになるよ」と励ましている子や、絞り出し用の生地なのでバターが多く、まとまりやすいため、楽しんでこねている子も。

みんな初めての経験だったので、最初はおっかなびっくり、本当にこれでできるのか不安な面持ちでこね始めたのだが、だんだんそれらしくなってくると、自信もついてきたようで、おしゃべりもはずんでいたようだった。

生地ができてしまうと、後はもう、お楽しみタイムだった。みんな嬉々として、生地を絞り出して、トッピングしたり、生地を伸ばし、型抜きをしたり、ココアとプレーンの市松模様やら、ハート型やら、人の顔やら、もう自由に思いつくまま作っていた。

私はその発想力の豊かさに驚いた。

この子達は、一年生の時から毎年、陶芸展のため陶板制作をしているので、板状の生地は粘土というか、陶土というか、制作意欲を掻き立てるものなのだろう。

さて、170゜に熱したガスオーブンと電子オーブンレンジを駆使して、60枚近くのクッキーを焼き上げた。甘いにおいが部屋中に漂って、満ち足りた気持ちになった。

できの良いものをより分けて、先生用にラッピング。残りを4人で分けてお土産に。少し形の歪んだたものを試食して「おいしいねー。」と言い合っていた。私もお裾分けをもらった。
初めてにしてはなかなかの出来なのでは・・・。

今日は半日、家庭科の先生をしてしまったようだ。結構面白かった。

が、これに味を占めて、娘や友達がまた作りたいと言い出すのではないかと、かなり、心配している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月25日 (木)

スワニー河

娘のピアノの発表会があった。

 『足をそろえて踊ろうよ』という民謡と、『スワニー河』を弾いた。スティーブン・コリンズ・フォスター(1826~1864)作曲の、『スワニー河』は『故郷の人々』という題名でも親しまれている。明治の頃より日本でも愛唱歌としてたくさんの曲が歌われているのだ。私も『おおスザンナ』『主人は冷たい土の中に』『オールドブラックジョー』『草競馬』などがすぐに思い浮かぶ。平易なメロディーの繰り返し、「起・承・転・結」のメロディーラインが覚えやすく、安心して聞ける。何処となく哀愁を持つ響きが日本人の感性に合うのかもしれない。

なぜこの曲になったのか聞いてみた。彼女は今グローバー・ピアノ教本を使っているのだが、この併曲集の中から先生が何曲かピックアップして弾いてみせ、、その中で娘が弾きたい曲を選ばせたのだそうだ。『スワニー河』は「おばあちゃんが好きそうな曲だから」選んだのだという。

『スワニー河』はとてもよい曲だと思うし私も好きだけれど、小5の子の弾く曲かな?というのが第1印象だった。高学年になれば、べートーヴェンやバッハ、ショパンなどを弾く子もいるだろうに・・・

でも、まあ仕方がない。練習が嫌いで全然鍵盤に触れようとしない子でも、それなりには弾けそうである。

幼稚園の年中からヤマハの音楽教室に通っている。私も幼稚園の2年間通ったことがあって懐かしかったので娘も通わせてみた。同じ幼稚園のお友達もいてグループレッスンは楽しそうだった。

しかし、だんだんレッスンが難しくなってくると、練習不足はてきめんにたたってくる。小学校に入学する前に「グレード」といって進級試験のようなものがあった。さすがに練習させなければとつい小言を言ってしまう。すると娘はプイとふくれる。「こうしたほうがいいんじゃない」と言っても言う事を聞かないので、「素直じゃないな」と腹を立ててしまう。―バトル状態。

 私の方はただアドバイスしたつもりでも、娘の方は、押し付けられていると感じていたかもしれないのに・・・

そんな関係が小学校に入っても続いていた。「嫌いなら、やめればいいじゃない」「いやだ」「じゃあ、しっかりやりなさい」

小2の時、友達関係のトラブルで登校拒否になりかけたことがあった。この時は、先生にお話して、何日か少し遅れて学校に連れて行った。また、本人の話をよく聞こうという態勢をとると案外いろいろなことを話してくれたため、それを担任の先生にも細かく伝えた。  

先生の方も、子ども達をみていて、なるほどとうなずける点があったらしく、うまく対処してくださったと思う。 また何より、本人が自分自身で乗り越えようとする意志を持ってくれたので、大事には至らなかった。

ただ、音楽教室のほうはだめだった。また2回目の「グレード」が近づいていたせいかもしれないが・・・・・。欠席が続くので、音楽教室の先生も心配して電話をくださった。実は、本人にやる気がみえないので、辞めさせようかと思っている旨をお伝えすると、先生は、ここですっかり辞めてしまうのはもったいない、期限付きの休会という方法があるので、今はお休みして、元気になったら再開しましょう、再開してみてだめだったらその時にお辞めになったらいかがでしょうか。とおっしゃる。

私も本心としては続けて欲しかった。音楽は、もちろん聴くだけでも楽しみであるが、何か弾けたり、吹けたり、歌えたりするとアクティブに楽しめるし、自分を癒すことができると思っているからだ。また大人になってから、何か違う楽器を習いたいなと思った時にベースラインができていると、楽である。

こうして、めいっぱい休ませてもらって、個人のピアノレッスンということで再開した。

最初は、少し張り切って、練習もしていたが、すぐにもとの通りに。言うことも聞かない。また例のバトルも繰り返されることになる。主人や義父までも「・・・・ もう、本当に辞めさせたら?」本人にも「じやあ、今月で辞めようね」と了解を取り、先生にお手紙を書き、レッスンの日に持たせた。ところが帰ってきて開口一番「あたし、やっぱり辞めないからね。」

同じ幼稚園だったけれど違う学校に行っているお友達が、前の時間に来ていて、重なり合う時間にノートの受け渡しをして、交換日記をしているのだった。どうもそれが楽しいために辞めたくないのだろう。

それから、ずるずると今まで続けている。

その間、先生の都合で、新しい先生になったのだが、少し頑張るのは最初だけ、あとは元通り。ただ、去年の今ごろ、同じように発表会(みゅーじっくふれんどコンサート)があった時には、さすがに練習していた。先生との連弾の曲だったので、プレッシャーも少なかったのか、つっかえることなく弾けて客席の私達はほっと胸をなでおろしたものだった。

今年。

例のごとくレッスンの時に、先生の前だけで練習しているため、どのくらい弾けるようになったのかわからなかった。『スワニー河』だけはおばあちゃんのために、おばあちゃんの家で弾いていたらしいが、明らかに、去年より練習していない。もう一つの曲はおばあちゃんも心配になって1週間ぐらい前に、なんとか曲になるまで、練習させたと言っていた。

発表会の3日前、ようやくお尻に火のついたらしい娘は家でも練習し始めた。「えっ、これで本当に発表会に出るの?」という感じだった。『足をそろえて踊ろうよ』はリズムがとれていない。『スワニー河』は、ほぼできているのだが、いつも必ず間違う場所がある。楽譜を見ていない人にはわからないと思うので、この期に及んでそれを指摘して直したほうがよいかどうか・・・。それに平易な曲なのでクレッシェンド、デクレッシェンドで曲をふくらませないと薄っぺらな印象だ。

バトルを覚悟して、教え始めた。

「『足をそろえて踊ろうよ』は、あせらずにって先生が書いてくれてるよ。」「この、先生の書いた指使いをするとスムーズに弾けるんだよ」「一つづつ、しっかり音を出すといいよ」

「『スワニー河』は大体いいのだけれど、レレドをレーレレドって弾いてるよ。これは2回目の時。」「ほら、先生がだんだん大きくとかだんだん小さくって書いてくれたでしょ。バーンて急に大きくしたらよくないんじゃない?」「まだここから小さくしない、ここはふくらませるところ」

案の定、私の一言一言に口を尖らせ、「わかってるよ!」

「あのねぇ、押し着せていってるわけじゃないんだよ。こうしたほうがもっと良くなるなと思って言ってるんだから」「確かに自分の意見も大事だけれど、自分より経験を積んだ人の意見はひとまず、素直に聞いておくもんだよ。」「聞く耳を持とうね」

発表会当日。  おじいちゃんとおばあちゃんの前でおさらい。私にも聞いてくれと言う。最初2曲とも少し間違えた。2回目、『足をそろえて踊ろうよ』が格段に良くなった。思わず、「そう、そう、すごくいいよ!」と誉めた。『スワニー河』の時、私はピアノの横に立って「レレドだよ」とか「だんだん大きくして」「そうそう・・」とか小さな声で励ましていた。私の言う通りに娘は弾いている。すごくよいでき!感動した。「よかったねぇ」おじいちゃんとおばあちゃんからも拍手をもらった。

これを忘れずに弾いてくれれば・・・

発表会が始まって、いよいよ、娘の出番。最初はテンポの良い『足をそろえて踊ろうよ』。リズミカルに弾くことができた。すぐに『スワニー河』。「あっ、間違えないように考えてるな」と多分私にしかわからない一瞬の間。その他はなかなかの出来。広い会場で聞く『スワニー河』はまた良いものだ。通路をはさんで斜め前の年配のご婦人が首を振りながら、聞き入っていた。    

人に喜んで聞いてもらえる曲が弾けたね!

帰りの車の中。おばあちゃんから「上手だったよ」と誉められても、「でも、強弱が思ったよりつけられなかったんだ。お昼の練習の時みたいに弾けてたらなぁ・・・。あれが最高にうまく弾けたんだけど・・。」と娘。そう、私と心が通い合った(と、一人で錯覚してるだけかもしれないが。)時に弾けたのが最高の出来だったのだ。

『スワニー河』、さらに心に沁みいる曲となった。

           

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月10日 (金)

今時のこどもは・・

小5の女の子ですが、もう「反抗期」が始まったようで手を焼いています。とにかく言う事を聞いてくれません。
すなおじゃない・・すぐに反発してくるし・・

私が、彼女ぐらいの時には母のいうことをきかなかったりとか、反発したりとかそうなかったように思うのですが。
母も私は素直な子だったといっているくらい。

自分の子どもでも自分とはまったく違うということを再認識させられている次第。

その他に違うのは、テレビの見方!
私の子どものときは9時以降の番組は年末年始以外は見せてもらえなかったし、自分でも連続ドラマなどすすんで見ようとはしなかったのだけれど、彼女は違う。

何曜日の何時にどんなドラマをやっているか、お笑い番組、恋愛ものetc・・かなり把握していて、ちゃっかり10時以降まで起きていて、anegoだとか、エンタだとかあいのり、 ハニカミまで見ている!

でも、これは彼女だけでなく、クラスの友達も結構見ているらしい・・。
まったく、今時の子どもは・・・

| | コメント (1) | トラックバック (0)