映画・テレビ

2009年11月 2日 (月)

THIS IS IT

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本当なら、マイケル・ジャクソンの集大成になったでしょう幻のロンドン公演”THIS IS IT”

映画”THIS IS IT”は、そのコンサートのためのリハーサルを記録したものです。

リハーサル映像なのに、映画館で、コンサート会場にいるような臨場感を感じることができました。
思わず拍手しそうになったくらいです。

また、この映画は、マイケルの素顔を知ることのできる貴重な記録映画でした。

マドンナに、「私達は彼を見捨てたのだ」と言わしめたように、近年は彼の功績よりも、整形の失敗、奇行、裁判沙汰等の報道の方がクローズアップされてしまって、私も含め、少なからずの人たちが、彼に対して偏見を持ってしまった感は否めません。

しかし、MJは、
本当に
音楽を愛し、
音楽に関しては決して妥協しない完璧主義者
だけれど、
謙虚でスタッフの言葉にも耳を傾け、
人を愛し、地球を愛し、
スタッフとは、家族だといい切り、
コンサートのためには、命を削るくらい真剣に集中して、
良いものを創り上げていこうとする、
ステージで協演するメンバーのカリスマ的リーダーで、
メンバーの能力を最大限引き出す魅力的な人
でした。

MJによって輝いた女性ギタリストの格好良かったこと!

彼は、歌にもダンスにも努力を惜しまない天才でした。

そして、ファンを楽しませるエンターテーナーであり、
人種問題、地球環境問題などに対する
メッセージを伝える伝道師でもありました。

とにかく、やっぱり凄い人でした。Micael_in_billie_jean_2

同じステージに上がるダンサー、ミュージシャン達は本当に誇らしげで、MJへのリスペクトに満ち溢れていました。

私達は、偉大な人を失ってしまったのだと思わずにはいられません。

メンバー、スタッフ達の、MJとともにコンサートにかける情熱に比例して、彼を失った喪失感の大きさがいかばかりだったかを考えると、万感胸に迫るものがありました。

思わず、左目の涙腺が弛み、なかなか閉まらなくなってしまいました。

映画のエンディングで、一部の人たちから拍手が起こりましたが、深く静かな感動に浸っていた私は、心の中で拍手したのでした。

マイケルのファンの人もそうでない人も、映画館に足を運んで損はないとお勧めできる「記録」映画です。 

11月13日まで期間限定上映中
New!  全国324上映館の約7割、27日まで上映延長決定

-写真は”THIS IS IT”のHPより引用-

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2009年7月10日 (金)

劔岳 点の記

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公開前から気になっていた映画である。

日本映画界の「名カメラマン」木村大作監督の渾身作。

こだわりぬいた映像にただ感動。

実際に登った者でしか見られない美しくも厳しい山岳・自然をスクリーン上で見せてもらえてありがたい。

浅野忠信、香川照之をはじめとする俳優陣とスタッフの努力と忍耐も賞讃に価するものである。

Photo_2 100年前に、名誉も利も求めず、命懸けで「測量」という仕事を全うした男たちへのオマージュ。

俳優陣は芝居をしなくとも、自然に彼らと同化したにちがいない。

ただ登るだけでも大変なのに、そこからが本来の仕事となるところが同じだから。

香川照之が舞台あいさつで、裏話を披露していたのを動画で見た。

―劔岳登頂に成功したしたが、天気が悪くて撮影できず、頂上に数時間いて、そのまま降りざるを得なかった。登山としては成功なんだけれど、映画としてはまったく成立しなかった・・・。

―再度アタックして、7月13日、くしくも100年前登頂に成功したのと同じ日、監督の誕生日でもあったこの日に、また頂上に登ったが、先に登頂していた監督達が、周りの景色をばしばし撮影していた。
いつ、本編撮影になるのか合図を待っていたが、なかなか合図がない。
どうしたことかと思ったら、景色の撮影にフィルムを使いきってしまったとのこと。
普段は予備のフィルムも持ってくるのにこの時は、どうしたことかベースキャンプに置いてきてしまったという。ベースキャンプまでは、往復8時間かかる・・・。
次第に事の重大さに気付き、途方に暮れたが、ある登山経験豊富なスタッフが、取りに行ってくると言って下山した。いつもは50kg近くの荷を背負って歩いているのに、荷物なしの身軽な状態で行ったので、道をよく知っている彼は、1時間40分でもどってきた!

彼のおかげで撮影ができて、完成したといっても過言ではない。もし彼がいなかったら、きっと今頃まだ、剣岳の頂上で撮影中だろう(苦笑)・・・。

こんな苦労をして映画を完成させた彼らの顔は、本当にいい顔をしていると思った。

ストーリーの上で、あくまでも初登頂にこだわる軍部と、日本登山協会との競争を無暗にあおる新聞社には、腹が立ったが、最後に、測量部と、登山協会が、お互いの登頂を讃えあうシーンで、そんなことはどうでもよいことだ、軍部や新聞社などむしろ滑稽にすぎないと思え、観終わったときは清々しさが残った。

観て良かったと思える映画だった。

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2009年7月 6日 (月)

裕次郎23回忌

昨日の23回忌は、ファンの前で行う最後の追悼イベントということで、スケールが違った。

国立競技場に、総持寺を建ててしまった。

法要をする総持寺の僧侶も100名を超えて集まっていた。

抽選で当選した5万人には、チケットと引き換えに記念品が配られた。

11万7000人近くのファンが追悼に訪れたという。

亡くなってから22年経つというのに、石原裕次郎の人気はすごいものだ。もっとも、裕次郎だけでなく、石原プロの、渡哲也、舘ひろし、神田正輝らの人気も相乗効果を及ぼしているのだと思うけれど・・・。

ファンサービスに怠りのない、石原プロであるが、ひとつ物を申したいことがある。

それは、世紀の大作『黒部の太陽』をどうして上映したり、DVD化しないかということだ。

何年か前の追悼イベントで、抽選5万人が映画鑑賞できたそうであるが、応募は30万人もあったという。

五社協定でもめたり、日活、石原プロ、三船プロとの関係で、すっきりしないこともあるのかもしれないが、ファンは、観たいのである。

それほどファンとは言えない私も、この3月にフジテレビ開局50周年記念ドラマ特別企画『黒部の太陽』が、香取慎吾の主演でリメーク版として放映されたとき、感動して、是非、オリジナルを観てみたいと思ったのだった。

オリジナルを求め、レンタルビデオ店でくまなく探しても、Amzon等で探しても、DVDはなかった。

調べたら、DVD化されることなく、再上映の予定もなく、お蔵入りしているとのこと。

もったいない。

監督の熊井啓氏が、亡くなる2年前に、『黒部の太陽』という、監督だからこそ書けた撮影裏話とシナリオを載せた本を上梓したが、このあとがきに、「上映を望む」と切なるコメントを寄せていた。

願いがかなうことなく、監督は鬼籍の人となってしまったが、今となっては、遺言のようなものである。このことを汲んで、ファンのためにも、絶対オリジナル版を上映して欲しいものである。

黒部の太陽

明日は七夕。

願い事を短冊にでも書こうか・・・。

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2009年6月 5日 (金)

世界環境デー

恥ずかしながら、今日が世界環境デーとは、知らなかった。
何でも、日本が提案して国連で定めたそうだが。

これを受けて、環境問題をテーマにしたドキュメンタリー『HOME空から見た地球』が、全世界88カ国で一斉に映画上映・テレビ放映された。

フランスのリュック・ベッソン監督がプロデュース、航空写真家のヤン・アルテュス=ベルトラン(写真集『空から見た地球』が世界的ベストセラー)が監督したこの作品は、一大プロジェクトであるが、非営利なため、ユニークな公開形式がとられた。

日本では、東京・ユナイテッド・シネマ豊洲で、午後7時からの1回のみの上映、テレビは、WOWOWが午後6時から無料放送した。(見逃した)
DVDは、アスミッス・エースから発売され、写真集も発売されるという。

オンラインでは、YouTubeで、配信されている。

途中まで見た。

「俯瞰」という言葉があるけれど、空から見た、自然、人々、都市、動物は、日常見ている情景と一味違う。この「地球」を構成するエレメントとして圧倒的な存在感を見せる。

「地球」は、生きとし生けるものすべての「HOME」である。

この奇跡の美しい星を守っていかなければ・・・。

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2009年2月24日 (火)

第81回アカデミー賞

日本の作品がW受賞という快挙でした。

外国語映画部門で、「おくりびと」。短編アニメーション部門で「つみきのいえ」。

昨日から、この話題でもちきりで、いまさらとは思ったのですが、一応記事にしておきましょう。

「おくりびと Departures」は、私も観て感動した映画なので、日本の文化、所作の美しさ、死生観、ユーモアなどが認められて、単純にうれしかったし、「つみきのいえ La maison en petits cubes」は、今回初めて知りましたが、3か月の製作期間の予定を大幅に超えて、9か月近くかけて仕上げた12分の短編アニメということで、その妥協のないこだわりが認められたということに喝采を送りたいと思います。

「・・・Oscar goes to Departures JAPAN」と、プレゼンターが読み上げる映像を見た時、「おくりびと」は、英題だと「Departures」にしたのかと、ふとある場面が浮かんできました。
NKエイジェンシーの従業員募集広告に『旅のお手伝い』とあるので、大悟はてっきり旅行会社だと思って面接に行くのだけれど、これは、社長が故意にした誤植で、本当は「旅」ではなく、あの世への『「旅立ち」のお手伝い』ということで葬儀会社だったという、思わずくすりとする場面です。

「departure」には、出発・門出などの意味のほかに、古語として、死、この世を去ること、逝去などという意味があることを知りました。そう、映画の中ではいろいろな「departures」が描かれていたのでした。

でも私は、邦題の「おくりびと」の方が、「納棺師」をさしていて、モッくんの思いが込められているように思うのですが・・。

ともあれ、G7の記者会見では、世界中に日本の恥をさらしてしまいましたが、これで少しは、日本に対する評価が上がったかなあ。

ちなみに、今年の受賞作品は、

◆作品賞:スラムドッグ$ミリオネア
◆監督賞:ダニー・ボイル(スラムドッグ$ミリオネア)
◆主演男優賞:ショーン・ペン(ミルク)
◆主演女優賞:ケイト・ウィンスレット(愛を読むひと)
◆助演男優賞:ヒース・レジャー(ダークナイト)
◆助演女優賞:ペネロペ・クルス(それでも恋するバルセロナ)
◆脚本賞:ミルク
◆脚色賞:スラムドッグ$ミリオネア
◆撮影賞:スラムドッグ$ミリオネア
◆編集賞:スラムドッグ$ミリオネア
◆美術賞:ベンジャミン・バトン 数奇な人生
◆衣装デザイン賞:ある公爵夫人の生涯
◆メイキャップ賞:ベンジャミン・バトン 数奇な人生
◆視覚効果賞:ベンジャミン・バトン 数奇な人生
◆録音賞:スラムドッグ$ミリオネア
◆音響効果賞:ダークナイト
◆作曲賞:スラムドッグ$ミリオネア
◆主題歌賞:「Jai Ho」(スラムドッグ$ミリオネア)
◆アニメーション映画賞:WALL・E/ウォーリー
◆外国語映画賞:おくりびと(日本)
◆ドキュメンタリー映画賞(長編):Man on Wire
◆ドキュメンタリー映画賞(短編):Smile Pinki
◆短編賞(実写):Spielzeugland (Toyland)
◆短編賞(アニメーション):つみきのいえ
◆ジーン・ハーショルト友愛賞:ジェリー・ルイス

米アカデミー賞は、今年で81回目。
1928年から、世界恐慌の時も、第2次世界大戦の時も休まず連綿と毎年祭典を開いてきたのだと思うと、アメリカの国力を感じてしまいます。

今年で32回目の日本アカデミー賞も、63回目の英国アカデミー賞も「アカデミー賞」と冠するために、ロイヤリティーを払っているとか。

有名な国際映画祭も、ヴェネチア(グランプリ=金獅子賞)が1932年から始まり、去年の9月で65回、カンヌ(現在のグランプリ=パルムドール)が、1946年からで、去年の5月で61回、ベルリン(グランプリ=金熊賞)が1951年からで今年の2月で58回です。

コンペ部門のないトロント国際映画祭は1975年から。

「おくりびと」が、グランプリをとったモントリオール世界映画祭は、1977年からで今年で32回目になるようです。

いかに、米アカデミー賞が傑出して歴史があるかということですね。

アメリカの国情や世相を色濃く反映したもので、必ずしも芸術性の高さや、作品の完成度の高さでは選ばれるわけではないといっても、やはり、権威のある賞ということになるのでしょう。

ともかく、おめでたい話題でした。

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2009年2月22日 (日)

ミス・ポター

Miss_potter  ピーターラビットのお話で有名な、ビアトリクス・ポターの半生を、つづったDVD。

フレデリック・ウォーン社の末の息子で、出版担当となるノーマン・ウォーンとの 出会い、ともに絵本を作って 出版していく中で友情から愛が生まれ、婚約。その彼の突然の悲報。
ビアトリクスは失意の中から立ち上がり、創作に没頭して 自立して行く。ということが中軸をなしているが、ヴィクトリア朝時代の裕福な家庭の様子や、スコットランド、湖水地方、ヒルトップ農場などの自然の美しさが映されていて良かった。

ビアトリクスの子供時代は学校には行かず、家庭教師に勉強を習い、さまざまなペットを飼って名前をつけてかわいがり、スケッチに余念がなかったという。
晩年のビアトリクスは、自然保護に力を尽くした。開発の波から、美しい自然を守るために、私財を投げうって土地を買い、それをナショナルトラストに寄付した。ただ、絵本作家とばかり思っていたのでこの一面を知ったことは収穫だった。

もう100年以上も前に出版された絵本が今も私たちを魅了してやまないのは、彼女の小動物や自然に対する深い愛情、洞察のたまものだろう。

そこで、はたと思いだした。

娘が生まれた時、読んであげようと、ピーターラビットのお話ほか、小さな絵本を取り寄せていたのだった。でも、英語版だったので、早々に挫折したのであった。

うさぎのピーターやベンジャミンバニー、あひるのジマイマ、かえるのジェレミー・フィッシャーどん、こねこのトム、リスのナトキン、などなど、1冊は紛失していたが、11冊出てきた。

これから、老後の楽しみに、再チャレンジしようかと思ったところである。

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The Tale of Peter Rabbit
The Tale of Squirrel Nurtkin
The tailor of Gloucester
The Tale of  Bennjamin Bunny
The Tale of Two Bad Mice
The Tale of Mrs.Tiggy-Winkle
The Tale of Mr.Jeremy Fisher
The Tale of Tom Kitten
The Tale of Jemima Puddle-duck
The Tale of The Flopsy Bunnies
The Tale of Mrs. Tittlemouse
The Tale of Timmy Tiptoes

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2008年12月30日 (火)

ごくせん

今日は、朝の8時から『ごくせん特別企画一挙放送スペシャル』なるものがあって、つい見てしまった。

第1話から第6話まで。

本放送で全部見ているはずなのに。シリーズ3は、シリーズ2より出演している男の子がイマイチ・・などと思っていたはずなのに。

大掃除をしなければいけなかったのに・・・。

けんか上等、素手でタイマンじゃなければいけない。喧嘩は自分のためじゃない、大事な人を守るためにするもの。仲間とは、家族とは、親とは、と、毎回語るヤンクミ。

これが、なかなか聞かせるのだ。

お決まりのように、生徒が窮地陥って、これ以上はという時にグッドタイミングで「チャンチャァン、チャチャチャチャ~ン」というテーマミュージックが流れ、ヤンクミが助けに来る。

「わたしの大事な生徒を返してもらおうか」

「大事な生徒のためだったら容赦はしないよ」

これもお決まり文句。

素手で悪い奴らをたたきのめすのだが、ウソみたいにめっぽう強い。そして、胸のすくような啖呵を切って、非道な者たちを降参させる。

まるで、「この紋どころが目に入らぬか」と、葵の御紋の前に悪代官達をひれ伏させる水戸黄門御一行のよう。

勧善懲悪、最後に善は勝つ、見たいなところが、安心できて好きなのかもしれない。

大掃除は、流し~ガスレンジまでの縮小版となった。

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2008年12月18日 (木)

風のガーデン

緒方拳さんの遺作となった、「風のガーデン」          

今日が最終回だった。

毎週欠かさず観ていた。

親子、家族、生と死、富良野の四季、ガーデンを彩る花々などが、珠玉の如くちりばめられていて、毎回感動していた。

特に、緒方拳さんが、自分の病状を知りながら、末期がんのターミナルケアをする医師で、かつ末期がんで息子を亡くす父親役をしているのが、何とも言えなかった。

「たたかいはこれからです。」「さいごまでいっしょにたたかいましょう。」

との言葉はそのまま、彼自身へのエールだったのかもしれないと思った。

穏やかで、強く、かっこいい。

中井喜一もとても良く、この作品は代表作になると思えるほど。
チェロの演奏や、麻酔手技も堂にいっていた。

黒木メイサや神木隆之介くんの好演にも拍手を贈りたい。
よさこいソーランの練習、ガーデニングの指導を受けたメイサ。
隆之介くんは知的障害の男の子役が自然で、難しく長い花の名前をよくあんなにすらすらと言えるものだと感心した。

石田えり、伊藤蘭、奥田瑛二も脇をかためていた。

平原綾香の「カンパニュラの恋」も心に響く。

倉本聰の渾身の一作。

(英国風の「風のガーデン」を作るのに2年間をかけ、花言葉も365種作り、花の開花を追いかけて撮影。本当のクランクアップはつい最近だったという。)

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2008年10月22日 (水)

おくりびと

今でも、山形の四季、自然の美しさ、荘内地方の山々をバックに奏でられたチェロの深くてやさしい音色とともに、親子、夫婦の情愛が心にしみてくる、素直に感動できる映画です。

『死』を扱っているのに重苦しくなく、ユーモアがあって、前半は思わずクスリとしてしまうところもあるのは、脚本と、本木雅弘・山崎努・余貴美子らの俳優陣の力でしょうか。
(日本アカデミー賞では、主演男優賞に本木雅弘、助演男優賞に山崎努、助演女優賞に余貴美子が選ばれました。8冠を達成し、まさに総ナメ状態でした。2009.2月加筆)

ほかに吉行和子、笹野高史、杉本哲太、峰岸徹(ご冥福をお祈りいたします)らのベテランキャストによって、いい味の映画となっていると思います。

モッくんや、山崎努・余貴美子・吉行和子さんなどは、好きなや役者でしたが、私にとって出色だったのは、広末涼子。母親になって演技に幅や余裕ができたのか、妻役を瑞々しく演じていて好印象でした。(広末は主演女優だったんですね。そう思ってみてなかった・・・。モッくんと15歳も年が離れているのにあまり違和感なく、新婚の夫婦役が演じられていたので、好ましいと思っただけなので。2009.2月加筆)

この映画で『納棺師』という職業を初めて知りました。

祖母が自宅で亡くなった時、北枕に寝かされ、枕もとに槍の剣先が置かれていたことは覚えているのですが、どういうふうに納棺されたか記憶にありませんし、おじ・おばを何人か見送りましたが、病院で亡くなったため、通夜に駆けつけてもすでに納棺されていたりで、身内とはいえ、この映画のように、納棺の儀に立ち会う機会がなかったからかもしれません。

『旅立ち』のお手伝いをする、納棺師・社長(山崎 努)と大吾(本木 雅弘)の所作は、美しく慈愛に満ちていて、見る者の心を打ちます。その技はイリュージョンのようで、目を見張るものがあります。

大吾が遺体の納棺の仕事をしていると知った妻、美香は自分に触れようとした夫に対して「汚らわしい!」と叫んでしまいますが、私も、思わずはっとしました。

死んだ人に触るのは汚いのかと。

おそらく、『死』に対する怖れが、忌み嫌うこと、触れてほしくないこと、穢れ・汚れに転じていって、このような感情を持ってしまうのだろうと推測しました。

死ぬことは、恐ろしく、嫌なことだけれども、誰にでも必ず、等しく訪れるものである。決して汚らわしいものではない。『死』は終わりではなく、向こうの世界への旅立ちである。映画を見ながらこんなことを考えていました。

納棺師の所作が美しいのは、遺体に対する尊厳、自分の仕事に対する誇り・矜持というものがなせる技だからなのでしょう。また、心のこもった「おくりかた」は、見守る遺族の悲しみも癒す働きがあるように思いました。

もしも、私がおくられびとになる日が来たら、モッくんや山崎努さんのような納棺師の方におくって欲しいと思わずにはいられませんでした。(日本アカデミー賞授賞式での機木希林の「うちには『おくりびと』がおりますので、安心して去れます。」というコメントは印象的でした。それに対して「心をこめておくらせていただきます。」というモッくんのコメントもよかったです。2009.2月加筆 

もう一つ心を打たれたのは、『いしぶみ』のエピソードです。こんなコミュニケーションの仕方があることに感動しました。

あと、細かいことで印象深かったのは、熱々でジューシーな、フグの白子・フライドチキンを食べる場面。なんともおいしそうでした。生きているということは食べること。食べるからにはおいしく。「困ったことにおいしい」という社長のセリフが効いていました。

遺体役の役者さんにも、感心しました。ピクリとも動かない。
特にニューハーフ役の役者さんはたいしたものでした。

もう、ひと月も前に観た映画ですが、今でもまだ余韻が残っています。

そうそう、この映画も音楽は久石譲でした。

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2008年9月24日 (水)

崖の上のポニョ

崖の上のポニョ (監督 宮崎駿)

ひと月前のお盆休みに、大橋のぞみちゃんの歌と、作画にCGは使っていない作品だということのほかは、何の予備知識も持たずに観た「ポニョ」。
娘を体育館に送って行って帰ってくる途中、ちょうど、時間がぴったり合ったから観てきたのでした。

宮崎駿作品で、しかも夏休み中だったから、さぞかし混んでいると思いきや、娘とその友達を連れて、「ナルニア国物語」や「タイヨウのうた」に来た時よりもすいていました。まあ、朝一番の回なのに、7割がた席が埋まっていたから、こんなものなのかなと。

さて、肝心の映画ですが、「やっぱり手描きのセル画は、絵本のようにあたたかみがあっていい。それに、宮崎駿の迫力ある表現力、スタジオジブリの技術力は、さすが!」という感想が、まずはじめに。

次に、内容に関して言えば、とてもシンプル。そして「?」と思うところがいくつも・・・。

たとえば、あんなに海が荒れて、座礁する船が続出だろうし、洪水も起こして、かなりの人が被災したのではないか?犠牲になる人のこともお構いなしに、ポニョは人間になりたいという「わがまま」を押し通してしまうけれど、それでいいのだろうか?
元人間のフジモトって?美人の海の女神グランマンマーレとフジモトの間にできた子どもたちが、なんで「さかなの子」なのだろうか? ・・・等々。

さらに、モチーフとして、人魚姫、ノアの方舟、世界の終焉、破壊と再生、生命への謳歌などが、浮かびましたが、ひっかかってしまったのが、ポニョの本名「ブリュンヒルデ」。

ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』で、神々の長であるヴォータンと、知恵の女神エールダとの間に生まれた9人のワルキューレ姉妹の長女の名前です。

気になってしまったので、とうとう『ニーベルングの指環』を読んでしまいました。
まずは、マンガ名作オペラで、里中満智子さんのもの、上下巻。(これは、読みやすくてしかも、よくできている。)次に『ワルキューレ』の予約を待って、高橋康也ほか訳の『ニーベルングの指環』4部作『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』の4冊・・・をオペラ独特の歯の浮くようなセリフにも慣れ、何かに取り憑かれたように読んでしまったのでした。

この通りだと、ブリュンヒルデとジークフリートは悲劇的な結末を迎えるし、神々の館も炎上し、滅びるので、ポニョと宗助の関係や、人間社会は破滅かということになってしまうのだけれど、フジモトは、グランマンマーレ一筋だから、浮気者のヴォータンとは違うし、ブリュンヒルデの妹達は、父ヴォータンが怖くて、ブリュンヒルデを守れなかったのに、「ポニョ」の妹達は、わらわらと集まって姉を助ける。
また、グンターやグートルーネ、奸計を巡らすハーデンなどはいないから、ポニョと宗助のお互いに「大好き」と思う気持ちを邪魔するものはない。

こう考えると、宮崎監督は純粋な気持ちに立ちふさがるものを、大ナタをふるって切り取ってしまっているのでは、と思えてきました。

また、話を人魚姫にもどすと、私はこの童話を読むたびにやるせなく、理不尽な、という思いが強く湧いてきて仕方がなかったのですが、自己犠牲だとか、「崇高な」愛だとかに、がんじがらめになっていて封印されている、人魚姫の王子への思いをかなえてあげてもいいじゃないか、と思ってしまいます。それを、宮崎監督がポニョに投影して、わがままでもいい、したいことをしちゃいなよ、させてあげるよと、断行した結果、躍動感あふれるポニョが生まれたのでは、という私見を持ちました。
「ポニョ」では、助けるのが人間である宗助だし、ポニョが宗助の血をなめたことで、人間になれるようになっていくという設定で、人魚姫が助け、王子の血を足にかけると人魚にもどるという「人魚姫」とは正反対な設定なので、結末もまた、ハッピーエンドってことで。

洪水にしても、救命ボートにのている人達は、間が抜けているようにのんきだし、生命の水が混ざったおかげか、車イスのおばあちゃんたちが、皆歩けるようになってしまったし・・・。

結局、深く考えないで、映像を楽しめばいいと思うにいたりました。

波とのカーチェイス、リサのドライビングテクニック、巨大魚の波の上をワルキューレ騎行のように走るポニョ、水没した家の庭の洗濯物が、水の中ではためいているおもしろさ、海をおみ渡りするグランマンマーレのバカでかさ・美しさ、水の中の森を悠然と泳ぐデボン紀の魚たち。

このようなところが、特に印象深く思い起こされたのでした。

それにもまして、「ポーニョ、ポーニョ、ポニョ、さかなの子♪、・・」という、歌!
今でもまだ、すぐに口ずさんでしまう・・・。
作詞・宮崎駿、作曲・久石譲の黄金コンビ、おそるべし。

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2008年9月12日 (金)

最近観たDVD

ミリオンダラー・ベイビー (通常版)

ミリオンダラーベイビー

第77回アカデミー賞作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞受賞

  • 2004年米
  • 監督・製作 : クリント・イーストウッド
  • 出演 : クリント・イーストウッド 、 ヒラリー・スワンク 、 モーガン・フリーマン ほか
  • 75歳のクリントイーストウッドが、渋い味を出していた。モーガン・フリーマンもあいかわらずいい。女優のヒラリーのボクシングは堂にいっていて、すごい。

    家族に愛されていない娘マギーと、実の娘に愛想を尽かされている初老の男フランクとの、血のつながりを超えた情愛がひしひしと伝わってきて切なかった。

    アメリカンドリームをつかんだのもつかの間、相手の反則パンチで、転倒したところにあった椅子で首を骨折、全身不随になってしまったマギー。
    なんで、椅子が?どうしてこんな反則パンチを許すの?こんな反則はライセンス剥奪にも等しいと、憤りながら観た。

    尊厳死についても考えさせられた。

    「モ・クシュラ」という、マギーのガウンの背に書かれたアイルランド語。
    「モ・クシュラ」は「おまえは私の鼓動だ(My pulse)」を意味するゲール語の親愛表現であり、『A chúisle mo chroí』(ああ、私の心臓の鼓動よ)の短縮形なのだそうだが、映画では「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血(My darling, my blood)」と訳している。

    この言葉の意味を聞いて、マギーは救われたと思った。印象深い言葉だった。

    ダイ・ハード4.0 特別編

    ダイ・ハード4.0

  • 製作: 2007年 米
  • 監督レン・ワイズマン
  • 出演ブルース・ウィリス / ジャスティン・ロング / ティモシー・オリファント / クリフ・カーティス / マギー・Q
  • ミリオンダラーベイビーが重かったので、軽くアクションものでもと思ったが、息をもつかせぬノンストップアクション、やっぱりジョン・マクレーンは、ハードである。

    史上最悪のサイバーテロに、はらはらドキドキ。コンピューター社会の凄さと脆さを垣間見た。

    マギー・Qが美しく、憎らしいほどタフなテロリストを好演。

    カーアクションは、派手。事故シーンは、本当に実撮?
    最後のほうで、戦闘機や高速道路をぶっ壊してしまうのは、やりすぎではないかと。

    超人的なマクレーンだが、年頃の娘を持つ父親としては、どこの家庭でも同じで、何か微笑ましかった。

    幸せのレシピ 特別版

    幸せのレシピ

  • 制作 :2007年米
  • 監督 : スコット・ヒックス
  • 出演 : キャサリン・ゼタ=ジョーンズアーロン・エッカートアビゲイル・ブレスリンボブ・バラバンパトリシア・クラークソン
  • 2001年のドイツ映画「マーサの幸せレシピ」のハリウッドリメイク版とのこと。

    細かく言うと、なぜ?どうして?というところがあるけれど、それを考えなければ、文句なく頬が緩むラブストーリー。

    アーロン・エッカート演じる、セカンドシェフのニックが、いい人!魅力的!オペラと料理を愛する陽気な男。
    頑なな、完ぺき主義のチーフシェフ、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)の心をほどく。母を亡くしたばかりの、ケイトの姪ゾーイの心も彼によって癒される。

    調理場が人生のすべてだと言うケイトに、人生の一部にしかすぎないよと、諭す。心の持ちようで、幸せは得られるものだ。

    料理に打ち込むキャサリンは凛として、またニックに惹かれるキャサリンはきれいである。

    つい最近地上波初放映した「ターミナル」でもキャサリンは素敵だった。

    また、子役のアビゲイルちゃんが、かわいくて、芸達者。大人と対等であった。

    以上、先週、GEOで、旧作DVDが1枚100円でレンタルしていたので、まとめて借りてきて観たのだった。

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    2008年7月18日 (金)

    未来創造堂

    金曜夜11時から日テレで放送されている番組。

    木梨憲武と西尾由佳理がMCで、何かに愛情や深いこだわりを持つゲストを迎えて、その話を聞き、また、日本の偉大な発明家と、その発明がなされる瞬間をドラマ仕立てで紹介するという内容なのだが、今週は前原誠司と国生さゆりがゲストだった。

    あの民主党の前原誠司が「鉄ちゃん」で、奥さんから変人扱いされているというのを聞いておかしかった。

    なんでもSLの「撮り鉄」なのだそうで、スタジオにも自分で撮ったパネルを持って来ていた。今年の秩父鉄道のカレンダーの表紙に投稿した写真が採用された(政治的圧力なしに)とのことで、それも見せたくて持って来ていた。カレンダーなのに、表紙を出しているだけで一遍もめくったことがないとか(笑)

    坂道を「あえぎながら」走るSLのドラフト音、汽笛を鳥肌を立てながらうっとりと聞く様子や、鉄道用語を熱っぽく語る様子はまさしく鉄ちゃんだった。

    発明家の方も鉄道好きな「ネジの未来を切り拓いた男」若林克彦。
    夢は自分で会社を創り、そこに巨大な鉄道のジオラマをつくること。

    「ゆるまないネジ」をつくることで会社を興し、試行錯誤を経ながら、とうとう震度7の振動に1時間以上もゆるまないで耐える『ハードロック・ナット』を開発し、あこがれの新幹線への使用をはじめ、台湾高速鉄道、地下鉄副都心線、NASAのロケット発射台など激しく揺れるところに、広く使われるようになった。

    「絶対ゆるまず、しかしゆるめることができるネジ」はハードルが高く、鉄道会社からは何度も却下されたが、若林はあきらめなかった。やはり「鉄ちゃん」の血は熱いのか。

    最後に、人が乗れるくらいの大きな鉄道ジオラマで、笑顔で、SLに乗る彼の姿があった。

    鉄ちゃんって・・・。

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    2008年5月21日 (水)

    隠し砦の三悪人

    先週の日曜日、家族で映画を見に行った。

    普通、ロードショーの観賞料金は大人1800円なのだが、夫婦のどちらかが50才になると、2人で2000円という割引きを受けられる。この3月にめでたく夫がその権利を取得したので、このところ、映画づいている。

    1958年に公開された黒澤明監督の同名映画の50年ぶりのリメークだが、設定が違うとのこと。まずは、予備知識なしに観てみた。『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』。

    阿部寛の真壁六郎太は、体が大きいだけに見ごたえがあった。乗馬や殺陣も良かった。

    長澤まさみの雪姫は、男装の重ね着ルックの時は素敵だったのだが、いざお姫様の衣装を着ると何となく違和感・・。着物が似合わない。いかり肩なのかな?

    松本潤の役、山の民・武蔵(たけぞう)は、この映画では主役なのだが、「主役らしい主役」という感じはしなかった。表情とかは良くて、彼のワイルドな魅力は出ていると思うけれどhappy01

    圧倒的に存在感を示していたのが、鷹山刑部を演じる椎名桔平の悪役ぶりだ。夢に出てきそう。
    彼と部下たちがかぶる兜は、ダースベーダーを彷彿させた。オリジナルの”隠し砦の三悪人”が、スピルバーグの”スターウォーズ”の原点となったとされているけれど、逆輸入か?

    「こんなところにこんな俳優が、ミュージシャンが、出てる・・」のだが、凄惨な殺戮シーンも多く、ちょっとグロテスクな印象を受けた。娘も「うわーっ」と思ったところがあったらしい。

    宮川大輔のキャラクター(山の民・新八)が唯一の救いで、この映画を娯楽映画にしている。

    まあ、全体的にスピード感にあふれ、迫力もあり、楽しめたことは楽しめた。

    ただ、「三悪人」って?

    六郎太と武蔵と新八なのだろうが、鷹山刑部をはじめとする、山名の侍のほうが悪人のような気がして・・・。

    それで、「オリジナルを観たらわかるのでは」ということになって、レンタルショップで、DVD化されたオリジナルを借りてきて、また3人で鑑賞した。

    やはり、三船敏郎がすごい。乗馬しながら相手を切り倒していくシーンが圧巻。両手で刀を構え、手放しであんなに早く馬を駆けさせることができるとは!

    千秋実(農民・太平)と藤原釜足(農民・又七)の動作。あぁ、C-3POとR2-D2だ。

    素人っぽい上原美佐(雪姫)は、レイア姫。でも日本の姫の方が色っぽい。あの当時あの衣装ではずいぶん斬新ではなかったか。

    オリジナルの方は無益な殺戮がなく、安心して見ることができる。山名の侍大将・田所兵衛と真壁六郎太との一騎打ちも、武士道に則ったもので、清々しかったし・・・。雪姫主従絶体絶命の時、雪姫の「主」としての器に感じるところがあって、田所兵衛がとった思いもかけない行動は拍手喝采ものであったし・・・。

    本当に「悪人」という悪人はいなかったのだけれど、二人の農民に素性を明かさず、ウソをついて、脅しながら金塊運びをさせる六郎太と、隙あらば、金塊を持って逃げようとする太平と又七がやっぱり「悪人」になるのか。

    ところで、リメーク版も「裏切り」が一つのキーワード。

    兵衛と松潤のセリフ「裏切り御免」が、曲名となっている主題歌がすごくいい。

    この『THE LAST PRINCES』のために結成した「THE THREE」が演奏している。

    ギター・布袋寅泰
    HipHop・KREVA
    ベース、プロデューサー・亀田誠治

    の3人。

    特に、ギターが、かっこいい~!
    HipHopもノリノリ。

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    2008年1月 6日 (日)

    のだめワ-ルド

    一昨年TV放送されて気に入り、コミックを全巻大人買いした『のだめカンタービレ』が、正月2日3日に一挙放送され、またスペシャル版が、4日5日と連夜放映された。

    2日3日は、風邪をひいてぐだぐだしていたこともあり、箱根駅伝をちらりと見ながらも延々と娘と2人「のだめ」の世界にひたっていた。

    4日のヨーロッパ編スペシャル版は、夫がめずらしく11時半近くまで起きていて一緒に観た。彼もはまったらしく、娘に「ビデオを撮っておくように」と・・・。(言われなくても予約録画してあった。)
    5日は、前日の寝不足とお酒のせいで遅くまで起きていられなかったので、彼は、今朝録画を観ていた。当然私達も、また観ることに。

    5日間も「のだめ」を観ていると、口調まで似てきて、「むきゃー」とか「○○デスよ」「△△マスよ」「ぎゃぼー」とか言っている娘・・・。

    部屋もだんだん「のだめ化」していって足の踏み場がなくなってきた・・・。

    こんなにはまってしまうのは、千秋(玉木宏)がかっこいいのはもちろんだが、このドラマが単なる「笑えるクラシック音楽ラブコメディー」ではなく、のだめや千秋をはじめとする登場人物の、音楽や人間関係における成長物語だからかもしれない。十分に大人の鑑賞に堪えうると思うのだ。

    アナリーゼを始めとする勉強が嫌いで、本能のままにピアノを弾いていたのだめが、オクレール先生の、「モーツァルトが何を見て何を感じてこの曲を作ったのか、どんな世界でどんな音色で弾いていたのか」という言葉に触発されて、自分なりの勉強をして良い音色作りをしたことや、「芸術は人の目や耳に触れてまた育っていくもの」との言葉に、「これから、もっといろいろなことを勉強します。また、皆に聞いてもらえるように、喜んでもらえるように。もっと練習して、いつか絶対ピアノコンチェルトで先輩と同じ舞台に立ってみせます。」と、何のためにピアノを弾いているのかがしっかりと見究めるようになったことなどが印象的で、よかった。

    千秋もようやく自分に素直になって、のだめのいる『変態の森』に行く覚悟が出来たし・・・(笑)

    それに、今回のヨーロッパ編はヨーロッパの街並み、シャ-トー、荘厳な教会、ミュージックホール、オーケストラの演奏、随所に使われるクラシック音楽など、魅力がいっぱいだった。

    が、やっぱり現実に返ってみると、この部屋の汚さはなんなんだ~!まるで、のだめ・・・。

    ため息をついていると娘が、「でもお母さん、のだめは食べたものや飲んだものそのまんまにしておくけど、うちは違うじゃない。」

    はぅ~!なぐさめになってなーい。

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    2007年12月15日 (土)

    SP

    土曜23時10分。

    始まりの時間が遅いので、、ついうっかり、初回を見逃したが、毎回手に汗握り、はらはらどきどき、「上」が馬鹿な、警察組織にカリカリ腹を立てながら、かっこいい岡田准一君と、渋い堤真一さんに肩入れしながら観ている。

    SP=Security Police
    警視庁警備部警護課第4係 機動警護班の、要人・対人警護官
    国内外のVIP警護の為、1975年に、アメリカのシークレットサービスを倣い創設された。

    命をかけて「護る」ことが、任務。『動く壁としての盾』

    捜査も犯人確保も任務外。
    犯人確保しても、証拠がないとお叱りを受ける。犯人がいつまでものさばっていたら、命がいくつあっても足りないじゃないか、と思うのだが・・・。

    ”フォトグラフィックメモリー” ”シンクロ” ”トラッキング”などの特殊能力を持つ、井上(岡田准一)の、”能力”のおかげで、何度も命拾いをしている対人とメンバー。

    この能力のきっかけとされる、彼の両親が巻き添えになって殺害されたテロ事件とその関係者達、そのテロ事件を見て、SPになることを決意したという尾形(堤真一)。何か、謎がありそうで、今後、どのように展開していくか、楽しみである。

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    2007年10月 7日 (日)

    HERO

    「これは、人の命の重さを知るための裁判なんです。」

    休診日に、夫と映画『HERO』を観て来た。夫は、松本幸四郎をはじめとする豪華キャストに惹かれたためと、私は、もちろんキムタクを見に。

    権力に屈さず、出世への思惑もなく、ただ、真実を明らかにする事に全ての情熱を傾ける検事、久利生公平。やっぱり木村拓哉の久利生検事は、いや、久利生検事を熱演するキムタクはかっこいい!

    豪腕弁護士の蒲生(松本幸四郎)に法廷では押され気味だったが、相手がすごければ、さらにファイトを燃やして、真っ向から対決する姿は爽快である。

    ついでに、友情出演したイ・ビョン・ホンも出番が少ないながら、超カッコ良かった。韓流イケメンスターにはまる奥様達の気持ちもわかる気がした。

    2001年の1月から3月までテレビドラマで放映されていたHERO。キムタクが主演だったことと、型破りな検事像に好感を持ち、毎回見ていた番組だった。こんな検事がいたら、冤罪事件もなくなるだろうにと思っていた。

    もう、6年も経ったんだ。

    去年の7月に、スペシャル版が放送され、それが、ついこの間(9月23日)に、ドラマレジェンド「HERO」SP版として、再放送された。
    久利生が、石垣島を始めとして、いろいろ飛ばされ続け、北海道から山口へ赴任したのも束の間、また東京の元の職場に戻されるという設定。

    大物代議士、花岡とのからみで、"To be continued"という終わり方だったのだが、映画化された『HERO』は、見事につながっている。雨宮(松たか子)との関係もしかり。TV版と映画版の監督が同じだからかも。

    SP版を見てから映画に行ったので、唐突に中井貴一や、綾瀬はるかが出てきても、つながりが良く分かって観ることができた。中井貴一・・いい味を出していた。

    阿部寛をはじめとする城西支部の面々も、いつものようにやりとりがおもしろい。今回は、久利生の熱意が乗り移ったかのように全員地道に頑張った。特に雨宮は事務官として、久利生のパートナーとして「彼女を離さないように」と言われるほどの頑張りを見せた。松たか子がさわやか。

    「あるよ・」のマスター(田中要次)も相変わらずおかしいし、古田新太の放火犯も笑える。

    大物代議士がタモリさんか・・・。

    いずれにしても、韓国ロケあり、豪華キャストの競演あり、感動と笑いあり、楽しめる映画だった。

     

    キャスト

    木村拓哉(久利生公平) 松たか子(雨宮舞子) 大塚寧々(中村美鈴) 阿部寛(柴山貢)

    勝村政信(江上達夫) 小日向文世(末次隆之) 八嶋智人(遠藤賢司) 角野卓造(牛丸豊) 

    児玉清(鍋島利光) 岸部一徳(裁判官) 香川照之(東京地検特捜部 黛検事)

    中井貴一(滝田明彦) 綾瀬はるか(泉谷りり子) 

    森田一義(花岡練三郎) 石橋蓮司(大藪正博) 

    古田新太(放火犯) 田中 要次(マスター)

    イ・ビョン・ホン(韓国の凄腕検事)

    松本幸四郎(蒲生一臣)

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    2007年6月 8日 (金)

    BABEL

    先週の木曜日、上映終了日間近の『バベル』を観に行った。

    ゴールデングローブ賞作品賞受賞、第59回カンヌ国際映画祭監督賞受賞、第79回アカデミー賞6部門ノミネート、同作曲賞受賞という輝かしい経歴の映画。

    役所広司、ブラッド・ピットという私の好きな俳優と、アカデミー助演女優賞にノミネートという日本人として快挙を成し遂げた菊池凛子や、同じく助演女優賞ノミネートのアドリアナ・バラーザ、助演女優賞受賞・主演女優賞ノミネートの経験をもつケイト・ブランシェットという、そうそうたるキャストが出演し、注目株のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウが監督をつとめる映画。

    「日本」の撮影の時に、協力・出演した、ろうあの女性が試写に行った時、他の言語の時は字幕があったので理解できたが、日本語の時だけは、字幕が出ないので理解しづらかった、自国語なのにわからないとは・・と苦言を呈していたという記事を読んだことがあり、聾唖の方には、たとえ読唇ができたとしても、字幕の無い日本語の映画は障害なのだとあらためて気付かされ、私も少なからずショックを受けたが、日本の試写ではその辺りが考慮されていなかった映画。

    上映後、一部の場面における光と音の作用で気分の悪くなる人が続出したという映画。

    いろいろ話題の映画だったので、終了する前に観に行かなければと、出かけたのだった。

    感想の前に、まず字幕についてだが、「日本」バージョンの時にも、苦にならない字幕がつけられていた。改善されているようだった。

    光だが、やはり薄目にして見ていないと辛い。気分は悪くならなかったが、時間も結構長く続くので、あれ以上長時間だと苦しかっただろうと思う。

    さて、物語は、モロッコ・アメリカ・日本・メキシコにおけるそれぞれの出来事が時間軸を交差させながら、複雑に織り成されていくが、出演者達の確かな演技力によって、脳裏にしっかり刻み込まれるから、頭の中がそれほど混乱することなく、一本のつながりとなって、収束する。俳優達の力量に支えられていると思った。

    2時間半近くの比較的長い映画で、少々疲れる。観終わったばかりのときは「面白かった」とか「また見たい」とか、全く思わなかった。中盤の暗さ、孤独、死、愚かさ、破滅などのイメージが払拭されないからなのだが、「バベル」の意味とか、監督の言いたかったことは何なのだろうかと考えていると、エンディングでの、再生、希望、絆、許し、開放などのイメージがより濃くなってきて、「なかなかよかったんじゃないか」と思えるようになる、何とも不思議な映画であった。

    神が、不遜で愚かな人間に対して、言葉を乱すことにより、共同作業ができないようにしたという旧約聖書《創世記》における、バベルの塔の物語を頭において映画を観ていないと、見誤るだろう。

    意思疎通のできないところに、争いの種が生じることがある。
    また、この映画の中のエピソードのように、言葉がわからない=聞く耳をもたない=人の言っている事を聞こうとしない人達が、勝手な思い込みのまま行動すると、なんでもないことだったのが、とんでもない事態へと悪化してしまうことがある。

    東京の高層ビルはバベルの塔の象徴だろうか。渋谷の若者達も退廃の象徴なのだろうか。

    菊池凛子演じる、聾のチエコは、聞こえる言葉の無い世界にいて孤独を感じているが、まさしく聞く耳をもたないということで、この映画において重要な役なのだろう。

    そのチエコは、正面から話し掛けないとわからないし、ゆっくりしゃべらないとわからない。

    これは、大事なことを示唆していると思う。

    人は、正面を向いて、その人に理解できる、その人を思いやった言葉、態度で接することが、必要なのだということだ。

    イニャリトウ監督はこの映画を一言であらわすと『compassion』だと言った。日本の俳優陣からは、『絆』『許し』『魂』などと言う言葉が出ていたようだ。

    深い思いやり、共感を持って人とかかわることが、その人との間、また自分自身の中にある障壁を取り除くことになるのだと思う。

    また、問題に直面した時に、逃げるのではなく、きちんと向き合ってすすむ勇気を持つ事が、問題解決の糸口となる。

    決して逃げてはいけない。

    そんなことを感じた。

    その他思った雑感や、疑問に思ったことなど記してみる。(ネタバレをするといけないので反転文字で)

    1、ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットの夫婦が、赤ちゃんの死によって壊れ始めた夫婦の絆を取り戻そうと、旅をするという設定だが、まだ幼い二人の子どもを置いてすることなのか、何でその地がモロッコなんだろうか。(モロッコは、公用語のアラブ語のほかにベルベル語、フランス語などの言葉の問題のある国だからか?)

    2.ヤギ飼いの父親は、あんなに簡単にライフルを子供達にまかせてしまっていいのか。

    3.菊池凛子の体当たりの演技、パンツを脱いだり、全裸になったり….評価されているし、内容で必要なことと言われれば納得もできるが、やっぱり少しひいてしまう。

    4.こんにちの歯科医、特に東京の歯医者でマスクもグローブもしないで診療する人はいないであろう。

    5.メキシコ人のベビーシッターの甥の消息は?

    6.どうして、チエコの母親は、銃で自殺したのか?

    ☆☆☆

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    2007年6月 4日 (月)

    プロポーズ大作戦

    妖精(!)役の三上博史が、面白くて、毎回欠かさず見ている。

    もちろん、山下智久のことも、娘と応援しているからなのだが・・・。

    毎回、「ケンゾー」が、礼に素直に自分の思いを伝えられないので、二人でやきもきしている。

    でも、意地を張ったり、タイミングが悪かったりすることは、私にとってはすごく共感できる。

    私も高校時代にタイムスリップしたくなる。

    残る写真はあと一枚。

    恋敵役の多田先生(藤木直人)も、不器用で一途ないい人なので、最終的にどう話が落ち着くのか、興味がある。

    桑田佳祐の『明日晴れるかな』もいい曲なので、楽しみな「月9」である。

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    2007年3月16日 (金)

    ハケンの品格「ハケン弁当」

    篠原涼子主演の「ハケンの品格」が、終わった。

    「国家の品格」ならぬ「ハケンの品格」という題名に惹かれて見始めた番組だったが、「『働くこと』は『生きること』です。」というポリ―シーのもと、神業のようなスキルを持ち、数々のトラブルを乗り越えていくス―パー派遣の大前春子の活躍が痛快で、毎回見ていた。
    今日はどんなスキルで、問題を解決するのか楽しみだった。

    最終回は、「ハケン弁当」の話。

    弁当箱をお客さんに買ってもらい、使い捨てではなく、次回からそのお弁当箱を持って中身を買いに来るという形でコスト削減が可能になった、「ハケン弁当」。この成功のかぎを握る重要なアイテムとして登場したのが米プラスチック製の米(マイ)弁当箱である。070315_1848

     ドラマの中でも「新潟の会社」といっていたが、実は「アグリフューチャー・じょうえつ」が開発し、昨年、環境新素材として特許を取った、米プラスチックで作った弁当箱のことであった。(写真は地方紙の記事)

    米プラスチックは、賞味期限の切れた古古米から作ったプラスチックなのだそうだ。同社では、間伐材や、籾殻からもプラスチック樹脂を作っている。

    「再生可能な生物由来資源(バイオマス)のプラスチックで、化石資源を代替でき、大気中の二酸化炭素を増大させない、環境に優しい新素材として注目されている。」と、記事にあった。

    また、米は、麦などの他の穀物よりも加工しやすいので、価格も比較的安価だということだ。

    米からプラスチックが出来るとは思ってもみなかったが、まさにReduce・Reuseを実践したエコ製品で、感心した。

    ドラマは、大雪で道路が通行止めになって、弁当箱が時間までに届かないというトラブルに見舞われ、いざという時には やっぱり大前春子が、スカイダイビングの趣味を生かし、弁当箱を空から届けるという荒業を見せる。

    (上越の)米プラスチック製弁当箱は空を飛んで行ったのだった。

    (設定は少し乱暴か・・・。第1に、前日までには弁当箱を調達するのが常識だろう。次に、4月に道路が通行止めになるほどの雪が降るかな?また、そんな荒れ模様の天気であんな小型機が飛べるんだろうか?

    まあ、少しコメディー調なところもあるドラマなので、細かいことは言わないでおこう。

    このドラマで、「派遣」について知ることができた。

    正社員と派遣社員の確執、企業の派遣社員に対する意識、派遣社員の仕事に対する意識などについて、問題提起されていたのではないか。

    東海林(大泉洋)や、賢介(小泉孝太郎)との掛け合いも毎回面白いドラマだった。

    続編はできるかな?

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    2007年2月 6日 (火)

    略語

    今日のジャポニカロゴスは「略語」だった。

    へぇーッと思ったものをあげてみよう。

    例によって答えは反転文字で。

    ワリカン・・「割り前

    切手・・・・・「切

    食パン・・・「食パン」

    軍手・・・・・「軍

    馬券・・・・・「投票券」 

    プレハブ・・「プレファブリケィティッドハウス

    教科書・・・「教科用図書」

    ヘボ・・・・・「へ平凡)」

    まさか、切手や教科書が略語だとは思ってもみなかった。

    例外はあるけれど、略語の作り方には法則性があるようで・・・。

    『あけおめ、ことよろ』などの若者言葉も略語文化だ。

    美しい日本語には程遠いが、おもしろいといえばおもしろい。

    英語の略語は、

    SMAP・・・・Sports Music Assemble People

    BLT・・・・・・Bacon Lettuce Tomato

    UFO・・・・・Unidentified Fying Object 

    TIM・・・・・Time I Money

    などがあげられていた。

    今こうして書いている「ブログ」、「ウエブログ」の略語である。

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    2007年1月13日 (土)

    映画「硫黄島からの手紙」

    硫黄島の 黒い砂のように暗く濃いトーンの画面が印象的だった。見終わった時、誰しもその内容の重さに、すぐには立ち上がれずにいた。

    私は恥ずかしながら、この映画で初めて、「硫黄島の戦い」がどういうものだったのかを知った。
    第二次世界大戦からは、駆け足で終わってしまった学校の歴史の勉強では、教えてもらわなかったことを、アメリカの映画監督より教えられた。

    ハリウッド映画ながら、ほとんど日本語のこの映画は、クリント・イーストウッド監督の「言語は違っても、良い演技は万国共通である」という考えに、日本の俳優陣が見事に応え、また事実をくまなくリサーチした信憑性の高い脚本によって、日本人が見ても違和感なく、まるで日本映画かと錯覚してしまいそうなくらい出来の良いものであったと思う。

    「硫黄島の戦い」を描いているが、いわゆる戦争映画ではない。
    ふつうの戦争映画は、どちらか一方が正義で、どちらかが悪という描き方が多く、ヒロイズムにも陥りやすいが、この映画には、イーストウッド監督の、戦争とはそういうものではないという考えが反映されている。
    戦闘の映画ではなく、人間ドラマに仕上がっている。

    『Justice』という言葉が浮かぶ。
    日米双方を、公平な視点で見ていると思った。

    イースト・ウッド監督がこの映画を撮るきっかけになったのは、先に公開された「父親たちの星条旗」を監督することになって (ジェイムズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ『硫黄島の星条旗』に興味を持ったイーストウッドが、すでに映画化権をもっていたスピルバーグに、其の旨を伝えていたところ、スピルバーグより是非監督にと依頼され)、 第二次世界大戦の太平洋戦線が繰り広げられた時期や場所についての調査に没頭していた時、硫黄島防衛のため、ユニークな防衛戦術を採っていた栗林忠道中将に非常に興味を持ったことからだという。

    これまでの日本の戦術は、海岸線に土塁を築き、砲火を浴びせて上陸してくる敵を防ぐというものだったが、栗林中将のものは、約1年も前から島に来て、地下壕を掘り、装備を全て地下に移し、全長30キロにわたるトンネルと、5000もの洞穴にトーチカを網の目のように張り巡らせて、米軍と対峙する、猛烈でしかも明確な防衛戦術だった。
    その結果、圧倒的に戦力に勝る米軍が、5日で終わると思っていた攻防戦が、実に36日もの死闘となり、米軍に死傷者2万8千名(うち、戦死者は7千名余り)というかつてない損害を与えることになったのだった。

    この戦術を編み出し、見事な指揮をした栗林中将とはどんな男だったかを知りたくて、日本の友人に話を聞いたり、数多くの文献を翻訳させた。

    栗林中将はアメリカ留学を経験し、カナダにも滞在している、米国通の、アメリカ人の友人も多い、最後まで、日米開戦に反対した男だった。
    「『玉砕指揮官』の絵手紙」からは、軍人の顔とは別に、繊細で家庭的な人物だったことが浮かび上がる。妻や息子、娘に宛てた手紙に心を打たれたイーストウッドは、栗林中将のお孫さんなどの遺族と直接会って話しをする機会を得てからは、是非とも日本側からのストーリーを作り、日米双方から別々に、「硫黄島の戦い」とは何だったのかを描き出そうとしたのだという。

    東京から1250キロ南にある硫黄島は、ミッドウェー海戦の大敗北から連敗し続け、数々の諸島を失った太平洋戦争末期において、日本軍にとって最前線の基地として死守すべきものとなった。
    飛行場が整っている硫黄島から戦闘機を発進させれば、B29(米軍の超長距離重爆撃機)の往復路を襲うことが可能だったし、中部太平洋に進出する重要な足がかりになる。同時にB29の接近を早期に日本本土に知らせるための前哨としても機能していた。
    それが、米軍の手に落ちれば、前哨を失うばかりか、ここを中継点として、飛行距離の短い爆撃機も、B29と共に、日本本土に飛来できるようになってしまう。

    2万2千名余りの将兵が硫黄島守備隊として送り込まれた。

    硫黄島には、河川や、飲料に適した地下水がなく、将兵たちは水不足と腸チフスなどの伝染病に苦しんでいた。

    そんな中、最高指揮官として赴任した栗林中将は、従来の水際作戦を捨て(実際には大本営からの命で、完全には捨てられなかったらしいが)、地下陣地での持久戦を決める。

    火山性の島である硫黄島は地熱が高く、硫黄を含んだ蒸気や、亜硫酸ガスなどが噴出する中での地下壕堀りは、筆舌に尽くしがたいほどの辛苦であっただろう。

    以前の作戦に固執する参謀や将校の反発、陸軍と海軍との軋轢、大本営の無策などに進展をはばまれながらも、将校と下士官・兵を差別せず、公平に水や食料を分配し、自らも同じ食事をとった栗林中将は、圧倒的多数を占める下士官・兵の人気を集め、士気を高め、全将兵の気持ちを一つにまとめていったという。

    「我々の子どもらが日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には意味があるんです。」
    この信念の元に、潔く死ぬことが軍人としての名誉だとされていた時代、死ぬことを禁じ、最後の最後まで生き延びて、本土の家族のために、この島を守りぬけと命じたのだった。一人になるまで戦って、一人になるまで生き延びて、無駄に命は捨てるな。

    米軍が上陸してからは、食料、弾薬の補給も遮断され、飲まず食わず戦わなければならなかった。死よりも苦しい生だった・・にちがいない。

    こんな中で唯一心が休まるのは、家族に宛てて手紙を書いている時、それに没頭している時であったのだろうか。

    家族のため、内地で暮らす人々の命を守るために、歯を食いしばって頑張って、散っていった2万1千名の思いが、今「硫黄島からの手紙」として、私達に届けられたのだと思う。

    硫黄島で生きて、そして死んでいった方達への慰霊、追悼の映画であると思った。

    また、この日本軍の戦いは、敵ながら天晴れと賞賛された反面、その後のアメリカ軍の戦い方にも影響を与えたとされる。
    すなわち、自軍の被害を少なくするため、徹底した攻撃が沖縄戦で行われ、そして広島・長崎で原爆投下という「虐殺」がなされたのだ、という見方だ。
    硫黄島の将兵たちの、家族を守ろうとする強い信念が、かえって内地にいる家族に仇となってしまったのではないかという見方である。

    戦争とはこのようにどうしようもなく悲しく、虚しいものだという思いを強くする。

    東京都小笠原村。
    昭和43年に返還された硫黄島には、今なお、1万3千余柱もの遺骨が眠っている。

    栗林中将もバロン西もその遺骨は未だ発見されていない。

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    2006年12月21日 (木)

    セーラー服と機関銃

    「か・い・か・ん」と、機関銃を撃ち放った後に恍惚の表情でつぶやく薬師丸ひろ子ちゃんの姿が、衝撃的だった映画「セーラ-服と機関銃」から、25年。

    長澤まさみちゃん主演、21世紀バージョン星泉のTVドラマ「セーラー服と機関銃」がこの間まで放映されていた。

    普通のまじめな高2の女の子星泉が、突然目高組というやくざの組長にされてしまって、最初はとまどう、逃げ腰になる。5人いる組員のうち、特に英樹と健次の若い2人は、いくら前の組長の遺言だからと言っても、こんな女の子が組長だなんて、認められないと始めは反発する。

    ところが、目高組に対する嫌がらせや、不当な行為に対しての、泉の、怒りを表わし、誰に対しても筋を通そうとする姿に、若い組員達も信頼を寄せるようになり、組長として認める。そして皆が、「組長を守る」という絆で結ばれるようになり、それぞれ孤独を抱える者たちが寄り添うことで、父親も亡くし、天涯孤独となった星泉にとっての「家族」となるのだ。

    そんなささやかな幸せが、麻薬とそれにつながる人間の欲望によって、次々に打ち砕かれていく。次々に大切な組員達が殺されていく。武、金造、それから英樹と健次。皆、「家族」の誰かを守って死んでいくのだ。毎回涙なしでは見られない。

    とうとう、若頭の佐久間だけになったとき、星泉の中で、抑えきれないものが爆発する。
    「一度だけ、人の道を踏み外していいですか?」
    封印してあった機関銃を携え、浜口組のビルへ乗り込む。太っちょ:国会議員の三大寺、悪徳警官黒木、浜口らが、因縁の麻薬を積み上げ、一堂に会している中、星泉は胸のすく啖呵を切り、機関銃をぶっ放すのだ。机・いす・壁・そして麻薬。何億円相当の麻薬が小気味良く粉塵と化す。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    堤真一の佐久間が超カッコ良かった!
    筋を通す任侠の人。自分より他人のことを考えられるやさしい人。時には迫力のあるドスをきかせることができる人。

    この佐久間が、早い回のうちに、誤解から義弟に撃たれるシーンがあり、「まさか、こんなに早く。」と気が気でなかったが、星泉よりもらった「安産」のお守り(笑)に銃弾が当たったおかげで、命びろいをする。「佐久間は死なないで。」と思っていたが、やはり最後には、喧嘩を放っておけなくて仲裁に入ったところを、胸を一突きされ即死という筋書きだった。(泣)

    私は、1978年に書かれた赤川次郎の原作も、映画も観ていなかったが、このTVドラマを見て、興味を持ったので、原作を読み、映画のビデオを観ることにした。

    本の方は手に入り、ついでに、9年後に書かれた「セーラー服と機関銃・その後-卒業-」も読了した。だが、ビデオの方は、同じことを考える人がいるようで、レンタルビデオ店に借りに行っても、何度か貸し出し中だったため見られず、昨日ようやく見終えることができた。(見てからブログを書こうと思っていたので、遅くなってしまい、タイムリーな記事にならなかったことが、ざ・ん・ね・ん。)

    原作は、星泉と共に、彼女のクラスメートで「泉ファン」の3人の少年も、探偵団よろしく活躍する、青春冒険ミステリーという感じだが、映画は、原作を踏襲しながらも、やはり薬師丸ひろ子ちゃんの魅力を引き出すことに力点が置かれ、それが成功しているように思う。少女から大人の女性になろうとしているあやうさや、きらきらした輝き、包容力などが、表わされていたのではないか。TVでは、長澤まさみちゃんの可憐な強さと「家族」「任侠」など人情ものに仕上がっているように感じた。

    映画の中の佐久間は渡瀬恒彦が演じていて、「かっこいいオジン」と言ってもいい。

    「か・い・か・ん」というせりふは、25年経っても鮮烈な印象があるが、おそらく地雷で両足をなくしたという設定の太っちょ(映画と原作、TVでは、太っちょの人物設定がずいぶん違う)が、星泉に地雷をふみつづけさせながら、『死の恐怖と肉体の戦慄が入り混じって・・つまり快感・・だよ。快感は死と隣り合っているものなんだ。』と語った、「快感」を踏まえたものなのだろうか。少なくとも直接的な「快感」ではなさそうだ。原作ではもちろん、TVでも、この有名なせりふがなかったが、このせりふは、薬師丸ひろ子ちゃんの専売特許でいいと思う。

    「セーラー服と機関銃・その後-卒業-」は、星泉がもっと活躍する、どきどきの冒険ミステリーだが、原作では、ただ一人生き残った武が「その後」で重要な役割を果たすので、すべて死んでしまった映画やTVで、続編を作るのはむずかしいように思われる。

    リメーク版は、原作や、前作に比べられて厳しい眼で見られることも多いが、このTV版「セーラー服と機関銃」は、独自の切り口で良いドラマだったというのが、すべてを見た私の感想である。

    また、主題歌も、エンディングで目高組6人が並んで歩くシーンに流れていたのが効果的だった。
    『さよならは、別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束・・・』『愛した男達を思い出にかえて・・・』というフレーズが、ぴったりだった。映画よりも、あてはまるように思われてならない。


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    2006年12月17日 (日)

    のだめカンタービレ

    「大人買い」をしてしまった。”のだめ”1巻~16巻+CDブック2巻。

    TVの”のだめ”にはまって、コミックも読みたくなったのだ。1800万部+16部。売上に貢献してしまった。

    作者、二ノ宮知子の知り合いの音大生の友達に実在の「のだめ」ちゃんがいて、彼女への取材から作品が生まれたらしい。「ごみ部屋にピアノ」のモデルだそうだ。

    題名を決める時、彼女達の協力で、「のだめ○○」の○○に「カンタービレ(歌うように)」をつけたら、実在の「のだめ」ちゃんにかぶせて、皆に大受けしたため、「のだめカンタービレ」になったという。

    まだ、コミックの方は届いたばかりで読んでいないので、TVドラマとは比較できないが、ドラマでは上野樹里ちゃんが、変な女の子「のだめ」ちゃんを好演しているし、何と言っても、「千秋先輩」の玉木宏がかっこいい。特に目をつぶると、長いまつげと色っぽい唇が、まるで、マンガから抜け出たような美男子ぶりを際立たせ、のだめちゃんが、「しゅきあり。(先輩、いただきますぅ・・)」とやってしまうのもうなづける。

    毎回、肩肘張らずに、クラシックの楽曲を聞けるのもいい。

    お堅いクラシック音楽のイメージを一新して、楽しくクラシックを聞ける、クラシックファンの裾野を広げる役割を果たしているようだ。

    さて、早速コミックを読みながらCDを聞いてみることにしよう♪

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    2006年11月 2日 (木)

    14才の母

    水曜夜10時からのドラマ。センセーショナルな題名が、一部で物議をかもしているようだが・・・。

    うちでは12才になる娘も一緒に見ている。寝るように言っても寝ないので仕方なく。

    小学校でどこまで教えてもらっているのか、娘がどのくらい理解しているのか把握していないので、とりあえず一緒に見ている。

    先日、野口英世記念館に行ったときに、博士の業績として、梅毒スピロヘータ(トレポネーマ)の純粋培養に成功した(←今では?とするむきもあるけれど)と書かれてあるのを見た娘に「梅毒って何?」と聞かれたのだが、彼女がどれくらいわかっているのかがわからなかったため、このSTDのことを、どこからどこまで説明したらよいかとっさに思いつかず、絶句してしまったというだらしない経験がある。

    いろいろとこれからきちんと教えていかなければと思っていたところだったので、まあいいか。

    第一話では、お互いに名門中学で、塾が同じ14才の女の子と、15才の少年の無邪気なふれあいから話が始まる。
    普通の家庭で、家族に愛されて育った女の子の明るさ、強さ、無鉄砲な位の行動力と、シングルマザーの起業家の母親に経済的には何不自由なく育てられているが、仕事第一の母に寂しさと不満を持つ男の子の翳を描くエピソード。
    これが伏線となっているのだろうけれど、二人きりになると、
    手が触れ合っただけで引っ込めあうような、ぎこちない初心な関係だったのに、何故か一気に、所謂深い関係に陥り、ただ1度だけの行為で、女の子は妊娠してしまう。
    女の子は誰にも言えず、一人悩む。

    「不自然」な感じが拭えなかった・・・。塾をサボってゲームセンターで遊ぶ二人に因縁をつける不良グループも、わざわざ人気のない公園に逃げる二人にも。そして、小屋の中に逃げ込んだ二人が精神的にハイになっているのはわかるが、それで、行為に及ぶものなのだろうか、おばさんの想像力からは逸脱しているのでわからなかった。よって、娘にコメントできず。

    第二話は両親に知れるところとなり、争議となる。両親の嘆き悲しみ、葛藤etc。
    実は、都合が悪くてこの回は見ていない。VTRも撮り忘れたので、予告編からの予想。

    第三話は、迷っていた女の子が、男の子が自分のことを「好き」なら、妊娠したことを打ち明けようと決めて、告白できたが、事実を知らされた男の子は動揺し、父親になる覚悟はできない。出産に反対の両親は、中絶させようと、産婦人科に女の子を連れて行く。女医さんから、14才で出産することは命の危険性があることと、それ故、若年から深い関係になることは反対であることを諭される。
    (そうそう、そういう言葉を言って欲しかった。)
    手術前の母親とのひと時。母親から自分が生まれたときの事を聞き、また母親が女のこの子のことを世界で一番大切に思っていると言うことを聞いて、「お母さんが私のことを大切に思ってくれているということと、私が、私のおなかの中の赤ちゃんを大切に思うのと同じこと」ではないかと言って、病院から逃げ出す。

    母親としては、「何があってもあなたの味方、中絶というつらいことがあってもあなたを護り助ける」と励ますつもりで言ったのだろうけれど、思惑が逆に働いてしまった。「命の大切さ」「母性」の方に。・・・そうなんだけれどね。う~ん。

    第四話。女の子の妊娠は、学校に知られることとなり、騒然とする。「友達」も「学校の品位を貶めた」と一斉に女の子を非難。女性教頭をはじめとする先生たちも同じく。母親が呼び出され、「出産はさせないので、どうか退学にはしないで欲しい」と頭を下げる。
    女の子の父親から叱責された男の子は罪の意識をもつが、海外に行こうという母親には逆らえない。だが、父親の涙に心打たれた彼は、自分の心からの「ごめん。でも会えてよかった
    」という伝言を女の子の叔父に託す。これを聞いた女の子は、ふっきれたように「出産」を決意する。女の子は、学校に出かけ、「おなかの子供に会いたいから産む」とクラス全員の前で宣言。「お母さんは私を世界で一番大切と言ってくれたけど、私はこの子に会うために生まれてきた」「学校は辞める」とも。

    副題に”~愛するために生まれてきた~”とあるけれど、このことを言っているのかなぁ・・。
    授かった命の大切さはもちろんなのだけれど、14才で産むことの母体のリスクも考えなくてはならない。なおかつ、産む事は産めても、中学生では一人で育てることはできないではないか。自分の責任で育てることができないなら産むべきではないと思う・・・。

    娘はとみると、ドラマの中で、このスキャンダルを執拗に記事にしようとしている雑誌の編集長のことを「こいつ、ひどい、やな奴」と憤慨したり、女の子を非難している友達に対して「こんなの友達じゃないよ」と言ったりしている。君はそっちの方に正義感が働くのか・・・。
    『女王の教室』のときから、志田未来ちゃんのファンだったから、未来ちゃん扮する女の子を辛い目にあわせるものに対して、反応しちゃうのだろうね。

    ティーンエイジャ-も多数この番組を見ているだろうことを思うと、今後の展開が気になるところである。


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    2006年9月19日 (火)

    ジャポニカロゴス

    タモリのジャポニカロゴス。今夜は宮中ことばについて。

    宮中ことばは、擬音語や、畳語(同じことばを続けて言う)、省略、隠語(〇もじ など)の言葉遊びが多いのが特徴だそうです。

    味噌汁のことをのおみおつけ(御御御付け)というけれど、これも宮中ことばとのこと。
    庶民が、「つけ」と言っていたので、宮中では「御付け」になり、御付けが一般に使われるようになると、御御付け、御御御付けというようになっていったということです。

    では、次の宮中ことばは、どんな食べ物の事を言うのか考えてみてください。
        (答えは反転文字)

    「お冷のずるずる」・・・そうめん (冷たい、ずるずると食べるもの)
    「おしわもの」・・・うめぼし (外見がしわしわしている)
    「かずかず」・・・数の子 (畳語で)
    「からもん」・・・大根 (縄文時代に中国から伝来した)
    「たもじ」・・・蛸( 『た』の字がつくもの・隠語)
    「おかちん」・・・餅(餅を搗く事を『かちいん』と言った事から転じて)
    「ごん」・・・牛蒡 (ごんぼうから)
    「おかべ」・・・豆腐 (白壁のようなものから)
    「たま」・・・こんにゃく (こんにゃく玉より)
    「いしいし」・・・魚団子 (団子の総称)

    ちなみに、「大根」は仁徳天皇の頃より使われているそうで、「君の腕は大根のようだ」と言うと、大根のように白くて綺麗と言う誉めことばだったようです。今、「大根足」と言うとぶっ飛ばされますけどね・・・。

    ・・・いにしえに生まれたかった・・・なんて。

    ―追記―

    今日の講師は竹田恒泰氏。明治天皇の玄孫(曾祖母が明治天皇の皇女。曽祖父は初代北白川宮、伏見宮家出身)で、旧皇族竹田宮家の長男。

    そうかぁ、Y染色体の継承者か・・・。

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    2006年8月31日 (木)

    サプリ・結婚できない男・PS羅生門

    このところ、TV三昧だった。(昔はTVを見なくてもよかったのに、最近どうもつけっぱなしのTVをだらだら見つづけている・・・流されてるなぁ。)

    まずは月曜9時。サプリ」

    ビタミンや、コラーゲン、グルコサミン、イソフラボンなどのサプリメントのように、妙齢(?)の女性の元気の素、癒しになっている若い男の子。亀梨和也は、適役。仔犬のように伊藤美咲にじゃれつき、甘えたリ、すねたり、ストレートに愛情をぶつけたり・・・。年上の女性は、少々鬱陶しいかなと思いつつも満更ではない。母性本能もくすぐられる。

    私も、「ごくせん」の頃から、亀梨くんのファンだったので、つい見てしまうのだ。

    娘は赤西仁のファンで、小学生は亀梨より赤西ファンが多いらしく、娘からはどうしてお母さんは亀なのかと聞かれるが、息子にしたら、可愛いいし、格好もいいからと答えている。

    10時からは、もう10年来見ている、SMAP×SMAPに流れていく。いつ見ても、ビストロはすごいな。

    火曜日は、娘がチャンネルを廻すので、(おっと、廻すという表現だと年がばれる・・・)9時からダンドリ(Dancing Dream)」。チアダンスを踊りたくて最初数人の友達から始まり、だんだん仲間を増やし、いくつもの障壁を乗り越えて・・・という、ウォーターボーイズの女の子版のようなドラマ。ヒロイン「要」の笑顔が良い。

    10時から、「結婚できない男」。

    阿部寛がおもしろい。夏川結衣との掛け合いも愉快で、つい見てしまう。

    結婚「しない」のではなくて「できない」というのが、見ていると頷ける。偏屈な皮肉屋、薀蓄屋なだけでなく、細部に渡って拘り、自分のスタイルを通す頑固さは、到底一緒に生活できないと思わせる。ただ、誰しも1つや2つこだわりや、自分のやり方というものをもっているものであり、結婚できている人は、お互いに、許しあったり、譲り合ったり、我慢したり、あきらめたりして何とか、共同生活を営んでいるんだろうと思う。

    さて、今も少しずつ周りの人たちから、そのスタイルを崩されつつある男が、どのようにして、結婚まで至るのか、興味のあるドラマである。

    パグ犬の「ケン」が、とってもかわらしい。

    水曜9時は、「PS羅生門」。

    これは、原作がコミックに連載されていて、主人がファン。木村佳乃と、舘ひろしがいいと言っている。舘ひろしがいいのは同じなので、文句はない。伊藤四郎とか、森本レオなどの味のある人たちが出ているのもいい。異色の刑事ドラマ。反体制的で、人情味もあるのが、主人の好みか。

    10時から「CAとお呼びっ!」を見てしまった。

    「スチワーデス物語」の『グズでのろまな亀』以来、最近の「アテンションプリーズ」にしてもスチワーデスのヒロインは『出来の悪い』ものと、相場は決まっているらしい。

    私としては見なくてもいいのだが、つい惰性で・・・。

    実はTV三昧をしながら、焦っていた。

    娘の夏休みの最後の宿題、自由研究が終わっていない。

    私が手伝ってやらなければどうにもならないところまできてしまっていると思うのだが、お気楽娘は、お尻に火がつかないとしようとしない。
    図書館から、関連書を数冊借りてきて、娘に読むように言ってあったのだけれど、1冊読んだか読まないかであった。

    親ばかだから、多分手伝ってしまうのだろうけれど、全部してあげるのは嫌だし、何とか自分で考えられるようにもっていきたいのだけれど、どうしようか、と思っていた。

    極楽トンボのお嬢さんは、私と一緒にTV三昧をしていたので、さすがに雷を落としたが、親も親なので効果は薄い。

    最終日の今日、お昼を過ぎたらさすがの娘も作業をやり始め、部屋中を使って、何とか自力で大洋紙3枚に観察結果をまとめた。

    (やっぱり、不足分の写真を撮ってやったり、PCでプリントアウトしてやったり、いろいろアドバイスしたり、してしまったが・・・。)

    夜の11時過ぎにようやく完了して、娘は寝た。

    そんなこんなで、ブログの更新が滞ってしまった。

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    2006年7月19日 (水)

    タイヨウのうた XPについて

    「タイヨウのうた」の中で、医者との話で唐突にでてきたXP。
    Windows XPのことではない。

    XPとは、Xeroderma Pigmentosumの略語で、日本語に訳すと、色素性乾皮症のことである。そばかす様の色素沈着が見られること、常に日焼けを起こしているような状態で、その炎症の結果、皮膚に鱗屑(フケのようなもの)が付着している症状から名付けられたものだそうだ。

     色素性乾皮症は、光線過敏症の常染色体劣性遺伝性皮膚疾患である。
     この疾患の病因は、紫外線によるDNA損傷の修復機能の障害によるものである。

    つまり、健常な私たちは、紫外線によって、細胞の中のDNAが突然変異を起こして傷ついても、修復する酵素があって事なきを得ているが、XPの人は、修復する酵素がない、製造できない(修復酵素を作るDNAが遺伝的に壊れている)ので、DNAは傷ついたまま、ついには皮膚癌を発症し、死に至るということである。

    だから、徹底して紫外線から身を守らなければならない。ヒロイン薫のように。
    幼い時、外に出たくて駄々をこねても、父親は横面を張ってでも出さなかった。
    宇宙服のような、紫外線からの防護服が外出には必要であり、窓にはUVカットのカーテンが必需。昼夜逆転した生活を余儀なくされる。

    しかし、これだけなら、家族の協力や、本人の意志などで、十分に発症は押さえられ、充実した生活を送ることができる。ギターが弾ける、歌が歌える、恋もできる・・・。

    又、 本疾患は、10群(A~I群とバリアント群)に分類され、日本人に多いA群は、皮膚疾患に加え、進行性の中枢神経障害や末梢神経障害が出現する。

    そうなのだ。この神経障害の出現が問題なのである。

    中枢神経の障害とは大脳・小脳・脊髄の障害で、末梢神経の障害とは、知覚神経・運動神経の障害である。ヒトとして生きて行く機能が皆やられてしまうのだ。

    薫は16歳まで神経障害が出ていないという設定だったが、実際はもっと痛ましいくらい早期に出現するようだ。

    A群XPでは、平均して次のような障害が生じる。

     5才をピークに   知能低下
     6才頃より   足関節の拘縮(躓き転びやすくなる)
     7才頃より   聴力障害・低身長・小頭症・眼震・振戦
              ・
    構音障害
    12才以上     呼吸障害・嚥下障害
    思春期以降   知的能力の重度の低下・歩行障害(車椅子)
    15才以上    気管切開・経菅栄養が必要となる

    神経障害】
     色素性乾皮症の発症機構については、前述したように、解明されていますが、XP-A群の大きな症状である神経障害については、紫外線の照射量と、神経症状の進行の大小は、無関係であることは確認されているものの、神経障害の進行メカニズムについては、未だ有力な説がありません。今後の更なる研究により解明されることを期待します

    神経障害に対しては、対症療法しかなく、遺伝子治療などの根本治療の研究が待たれている。

    ここで、対症療法や、リハビリ、介護に対するXP患者さんの負担は甚大なものがあるが、国の難病指定を受けられれば、大分軽減できるそうなのだ。研究のための予算も組まれるし、研究費が増えれば、進行のメカニズムや、根本治療法が発見される可能性も高くなるだろう。

    XPは難病指定を受けられずにいる。

     1.患者数が少ない
     2.原因不明
     3.治療法が未確立
     4.長期療養が必要

    という難病指定の4要件を満たしているにもかかわらず。

    なぜなら、皮膚疾患としての発症起序のほうはわかったからではないかといわれている。
    だが、日本人に多いといわれている、A群で、重篤なのは神経障害なのだ。この発症や進行のメカニズムはまだ不明である。

    これが解明されて、発症時期を遅らせたり、進行を抑制できたりすれば、それだけでもXP患者さん達のQOLは高まることだろう。

    薫のように、みんなの心に「タイヨウのうた」を届けることも不可能ではなくなる。

    是非、治療法も解明していただきたい。この映画からもそんなメッセージを発信しているのでないか、そんな気がした。

       XPを難病指定に請願する署名活動があります。私もweb上で署名いたしました。

    <その後>
    『2007年3月12日(月)、厚生労働省の特定疾患対策懇談会が開かれました。
    2007年度から色素性乾皮症(XP)と進行性骨化性線維異形成症(FOP)を、原因不明で治療法が確立されていない病気の原因究明や治療法研究を行う「難治性疾患克服研究事業」の対象疾患に追加するとの結論になりました。』

    ということで、第一歩が開かれたようです。

    そして、署名は60万人を超えていたそうです。

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    2006年7月17日 (月)

    タイヨウのうた

    娘のリクエストで、映画館に行った。

    海の日というのに雨降りのためか、映画館はたくさんの人であふれていた。どうもそのほとんどが「タイヨウのうた」を見に来た人のよう。先週の金曜日から、TV版の「タイヨウのうた」が、始まったからか・・・。

    XP(色素性乾皮症)という難病の女の子。太陽の下では生きられない彼女だが、両親や親友の愛に包まれながら、ストリートミュージシャンとして、明るく生きようとしている。そんな彼女の最初で最後の恋。

    雨音薫を演ずるYUIは、初々しく、可愛かった。素人っぽいところがかえって自然で、難病でも普通の子のように生きて欲しいという両親の思いが表されているように思った。
    TV版の沢尻エリカは、「1リットルの涙」がまだ記憶に新しく、重病を抱えるヒロインというイメージで見てしまう。

    歌がいい。”Good By Days”  YUIの透明感のある歌声が、映画を見終わってからも耳の奥で響いていた。

    娘に献身的で甘い、茶目っ気のある父親、娘の病気に苦悩する父親を演じた岸谷五朗は好きなので、いい。

    恋の相手、藤代孝治役の塚本高史も、母親役の麻木久仁子も、明るく軽い雰囲気があるので、物語を必要以上に暗く、シリアスにすることなく、観客を落ち込ませないように一役買っていたと思う。

    TV版の山田孝之は、「世界の中心で愛を叫ぶ」のときと、少しダブってしまう。やや、重い感じがするので、この後どういう展開になるか・・・。

    ほとんど満席だったにもかかわらず、エンディングロールが全て終わるまで、誰も立ち上がろうとせず、皆シーンとして、スクリーンを見つづけていた。きっと感動していたんだろう・・と思う。

    薫が「死ぬまで生きる」と笑顔で言う場面が、私は心に残った。

    このヒロインのXPとしての症状は「あれ?」と思うところもあったのだが、それは、公式HPでもそのように言及しているので、ここでは書かないでおこう。また、XPについては後で、書いてみたいと思う。

    最後に、見て良かったなと思える映画だった。

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    2006年3月14日 (火)

    ナルニア国物語

    日曜日に、娘とその友達2人を連れて、『第1章ライオンと魔女』を観に行ってきました。

    先週からロードショーが始まったのだけれど、混むかなとおもって、1週ずらしたのですが、同じことを考える人が多いようで、(実際、娘の同級生や下級生、知り合いにたくさん会いました。)開演少し前についたら、もう前列だけしか空いている席はありませんでした。こんなに前で見たことはなく、首が疲れました・・・。

    ストーリーは、公式サイトに譲るとして、ルーシィ(ジョージィ・ヘンリー)がかわいらしかった。ナルニア国への扉を開く、無垢な心の持ち主。好奇心いっぱい、誰でも信じてしまう。今の世の中だと「ルーシィちゃん、あぶないよ」ということになるけれど、その純真さはフォーンのタムナスさんを動かし、自分の危険を顧みず、白い魔女から逃がしてくれる。とっても重要な役なのですが、適役だと思いました。

    あとの3人の主役の子供達も素敵でした。

    長男ピーター(ウィリアム・モーズリー)は、生粋のイギリス人美少年ですね。「ナルニアのために、アスランのために!」と、馬上で剣を振り上げ.金髪をたなびかせる姿はとてもかっこよかった!

    長女スーザン(アンナ・ポプルウェル)もまさに、そばかすの似合うイギリス人少女。知的な良家の子女という感じがぴったり。

    次男エドマンド(スキャンダ-・ケインズ)は、屈折した役柄を良く演じていたのでは。チャールズ・ダーウィンの末裔だそうです。

     『誰もが見たかった、誰もが見たことがなかった世界へ』というキャッチフレーズ通り、5年前ではこの物語の映画化は無理だったようです。CG、特殊効果の技術の進歩により、実現した『本物の』ファンタジーの世界。

    いろいろなクリーチャ-も動きや、特殊メークが自然に見えるし、正と悪の戦いの場面では、あの戦士達の大群を空から俯瞰するところなど圧倒されます。

    特にアスランは、圧巻でした。悪の心をもったものには畏怖の存在。子供達、ナルニア国のものたちにとっては、頼もしく親しみのある存在。CGと思ってはいても、とてもリアルでふさふさとした鬣(たてがみ)をさわってみたいくらい。スーザンやルーシーとの絡みも違和感無く、自然でした。

    魔法、冒険、わくわくするファンタジーに加え、裏切り、犠牲、友情、勇気、信頼、兄弟の絆、子供たちの成長など描かれていて、子どもから大人まで楽しめる映画だと思いました。

    なかなか良かったです。(娘達と一緒だったので、吹き替え版でしたが、字幕版も観てみたいですね。)

    それにしてもエドマンドが、皆を裏切るくらいおいしい「Turkish Delight」とは、どんなお菓子なのでしょうか。

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    2006年2月20日 (月)

    博士の愛した数式

    仕事が休みの平日の午前中、貸し切り状態で、映画を見てきました。

    オープニングの音楽は、この作品に抱いていたイメージとは違って、重いというか大仰というか(加古隆って、こういう音楽なの?)「あれ?」と、首を傾げてしまいましたが、博士役の寺尾聰と家政婦役の深津絵里は、まさに適役でした。原作のイメージにぴったりのキャストだと思いました。(寺尾聰は原作の設定より若いかもしれませんが。)好みです。

    また、映像はやっぱりいいですね。背景となる自然がとても美しくなごむのですが、文章にすると何行にもなるところが、一目瞭然でわかる。多分信州の景色のようだけれど、綺麗だなあと感動できるわけです。
    そして、未亡人の美意識や、博士に来訪者がないことなども、博士の家の食器棚の中に、おそらく未亡人が設えたであろうロイヤルコペンハーゲンのティーセットが最少限並んでいるショットで、表現できる。
    ほかにも、ルート(家政婦の息子)の野球の試合の整列で、背番号が『√』というのは一目見ただけで、可笑しいし、チームメイトの背番号が、往年の阪神の選手の背番号というのも、阪神ファンなら、にやっとしてしまうのでしょうね。

    数学の話は、活字で見ている分には、わからなかったら何度も読み返せるからいいけれど、映画だと分からないまま通り過ぎてしまわないかなと、懸念がありましたが、ルートが、成長して数学の先生になって、博士との思い出を語りながら数学の授業をするという設定で、わかりやすくなっていました。フリップを使って説明していて、よくまとまっていました。こんな数学の授業なら受けてみたいと思わせるほどでした。

    成長した ルートは吉岡秀隆が演じていますが、吉岡君は小泉堯史監督のお気に入りなのかもしれませんね。調べてみると、これまでの小泉監督作品「雨あがる」「阿弥陀堂だより」にも出ているし、黒澤明監督の「八月の狂詩曲」「まあだだよ」にも助監督と出演者という関係で一緒に仕事をしています。(それを言えば、寺尾聰も「八月の・・」以外は同じく出演していますけれど・・・。)

    映画は原作よりエピソードがコンパクトです。そのため、博士が学生時代野球の選手だった、という設定が必要だったのでしょう。ルートのけがや、野球観戦も、博士へのプレゼントの件もみんな、ルートの野球チームの練習や、試合に関する事でまとまってしまいます。
    (私としては、原作のプロ野球観戦で、博士が、一番かわいい売り子からしか買わなかったというのが面白かったし、博士へのプレゼントで、江夏のプレミアムカードを探すというエピソードも好きなのですが・・・。また、博士は野球の「数字」にはびっくりするほど詳しいし、よく覚えているのに、常識的なことを何も知らず、ルートにいちいち聞いていたという件も、数字が唯一の友達だった博士らしいエピソードだと思っていましたが。)

    一番の違いは、未亡人(義姉)と博士の関係を明らさまにしたことと、薪能がでてくるところでしょうか。私は、それとなく親密な関係があったことをにおわすという原作の表現の方が、直接的でない分、よりロマンティックで好みでした。

    ただ、浅丘ルリ子扮する未亡人が、記憶力を失う前の博士からの、2人の間の子を失った悲しみの手紙を、憂いを含んだ眼差しで読み返している時、紙面に

              e =-1

    というオイラーの公式が書き記されていました。この「-1」は、2人の間に宿りながらも生まれ得なかった子どものことを表しているのかも知れないと思いました。もしそうだとしたら、この原作にはない新しい解釈で、”博士の愛した数式”であるオイラーの等式

              e + 1 = 0    

    が、ただ純粋に美しく奇跡的な数字の関係を表している、というだけではなく、博士、家政婦、ルート、未亡人の関係をもあらわすものとして理解できる気がします。「マイナス」の関係ではなくて、「0に抱き留められる」関係だということで。

    「能」はよくわかりません。
    『江口』という演目で、西行法師と歌を詠み交わした遊女、江口の君の幽霊が、旅の僧の回向で普賢菩薩に変じて、西方浄土へ消え去るというあらすじなのだそうですが・・・。

    この世に執着していた霊魂が、悟りを開いて菩薩になった?ということで、博士との「秘密」に執着していた未亡人が、心を開いて母屋との間の木戸を開けた?ということでしょうか?

    小泉監督は脚本も書いているので、聞いてみたいところです。

    監督は茶目っ気もあるようですね。
    ルートの誕生日が、原作と違う 「5月18日」になっていました。どうしてだろう、何か意味があるのかなと思っていましたが、ふと、寺尾聰のことを調べたら、なんと、彼の誕生日でした。

    また、サプライズも用意したようで・・・。
    私は気付きませんでした。薪能を見ている観客の一人に小川洋子さんがエキストラ出演している事を。「能って何いってるんだかわからないな」とか博士が未亡人の手を握るシーンを見て、「『永遠に愛するN』と認識して握っているんだろうか」とか余分な事を考えていたので、見逃してしまいました。残念!

    ハリウッド映画のような華やかさはありませんし、ハンカチがなくては見られないというような映画でもありませんが、エンディング・ロールを見終わったときに、目尻が濡れているのに気付きました。暖かい気持ちになれる映画です。

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    2005年12月31日 (土)

    生きているということ

    昨夜、3年B組金八先生スペシャルがあった。

    “ドラッグ”という重いテーマを取り上げている。

    少年院を終え、更生の道を歩みだす、しゅう。旧3Bの仲間はしゅうのことを信じ、しゅうのための卒業式を計画する。

    しかし、しゅうは、自分のしてしまった罪の重さを抱え、また、ドラッグからの完全な離脱にまだ自信が持てないため、皆に会えないでいる。

    ドラッグを完全に断ち切るのは難しいという。成功するのは10人のうちたった3人とか。それでも、金八先生は、しゅうの立ち直りを信じる。

    そんな中、新聞販売店の寮で、寝起きを共にする、更生仲間の先輩が、心の拠りどころとしていた彼女の結婚という衝撃的事実に耐えられず、またドラッグに手を染めてしまう。急性中毒で瀕死の先輩を目の当たりにして、現場から逃げ出すしゅう。

    ドラッグが簡単に手に入ってしまう事の恐ろしさ、孤独に対する人間の脆さ、弱さをつくづくと感じた。

    3Bの教室にうずくまっていたしゅう。探しに来た金八先生に「皆に迷惑をかけた僕なんかいない方がいい」と言うしゅう。ここで、この考えにとらわれてしまい抜け出せなければ、耐える強さがなければ、またドラッグに走る事になってしまうだろう。

    金八先生は言う。「過去は変えられるんだ。今が変われば。」

    君が変わった事は皆が信じている。だから、過去の事はこだわらなくていいんだよ。という救いの言葉。

    そこへ旧3Bの仲間がかけつける。皆で、谷川俊太郎の「生きる」を暗誦する。

    生きているということ

    いま生きているということ

    それはのどがかわくということ

    木漏れ日がまぶしいということ

    ふっと或るメロディを思い出すということ

    くしゃみをすること


    あなたと手をつなぐこと



    生きているということ

    いま生きているということ

    それはミニスカート

    それはプラネタリウム

    それはヨハン・シュトラウス

    それはピカソ

    それはアルプス

    すべての美しいものに出会うということ

    そして
    かくされた悪を注意深くこばむこと



    生きているということ

    いま生きているということ

    泣けるということ

    笑えるということ

    怒れるということ

    自由ということ



    生きているということ

    いま生きているということ


    いま遠くで犬が吠えるということ

    いま地球が廻っているということ

    いまどこかで兵士が傷つくということ

    いまぶらんこがゆれているということ


    いまいまがすぎてゆくこと



    生きているということ

    いま生きてるということ

    鳥ははばたくということ

    海はとどろくということ

    かたつむりははうということ



    人は愛するということ



    あなたの手のぬくみ

    いのちということ

    生きていることのすばらしさを一緒に実感しよう。陰に悪が潜んでいるかもしれないから気をつけて避けながら。命の大切さを共にぬくもりとして感じながら。

    互いに支えあいながら生きていこう、君は一人じゃないよ、僕達が一緒にいる。

    みんなのメッセージはしゅうに伝わった。

    ドラッグによる幻覚幻聴は人間として「生きる」ことを奪うものだ。ドラッグによって「いのち」を失う事もある。ドラッグに手を出してしまいそうになる若者に対しても伝わって欲しいメッセージである。

    これはドラマだから、理想的な仲間が存在するのだが、現実社会においても提言として通用するのではないだろうか。弱くて、一人では折れてしまう心も、支えがあれば立ち直る事ができるという・・・。

    生きているということ
    変われるということ
    あきらめないということ

    生きているということ
    自分が一人ではないと信じること
    誰かのために自分ができる事があると信じること

    見終わってからそんな事を考えていた。

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    2005年12月28日 (水)

    SMAP×SMAP

    SMAP×SMAPの4時間半スペシャルを見た。
    今まで放送されたものを、また見る事ができた。

    育児で大変だった頃、見ていたシーンを懐かしい思いで見た。1歳4ヶ月を過ぎてもなかなか断乳できず、まだ、授乳をしていた頃からのものだった。

    手のかかる赤ちゃんで、なかなか寝付いてくれないし、寝たと思ったらすぐにおきてしまうような子だったので、自分の時間がなかなか取れず、ましてや落ち着いてTVドラマなどを見るような事ができないでいた。

    ところが、同じ時期に始まった「ロングバケーション」だけは、どういうわけか毎回見る事ができて、それまで「キムタクなんて」と思っていたのに、はまってしまった。山口智子が良かったからかもしれない。セナの子守唄が良かったからなのかもしれない。

    とにかく、木村拓哉を見るためにSMAP×SMAPも見るようになった。05-12-26_23-20

    夜更かしのうちの赤ちゃんも、SMAP×SMAPが好きだった。

    キムタクが好きだった。キムタクが出ると機嫌がいい。2語文がしゃべれるようになると「キムタク、き」と言う。「ママ、き。パパ、き。」と言っていたので、「き」とは、赤ちゃん用語で「好き」ということなんだろう。

    かくして、母娘はそろって、毎週SMAP×SMAPを見ていた。

    私のお気に入りはビストロSMAP。だんだんプロはだしになっていく料理の腕前。はじめは本当に本人達がしているのかと疑っていたが、実際本人達がまじめに取り組んでいるので、たいしたものだと思うようになった。

    コントもいろいろ挑戦していて、5人のエンターテイナーぶりが発揮されていた。

    歌も、素敵なゲストを招いてのセッションがいい。

    自分達の新曲披露。娘は「青い稲妻」や「SHAKE」がお気に入り。特に「SHAKE」が好きで、危なげなく歩けるようになった2歳過ぎからは、「SHAKE」の曲に合わせて、グルグルグルグル回って踊っていた。

    スマスマは、育児疲れを癒してくれるオアシスのようなものだった。

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    2005年9月18日 (日)

    女王の教室

    土曜夜9時からのドラマで、昨夜が最終回だった。

    娘と一緒に、「和美ちゃんかわいそう」「先生、そこまで言うか・・」「恵里花ってひどい」などと言いながら、1回から11回まですべて見た。はまってしまったのだ。

    初回、和美がテスト中、トイレに行きたくなったが、許してもらえない。助け舟を出した進藤さんまで罰を受けることになる。

    「トイレを我慢させて膀胱炎にでもなったらどうするのか!」「友達を助けて罰せられるなんて理不尽な!」と憤慨したが、阿久津真矢という先生の『いい加減目覚めなさい』『イメージできる?』のきめ台詞のあとのメッセージにうなずけるところもあったり、エンディングで、にこりともしない真矢から一転、天海祐希の素の顔になってにこやかにダンスを踊っているシーンに、これからの展開に救いがあるかもしれないという期待をして、見続けたのだった。

    抗議ををしにきた親達が、真矢との対談後、手のひらを返すように真矢を誉め始めたことに不満顔の子供達に向かって、・・・・・・・『親なんて所詮、成績が上がってくれればいいの.面倒を起こさなければいいの.担任が自分のことを気にかけてくれるって分かればいいの。要するに自分さえよければいいの。』

    クラスの一人の財布がなくなってその犯人探しを徹底的にすると宣言した際・・・・・・・『このままうやむやになったら、犯人はドンドンつけあがって同じような罪を犯すに決まっています。自主性とか、自由とか言って、大人が放っておいたら、子どもは自由と非常識を混同するようになるだけです。悪いことが何なのかわからない人間になるだけです。』

    和美へのクラスのいじめがあると同僚から指摘された時 ・・・・・・・『いじめをやめなさいと言って止めますか?子どもが?大事なのは、いじめに立ち向かう精神力をつけることです。いじめに対処する知恵を持つことです。』

    人間は弱い動物だからまたすぐに裏切られるかも』

    自分の人生くらい自分で責任を持ちなさい。』

    『あなたはまだ未成年。ご両親の反対を押し切って自分がやりたいことをやる気なら、家を出て自立するか、ご両親を説得して理解してもらうしかないの。』

    教師が揺らいでどうするんですか』『先生だって教師になった頃は誰にも負けない理想や情熱があったじゃないんですか』

    「どうして勉強するんですか?」との質問に・・・・・・・『いい加減目覚めなさい。勉強はしなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。これから知らないものや理解できないものにたくさん出会います。その時、もっと知りたい勉強したいと自然に思うから人間なんです。自分達の生きているこの世界を知ろうとしなくて、何が出来るというんですか?』

    「先生は何でそんなに厳しいんですか?何で私達をいじめるようなことばっかりするんですか?」との問いに・・・・・・・ 『イメージできる?ひどいことは世の中にいくらでもあるの。いじめは永遠に存在するの。なぜなら人間は弱いものをいじめるのに喜びを見出す動物だから・・。大事なのは自分達がそういう目にあった時、耐える力や、解決方法を身に付けておくことなんです。・・』

    子供達が「先生が辞めさせられたらどうしたらよいのか不安です。」 と言った時に・・・・・・・『いい加減目覚めなさい。人生に不安があるのは当たり前です。分からないものをわかったような顔をして、無理して納得する必要はないんです。ちゃんと今を見つめなさい。全身で感じなさい。12歳の今しかできないことを一生懸命やりなさい。今しかできないことは一杯あるんです。・・』

    子供達は変わっていく。

    自分の置かれている状況から逃げなくなる。

    先生の言うなりか、先生に反抗するかだったのに、先生から逃げなくなる。

    親に対しても逃げなくなる。自分の悪いところを認めた上で、親に一生懸命自分の気持ちをわかってもらおうとする。

    バラバラだった子供達がクラスで一致団結し、自分達で考えて、しっかりしようと行動し始める。

    子供達は成長していく中で、予想以上の奇跡を起こします。

    教育は軌跡を起こせるから教師を続けているのだという真矢。

    その姿勢は揺らぎがない。首尾一貫して罰を与えること、自分が壁となって子供達の前に立ちはだかること、そのスタイルを崩さない。

    その奥には、事細かに子供達のことを調べ、見守る、時には身を挺して、自分が傷ついてでも子供達を危険から守る、そんな強い覚悟が隠されていたのだ。

    だから子供達も真矢のことを慕うようになっていったのだろう。

    厳しくする根底には愛がなければならない。

    「アロハ」には「ハロー」「グッバイ」のほかに「アイ・ラブ・ユー」の意味があったなんて初めて知ったのだが、「先生アロハ!」とかけ去る和美に、最後の最後でとびっきりの笑顔を見せた真矢。この物語を感動的なものとした。

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