書籍・雑誌

2009年12月31日 (木)

世界天文年2009 最終日

2009年は、ガリレオ=ガリレイが、自作の望遠鏡で天体観測を始め、初めて月表面に凹凸があることを明らかにしてから400年。世界天文年として、いろいろなイベント、キャンペーンが開催されていました。

そのなかで「めざせ1000万人!みんなで星を見よう!」は、月や星を、肉眼でも望遠鏡でも見たら、Webで報告するもので、締め切りが2010年1月10日です。

「めざせ・・・」をクリックすると、サイトにとびますので、是非ふるって報告して下さい。2009年中に見たものなら、さかのぼって報告OKとのことです。

報告すると、証明書をダウンロードできます

また、2010年は、金星観測から400年ということで、金星に探査機「あかつき」が打ち上げられますが、「あかつき」に対するメッセージも1月10日までインターネットで受け付けています。こちらも、応募してみて下さい。

あなたのメッセージが、アルミプレートに印字されて「あかつき」に取り付けられ、金星周回軌道に投入されるそうです。

私は、エッセイ募集の時に、締め切り30分前から書き出して、凄い不出来だと思いますが、なんとか、結びの言葉まで書いて、送信。と、同時に締め切りの時間  もっと、書きたいことはあったけれど、仕方ありません。読み返していたら、できの悪さに、送信できなかったと思いますが、送ってしまえば、気にしないことにしましょう。

私の恥ずかしいエッセイも金星に行くんです。

さて、天文年ということで、2009年は宇宙に関する本を多少読みました。

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私には、物理学的な頭脳はないので、なかなか理解に難しいところもありましたが、知らないことを知るのは、楽しいことでもあります。

無限だと思っていた宇宙の年齢が137億年ということが明らかになったのは、WMAP(宇宙背景放射観測衛星)の成果ですが、望遠鏡の精度も高くなり、今は、128億年ものかなたの星の光をとらえることが可能になりました。

その望遠鏡、ハワイのマウナケア山頂のすばる望遠鏡ですが、2009年は、すばる望遠鏡のファーストライトから、ちょうど10年でした。

すばる望遠鏡についての本があります。

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他国の領土に大規模望遠鏡を建設するというプロジェクトは、直径8m超の1枚鏡を作るという技術的な苦労はもちろんのこと、政治的、予算的にも、困難だったので、着想から、ファーストライトにこぎつけるまで、20年かかっています。

国立天文台の小平桂氏の、情熱と意志がなければできなかったでしょう。
(今だったら、民主党の”仕分け”にひっかかっていたかも・・・。)

すばる望遠鏡の規模とか性能を読むと、わくわくするし、「夢」の実現に尽力する話なので、特に若い人には読んでほしいと思われる本です。

現在は、数カ国で協力して、直径30mの主鏡を持つ巨大望遠鏡を作る計画があります。

科学に国境はありません。是非このプロジェクトを成功させて、宇宙の謎をまたあきらかにさせてもらいたいと、世界天文年2009最後の日に思ったのでした。

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2009年12月29日 (火)

容疑者Xの献身

東野圭吾のミステリー小説。
『探偵ガリレオ』『予知夢』に続く「探偵ガリレオ」シリーズ第3弾、初の長編として発表され、「本格」論争もあったが、2006年本格ミステリー大賞、第134回直木賞を受賞した作品。

昨年秋に映画化されて公開、本日TVで初放映された。

映画に先行して、『ガリレオ』が2007年秋に月9のTVドラマとして放映されたが、主演が福山雅治だったことから見始めて(ミーハーなので)、その軽妙なおもしろさにはまった。

おかげで、小説の方もすべて読み、『容疑者X』だけ読んだ夫と映画も観に行っていた。

娘も、学校の図書で小説の方は読んでいたそうで、今日は親子3人水入らずで、TVに見入った。

さて、『容疑者X』では、意表をついた結末が衝撃的だったが、「容疑者」石神の本当に「献身的」な無償の愛に胸をうたれた。映画では石神を演じた堤真一が良かった。この映画の主役は彼だというのが、3人の共通した意見。

福山演じる湯川は、友情と真実を明らかにすることとの狭間で苦悩する。真実を明らかにしたところで、誰も幸せにはなれないことはわかっているからだ。

それでも、人の命を奪うことは許されることではない。正義感と、真実を追求する科学者としての心が、松雪泰子演じる花岡靖子にすべてを告げる。松雪泰子も適役。

重いテーマだからか、TVドラマ『ガリレオ』では、軽いノリで湯川と丁々発止して、いいキャラクターだった柴咲コウ演じる内海刑事も、この映画では多少違和感がある。

北村一輝は、「景勝様」なので、今回は少しひいきしてみていた・・・。

天才数学者vs天才物理学者の頭脳戦というキャッチコピーがあったように思うが、四色問題をはじめとする数学の難問のことや、数学者と物理学者の違いとかが興味深かった。作者が数学の得意な理系出身だから、ちりばめられたモチーフともいえる。

『容疑者Xの献身』は、ミステリーというカテゴリーになっているが、謎解きのミステリーと言うより、人間ドラマという印象を強く感じた。

ガリレオシリーズは、後、短編『ガリレオの苦悩』と長編『聖女の救済』も読んだが、これをきっかけに、東野圭吾のほかの作品『放課後』『流星の絆』『手紙』なども読んで、にわかファンになっているところである。

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2009年2月22日 (日)

ミス・ポター

Miss_potter  ピーターラビットのお話で有名な、ビアトリクス・ポターの半生を、つづったDVD。

フレデリック・ウォーン社の末の息子で、出版担当となるノーマン・ウォーンとの 出会い、ともに絵本を作って 出版していく中で友情から愛が生まれ、婚約。その彼の突然の悲報。
ビアトリクスは失意の中から立ち上がり、創作に没頭して 自立して行く。ということが中軸をなしているが、ヴィクトリア朝時代の裕福な家庭の様子や、スコットランド、湖水地方、ヒルトップ農場などの自然の美しさが映されていて良かった。

ビアトリクスの子供時代は学校には行かず、家庭教師に勉強を習い、さまざまなペットを飼って名前をつけてかわいがり、スケッチに余念がなかったという。
晩年のビアトリクスは、自然保護に力を尽くした。開発の波から、美しい自然を守るために、私財を投げうって土地を買い、それをナショナルトラストに寄付した。ただ、絵本作家とばかり思っていたのでこの一面を知ったことは収穫だった。

もう100年以上も前に出版された絵本が今も私たちを魅了してやまないのは、彼女の小動物や自然に対する深い愛情、洞察のたまものだろう。

そこで、はたと思いだした。

娘が生まれた時、読んであげようと、ピーターラビットのお話ほか、小さな絵本を取り寄せていたのだった。でも、英語版だったので、早々に挫折したのであった。

うさぎのピーターやベンジャミンバニー、あひるのジマイマ、かえるのジェレミー・フィッシャーどん、こねこのトム、リスのナトキン、などなど、1冊は紛失していたが、11冊出てきた。

これから、老後の楽しみに、再チャレンジしようかと思ったところである。

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The Tale of Peter Rabbit
The Tale of Squirrel Nurtkin
The tailor of Gloucester
The Tale of  Bennjamin Bunny
The Tale of Two Bad Mice
The Tale of Mrs.Tiggy-Winkle
The Tale of Mr.Jeremy Fisher
The Tale of Tom Kitten
The Tale of Jemima Puddle-duck
The Tale of The Flopsy Bunnies
The Tale of Mrs. Tittlemouse
The Tale of Timmy Tiptoes

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2006年12月31日 (日)

「玉砕総指揮官」の絵手紙

硫黄島で総指揮官として戦史に残る戦いをして、玉砕した栗林忠道の、息子や娘、妻に宛てた書簡集である。

昭和3年3月~昭和5年4月、軍事研究のためアメリカに留学していた陸軍大尉(当時)栗林忠道が、3歳(~5歳)の幼い息子、太郎に宛てた47点の絵手紙すべてと、代百九師団師団長・陸軍中将として硫黄島に着任した昭和19年6月~昭和20年2月までの間に家族に宛てた41通の手紙のうち、末娘たか子に宛てた7通すべてと、妻の義井と子ども達に宛てた2通、そして最後の警急電報と、訣別の電文が収録されている。

ざっと読み通しただけだが、彼の家族へのこまやかな愛情が手にとるように伝わってくる。

画才もたいしたものだし、ユーモアあふれる文面は、ほほえましい。とても筆まめだったことがわかる。

夫、父親としての栗林忠道の姿が浮き彫りにされてくるが、軍人としても、同じようにこまやかな心遣いで、部下に接していたという。今、梯久美子著『散るぞ悲しき』も読んでいるところである。

『「玉砕総指揮官」の絵手紙』は、「硫黄島」2部作を撮ったクリント・イーストウッドが、栗林忠道の文献をリサーチしていた時に出会い、この中の手紙によって、映画のインスピレーションを得たということである。

映画『硫黄島からの手紙』は、また後に記事にしてみたい。

                                                                                                                                             

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2006年10月22日 (日)

人は見た目が9割

「人を外見で判断してはいけません」と教えられて育ったものにとって、「えっ」という題名の新潮新書。

「やっぱり、化粧も大事なんだよ。」と、以前メイクアップ講座を開いた教養委員長が、貸してくれた。(というか、返さなくてもいいというのでもらってしまった。)

著者は『さいふうめい』のペンネームで劇作、マンガ原作をしたり、舞台の演出や俳優教育をしている竹内一郎。この著書では、言語以外の要素が情報を多く伝達するということを、著者の原作者・演出家としての観点、経験からいろいろな例を挙げて述べられている。

言語以外の伝達のことを心理学では、「ノンバーバル・コミュニケーション」というのだそうだが、アメリカの心理学者が実験で、人が他人から受け取る情報の割合を調べたところ、
   〇顔の表情・・・55%
   〇声の質(高低)、大きさ、テンポ・・・38%
   〇話す言葉の内容・・・7%
だったそうだ。

日本でも「目は口ほどにものを言い」という言葉があるが、コミュニケーションの主役は、表情、声のトーン、身振り手振り(仕草)、身だしなみ、色、匂い、距離等々などの「見た目」が、9割であるといって過言ではないという。

よくマルチ商法や、新興宗教で、弁舌巧みなのを信じてしまって・・ということがあるが、よく観察すれば、その人のインチキ臭さは、顔や風体に如実に現れているはずで、(言葉より、見栄えの方が、その人の本質を表していると考えられるので)騙されないように、人を見る目を養うことが、大切。

「ノンバーバル・コミュニケーション」には2種類あって、欧米のように「相手にわからせ、自分を通す」ために、よりわからせようと身振り手振りを多用するものと、日本のように「秘すれば花」、「お互いに語らずに、察する」ものとが、それぞれの文化の違いによって生じたのだという。

「見た目」にしては、かなり多岐にわたるテーマを上げていて、主題が絞れない感もあったが、要は、いかに自己を表現できて、豊かな人生を送れるかということではないか、と思った。

これでいいかな?教養委員長さん。

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2006年5月28日 (日)

そらまめ PartⅡ

~パソコンの調子がおかしかったのですが、ようやく記事の更新ができるようになりました。~

「そらまめ」で、子どもの頃読んだお話を思い出しました。

どんな題名だったか、どの童話の中の話だったのか、記憶がないのですが、(赤木かん子さんに聞けばわかるかもしれない・・・)かいつまんで言うと、次のようなあらすじです。

 『 とある農家の台所。茹でられる寸前に転げ落ちたそらまめと、くべられる寸前に逃げ出した一本のわらしべ、燃え尽きる前に暖炉から飛び出した炭が出会い、意気投合して旅にでる事になりました。

途中、川が行く手を遮っているところにさしかかり、どうやって渡るか3人で相談の末、わらしべが橋になって、その上を皆が渡るということになりました。

用心深いそらまめは最後に渡る事にして、最初は炭が渡りました。

川の真中まで差し掛かったときです。

まだ炭には残り火があったのでしょう。その火がわらしべに燃え移り、わらしべは燃え上がり二つに体を折り曲げて川の中に沈んで行きます。上に乗っている炭もジュジュ―ッという音を立てながら川の中へ。

それを見ていたそらまめは、なんだか可笑しくなって、笑い出します。

炭の立てるジュジュ―ッ、ジュジュ―ッと言う音がそらまめのツボにはまったのでしょうか、そらまめは笑いが止まらなくなって笑い転げると、とうとう口が裂けて中身が飛び出してしまいました。

そこへ運良く親切な人が通りかかり、そらまめを元に戻して、裂けた口を縫い合わせてくれました。

その時に親切な人の使った糸が黒糸だったので、今でもそらまめの口は黒いのです。』

というようなお話なのですが、 千葉から送られたそらまめ豆は060524_0902_1 写真のように薄緑色をしています。

これも新鮮な証でしょうか。

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2006年4月19日 (水)

はないぬ

060413_2244_4 郷土の作家(実は身内)の応援です。

4月10日に新刊がでました。「はないぬ」というかわいい絵本です。

『Happy in my Heart』

しあわせはいつでも心の中にあるんです。人任せにしないで、自分のしあわせは自分で思い描こう。今ある自分を受け入れ、自分を信じ、感謝してしあわせの花を咲かせよう。

一人一人の心が花で満たされると、世界中が明るくなるんです。

はないぬの「Happy」ちゃんは、みんなが心の扉を開けるのを待ってます。

ほのぼのとして明るい絵本です。「Happy」がcuteなので、癒されます。

本職は造形作家さんなので、立体のHappyも創ったようです。ご本人も自画自賛されてますが、本当にかわいいと思います。

奥様が装丁をしています。

そう、このご夫妻は二人三脚で創作活動をしています。ちょうど10年前に出版した「森呼吸」(「しんこきゅう」と読みます。)がその原点でしょう。

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私の好きな本です。

日本海をさまよった流木がオブジェとして新しい命を吹き込まれ、森に帰ってきました。

夫君がオブジェを制作し、絵心のある細君がキャンバスの代わりにカメラで自然の中のオブジェを表現しました。

オブジェ自体も素敵なのだけれど、撮影した写真には夫君の作品に対する奥様の愛があふれていると思います。森の中のオブジェは何倍も輝いているんです。

見ていると、pureな気持ちになれる本です。

おすすめします。

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2006年2月 9日 (木)

―美しい数学―(つづき)

小川洋子・・・『博士の愛した数式』の作者である。映画を見るか、それとも先に原作を読むかどちらにしようかと、文庫本を買ってあったのだが、まだ、プラ袋から出してもいなかったことを思い出した。

この偶然。これは読まないわけにはいかないと、2冊を並行して読んだ。

小川洋子が『博士の愛した数式』を書いたきっかけは、藤原正彦がNHK教育TVの人間講座で『天才の栄光と挫折』というテーマで話しているのを見て、インスピレーションがわき、数学者を主人公にした小説を書こうと思い立ったことらしい。

藤原先生の研究室に小説の取材に行った小川さんは、先生が、まるで詩を朗読するか音楽を奏でるかするように数学の美について語る様子に打たれ、数学に心酔するようになる。そして小説家としてのイマジネーションをふくらませながら、文学と数学を大胆にして、緻密にそして重厚に、見事に融合して見せたのだ。

『世にも美しい数学入門』で、知識を仕入れてから、『博士の愛した数式』を読むと、言葉の中にキーとなる数字を巧みに散りばめていることに拍手喝采を送りたくなる。

交通事故による損傷で、80分しか記憶がもたない数学者の老博士と新しい家政婦、家政婦の10歳の息子の3人を数学と野球で結びつけた。

フェルマー、デカルト、パガニーニが1組ずつ、オイラーが62組見つけたという「友愛数」。友愛数=自分自身を除いた約数の和がお互いに相手の数となるもの。
これを命名した数学者は詩人だが、小川洋子は最初にこの「友愛数」から大きなインスピレーションを受けたという。

一番小さな友愛数である220と284を家政婦の誕生日2月20日と博士の腕時計の文字盤の裏側に刻まれた、学長賞No.284という数字に配した。二人の「特別である」関係が示される。

息子は野球が好きでタイガースのファン。博士も同じく野球の「数字」にくわしい。そして江夏豊の大ファンである。江夏のタイガース時代の背番号は28。

ここで、28は自分自身を除いた約数の和が自分自身になるという「完全数」であることを発見した小川洋子は、これでこの小説が完成するという確信を得たそうだ。

暗く重くなりそうな物語を数学と野球、数学と文学を融合させる事によって、昇華させ、ユーモアと、慈愛に満ちたロマンティックな作品に仕上げた。心暖まる、読後感が爽やかな作品だ。

さて、「特別な関係」は特別な数字で表せるのだろうか。

たとえば、私の家族3人。

夫と私の誕生日  :  3月25日と9月25日(半年ちがいの同じ日)・・25
夫と私と娘の誕生日 : 西暦の4つの数字を一つずつ足した和が同じ・・23(素数)
私と娘の誕生日  :  誕生月、誕生日をそのまま足した和が同じ・・34(素数)

大学時代の学籍番号  
  私 : 414(よいよ)
  夫 : 417(よいな)

入籍日  4月14日

電話番号 〇〇〇―〇7〇4  (特に指定したわけではない)

2代前の車のナンバー  4747 (特に指定したわけではない)

4と7に魅入られているようだが、4と7はどんな関係なのだろうか?
4はただの偶数、7は素数
4の約数は1・2・4。全部足すと7になるけれど・・・。

4と7,7と4・・・あっ、掛けると28!完全数だった。

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2006年2月 8日 (水)

―美しい数学―

「数学」には苦手意識があった。

大学受験で一番勉強(=いやだけれど仕方なく、我慢して)したのが、数学だ。母の友達の息子さん(数学の得意な大学生)が、帰省するとその期間だけ、家庭教師に来てもらったり、 リタイアした元数学教師(もう、おじいちゃん)が自宅で開いている塾に行ったりした記憶がある。

唯一楽しかった思い出は、高1の3学期、隣のクラスと合同で数学の授業があり、席が近かった男の子から、「数学の教科書、どっちが先に進めるか競争しよう」と言われ、その時だけは「勉強」ではなく、喜んで予習したことだけだ。もっとも、高2になってクラスが同じになったら、私の方が息切れして、しりつぼみになってしまったが。

たくさん時間をかけたはずなのに、覚えているものが少ない。微分積分はどうやるんだっけ。サイン、コサイン、タンジェントは?行列は?・・・・・・

『世にも美しい数学入門』はそんな私の数学に対する苦手意識をどうでもいいこととし、数学に対する認識を新たにしてくれた。

数学には誰が作ったわけではないが、宇宙がうまれたときから存在する永遠の真理がある事を知った。いかなる高等宇宙人とも共有できる美しい真理。
美しい定理の発見は感動的である。

それから、伝統や文化の違いによって、発見するものが異なるということを知った。
たとえば、ゼロは無を受け入れられる東洋哲学の土壌のあるインド人により発見され、マイナスは中国人が発見、微分積分はヨーロッパ。
物理学と数学を結びつけたのは、「神様が作った宇宙は美しい秩序があり、それは数学の言葉で書かれているに違いない」という偏見を持っていたニュートンであるということ。キリスト教の地だから、可能だった。

1・2・・・8・9・10・・などの算用数字はアラビア数字といっているが、ゼロを使って記数法を発見したインドから、アラビアを通ってヨーロッパに渡ったからそう呼ばれるようになったにすぎず、本来なら「インド数字」と呼ばれるべきものであることを知った。

350年かけて証明されたフェルマーの定理だが、この影には日本人の研究が大きな役割を果たしていたことを知った。、日本も独創的な数学者を多く輩出した国だったのだ。

また、「数学」は「実用にすぐ役立たないから素晴らしい」「利益をもたらさないところが美しい」「美意識が一番必要な」「神様の隠した秩序を見つける」ものだという言葉が印象的だった。

受験から離れた数学は面白いのではないかと思った。

もちろん、難しい理論を理解できる頭脳は持ち合わせていないが、数学の天才といわれる人たちでも,分からない事はたくさんあったと考えれば、気が楽になり、「数学は難しいから嫌いだ」と、食わず嫌いになる事もないだろう。自分の分かる範囲で、楽しみ、感動すればよいのだ。

本当は最新刊の『世にも美しい日本語入門』を薦めてくれる人があって、書店に探しに行ったのだが、あいにく置いてなくて、代わりにこの『世にも美しい数学入門』があったのだった。藤原正彦/小川洋子 共著。    (つづく)

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