心と体

2009年3月 2日 (月)

involvement Forum 2009

昨日、上越教育大学で、メインテーマが、 「~発達障害者支援の今後~ ライフステージ支援の在り方を探る」と題したNPO法人りとるらいふ主催のフォーラムが開かれた。

私は、新潟県はまぐみ小児療育センターの東條恵先生の基調講演が聴きたいので出かけて行った。

ずいぶん前に、新潟大学小児歯科より紹介された患者さんが来院したとき、はまぐみに通院しているとのことだったので、東條先生にお問い合わせをしたことがあり、今回、直に先生の講演を聴けるということで楽しみにしていたのだ。

「発達障害に必要な理解と支援と環境と」と題して行われた講演は、発達障害の中の自閉症スペクトラムのうち、特に知的障害のない、高機能広範性発達障害(アスペルガー症候群)を中心にしたものだったが、むずかしいところもわかりやすく、飄々と、時折ユーモアを交えながらお話された。

彼らは、情報処理(入力・分析・出力)に不具合がある。特に「心の理論(人の心を読む、共感する、他者の目を持つ)」ということが不調なため、自らの感覚・感情・論理に従うしかなく、自己中心的な思考と行動をすることになる。

入力では、フィルタの不調で、情報過多となりパニックを起こす。サバイバルのために、シャットダウンをする。日本語があたかも外国語のように聞こえる。写真的記憶は得意だが、人の表情が読めない。味覚、皮膚感覚、嗅覚に好き嫌いがはっきりしている。

分析はall or nothing。好きか嫌いか。

出力は、分かっている範囲で律義に。語学力、会話力に問題があるため、戸惑い不安の強い外国人的立場に立たされているかのようである。

社会適応のためには、

異文化交流としてとらえるとよい。
互いに認識し合うこと。
本人に不足している語学、行動様式、規則、文化を学習させる。

本人と、社会・世間を双方向に結ぶコンタクトパーソンが重要で、コンタクトパーソン的支援は、ライフステージを通じて断絶することなく受けられることが必要。

環境調整により、安定化をはかる。
不安解消グッズサバイバルキットやグッズ(お守りなど)を身につけ、不安解消スペース(サバイバルスペース、グッズ )を確保。

批判・叱責の対象ではなく、不安や戸惑いの強い立場に立たされているから、支援・援助対象であるという視点の切り替えが必要。

などが、かいつまんでいうとあげられる。

なるほどと思うことも多く、有意義な講演だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年7月10日 (日)

リブランの森で

050710_14201  今日は、娘と娘の友達と一緒に、妙高高原の「妙高リブランの森」で、「自然学校ねぎぼうず」の方達が主催して行っている『森の教室』に参加してきました♪

 (娘達は6月に、学校の自然体験学習で、すでにこの森にはお世話になっている。)

 参加者は、新参者の5年生2人と常連さんの4人、4年生の男の子、3年生と2年生の女の子、1年生の男の子の計6人、それに指導者Fさん(本職は 木こりさん)の4歳の娘さん。みごとに「縦割り班」になっていて、上の子は下の子の面倒を見たり、古参者が新参者に教えたり、危ない場所にいる人には皆で声を掛け合ったり、遊びを通して、自然に皆がそんないい関係になっていく。

 基本的には何をしても自由。ここには、他の人にけがをさせるようなこと以外「〇〇してはいけない」ということは無い。自分の好きなことができる。火熾し、木登り、ターザンロープ、ブランコ、昆虫探し、桑の実食べ・・・etc。Fさんがロープと木切れで魔法のように遊具を作ってくれる。結構ぎりぎりの安全を見極め、子供たちが好きなことができるように見守っている指導者たち。

 自由奔放にやりたいことをしていた4年生のY君。少し乱暴?のようなところもあるけれど、1年生のK君や4歳のTちゃんの面倒を良くみていたY君だが、実はお母さんによると、「チック症」があったとのこと。「〇〇してはいけない」としつけていたせいかも・・とのことであるが、ここでは、家ではしてはいけない「火付け」もでき、「してはいけない」としばられることもないため、この頃症状は出なくなってきたのだそうだ。きっと森の中で自分の居場所を見つけることができて、心のバランスもとれてきたのだろう。

 木登り上手で世話好きなAちゃんは3年生。日ごろは家でもここでもお姉ちゃんとしての役割を果たしているそうだが、今日は5年生のお姉ちゃんたちがいて、自分が『お姉ちゃん』にならなくてもいいので、うれしそう。でも、時折見せる指しゃぶりが活発そうでいてナイーブな彼女をあらわしているようだった。家では小さな子達がいて、甘えられないのかな。この子もここでの活動が必要なんだろう。 「私、心臓に穴があいてるところがあるんだけど、だんだんふさがるって言われてるの。でも、いっぱい走ると苦しい。」と言っていた彼女には、自分のペースでできるところがいい。

 森の中の地面はふかふかして気持ちよかった。お日様がギラギラ照りつける海辺で育った私には、そよぐ風とともにさしこむ木漏れ日がやさしかった。桑の実をもいで食べた。恥ずかしながら、初めての体験。森の恵みをわけてもらった。子ども達が「解散くん」と名付けた遊びをした。表面がすべすべした木の幹に黒く円状に集まっている小さな虫。円の中心をつつくとパァーっと本当に蜘蛛の子を散らすように「解散」する。

 落ち葉の重なる地面に、きんばえや、クロシデムシが群がっている場所があった。Fさんいわく、「この下には死体があるぞ。」 皆、「死体」と言う言葉にギョッとしたが、1年生のK君が棒で突付いて出てきたのは、半分以上食われたミミズの死骸だった。ついでに、近くで交尾をしていたシデムシのカップルを突付いて、引き離してしまった。「あーァ、あ」「これでシデムシの子供が減った・・」と言う私たち大人に対して、Aちゃんか、2年生のMちゃんが、「こんな気持ち悪い虫いなくても・・」とつぶやく。「でもな、こいつらがいなかったらミミズの死骸ばっかり増えちゃうぞ」とFさん。皆、わかったかな、自然界には『いなくてもいいもの、必要じゃないもの』なんて一つも無いんだよ。私たち人間だって同じなんだよ。そんなことを思っていた。

 オトシブミが作ったらしい、葉っぱのゆりかごも初めて見た。私にとって森は期待通り、発見の宝庫だった。子供のときにできなかった経験を今させてもらっているという感じ。少し引っ込み思案だった娘も活発に活動できていた。楽しんでいた。帰り際にターザンロープで失敗して木に頭をぶつけると言うアクシデントもあったが、失敗も教訓の一つ。今度から、自分で予測して動けるようになればいい。頭をぶつけて、もう懲りたかと聞いたら、「そんなに柔じゃない。」との答えが返ってきた。逞しくなったものだと驚いた。

 また、森にはお世話になりに行こうと思っている。Fさん、Oさん、それからMさん、よろしくお願いいたします。

| | コメント (4) | トラックバック (1)