写真は、「長崎さるく」より転載
14年ぶり3度目の長崎だった。
いずれも学会がらみだが、今までは「学会は二の次で、観光第一」だったので、、平和公園、原爆資料館、グラバー園は2度ほど行ったことがある。
思案橋、眼鏡橋、中華街、崇福寺、は、長崎の友人に案内してもらい、卓袱料理、皿うどんなども食べた。
夫と一緒のときは、おなかの中の娘と共に、大浦天主堂で写真を撮り、浦上天主堂は見学し、オランダ坂、オルゴール館に行き、ハウステンボスにも行った。チャンポン麺も食べた。
で、今回の学会は、フルに聴講し、観光はついでにという感じだったので、少し気になっていた、シーボルト宅跡地・シーボルト記念館と、『出島』に行ってみることにしたのだった。
シーボルト記念館は、シーボルト宅跡地横に平成元年に開館した、オランダのシーボルト旧宅をイメージしたレンガ造りの洋館で、なかなかおしゃれな外観。ちょうど季節的に『ハイドランゲア・オタクサ』が咲いていて、シーボルトと、おタキさんの愛が偲ばれた。
今までの私のシーボルトに関する知識としては、
・幕末期の日本に西洋の近代医学を伝え、鳴滝塾で門弟を育てた。
・西洋に日本のことを広く紹介した。
・紫陽花を、自分が愛する女性おタキさんの名で「オタクサ」と呼んだ。
・おタキさんとの間に娘のイネが生まれた。
・イネは、日本で初めての女医となった。(国家試験制度後の最初の女医は荻野吟子。)
・幕府に目をつけられて、強制的に帰国させられた。
ということだったが、新たに以下のことがわかった。
・バイエルン王国のヴュルツブルクの著名な学者の家系に生まれたドイツ人だった。
・鎖国をしていた日本はオランダが唯一の交易国だったが、オランダ領東インド陸軍外科少佐に任命されていたので、シーボルトはオランダ人でなくても、出島蘭館医として長崎に来れた。
・出島の商館員達は、出島から出られなかったが、シーボルトは長崎奉行所の特別許可を得て、出島の外に鳴滝塾を開設できた。
・オランダ使節団とともに江戸参府に同行できたので、さらに日本の資料収集が可能になった。
・シーボルト事件で国外追放になるまで、わずか6年の日本の生活で、別れるときは娘のイネはまだ、2才。一番かわいい時で、どんなに辛かったことか、推察された。(出島蘭館医としての任期(5年)もあるが、「国外追放」となってしまうと再来日は絶望的だと思われるから。)
・帰国してからのシーボルトは精力的に日本の研究発表をするが、ずっと結婚はしなかった。ようやく二回り年下のドイツの貴族令嬢と結婚したのは、16年後だった。(ずっと、別れた二人のことは心の中から離れなかったのだろう。)
・追放を解かれて、30年後に長男と共に再渡来を果たす。タキやイネ、門弟たちと再会ができた。(30年後に再会できたのには、感動した。)
・長男も次男も、日本の公使館や在日の公使館で働き、日本との外交において活躍した。
・西洋医学の女性産科医となったイネは、宮内省御用掛りになって、明治天皇の若宮が誕生するときに、出産に立ち会っている。
なるほど・・・。
シーボルトは、やはり日本にはなくてはならない人だったんだなということと、彼がいかに日本を(日本人妻や娘を)愛し、日本のために貢献したかがよくわかった。
『出島』は、1636年江戸幕府が、ポルトガル人収容のためにく築いた、約15000平方メートルの人工の島。
鎖国により、一時無人の島になったが、1641年、平戸のオランダ商館が移転し、それ以来1859年までの218年間、西洋に開かれたわが国唯一の窓口となった。
社会の教科書には、長崎湾に浮かぶ扇型の島として絵図が掲載されているため、私は学生時代から、まだ「島」があるものと思っていた。
実際は、明治以降出島周辺は埋め立てが進み、1904年に完成した第2期港湾改良工事によって、『出島』は、その原形を失い。市街地の中に埋もれてしまったのだ。(写真赤枠)
しかし、出島の日本の近代化に果たした役割は大きいことから、国の史跡に指定されたり、長崎市でも、復元整備事業を興し、現在、短中期復元整備計画で、平成18年までに10棟の建物が史跡内に完成し、一般公開されている。
これを見に行った。
小学生がたくさん訪れて、校外学習をしていた。
蔵や、カピタン部屋、乙名部屋などをざっと見て回る。
商館員達はこの島に幽閉されたような生活を送っていたらしい。
再現された食卓などは、豪華な食器に多くのごちそうがテーブルに並び、貿易による富からもたらされるものとはいえ、食事の時間が非常に楽しみであったのではないかと思われた。
右の写真は、縮尺模型。
この後、長期復元整備計画で、この模型のように四方に水面を確保し、19世紀初頭の扇型の島の完全復元を目指すらしいが、これは、川、道路、市街地など大幅な改造が必要となるため、相当長い時間がかかるだろうといわれている。
今、まさに復元現在進行形の『出島』であった。
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