日記・コラム・つぶやき

2009年10月15日 (木)

万華鏡Ⅱ

万華鏡というと、筒型の本体を回して景色の変化を楽しむことが多いのですが、本体ではなく、先の方に取り付けてあるガラスチューブを左右にスライドしながらまわすという、特異な形の万華鏡が、今はライティングデスクの上でほこりをかぶっているのを思い出しました。Dsc00623

娘が小学校1年生くらいの時に購入したもので、今までの思っていた万華鏡と違って斬新で、また、動かして覗いたときに、とてもきれいだったので、二人でひどく気に入ってしまったものでした。

埃で視野が暗くなって、見る影もないくらいだったのですが、念入りに掃除をしたら、また復活しました。

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万華鏡の世界の一部をデジカメで撮影してみました。

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本当に”万華”鏡とは、よく言ったものです。

光と鏡のなせる業ですね。

この万華鏡は、一瞬で様変わりしますが、オイルが注入してあるタイプのものは、ゆっくり優雅に幻想的に模様が変わり、またいいものです。

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2009年10月13日 (火)

万華鏡と花ロード

万華鏡は1816年にイギリスの物理学者ディビット・ブリュースターによって偶然発明されたそうで、彼によって、”kaleidoscope”と名付けられたとのこと。

日本へは、磁器貿易を通じて有田ともなじみの深かったオランダ商人の手でもたらされ、その3年後には大阪で国産万華鏡が作られ、一大ブームが起こったと伝えられているそうです。

2003年には、日本万華鏡作家の第一人者山見浩司氏の監修の元、世界で初めての磁器製万華鏡=有田焼万華鏡が作られました。

今回、そのペンダント型のものを手に入れたので、楽しんでいるところです。

Ca380307 テレイドタイプ(先端がレンズになっている)なので、見る景色がレンズを通して、筒内の鏡に反射して模様を作ります。
アクセサリーとして首からかけて、その時々、移り変わるまわりの景色を万華鏡に反映して楽しめます。

たとえば、テーブルの上に置いたポテトチップの袋と、パン屋さんのピンクの袋で、このようなものが見えます。

廻りがごちゃごちゃしていた方、レンズがいろいろな色を拾うのできれいです。(我が家は適している)

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(このピンクのタオルが、本当は六弁の花びらのように見えたのだけれど、写真では、なかなかとらえられなくて、あきらめました。)

高田花ロードでも今年の作品に万華鏡がありました。

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2009年9月24日 (木)

立山博物館

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家族旅行2日目の22日は、まず、立山博物館へ。

映画『剱岳』にも出てきた、修験者の錫杖頭が展示されていました。平安初頭に造られたと考えられていて、重要文化財でした。

立山曼陀羅も見ました。古代の立山信仰がうかがえます。この博物館が建っている、芦峅寺には、33も宿坊が立ち並び、全国からの参詣者で賑わい、登拝案内などをCa380301行っていたといいます。

お昼は富山のすし栄で。

うちの家族は、新しい店の開拓より、気に入ったところにリピートするというくせがあります。

お店はリニューアルしていて、「おまかせ」メニューの内容の方も若干変わって(巻物がなくなって)量が軽めになっていましたが、やはりみんなおいしくて、満足しました。

お腹がいっぱいになったところで、娘の希望だった金沢の香林坊へ。

渋谷の109と同じシンボリックな建物のKorinbo109は、若者で賑わっていました。

おばさんは場違いだと思ったのですが、気にせず、娘の買い物に付き合いました。「勉強するから!」という娘の甘い言葉に、つい財布の紐を緩めてしまいました。
かわいくて、似合うものがあったからでもあるのですが、母親としては自分のことのように熱心になってしまうものなのかと改めて気付きました。

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2009年8月15日 (土)

お盆休み

12日からお盆休みで、家族3人、実家のある鴨川に行っていました。

鴨川グランドタワーで、リゾートライフを楽しんだところです。

PCのない生活でした。(携帯からブログを投稿したつもりだったのだけれど、システムjが変わったのか、反映されませんでした。)

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広いコンドミニアムタイプのお部屋で、ベッドルームが2つありました。

姪も一緒に泊まって、娘は楽しいひと時を過ごしたようです。

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最初の日の夕食は、母が、『天杵』を予約しておいてくれたので、おいしい魚貝を堪能できました。

鮪、鯛、わかし、こち、鰯、鮑、サザエ、小柱などの刺身と、鯵のたたき、海老、穴子、鱚の天ぷら塩ゆでした、しったかなどなど・・・。

今年は海流がおかしくて、鰹が獲れず、食べられなかったのが残念でした。

館山の『竹寿司』では、鯛、ひらめ、めじな、いさき、わかし、かんぱち、鯵、、ウニ・イカ・サンマ・金目鯛・トロの炙りなどなど、おいしいおすしも満喫してきました。

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2009年5月30日 (土)

充実した日

一週間のうち、唯一土曜日が、「仕事をした」と充足感を味わえる日だ。

「土曜日しか来れない」という患者さんのなんと多いことか。

5月は、運動会シーズンで、月曜日が代休になることが多く、最近は月曜日も仕事をした。

皆、学校・幼稚園は休ませたくないのだ。また、連れて来る保護者の仕事の休みが土曜日という都合も関係している・・・。

さて、今日の診療は、矯正の診断から始まったのだが、分析した資料を基に、どう説明しようかと昨日から考えていた通りに調子良く話せて、お母さんと子供本人の理解も得たのに気分を良くし、ハイテンション。

そのままずっと最後までハイテンションな気分が持続して、弁舌滑らかに、すべての患者さんとコミュニケーションをはかれたと自画自賛。

夜のビールが美味しかった。

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2009年5月29日 (金)

今週の出来事

ふと気付けば、もう金曜日。

昨夜から、未明にかけて、腹痛で苦しみ(私だけ、もったいないからと前の日の残り物を食べて当たったせいか・・・。冷蔵庫に入れておいたものをチンしたのだが・・・。)、ブログどころではなかったが、今週に入ってからずっと更新してなかったので、それでは、6日分まとめて書いておこうかと、重い腰を上げた。

24日(日)

夫はゴルフ、娘は部活。
私は映画館。

「天使と悪魔」を観てきた。「ダ・ヴィンチ・コード」の時は、小説を読んでから観に行ったが、今回は、読んでなかった。少し原作と違うらしい。

宗教VS科学ということだが、ヴァチカンの宗教色が濃い。

フィクションと思ってみれば「反物質」のこともスルーできるけれど、一度見ただけではよくわからない部分も多かった。
ただ、ローマは、いたるところに歴史的建造物があってすごいものだという印象が強く残った。映画で教会巡りをした感じ。

展開がスピーディーで、いたるところに、「わっ!」とか「はっ!」と言うところあり、あっという間にどんでん返しのラストまで観せられた。

25日(月)

あの北朝鮮が、2006年以来2度目の地下核実験を行った!

また、短距離地対空ミサイル3発も発射したらしい。

まったく、言語道断の国だ。

我が国は、このことを事前に知る術もなく情けない。北朝鮮は、韓国・米国には実験直前に通報しているようなのだが、両国から日本への情報がなかったという。

26日(火)

「レッドクリフ」のPartⅠをビデオで観る。

金城武は好きだったのだが、これは、トニー・レオンがいい。

三国志は、小学校の時児童向けのものを読んだきりなので、また、読んでみたくなった。

ウォーキングを一緒にしている友達も、「レッドクリフ」「トニー・レオン」がいいと、意見が一致したので、来週のレディスデイに、今上映しているPartⅡを観に行こうということになった。

PartⅠは、あくまで序章。
あの終わり方はずるい。絶対PartⅡの本編が観たくなる。

来週が、待ち遠しい。

27日(水)

キリンカップサッカー。

チリ相手に、4-0で快勝!すごくいい攻めだった。

ウォーキング後、何となくTVをつけて、チャンネルを変えたらやっていた「アイシテル」。
初めて見たのだが、 殺人を犯した少年と、その母親の関係ということがわかる。加害者の両親の葛藤、被害者家族の葛藤等が描かれ、重いテーマだなと思ったが、最後まで見てしまった。次回はどうなるか興味がある。

28日(木)

午前中は、保育園の歯科検診に出務。

久しぶりにうちにいた夫と、昼は「チーパー麺」を食べに出かける。

ジャスコで特別招待会あり、ポイント5倍、20%、などの言葉につられ、買い物に。

夜は、北海道からゆうパックで取り寄せたウニ(知床・羅臼産だったか)で、ウニ丼。毎年取り寄せるが、今年は特に美味しかった。

そのほかに、2~3つまむものがあって、その中の一つが、犯人として濃厚なのだが(他の人は食べなかったから)、食当たりを起こしてしまった模様。

あんなに長い間、トイレの中で苦しんだのは初めて。

29日(金)

朝は、寝不足もあり、まだふらふらしていた。娘を送り出してから、横になっていたら、夫が先に行くと言って出掛けたことまで覚えているが、その後熟睡してしまったようだ。診療室からの電話で目覚める。

飛び起きて、診療室に向かう。寝る前に服用した整腸剤が効いたのか、だんだん平常に戻る。(ただ、診療室に着いた時はまだ、真っ青な顔をしていたらしい。)

ウォーキングも休まずに行けた。

友達も、今日は少し具合が悪かったとのこと。

この頃、免疫が落ちているし、体力がなくなっているし、年をとったせいかしらねと言い合う。

まだ若い気でいたのにね・・・。

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2009年5月22日 (金)

無罪放免

新型インフル感染者が300人以上の神戸・大阪から帰って来て今日で7日。

無事元気に過ぎようとしている。

途中、喉が痛くなった日もあり、ひやっとしたが、毎朝の検温では、発熱の兆候もなく、7日間の「拘留期間」を経て、「無罪放免」となった。

一緒に行動を共にした先生とも連絡をとったが、彼女も、無事1週間が過ぎたことを感謝していた。

まだ、毎日新しい感染者が新しい地域で発生していて、予断を許さないが、各自が、しっかり自分のするべきことをして、予防・感染拡大防止・治療に努め、収束に向かっていけたらと思う。

海外から日本への旅行キャンセルが相次ぐなど、経済的にも打撃を受けることは必至であるが、なるべく早く事態が改善するよう願うばかりである。

さて、「無罪」という言葉を使ったが、昨日から裁判員制度が始まった。

『裁判の進め方やその内容に国民の視点,感覚が反映されていくことになる結果,裁判全体に対する国民の理解が深まり,司法が,より身近なものとして信頼も一層高まることを期待』して、この制度を施行することとなったとのことだが、もし、私がその立場になったら、果たして冷静に責務を果たせるか、疑問である。

裁判員がかかわる事件は、殺人事件、死亡事件などが多いから、どうしても、被害者遺族の心情に肩入れしてしまいそうである。

また、量刑も決めなくてはならず、傍観者の立場では、「こんなひどい奴、死刑だ」と簡単に言えるが、「死刑」という判決、執行に自らの責任の一端が科せられていると思うと、重い。

「死刑」ではなく、「終身刑」や「懲役100年」などの加算刑だと、判決を下すのに抵抗がないかもしれない。

そして、受刑者は税金でご飯を食べさせてもらうのではなく、自らの食いぶちは自らの手で賄えるような労働をする。・・・畑で作物を栽培したり、発電機を動かして電気を作ったり・・・。などということは、あり得ないことだろうか?

「有罪か無罪か」「懲役何年か」ということだけではなく、受刑者の刑罰、待遇等にも意見が言えればいいのにと思った次第である。

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2009年5月20日 (水)

母の旅行

「私に何かあっても大丈夫なように、お父さんが一人でやっていけるように予行演習!」

と言って、実家の母は、13日より、東欧5カ国の旅に出かけて行った。
なんども「予行演習」は聞いたような気がする。
本日帰国。

今回は、旧東ドイツ(ベルリン)、チェコ(プラハ)、スロバキア、ハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン)への旅だったらしい。

「ブダペストはすごく良かった。」「ベルリンの壁は155kmあったのが、今は1.5kmで、それも崩壊寸前のようだったけれど、遺跡として残すように修復中」「どこの国も、マスクをしている人はいなかったよ。」「成田での検疫は時間がかかった。成田に降りてからマスクした。」と語る母は、偏西風のおかげで10時間で着いたためか、まだ、興奮冷めやらぬせいか、長旅の疲れも見せず、元気な声だった。

2月に会った時には、「近くの整形外科では治らなかった」と、背骨が左に曲がり、股関節や膝の痛みに耐えて歩く姿は、何とも”老いた”わしや・・・といった風情だったのだが、その後、私がインターネットで調べて、通える範囲に、カイロプラクティックの治療院を見つけ、受診をすすめたところ、数回通って、骨盤の歪みをある程度治してもらったらしい。

少し調子良くなったところで、大きな総合病院の事務をしている、近所の親類から、評判だという整形外科の先生を紹介してもらい、リハビリ科にも通うようになったら、歩くたびにずきんずきんと、脳のてっぺんまで走るような痛みだったのが、そんなにひどくはなくなったとのこと。

これで、また、旅行に行こうという気が湧いてきたのだと思う。

このところ、旅の友は、元保育園園長で、市会議員も2期務めた89歳の女性。とても闊達な方のようだ。以前カンボジアに行った時も彼女のお誘いだったらしい。

老婆ペアは、周りの人たちから、いろいろ気を使ってもらい、居心地が良かったとのこと。

「旅行に行こう」という気力・体力があるうちが華だと思うので、自分より10歳以上年上の、良いお手本もいて、何よりである。

母は旅行に出る前、地元の農家に、そらまめと甘夏を、私のところに送るように手配していったが、おかげで、「着いたよ」と電話をかけるため、わずか1週間足らずのうちに2度も父の”安否確認”をするはめとなった。それを見越して手配していったとしたら、たいしたものである。

昨日の電話では、父は朝に朝・昼・晩三食分の味噌汁を作っていると言っていた。昆布と鰹節を「お母さんのようにケチらず」たっぷり入れるから、おいしいのだそうだ。「お母さんが作るより美味しいよ。」とのたまわったので、「じゃあ、今度、お母さんに作ってあげれば」と言っておいた。私も飲んでみたいものだ。

私が子供のときには、右のものを左にすることもなかった父が、変われば変わるものだと驚いたと同時に、母の作戦はひとまず成功しているようで、goodである。

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2009年5月16日 (土)

大阪の学会

Ca380224 14日、15日と大阪大学のコンベンションホールで行われた学会に出席してきた。

万博記念公園が近いことをいいことに、天気の良かった14日、連れの先生と、ちょっと寄り道をしてきた。

大阪万博の時、インパクトのあった太陽の塔が迎えてくれた。

人・人・人・・・人波にもまれて長時間並んでアメリカ館で月の石や、アポロ宇宙船などを見たことなどを思い出した。

当時小学生だった私はかなりカルチャーショックを覚えたと思う。

いろいろなパビリオンが建っていたところは、今は広大な公園として整備されている。

幼稚園から中学くらいまでの子供の遠足や、リタイアして時間の余裕のあるような方たちが大勢、憩いの時を過ごしていた。

私達は、ほんのわずかしか時間がなかったので、駆け足で、国立民族博物館や大阪民芸館の展示物を見たり、バラ園の中を通ったりした。
博物館のレストランでは、外のテラス席にすわり、松花堂弁当での早めのお昼にした。

日本庭園では、池を渡る涼風に、つかの間、癒された。

やっぱり、緑は目にいいと、つくづく思った。

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(午後はしっかり講演を聴きました。)

翌15日は、午前中で切り上げ、もう一人の先生の用がある神戸へ。

昼食は三ノ宮で。
JA兵庫直営のお店で、地場産で、産地にこだわりのある新鮮な野菜と、神戸牛を使ったせいろ蒸しをいただく。

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コースだったので、美肌酢(もしくはいちじく酒)、前菜2種、ご飯、香の物、味噌汁、デザート、食後の飲み物(コーヒー、紅茶、エスプレッソ、カプチーノ の中から1種類)と、お腹は大満足だった。

・・・と、楽しく帰って来てみれば、なんたることか、神戸でそして大阪で次々に新型インフルエンザに感染した高校生たちが出ているではないか!

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2009年5月 3日 (日)

結婚記念日

23年前の今日、東京サミットで皇居周辺が厳戒態勢になっている中、「私達のために警備をしてくれているみたい」との勘違い甚だしく、学士会館で結婚式をあげた。

以来、この日は結婚記念日として旅行をしようと決めていたが、3年前を最後に、娘の都合で、泊りがけの旅行ができなくなった。

部活のためである。お弁当づくりをしなくてはならない。

今年も娘の部活の日程は、今日までしか休みがない。

新型インフルエンザに対する警戒で、人ごみに出かけるのは控えるべきなのは重々承知だったが、娘も、今日しかない休みをどこか日常と離れた場所に行きたがっていた。

甘い両親である。

娘が行きたがった、軽井沢のアウトレットショップに行ってきた。

ものすごい人であった。

どんなにマスクをした人が多いかと思ったら、期待外れだった。皆、「新型インフルエンザ」など、どこ吹く風である。私も、折角持って行ったマスクを車の中に置き忘れる失態。

車のことだが、行きの高速道路は上りだったため、途中までさほど混まなかったが、運悪く、佐久ICと軽井沢・碓井ICの間で災害のため通行止めとなっていて、一般道に降りざるを得なかった。

このため、行き帰りとも、18号は大渋滞であった。(パパ、お疲れさま。)

さて、駐車場になかなかはいれないので、プリンスホテルに停めて、ランチはプリンスホテルで食べた。泊まり客を装って堂々としていたため、怪しまれなかったcoldsweats01

アウトレットショップでは、私はウォーキング用のパーカー上下、夫は、珍しくブランド物のスニーカー(70%OFFだったので買う気になった模様)、娘は、こまごまとした衣類やら雑貨やら、友達へのプレゼントやらをそれぞれ購入した。

結婚記念日だからと言って特別なものを買わないのが、我が家流。(ちなみに20周年の時には、私は自腹で、婚約指輪をPtネックレスにリフォームした。本日もつけていったが・・・。)

Ca380216_3 一通り廻ったら、もう3人とも疲れて、裏手にある芝生広場や、コテージの散策をして、緑を目に、癒されてきた。

ホテルの庭には、鯉のぼりも泳いでいた。

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帰りは、遅くなってしまい、夕飯は思っていたところでは食べられなかった。

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ようやく、10時まで開いているレストランに入って注文ができた。これが、私の今夜のディナーである。

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2009年4月22日 (水)

ガス暖房給湯機

「おかあさん!どうなってるの?!ちっともお湯が出ないよ!」

土曜日の夜、シャワーを浴びると言って風呂場に行った娘から、悲鳴のような非難の声が。

「えっ?」

朝まで、なんでもなかったのに・・・。

台所にあるメインスイッチを見ると、給湯燃焼の赤いランプが点いていない。

水道のコックを給湯側にして全開にしてみたが、うんともすんともいわない。

こんなことは初めてだ。

暖房と風呂の追い炊きができなくなったことは2度ほどあった。温水を循環させる方式なので、水抜きだとか、水をためることがうまくいかなくなっての故障だった。

修理を頼んで復旧するまでの間、ガス暖房ができなくても、エアコンがあるし、お風呂を沸かせなくても、浴槽に熱い湯を溜めることができ、温かいシャワーが出れば、事が足りていた。

しかし今回は、大元の温水が作れなくなってしまったので困ってしまった。シャワーも浴びれない。

暖かくはなったとはいえ、朝晩はまだ気温10℃台前半。水は冷たい。

この時期水で洗いものをすると辛いものがある。油ものは落ちが悪いし・・・。

日曜日の朝、「おかあさん、なんとかしておいてよね。」と言い残し娘は部活、夫は「今日は風呂入ってくるね。」とゴルフ場へ。

家に残された私は、前に来てくれた下請け業者に電話をかけたが、日曜日のためお休みだった。メーカーのサービスに連絡し、月曜日の朝に、業者から電話を入れてもらうことになった。

食事は極力油ものを少なく。お風呂は貰い風呂。

月曜日の朝、電話があった。もう土曜日のうちに予定が組まれているので、3時半しかあいていないとのこと。午前中なら、私がなんとかなったが、ちょうど午後3時過ぎからは夫も私も微妙に患者さんの予約が入っていて立ち会えない。でも、いっときも早く直して欲しくて、義母の協力を得ることに。

故障は、制御するコンピューター部分だった。

「4~5万円かかりますがよろしいですか?」

新しい部品に取り換えればたぶん大丈夫だと思うが、なにぶんにも古いので、100%直るかどうか保証はないとも言われたが、背に腹はかえられない。
もし全部新しく替えると、20~30円は軽くかかってしまうし、うまくいくことを願って、修理をしてもらうことにした。

運良く部品はすぐに在庫がみつかり、火曜日の午前中に来てもらえることになった。

蛇口をひねればお湯が出ることに慣れてしまった身にとっては、何とも不便な日々を過ごさざるを得なかった。

子どもの時は、不便なのがあたりまえだったのに・・・。

小学生の時、実家の母が、冬には、桶にお湯を張ってその中に食器をつけていたことを思い出した。

とても寒い日には、顔を洗うのに、祖母が、洗面器にやかんからお湯を注いでくれたことを思い出した。

家を新築するまでは、お風呂は銭湯に行っていた。

生まれた時から不便なことは知らず、水が冷たいとぶうぶう言っている娘に、お湯を沸かして、洗面器に入れてやった。洗顔石鹸の泡も、お湯を2回換えてあげるとすっかり落ちた。

火曜日。

復旧。

温かいお湯が出る幸せをかみしめているところである。

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2009年4月 1日 (水)

四月利口

「おかあさん、おかあさん。今日はエープリルフール、四月ばかの日だけど、四月利口の日っていうのもあるらしいよ。」

『え、ホント?いつだろう・・。』

あぶない、あぶない!
真面目な母は、うっかりだまされるところ。

「お上手お上手♪」

「えへへ」

今日は、吹奏楽部だけが部活があったそうだが、吹部の友達から、「今日は、あの人がいなくてかわいそうだね。」とからかわれて、「あ、そういえばさあ、あの人(その友達の片思いの人)さっきいたよ。」と、真顔で彼女に切り返したという娘。

友達は「え、うそ。どこに?」

「え、いつものとこ。」

「え~っ。体操着で?」

「うん、体操着でいたよ。」

「ひとりで?」

「そうひとりで。」

「えっ、なんで~?」

「知らんー。」

「へぇ~。」

「よかったね。」

「う・・ん」

・・・・・・・・・・・・「そういうことで。今日はエープリールフール!(笑)」

「あー、あ~。うまいね。」

と、一連のやり取りを面白がって話してくれた。

やるねぇ。

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2009年3月 9日 (月)

3月9日

今日は母の喜寿の誕生日。
離れているため、特に仰々しいお祝いはしていない。電話をかけたら「何もいらない。」というので、まあ、母の日にはいつもより、多めのプレゼントをするかなどと思っている。

「3月9日」と聞くと、レミオロメンのあの名曲を思う人も多いだろう。ドラマ「1リットルの涙」に、「粉雪」と共に挿入歌だった。(メンバーの共通の友人の結婚式が3月9日で、そのために書かれたとか・・。)いつ聴いてもいいなと思う。卒業式シーズンだ。

また、今日は、「ありがとうの日」だという。
さん・きゅうだからか。
いつも、感謝の気持ちは忘れないでいたいものだ。

ほかには、
 「ざっくのひ」「記念切手記念日」
 「バービーちゃんの誕生日」なんていうのもあった。

そして、新潟県では、県立高校の入学試験の日だった。
うちの娘もあと1年。早いものだ。
ここへきて、右肩下がりの成績に、少し心配になってきているこの頃である。

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2009年3月 3日 (火)

桃の節句

Dsc00554 夫の実家のお雛様。

義父の姉の時のものだそうで、90年近く前のアンティークである。

3人官女に5人囃子はポピュラーだが、右大臣左大臣もいる。

官職はわからない若者たち3人までいる。

お内裏様とお雛さま。今のお雛様とはお顔が違う。Dsc00556

Dsc00560 蒔絵のお道具はかわいらしい。

昔はここにもお供え物を盛ったとか。

今日の夕飯は、ちらしずしと蛤の味噌汁。前菜に、茹でたそらまめ、こごめのごまあえ。デザ-トにアップケーキも作った。

我が家のお雛様たちには、ミニちらしをお供えした。Ca380158_3

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2009年1月25日 (日)

雪国だったのだ・・・

1月24日(土)

「今年は、雪がなくて暖かでいいですね。」というのが、最近の挨拶だった。

大寒になっても、地面は黒いままで、昨夜のウォーキングの時は雨模様だった。

天気予報では、日本海側では「雪」だったので、友達と、「雨は、夜更け過ぎに雪へと変わるだろう、かね。」と言い合いながら別れたのだったが、一夜明けてみて、雪国の実力を再認識したのだった。

朝7時頃の様子。

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部活に行く娘を送って行った8時過ぎには、このような様子。

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1月25日(日)

昨日とは打って変わって良い天気。

高田に住んでからの方が、故郷の房総・鴨川に住んでいた年数より長くなったとはいえ、「冬の青空」は、脳細胞にインプットされているようで、青空を見るとほっとする。

今日の最低気温は-4℃くらいだったらしい。

しばらく、路面が「ガリガリくん」だった。

遊びの虫の娘は、この天気に、朝から出かける支度に余念なく、友達3人と、ジャスコに。

私はアッシーに使われる。

なんだかね~。

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2009年1月 6日 (火)

ものもらい

昨日より仕事始め。

右目が完全におかしく、抗菌点眼薬をさしているものの、使用期限が切れていたためか、効果がない。

仕事に差しさわりがあるので、眼科を受診することにした。

同じく仕事はじめの眼科は、朝から患者さんが目白押し。
とても診療時間まで間に合いそうもないので、午後に診てもらうことにして診察券を置いてきた。
ちょうど、眼科の午後の診察開始時間は、うちの診療開始時間より30分早いので、午後一番に診てもらえば、間に合うだろうという腹づもり。

すっぴん かつ、プチお岩さん状態で人前に出るのはなかなか恥ずかしいものだ。自然、姿勢がうつむき加減になっているのに気づく。

午後の診療時間の10分くらい前に行ったが、すでに10人弱の患者さんが待合室にいた。さすが、高額納税番付に載った眼科は繁盛している。

受付で診察券が出してあることを告げて、椅子に座っていると、まもなく看護師が問診にやってきた。それがすむと、皆、ルーティーンのように、先生の診察があるまでの間に、眼圧測定と、もう1台の測定器で、焦点の合い方か何かを調べ、人によっては、視力検査も行っていた。
先月の人間ドックで眼圧は調べたばかりなのに。まったく異常ないのに。私には不必要な検査だと思いながらも、拒否はできない。

開始時間を少し遅れて先生が診察室にやってきた。

薄暗くした部屋で、ライトと拡大鏡(カメラ付き?)をかざして、私に上・下、斜め左上・左下、斜め右上・右下を見るようにいいながら、私の目をのぞいて一言。

「ものもらいですね。」

「目薬と塗り薬を出しておきます。」

私が子供の頃よく行っていた眼医者は、眼瞼をひっくりかえしたり、薬をさして洗浄してくれたり、今考えると随分指先の荒れる仕事をしていたものなのだが、今の眼科医は、患者と非接触で手を汚すことなく診察しているのだ。

ものの、2~3分というところだろうか。
会計して、隣の調剤薬局で、薬をもらっても十分間に合う。

予定どおりに事が運び、ありがたかったが、

「2140円です。(=保険点数713点、つまり実際10割では7130円かかっている)」

と受付で言われた時、歯科での仕事の報酬と比べて、医科はなんと短時間で高点数があげられるのだろうかと、少し妬ましくなった。

医科だけではない。

調剤薬局で支払ったのは、3割負担で540円だったが、実際にかかる1810円のうち、当の薬剤料は670円であった。あとは、薬剤技術料やら、管理料などが1140円かかっているのだ。

う~ン、薬局もおいしい仕事だ。

今日も、不当に点数を削られて算定できなくなったラバーダムを、無報酬でしながら、歯科は・・とため息をつきたくなっていた。

ものもらいは、まだ私の眼を腫らしている。

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2009年1月 1日 (木)

初詣と、アースマラソン

Ca380106 皆さま。あけましておめでとうございます。

今年もマイペースでブログを更新していくつもりですので、よろしくお願いいたします。

まず、2009年最初の記事は、日記から。

近所に住む、娘と同級の息子さんを持つ友人のTさんご一家は、毎年二年参りをしている。

携帯メールで新年の挨拶をした時に、今年も行くのかと尋ねたら、御誘いのTELがかかってきた。

幸いに、空模様もひどくはなかったので、ご一緒させてもらうことにした。(娘は、友達とのメールで忙しく・・。)

まずは、Tさんのご実家へタクシーで向かう。

ご実家はお寺で、2人姉妹のお姉さんが後を継いで住職になっていらっしゃる。そこの鐘つき堂で、毎年鐘をつかせてもらうことになっているのだそうだ。

私も便乗させてもらう。

実は、私、鐘を突くのが大好きなのだ。

大学1年の時、奈良に行った折、訪れた寺院で、突いても良いと許された鐘は、すべて突いてきた。鐘を突いた時の響き、空気の揺れ、余韻が何ともいえず、心を無にすることができるので好きなのだ。

また、思いがけなく素敵な経験をさせてもらった。

住職のお姉さんと書いたが、彼女も私の友人。冒頭の写真の生花は、古流の師範である彼女が活けたもの。気に行ったので、写メを撮らせてもらった。

ずっと以前のブログで、宗教のことを書いた時、日本では女の人が嫁ぐと、その婚家の宗派に必然的になってしまうと書いたことがあったが、神棚もない、お寺のお嬢さんが、一般家庭に嫁ぐと、婚家で信奉する神社に、ご主人と初詣に行くようになるのである。

Tさんの実家を辞し、暗闇の、シャーベット状の道を、時折の雪をフードで防ぎながら歩いて行くと、目指す神社から雅楽の音色が流れてきた。照明もたかれ、ちょっとした賑わいだった。いつもはもっと人出があるそうだが、まあ並ばず、お祓いを受けることができて良かった。

帰り道、この夜だけは、午前3時まで店を開けている喫茶店に入ってストレートコーヒー(モカ・マタリ)を飲んだ。

これで、全行程終了とのこと。お邪魔虫の私は、コーヒーも御馳走になってしまった。

お礼を言って別れる。家に帰ってから、洗濯ものを干したりして、寝たのが3時半ごろだった。

元旦は、私の実家、千葉の鴨川では、ちょっとしたフィーバ-があった。

間寛平が、地球1周アースマラソンのため、太平洋横断の旅に、鴨川港から出港したのだ。

朝早く起きてTVをつけていた夫が、「鴨川が出たぞ」と大声を出したので、寝不足でボウっとしていたのだが、飛び起きた。

鴨川は雲一つない青空だった。

弟と甥が、2日前より鴨川に行っていて、今日は、寛平ちゃんの出港を見送るつもりとのことだった。

TVの映像では、非常に大勢のギャラリーが集まっていた。このどこかに弟達はいるはずだと思った。

家族の涙と励ましに見送られて寛平さんが出港してしばらくすると、実家から電話があった。

何でも、弟達は、朝の7時過ぎからスタンバイしていて、さすがに鴨川といえども、とても寒く、冷え切ってしまったという。堤防のところで見送ったとのことで、甥が写メールを送ってきた。(私の携帯ではすごく小さくてよくわからないくらいだったのだが、娘の携帯に赤外線送信をして加工してもらって、それをPCに取り込んでから、切り出しをしたらわかるようになった。)

Grl_0108

このヨットが寛平さんのエオラス号。赤く見えるのが、寛平さんであろう。

この大きいとは言えないヨットで、太平洋横断するのだから、大変だ。航海の無事を祈るばかりである。

(鴨川港を出港したが、この後、外海は冬型の荒天候で、波風がひどく、千倉の港に停泊したとのことであった。天候の回復次第、3日には出発する予定である旨、HPに書いてあった。)

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2008年12月 1日 (月)

師走

今年も、あれよあれよという間に駆け抜け、もう12月を迎えてしまった。

早すぎる。

家の中も、診療所の院長室の中も、しなければならないことが山積みのままだ。

毎年、師走のこの時期になると、同じ反省を繰り返す。

来年こそは。

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2008年11月30日 (日)

カクテルパーティー

NBA(日本バーテンダー協会)主催のカクテルパーティーがあった。

カクテルはちょっと苦手だったのだが、お付き合いでチケットを購入することになり、いつもの4人でひと足早い忘年会とすることにした。

披露宴会場を2~3つ分抜き放った広いホールには、満席の人達。

こんなに盛大な会だったのかと少し驚く。

14種のカクテルと、水割り、ソフトドリンク、ビールが飲み放題、オードブルやサンドイッチなど軽食が供され、生バンドの演奏付き。
カクテルは、それぞれのブースで、担当のバーテンダーがシェイカーをふるってそのつど作ってくれる。

本日の目玉は、来年の、トキめき新潟国体イメージカクテルの「トキめき」。

日本酒をベースに、ピーチリキュールとグレープフルーツジュース、ホワイトミント、仕上げにクランベリージュースを沈めたもの。グラスの底から光にかざしてみると、朱鷺色に輝く。見て美しく、飲んでおいしいカクテル。女性のバーテンダーが担当していたが、最後まで、長蛇の列だった。

そのほかに飲んだもの。

キール、謙信流・愛、玉響(たまゆら)、ジントニック、ブラッディメアリ、アレキサンダー、バラライカ、ブルーハワイ、ソルティードッグの代わりのジンライム、それにグラスホッパーをひと口。スプモーニ、マタドール、バージンブリーズは試せなかった。

酒豪の友人はなんと16杯も飲んだ!すごいな。これから、テストの採点をしなくっちゃと言っていた友達も、12~3杯はいったのでは・・・。

私はというと、お酒の次はデザートということではいったホテルのカフェで、途中から眠くなって会話に参加できない状態。

家に帰ったら、気持ちが悪くなるというていたらく。

弱いなぁ。

今度誘われたら、もっと体調を万全にしておかなければ・・・。

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2008年11月 3日 (月)

同級会

昨日・今日と大学の同級会で越後湯沢に行っていた。

卒業後25周年になる。

毎年クラス会を開いている学年もあるのに、私たちのクラスはなかなか集まりのないクラスで、卒後5年で集まった以後、今回で2回目。

40人のクラスで16人が参加した。

25年ぶりに再会した面々も多く、髪の毛の色、薄さに年月を感じた。

前回は、みんな子育ての真っ最中で、4人の女性のうち、まだ子供のなかった私だけが出席したが、今回は3人の出席。あとの1人は、去年だったら大丈夫だったのに、今年は母親の介護があって来れないとのこと。だんだんそういう年齢になってきたかと身につまされる。

みんなの近況報告では、「老眼」が始まって目が見えなくなってきた人が大多数だったので、なんだぁ、同じなのかと安心する。また、女性同士の話の中から、皆、記憶力も衰退してきていることが判明。同病相哀れむ。

後継者問題では、基本的には子供の意思を尊重して、好きな道に進ませるとは言いつつも、跡継ぎになってくれないことに一抹の寂しさも隠せない人、約半数。うちも、娘が歯医者はいやだと言っているので・・・。運良く歯学部に進んでくれる子達も、国立には行ってくれないので困ったものだと言い合っていた。

コンビニの数よりも多い歯科医院の数。患者さんが減っているのが共通の悩みだが、地域差、個人差もあって、まだまだ、忙しく働いている人もいて、うらやましい限り。

ともあれ、6年間一緒に過ごしてきた仲間なので、時間の隔たりが一瞬にしてなくなり、学生時代に戻ったように尽きせぬ話ができるのが不思議だった。

幹事は、あまりお酒を飲まないであろう女性陣に(えぇ、実際にあまり飲みませんでした)、参加費をペイバックしてくれたり、ケーキの差し入れをしてくれたり、気を使ってくれた。労をねぎらいたい。

次の幹事を決め、オリンピックのように4年後の開催を約束して、お開きとなった。

同級会は、やはりいいものだと思った。

追記

夫と車で出かけたのだが、行き帰りの途中、今までまだ行ったことがなかったところに、少しだけ足を延ばしてきた。

昨日は、松之山の美人林。広大なブナの森だ。

Dsc00524

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今日はトミオカホワイト美術館。作品の大きさ、「白」に圧倒される。
原画を見ることで、質感、技法などにふれることができて良かった。

写真は、八海山のふもとにあるトミオカホワイト美術館の周りの景色。

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2008年9月14日 (日)

マーチングフェスティバル7th

今日は、夫もマーチング初見体験。

ゴルフgolfの予定がないというので、チケット2枚買っていたら、一緒に来ました。
(7月の具合の悪かった時にチケット先行販売していたため、一般販売開始したその日に行っても、2人で並べるS席は、はじの方しか残ってなかったのですが、まあいいかと・・・。)

だいぶお気に召したようですgood

わたしもはまっているのよね。娘が出ているせいもあるかもしれませんが。

また来年も、楽しみにしてますnote

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2008年8月14日 (木)

娘の休日 Ⅱ

盂蘭盆会が8月13日からの当地では、昨日はお盆の入り。

例年の如く、家族でお墓参りに行った。(今年は千葉のお墓参りには行けなくて残念だったが・・・。)

さて娘は、折角のお休みが、お墓参りだけで終わってしまうのではと、危惧していたが、娘思いの夫が、長岡に近頃できたAPITAに連れて行ってくれるという。
買い物ができると、ご機嫌の娘。

新潟県立近代美術館や、ハイブ長岡、長岡赤十字病院などがあるところと、大まかに聞いていたので、夫が何やらナビに設定して出かけた。

何回かハイブ長岡や、近代美術館に来たことがあったので、この交差点を右折だろうと思っていたら、ナビは、長岡大橋を渡れと指示してきている。私は「えっ?」と思ったが、車線変更はすでにできず、仕方なくナビに従うことに。

結局、橋を渡って小路をぐるっとまわり、Uターンさせられた。そして、近代美術館横の道を入るようにとの指示。まったく遠まわりをさせられてしまった。ガソリン代が高いのに!

夫にどこを目的地に設定したかを聞いたら、近代美術館だった・・・。それにしても、ハイブ長岡の方から回っていけるのに、融通の利かないナビだ。

その近代美術館では、マチスとルオー展をしていた。後ろ髪をひかれながら通り過ぎる。
見たかったな。

娘はかねてから、バッグを欲しがっていたが、ようやく、気に入ったものを見つけた。多少予算オーバーだが仕方ない。娘は「お母さんも使えるよ」とのたまう。
予定外のベルトも手に入れてルンルン♪。こちらは、散財sad

束の間の休日も終わって、また今日からは、お弁当持ちの部活に出かけた娘である。

私のお弁当づくりもまた始まった。

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2008年8月13日 (水)

娘の休日

17日にマーチングコンテストを控えた娘は、12・13日の2日しか、お盆休みがない。

2日で、私の実家の鴨川まで行って帰ってくるのは疲れに行って来るようなものなので、今年は、仕方なく里帰りを取りやめた。

それでも、やはりどこかには行きたい娘に、夫が家庭サービスをしてくれた。

昨日、娘は小学校の合唱部のOGとして、県大会に出場する後輩たちに対して、友達と一緒に午前中に差し入れを持って行った。
その後のお出かけとなったので、初めは、富山とか魚津とか言っていた夫も、この時間からだと妙高くらいしか行けないと判断し、赤倉観光ホテルでランチはどうかと提案してきたので、娘も私も一も二もなく賛成して出かけた。

普通、ランチは2:00pmまでのところが多いので、まだ大丈夫と思っていたところ、残念ながら、1:30pmまでだった。

ランチは食べられないが、ケーキや、軽食はOKとのことで、とりあえず小腹を満たそうということになった。(赤倉観光ホテルのケーキはおいしいので。)

ケーキの種類は少なかったが、アップルパイにブルーベリータルト、チョコレートムースなどを注文。少しお腹がへっていたので、サンドイッチも追加した。

ハムとレタス・トマトとキュウリのオーソドックスなミックスサンドだったが、野菜が新鮮でおいしかったこと、マヨネーズとパン、具材のバランスが良かったこと、ハムが、いつもスーパーで買っているものより格段に味が良かったことなどで、普段はあまりハムサンドが好きではない娘から、「このサンドイッチ美味しい!」という言葉が飛び出した。

ランチは食べられなかったが、十分に満足。

テラスから外に出ると、わさび畑への遊歩道があるとの看板。歩いて6分とのことなので、行ってみようということになった。

Pa0_0041 Pa0_0042                       

湧水があって、触ると冷たい。娘は小さい時のように、サンダルを脱いで足を浸した。

木のベンチが置いてあって、座って、眼下の景色を眺めていると、渡る風がひんやりと心地よい。

さすが、高原。

避暑気分を味わった。

夜は、焼き肉屋に行って、私も炊事の休日。

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2008年7月 7日 (月)

施福多(しいぼると)と出島

  Dsc00453_2  写真は、「長崎さるく」より転載

14年ぶり3度目の長崎だった。

いずれも学会がらみだが、今までは「学会は二の次で、観光第一」だったので、、平和公園、原爆資料館、グラバー園は2度ほど行ったことがある。

思案橋、眼鏡橋、中華街、崇福寺、は、長崎の友人に案内してもらい、卓袱料理、皿うどんなども食べた。

夫と一緒のときは、おなかの中の娘と共に、大浦天主堂で写真を撮り、浦上天主堂は見学し、オランダ坂、オルゴール館に行き、ハウステンボスにも行った。チャンポン麺も食べた。

で、今回の学会は、フルに聴講し、観光はついでにという感じだったので、少し気になっていた、シーボルト宅跡地・シーボルト記念館と、『出島』に行ってみることにしたのだった。

シーボルト記念館は、シーボルト宅跡地横に平成元年に開館した、オランダのシーボルト旧宅をイメージしたレンガ造りの洋館で、なかなかおしゃれな外観。ちょうど季節的に『ハイドランゲア・オタクサ』が咲いていて、シーボルトと、おタキさんの愛が偲ばれた。

今までの私のシーボルトに関する知識としては、

 ・幕末期の日本に西洋の近代医学を伝え、鳴滝塾で門弟を育てた。 
 ・西洋に日本のことを広く紹介した。
 ・紫陽花を、自分が愛する女性おタキさんの名で「オタクサ」と呼んだ。
 ・おタキさんとの間に娘のイネが生まれた。
 ・イネは、日本で初めての女医となった。(国家試験制度後の最初の女医は荻野吟子。)
 ・幕府に目をつけられて、強制的に帰国させられた。 

ということだったが、新たに以下のことがわかった。

 ・バイエルン王国のヴュルツブルクの著名な学者の家系に生まれたドイツ人だった

 ・鎖国をしていた日本はオランダが唯一の交易国だったが、オランダ領東インド陸軍外科少佐に任命されていたので、シーボルトはオランダ人でなくても、出島蘭館医として長崎に来れた。

 ・出島の商館員達は、出島から出られなかったが、シーボルトは長崎奉行所の特別許可を得て、出島の外に鳴滝塾を開設できた。

 ・オランダ使節団とともに江戸参府に同行できたので、さらに日本の資料収集が可能になった。

 ・シーボルト事件で国外追放になるまで、わずか6年の日本の生活で、別れるときは娘のイネはまだ、2才。一番かわいい時で、どんなに辛かったことか、推察された。(出島蘭館医としての任期(5年)もあるが、「国外追放」となってしまうと再来日は絶望的だと思われるから。)

 ・帰国してからのシーボルトは精力的に日本の研究発表をするが、ずっと結婚はしなかった。ようやく二回り年下のドイツの貴族令嬢と結婚したのは、16年後だった。(ずっと、別れた二人のことは心の中から離れなかったのだろう。)

 ・追放を解かれて、30年後に長男と共に再渡来を果たす。タキやイネ、門弟たちと再会ができた。(30年後に再会できたのには、感動した。)

 ・長男も次男も、日本の公使館や在日の公使館で働き、日本との外交において活躍した

 ・西洋医学の女性産科医となったイネは、宮内省御用掛りになって、明治天皇の若宮が誕生するときに、出産に立ち会っている。

なるほど・・・。

シーボルトは、やはり日本にはなくてはならない人だったんだなということと、彼がいかに日本を(日本人妻や娘を)愛し、日本のために貢献したかがよくわかった。

Dsc00439 『出島』は、1636年江戸幕府が、ポルトガル人収容のためにく築いた、約15000平方メートルの人工の島。

鎖国により、一時無人の島になったが、1641年、平戸のオランダ商館が移転し、それ以来1859年までの218年間、西洋に開かれたわが国唯一の窓口となった。

社会の教科書には、長崎湾に浮かぶ扇型の島として絵図が掲載されているため、私は学生時代から、まだ「島」があるものと思っていた。

実際は、明治以降出島周辺は埋め立てが進み、1904年に完成した第2期港湾改良工事によって、『出島』は、その原形を失い。市街地の中に埋もれてしまったのだ。(写真赤枠)

しかし、出島の日本の近代化に果たした役割は大きいことから、国の史跡に指定されたり、長崎市でも、復元整備事業を興し、現在、短中期復元整備計画で、平成18年までに10棟の建物が史跡内に完成し、一般公開されている。

これを見に行った。

小学生がたくさん訪れて、校外学習をしていた。

蔵や、カピタン部屋、乙名部屋などをざっと見て回る。

商館員達はこの島に幽閉されたような生活を送っていたらしい。

再現された食卓などは、豪華な食器に多くのごちそうがテーブルに並び、貿易による富からもたらされるものとはいえ、食事の時間が非常に楽しみであったのではないかと思われた。

右の写真は、縮尺模型。Dsc00440_2

この後、長期復元整備計画で、この模型のように四方に水面を確保し、19世紀初頭の扇型の島の完全復元を目指すらしいが、これは、川、道路、市街地など大幅な改造が必要となるため、相当長い時間がかかるだろうといわれている。

今、まさに復元現在進行形の『出島』であった。

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2008年6月28日 (土)

日記

6月27日

 PCに取り込んだmusicを携帯に転送phonetoできる、"au music port" をようやくインストールできた。

はじめは、
CD-ROMからUSBドライバのインストールが、いまいちできない。
”au music port”のダウンロードは、CD-ROMがVISTAには対応していなくて、不可能。
それでは、”au”のHPからのダウンロードと思っても、付属のUSBケーブルが、使えなくてHPからのダウンロードもできない。

そこで、同じau携帯である、娘の携帯の説明書、付属品から、使えるUSBケーブルを見つけて試みることに。

いったん始めると、あきらめることができず、四苦八苦してなんとか、使えるUSBケーブルで、ドライバがインストールでき、それでHPからも”au music port”をダウンロード、インストールできたのだったscissors

CD・DVDレンタルショップの広告で見た、「オンライン会員になると、レンタル料金半額」というキャンペーンを利用したいと思っていたが、これでようやく、効果的に使える。

早速、 ORANGE RANGEの「O2」、GReeeeNの「キセキ」、Aqua Timezの「」を借りてきて、PC→携帯に取り込んだのだった。

娘から称賛の声。

娘は、「着うたフル」を取りたいと言い出していたので、PCからの転送の方が安上がりであると説得。 レンタル料金は、3枚で210円なり。

・・・・・・何をやってるんだ。あと何日かで、パワーポイントを使った発表があるというのに。

資料を集めているだけで、まだ何も作っていないsweat02

6月28日

今日は、「謙友会」と称した、上越地区の新大歯学部同窓会があった。

3年前までは、夫と二人で出席。一年休み、去年からは、一年ごとにかわるがわる行こうという夫の提案に従って、今年は私が一人で出席した。

正直に言おう。夫がいない方が楽しいwink

閉会の挨拶を言わされるほど、「先輩」になってしまったけれど、soccer元サッカー部のイケメンがお酌に来るし、tennisテニス部の先輩とは席が隣で、夫の視線を気にせずしゃべれたし・・。

お酌bottleに来るメンズはそろって、「先生、白いですね。」とのたまう。

生酒の「おやじ」を飲んでいたのだけれど、相性がいいのかしらん。(軽く酔っているのだけれど、まだ、記憶が確か。)

女の子の後輩に、「先生の発表、楽しみにしています。」と言われ、2次会に行くことなく帰宅することに。パワポやらなくっちゃ。

帰宅途中にある"mocomoco"は、ほぼ満員のお客さま。バ-カウンターにはマスターがいた。この頃、お元気のよう。「マスター♪」と手を振りそうになったが、自制して、通り過ぎる。

ああ・・準備しなくっちゃshock

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2008年6月15日 (日)

Try to Be The Only One

今回の小児歯科学会は、特別企画として、全盲のテノール歌手、新垣勉さんのコンサートがあった。

感動的な歌声であった。

歌の合間のトークはユーモアがあった。

たとえば、幼少の時から歯が丈夫だったので、サイダ-の王冠を歯で開けていたらしく、さすがにいつもしていると、さしもの丈夫な前歯も、われたそうで、「歯が割れて、笑われて・・・」的なダジャレや、「なんでも良く噛める人は頭がいいといいますが、なんででしょうか?」「それは、がくりょく(顎力→学力)が高いから。」などの、思わず、クスッと笑ってしまう話をして、楽しませてくれた。

とても、自殺を考えたり、盲目になる原因を作った助産師や、自分を捨てた両親を恨み、殺したいと思った事さえある人とは思えなかった。

彼のプロフィールはWikipediaで参照していただくとして、彼の一言メッセージを転記する。

 私の歌が、少しでも皆様の励みや勇気となり、

私の歌で、人や自分を愛すること 許すこと、

そして、

一人一人がかけがえのない存在だと感じて頂く

事ができましたら幸いです。

「人と競い合って、ナンバーワンを目指す人生ではなく、

ひとりひとりの輝きを持った オンリーワンの人生を大切に。」

『オンリーワン』という言葉は、スマップの『世界にたった一つだけの花』で有名になったが、新垣さんは、その前よりメッセージとして言い続けてきているらしい。

また、『わたしと小鳥とすずと』という、金子みすずの詩に作曲してもらって歌っているとのことで、披露してくれた。

『みんなちがって、みんないい』という詩のメッセージを、歌を通して伝えている。

偏差値重視でいい大学、いい会社に入ること、お金をもうけること、セレブな恋人や配偶者を得ることなどができた人が「勝ち組」で、そうでない人が「負け組」などという、”Doing”に偏った価値観を押し付けている現在の社会の風潮。
それに踊らされている親や子ども。

そうではなくて、存在”Being”自体が大切である。一人として必要のない人はいない。このことを親、社会はしっかり認め、気づかせ、子どもも、”Try to Be ・・・ ” しようとする。

そんなことが当たり前になっていたら・・・。

秋葉原無差別殺傷事件は起きなかったのではないか。

余りにも身勝手で、憎んであまりある、許すことのできない犯人であるが、気づかせてくれる出会いがなかったのか。

自分のことを大切に、同じように他人のことも大切に思うこと、何事も人のせいにはしない強さを身につけること。
学力だけでなく、この「当たり前のこと」を教え育んでいくことが、この種の事件の抑止の一端になるのではないか。

新垣さんのメッセージからそんなことを思った。

今日で、あの忌まわしい事件から1週間がたった。

亡くなった犠牲者のお一人、歯科医の中村さんの奥様と縁あって、去年一緒にお食事をする機会があった。奥様も歯科医で、これから歯科医院をたたんで、第二の人生をというお話をしていた。

大変苦労をして閉院して、これからという矢先のことだった。

当日、新宿のビックカメラに行こうか、秋葉原にしようかと迷われたあげく、秋葉原に行かれたのだと、奥様と近しい先生から聞いた。

なんという運命のいたずらか。

私にとって、この事件は遠いところで起きたものではなくなった。

犠牲になられた方のご冥福をお祈りすると共に、二度とこうした悲劇が起きないようにするにはどうしたらよいのか、考えていきたいと思っている。

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2008年6月13日 (金)

鉄道博物館

Pa0_0031 12日・13日と、大宮のソニックシティーで開かれた学会に出席していた。

で、少し空き時間があったので、毎年集まっている先輩小児歯科医の先生たちと急遽、鉄道博物館に行くことになった。

10:00amの開館の前に、長蛇の列。平日なのに・・・。

「4~5列に並んで下さい。」と誘導していた警備員のおじさんは愉快な人で、私たちの「平日なのにすごい人だね。」というつぶやきを耳にして、「たいしたことないですよ。私たちの顔笑っているでしょ。これが、日曜日だとひきつるんですよ。」
少なくても800人以上は並ぶという。

朝の7時から並ぶ人もいるそうで、「私ら警備員より早いんですよ。」

また、しばらくしてから「え~、ただ今の人数313名」と、本部に無線連絡しているのを聞いたひとが、「よくわかるわね。」と言ったら、「なぁに、アバウト、アバウト。大体ですよ。」「本部の方もアバウト313名と思ってるから。は・は・は。」ですと。

好きな人はお弁当持って来たら、1日中遊んでいれそうである。

カメラを担いだ人も大勢。私もデジカメを持って行けば良かった・・・。携帯だといまいちなので。(でも、団体行動をしているとなかなか思った写真が撮れないからまあ、しかたないか。)

Pa0_0033 おもしろかったのは、大ジオラマ。なんでも、25mプール4コース分の広さがあるという。

最前列は、小学校入学前の幼児専用の席だが、小さな人たちも、食い入るようにおとなしく見入っていた。

懐かしい列車も展示してあった。

新幹線開通前に、実家から大学のある新潟市までの行き来に乗っていた『特急とき』。

(『特急ひばり』とどこが違うのかよくわからなかったけれど・・・。)

お茶の水に通っていた頃乗っていた、オレンジ色の中央線。

写真に撮ってきました。

Pa0_0030 Pa0_0035

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2008年6月 7日 (土)

ウコンの力

さっき、ワインのお店「エルミタージュ」より帰宅。

昨年より、小学校の3年生から6年生までの各学年で、PTAの学年委員長を経験した4人が集まって飲み会を開いている。今日は3回目。

気の置けない仲間で、何を話題にするというわけではないが、楽しい。血液型B型2人、O型2人。BとOで相性もいいのかな?

今日はアペリティフにミモザを飲み、辛口の白ワインと、軽い赤ワイン、重厚な赤ワイン・・・と結構アルコールが入ったはずだが、出掛けに「ウコンの力」を飲んで行ったせいか、まだまだ、記憶がしっかりしている! ・・・と思う。

今、全自動洗濯機で、洗濯が終わるのを待っているところ。
(明日も娘は部活なので、体操着が必要なのだった。)

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2008年5月27日 (火)

なんというか・・・

「お母さんに、もう絶対に話さない!。」

キッチンで夕食の支度をしているとリビングから娘の声。夫と話をしていたはずだが・・・。

何事かと行って聞いてみても、娘はつんけんしている。

夫に尋ねてみると、「○○ちゃんがピアスの穴をあけたって話・・・。」

「え・」

何で夫が知ってるの?
今日の昼、義母とよもやま話をしていて、この頃の中学生は、おしゃれにうつつを抜かしすぎてる子もいて、それじゃ困るという話題になったので、うっかり娘から聞いていた、娘の友達の話をしてしまったのだった。

「お母さんは口が軽いんだから!」

はいはい。でも、口止めはされてなかったはずだし。自分だって、ほかのお母さんから聞かれて、話しちゃってるってことはお見通しなんだから・・・。

それよりも、義母に話したことがすぐに夫に伝わるという、このツーカーさに驚いたのだった。

そういえば、私の失敗や、夫に話したことが、すぐに義母の知るところとなっていたことも一度や二度ではなかったような・・・。

なんというか・・・。

このネットワークを利用しない手はないな。いつか、利用してやろう、そう思ったのだった。

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2008年5月 7日 (水)

連休後半

5月5日 

新潟市へ 。

高速道路はいつもよりは、車が多かったが、スムーズに流れていた。

高速を降りて、桜木ICからは渋滞の波にもまれる。万代の駐車場に入るまで、NAVIが予測した時間を軽く20~30分オーバ-。 

日頃、休みにはゴルフに行ってしまうことの多い夫は、今日は家族サ-ビスならぬ、娘のご機嫌とりで、ビルボードプレイスや、ラブラ万代など、若者向きのお店にも付き合う。めずらしい!

お昼は古町で。
連休中は万代の伊勢丹と、古町の三越を無料のシャトルバスが運行していたので、利用しようと思ったが、たくさんの人が行列していたため、断念。路線バスで移動。

ステーキとハンバーグの店。
学生時代に2人で来ていた店は、店名は変わっていたけれどたたずまいはそのまま。出されるメキシコ風コーンサラダも変わっていなかった。

夫がいつも注文していたのは、ハンブルゲッサグランデという400gのハンバーグステーキセット。私はお腹とお財布と相談して、200gのことも多かった。でも、同じ肉のはずなのに、なぜか400gのハンバ-グの方が美味しかったのを覚えている。

で、今回は3人とも400gで。

小食の娘が完食できるかなと思ったが、見事に全部食べたのでびっくり。

珍しいことが重なったせいか、雨が降り出す。

万代に戻る。

伊勢丹では北海道展をしていた。
大変な混雑。地元のデパートが開く北海道展とは雲泥の差。少しでもいいからお客さんを分けてもらいたいと思うほどだった。

私が一人のときは、ざっと売場を一巡して欲しいものを決めてから、また人ごみの中に入って行って買い物をするのだが、夫と娘は人ごみに慣れてないせいもあり、すっかり嫌気がさして、もう出ようという。仕方ない。

紳士服フロアへ。
夫のゴルフ用のポロシャツを買って、駐車券3時間分かせぐ。

また。ビルボードに行き、娘の友達の誕生プレゼントやら、お土産5人分の物色に付き合う羽目となる。なかなか決まらないので、とうとう夫は痺れを切らし、自分は車の中で待つと言って立ち去る。でも、ずいぶん今日は付き合った方だ。

本当に、娘に付き合うと疲れる。私が面倒くさがって、「こうしたら?、ああしたら?」と言っても、「あの子はそんな趣味じゃないし・・」とかで決めかねている。

それでもようやく納得のいく買い物ができ、私も気になっていたTシャツを購入した。(ただしダイエットが必要かな。試着した時、娘にも1枚で着ないで、インに着るのならOKと言われたし・・・。)

いつもなら、こんなに待たせると完璧に腹を立てる夫も、どうしたことか、そんなでもなかった。この稀な出来事に、雨も本降りになった。

夕食は、大積PAで夫のお勧めのラーメンを。

夫はいつもあっさり系の新潟ラーメンを食べるのだそうだが、生姜風味のスープが珍しい長岡ラーメンと、煮干しだしだがこってり系の三条・燕ラーメンも注文してみて味比べ。

こってりラーメンは、チャーシューがおいしかった。あっさり系は、麺が細くてあっさりしたスープによくあう。スープに生姜の香りがする長岡ラ-メンは、初めて食べる味だったが、かなりいける。生姜がいい。長岡では,生姜を擂ってラーメンに入れるのかな?

帰宅が遅くなってしまったのでウォーキングは中止。
もう4日間歩いていない。

5月6日

朝寝坊をする。
半日無為に過ごす。

昼食は、外食しようと夫。(ラッキー♪)

食事後、本屋を2軒はしご。

3時過ぎに帰宅。

洗濯2回。洗面所だけ掃除。

買い物をして、戴き物の山菜の下ごしらえ。

ひめ筍で、炊き込みご飯と筍汁をつくり、山うどできんぴらを作る。蕨も米のとぎ汁でゆでてみたので、明日のお浸しか、みそ汁の具にしよう。

今日は、ウォーキングをする。

歩いていないと、体が重くなった感じ。昨日5時間車に座っていたこともあり、腰にも少し違和感が・・・。

体を動かすことが大事と痛感した。

以上4日間の連休の過ぎ方(過ごし方ではない)を2回に分けて記事にしてみた。

それにしても・・・。

お掃除はいったい・・・?

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2008年5月 4日 (日)

連休の過ぎ方

あっという間に連休が2日間過ぎてしまった。
2日間とも天気が良く、今日などは30℃超える暑さであった。

5月3日

朝、早起きしてお弁当作り。
夫はゴルフ。
マーチングの練習を、車で30分程離れた体育館を借りて行うため、娘を送って行く。

帰って来てから、ご飯を食べ、後片付け。
新聞をざっと読み、PCチェック。
急に美容院に行くことを思い立つ。(2ヶ月たって、だいぶ白いものが目立つようになったので・・・。)

リビングだけ掃除機をかけ、急いで軽食をとり、美容院へ。

帰宅したら、もう娘を迎えに行く時間。
娘とその友達を乗せて学校にもどり、友達を家まで送る。
その後、診療室の熱帯魚に餌をやってから自宅へ。

数ヶ月前に購入した渡辺宏のパステル画の代金(分割最後の回)を支払いにアートサロンへ。

食事をするお店で夫と娘と落ち合う。

まずはビールで乾杯。
お店の二人と楽しい会話。
つい、ここの焼酎が35度であることを忘れ、オンザロックにして飲み始める。

調子に乗って、赤ワインも飲んでしまった。
酔いが回ってきたことに気づく。いつもは、完食するのにできなかった。

家に帰るまでの記憶はあるが、気がついたら、布団の上に着のみ着のままで寝ていた。

だめだ、弱くなったものだ。

まずい、お米をといでおかなくては・・・。
お店でお土産にもらってきた炊き込みご飯と、お新香を冷蔵庫に入れなくちゃ。

5月4日

今日もお弁当づくり。

娘を送り出してから、きのうもらったご飯とお新香、みそ汁を作って夫と食事。

食べられたからたいしたことないが、少し二日酔い気味。
夫もハイペースで飲んでいたため、その気があるのか、ソファで横になりだした。
私は、自分の寝床に行って寝ることにする。

映画に行こうと言っていたのだが・・・。

結局お昼近くに起きだして、二人で出掛ける。

水谷豊と寺脇康文の「相棒」を観る。
チェスを知っていたら、もっと良かったと思う。

外に出ると真夏の暑さ。
廻り寿司に行こうとしていたが、食欲をなくしそのまま帰宅。

やっぱりお腹がへってきたので、冷たくしたサラダうどんを作って食べる。

娘が帰宅。

昨日の「ごくせん」のビデオをみんなで観る。

買い物、晩御飯。

「行列のできる法律相談所」「おしゃれイズム」など、TV三昧。

BSで「篤姫」も。
春先に上・下巻読破したので、NHKもなるべく見るようにしている。
幾島が松坂慶子できれいなのに少し違和感あり。
小説に出てこない役だが、瑛太はいい。
宮尾登美子の小説は、あと「序の舞」しか読んでいないが、芯の通った女性の生き方を描いていて、好感が持てる。

その後、PCのサポートのためのファイルをダウンロードしようと何回か試みたが、説明書と食い違いがあり、うまくできず断念。・・・時間ばっかり取ってしまって疲れた。

・・・・・お掃除などしていないのだった。

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2008年4月19日 (土)

ただいま改修中

自宅マンションが、今年で築15年となり、外壁やベランダ等に修繕する必要が出てきた。

管理組合費で積み立ててきたお金で賄えるとのことで、総会で工事することを決定。

4月1日より、ほとんどの駐車場を閉鎖、工事事務所の設営や、駐輪場の移転、足場の組み立てなどが始まった。

418 で、現在こんな状態。

足場がマンションの全階、全周にわたっているので、防犯に注意するように説明会でいわれる。

足場の入口は建設会社の方で、厳重に施錠する予定との話もきいた。

窓から外を見るとこんな。419

いつ工事のおじさん(おにいさん)と目が合うかもしれないので、日中はずっとカーテンを閉めっぱなしである。

シートに覆われ、カーテンを閉めなくてはならない暗い生活が6月30日まで続く。

閉めっぱなしの生活だと、部屋の中もうすら寒い。外が生暖かくても、うちの中はひんやり。いかに窓越しの日の光が部屋を暖めていたかということに気づく。

ベランダの修理が終わるまではやたらにエアコンもかけられないらしい。

また、マンションの一階がピロティー式の駐車場で、雨や雪に濡れることなく車の乗り降りができたのに、今は近くの駐車場まで停めに行かねばならず、ちょっと不便。

これから、さわやかな季節が始まろうとしているのに、シートが陽光を遮断するので、憂鬱だ。早くカーテンを自由に開けられる生活にもどりたい。

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2008年4月12日 (土)

夜桜

実家の両親が、初めてこの季節に、夜桜を見にきた。

朝方は雨だったが、だんだん天気も回復してひと安心。

2日前に桜は満開となり、今日は土曜日。Dsc00347_3

露店に面する通りは、身動きできないほどの人だかりだった。

こんなにたくさんの人出は、経験したことがなかった。

さくらロードのライトアップされている桜は、なかなかの見ごたえ。

夜の桜は、「幽玄」な趣なのだが、今日は人波に押されて、また、父や夫がどんどん歩いていくため、離れ離れにならないようについて行くことに気を取られて、余韻に浸ってはいられなかった。

ひざを悪くしている母は、「杖代わり」と言って私の腕にしがみついてきた。腰もちょっと曲がってきて、ずいぶん背が低くなった。こんなに小さかったっけと驚いた。

私より背が高くなった娘は、おどけて、「杖代わり」と言って私に腕を差し出した。

Dsc00350 忠霊塔のそばのしだれ桜は、迫力があるのだが、人混みの嫌いな父や夫は待ってくれないので、よい写真が撮れない。

高田城三重櫓も、もっといいアングルで撮りたかったけれど、それもかなわず、まあいいか。

今日、さくらステージでは『おわら風の盆』の踊りもあったのだが、食事の時間の関係で見られず、私は少し残念。

遠路はるばるやってきて、また、夕方までの間は、手配しておいた観光タクシーで、親鸞聖人上陸の地や、五智国分寺、春日山城などに行って来て疲れているであろう二人の老人には、適当なところで切り上げて帰ってきたが、肌寒い中を4000本の桜の一端に触れて歩いたことが、思い出の一つになってくれればいい。

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2008年4月 5日 (土)

観桜会

昨日から、第83回高田城百万人観桜会が始まった。

今日も好天に恵まれ、桜もちらほら咲きだした。

2~3日前にはソメイヨシノに先立って、小彼岸桜がいつの間にか川岸をピンクに染めていることに気がついた。Pa0_0026

Pa0_0022

小ぶりで、かわいいピンクの花が、目を楽しませてくれた。

さて、今日のイベントは、観桜会パレード。

中学と高校の吹奏楽部が出場して、マーチング演奏、停止演奏を行った。

娘もデビュー。

Pa0_0020Pa0_0025

ちょうどお昼休みの時間帯だったので、時間の許すまで、「おっかけ」をしてしまった。

行進のスピードが速く、ビデオや写真を撮ろうにも、苦労した。

いい汗をかいてしまった。

夜は、久々にウォーキングのコースを高田公園にした。

夜店、ぼんぼりの灯りがお堀の水面に映えてきれいだった。

観桜会の間は天気が良ければこのコースかな。

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2008年3月15日 (土)

ゴミの有料化

上越市では、4月1日より、燃やせるごみ、危険物(燃やせないごみ)の廃棄が有料となる。

ゴミを入れる専用の袋やシールを購入して、その中に入れるか、別の袋だったらシールを貼って、捨てることになっている。

今日、第3土曜日は、燃やせないごみの収集最後の日。

ただで出せる最後の日とあって、どこのごみ集積所でも、燃やせないゴミの山と化していた。
(誰でも考えることは一緒だ。)
よその町内では、1m以上ありそうな粗大ゴミもだされていたりして・・。(1m以上でも、自転車は特別で、「不用」と張り紙して出しておけば持っていってもらえるのだが。)

我が家も、朝からあれやこれやと燃やせないごみを数袋にまとめて出したが、出勤の時間になってしまいタイムアウト。大物が残ってしまった。
ベランダに敷きつめてある人工芝のマットがずいぶん古くなっていて、マンションの改修時までにベランダのものを片づけておかなければいけないため、これは捨て時かと思っていたが、解体する時間がなかった。(前もってしておけばいいのに、直前にならないとやらない悪い癖)

そういえば、2~3年前、娘が友達の家から帰るときに借りてきた自転車が、古くて乗らないし、置いておく場所がないから、返さなくてもいいと言われたとかで、そのままうちのマンションの駐輪場に放置されているんだったと思いだす。これも捨て時だったのに・・・。

お昼休みになり、あきらめきれず、自宅に戻る。もしかしたら、まだゴミ収集車が来ていないかもしれない。

その願いが通じたのか、今日のごみの量があまりにも多くて処理に手間取っているのか、まだゴミ置き場には、朝のままごみが置かれていた。ラッキー!

早速自転車を出し、人工芝マットを解体し縛って出す。

すっきり。

さてこれからは、リデュース・リユーズ・リサイクルに努めなければ。

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2008年3月 3日 (月)

ひな祭り

Dsc00334_4 今日は桃の節句。

我が家のお雛さまたちです。

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Dsc00342 お内裏様・・・なかなか凛々しくて、しかもかわいらしい。

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お雛様・・・ふくよかで、気品がある。

お顔を作る人形師と、衣装を作る人形師がいるんです。

小さいけれどお顔が気に入って、娘の初節句のときに、我が家においでいただきました。

衣装もちょっと斬新なところがあるんです。

Dsc00338_2 刀をつり下げる腰の帯は、なんと、革のベルトです。

人形師の方の遊び心があらわれているようです。

雛あられに、ひなマシュマロ(菱餅でなく)、とろとろ桃のフルーニュ(白酒でなく)をお供えし、今夜は手巻き寿司に蛤のお吸い物で、ミーハーチックにお祝いいたしました。

Dsc00340_2

雪洞も灯し、「ひな祭り」のオルゴールもかけてみました。

娘からは、ひな祭りが終わったあとで、あまり長いことお雛様を出しておかないようにと、釘をさされております。

お雛様をずっと飾っておくと、嫁き遅れるといいますが、どうしてなんでしょうね。

ちなみに私の場合、とてもコンパクトな、お内裏様にお雛様、三人官女に五人囃子のセットが、一年中神棚の下の作り付けの広いショーケースの中におさまっていたような・・・。

「女の子でも、結婚がすべてではないんだぞ」と、父から言い聞かされていたような気が・・・(笑)。

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2008年2月26日 (火)

強風の中、上京

24日の日曜日は、四谷で伯父の一周忌があったため、家族で上京した。

土曜日に東京では春一番が吹いたのだが、その後、急に西高東低冬型の気圧配置に。
等圧線も密になったおかげで、北日本から東日本にかけて大雪となったり、強風が吹き荒れたりで、飛行機・鉄道が運休、遅れでダイアが乱れていた。

そんな中、覚悟をして行ったのだが、直江津駅までは地吹雪のなかを、夫が車を運転。駅に着くと、やっぱり前の列車から相当の遅れで、接続の新幹線も絶望的と思われた。

皆、ダイアの乱れを覚悟してきているのか、寒い中、不平不満も言わず、あわてず騒がず、ひたすらじっと、遅れて来る列車を待ち続けていた。

越後湯沢で乗り換えだが、指定席は関係なくなり、座れないかもしれなかった。

ここでも皆、きちんと順番を守り、運命を受け入れるがごとく、粛々と乗り換えたのが、印象的だった。

私たちは比較的前に並んでいたので、運良く3人が並んで座ることができた。

車内にテロップで流れるニュースで、東北新幹線はお昼過ぎまでストップしていることを知る。京浜東北線も沿線火事で運転見合わせとのこと。そこへ実家の母から携帯で、外房線がストップしてしまったと連絡が入る。鴨川からの両親とすぐ下の弟は大分遅れそうだ。

(埼玉の弟は、ちょうど京浜東北でひっかかってしまったが、途中下車し、タクシーで四谷まで向かったとのことだった。)

それに比べ、上越新幹線は、徐行したり、駅に前の新幹線がつまって待たされたりしていたが、確実に動いている。よしとしなければ・・・。

でも、読経の始まる時間には間に合いそうもない。埼玉の弟に連絡を入れる。

東京に着いたら、中央線も少し前まで止まっていたようだが、ちょうど動き出したところだった。

結局40分近くの遅れだったが、読経も途中から列席してお焼香もすませ、法話も聞くjことができた。

父の兄の一周忌だったが、残念なことに父たちは法要に間に合わなかった。日比谷の松本楼で会食予定だったので、すぐ下の弟に、直接松本楼に来るように連絡。

何とか、記念写真撮影までには到着した。

日ごろ顔を合わせない親戚も、法事には顔を合わせる。

去年はお通夜、お葬式、四十九日と厳粛な感じで行われたが、体調を崩していた伯母も回復してきていたので、今回は皆、会話も弾んでいたようだった。

いろいろな話を聞くことができた。

伯母の兄の上の娘さん(私より5こ下)は、ずっとウィーンに行っていて、このたび付き合っていたウィーン・フィルの第1ホルン奏者とめでたく式を挙げたとか、父の従妹の娘婿は、ジブリの映画で、「耳をすませば」や「猫の恩返し」などの音楽を担当したとか、埼玉の弟は、仕事がらみだけれど、ローママラソンに出るんだとか・・・。

法話の中で、親・兄第・親族が仲良く過ごすことが、亡くなって仏となった人にとっての喜びであるというようなことを言っていたようだったが、そういう意味では、なかなか良い会食だったのではなかっただろうか。お料理もおいしかったし・・・。

帰り。

一日中、ダイアは乱れっぱなしだったようだ。

1時間半遅れた。

新幹線は自由席に並んで、座った。

問題は接続の「はくたか」がどうなっているかだったが、何と運のよいこと。本来乗るはずだった「はくたか」が待っていたので、指定席が優先的に適応されたのだった。

そうでない方たちは、自由席車両にすし詰めになったり、デッキで立っていたり・・・。私たちの指定席車両にははいって来ることもなく・・・。皆、マナーが良かったのに感心した。

直江津に近づくにつれ、大雪の心配はないかが気がかりだったが、それも杞憂に終わり、寒さは厳しかったが、無事家路に着いたのであった。

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2007年8月18日 (土)

あわび

外房は、あわびの名産地である。

鴨川に里帰りして、両親と弟の家族と総勢9名でホテルで夕食を食べた時、あわびの踊り焼きがでた。

他のあわびが網の上で「くたー」としていて、突付くとようやく身を縮める程度だったのに対し、一つだけとても元気のよいものがいた。

見ていると、最初は貝殻を下にして仰向け状態だったのが、Ca380005ちょうど、ヒトデを裏返しにしておくと、うにうにと形態を変えながら、最後はくるっとひっくり返って、もとに戻るのと同じように、このあわびも、見事に180度回転して、着地した。

そればかりか、ツイストダンスを踊り始めたので、びっくり!。

皆に大受けだった。ビデオかデジカメがあれば良かったのだが、携帯で動画を撮影してみた。

「Ma0_0000.3gp」をダウンロード動画は再生できないかもしれません・・・。

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2007年4月26日 (木)

カルピス その2

昨日、カルピスのお客様相談室に電話してみた。

「おっぱいの次はカルピス」のCMの件で。

担当の人は、「あぁ、また」というか、構えた空気になった気がした。

まず、『赤ちゃんにはうすくつくってあげてください』というテロップが最後の方に一瞬出るが、これは最初から入っていたのかどうかを確かめた。

「最初から」との答えだったが、私は最初見たときは気付かなかったので、誰もがすぐに気付くような入れ方でないと、意味がないと言っておいた。

「ごもっともです。もっと長く出るように検討します。貴重なご意見をありがとうございます。」
と、すぐに電話を切りたがっているふうだった。

私は、ちょっと食い下がり、HPには、赤ちゃんに対しては1:9くらいに薄めてと、かいてあるのけれど、肝心の品物のパッケージには、全然そんな記載がないこと、わざわざ、HPを見てから作る人もいないだろうから、パッケージにも赤ちゃんに対する注意書きを印刷して欲しいことを告げた。

また、HPには、「コップで飲めるようになったら、だんだん濃くしてあげる」と言うようなことが書いてあったので、わざわざ、「濃くする」なんて文面はいらないと、削除を求めた。

また、「貴重なご意見を・・」で、切ろうとするから、なおも食い下がり、水玉模様の特注のマグマグについてふれた。マグマグはまずいです。しかもあんなかわいいのを見たら、絶対欲しくなって、使わせたくなる人もいるはずと、文句をいっておいた。

もっと言い足りないことはあったのだが、これだけ言うだけで精一杯だった。

さて、ブログを漁っていたら、このCMに批判的なものも多く、おっぱいの次にカルピスは非常識、虫歯になる。訳のわからない若い親が見たらどうするんだとの意見だった。

「プロポーズ大作戦」で、素敵な花嫁姿を披露している長澤まさみの起用で、花嫁の次は、母親になって、・・・というつながりなのか、とにかく彼女に「赤ちゃんを産んだら」とか「まずはおっぱい」とか、センセーショナルな言葉を言わせて注目を集める作戦なのだろうか。と思う。安易だ。

ただ、批判はされても、購買には一役買っているかもしれない。私も、パッケージに何が書いてあるかよく見るためというのもあったが、また、飲んでみたくなって1本買ってしまったので。

何はともあれ、意見をしたことについて何か改善されることがあるかどうか、今後も見ていきたい。

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2007年4月17日 (火)

東京タワー

070415_1454 この前の日曜日、法事も終わり、兄弟家族がそろったところで、何十年ぶりかで東京タワーに行ってみた。

おりしも、土曜日から映画『東京タワー』が上映されたばかりだったせいもあるのか、大混雑だった。主題歌を歌った福山雅治への写真つき応援メッセージ受付なんてイベントをやっていたからかもしれないが・・・。

チケットを買うにも何分も並び、大展望台へのエレベーターは15~20分待ち。

ようやく、地上150mの大展望台へ着いて、今度は地上250mの特別展望台に行きたくてチケット売り場にむかったが、30分待ちとのことで、私とすぐ下の弟は電車の時間があるため、断念。

こんなに、おのぼりさん(笑)がいるのかと・・・。

高さ333m・重さ4000t(ちなみにエッフェル塔は320m・7000t)。
28000L、ドラム缶140本のペンキを使い、オレンジと白に配色され、176灯設置された投光器によって冬はオレンジ色、夏は昼光色にライトアップされる。
ほとんどの放送局の電波24波(アナログ波14波、デジタル波10波)が送り出されている。

と、もらったパンフレットのデータから引用。
皆で、「東京タワーの鉄骨にペンキ塗ったり、照明の電球を取り付けたリ交換したり、こわくてできないね。」などと言い合う。展望台から景色を眺める分には、壮観でいいのだが・・・。

TV『東京タワ-』で、『ボク』が『オカン』の写真を置いたのはどこだったかと思いながら、眺めていた。070415_1538

おもしろかったのが、ルックダウンウィンドウ。 →

大展望台1F・地上145mの空中散歩。大丈夫とわかっていても、眼下に豆粒のような車を見下ろしながら、この上を歩くのはドキドキものである。

070415_1539 ←娘や姪は平気だったが、一番下の弟は、傍に来ようとしなかった。

高所恐怖症だったとは、予想外。姉として、新発見だった。

私も実は少しこわかったのだが、携帯のカメラを構えたら、なぜか平気になったので、不思議だ。

ところで、TV「東京タワー」は、大泉洋が『ボク』を演じたものは見そこなったが、速水もこみちの『ボク』は、見ていた。倍賞美津子の『オカン』の無償の愛に何度もジーンときたものだ。

映画「東京タワー」は、オダギリジョーが『ボク』を演じる。
3人の『ボク』の中で、一番、作者のリリー・フランキ―に雰囲気が似てると思う。
一番合っているように思う。

『オカン』の樹木希林も個性的だし、若いころを実の娘の内田也哉子が演じているという話題性もあり、観に行ってもいいかなと思っている。

ワイドショーのインタビューで樹木希林が、「うちの『時々オトン』からFAXがあって・・」と、内田裕也からのメッセージがあった事を明かし、「必ずこっそり観に行くと書いてあったあったけど、あの派手な人がどうやってこっそり観にいけるのか・・」と言っていたことを思い出した。

内田家の『時々オトン』は、「東京タワー」をこっそり観に行ったのだろうか。

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2007年3月12日 (月)

冬の再来

今朝、出勤したら、スタッフ全員長靴で来ていた。

私も、去年の暮れに準備していたのに、なかなか出番のなかったジョッキーブーツタイプの長靴で、歩いて来たのだった。

昨日の夕方から吹雪いていて、ざくざくと積雪がある。

いったん頭の上を通り過ぎていった冬が、地を這って舞い戻ってきたかのように、冷えている。

やっぱり、雪国は冬は寒く、雪が降らなくては、春の喜びが半減してしまう。

2月中の、まるで太平洋側の冬と同じような、もう春が来たかと錯覚してしまいそうな、晴れ上がった暖かい陽気を享受しながらも、これでいいのかな、と何か申し訳のないような気分になっていたのだったが、この吹雪で帳消しになった。そして、ちょっとだらけ気味だった心も、キーンという寒さでひきしまる。

あとは、本当の春を待つだけ・・・。

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2007年2月 2日 (金)

旭山動物園

今年で開園40周年の旭山動物園。日本最北の動物園で、旭川市にある。

この動物園が近年大人気で、一昨年は年間200万人、昨年は300万人近くの入場者があったという。私の周りの友人達も、何人か去年旭山動物園に行っている。

テレビでも、透明の水槽の外で見ている人に向かって、飛び込んでくるホッキョクグマや、水槽につながる円柱状の透明な筒の中に潜ってきて、人間の様子を見にくる(?)アザラシなど、放映されていたのが記憶に新しい。

今は、全国的に有名になって、ブームになっている旭山動物園だが、10数年前には、エキノコックス感染症でゴリラが1頭死亡したことから、風評で一時閉園に追い込まれたり、11年前には入場者数26万人という過去最低の記録をつくったりと、1980年代から、レジャーの多様化によって動物園の人気が低迷してきたこととリンクして、決して順風であったわけではないようだ。

さて、私が子どものころのお出かけは、というと、ほとんど決まって上野動物園だった。父の生家が東京の田端にあって、父も子ども時代は上野動物園で遊んでいたためか、わたしたち姉弟も連れられて行ったのだった。
水のみ場で水を飲んでいるヤギを覗き込んでいる写真や、餌を食べさせている写真が残っているので、私は動物を見ることも、動物がたくさんいる動物園も、単純に好きだったのだと思う。

ところが、少し分別がつくような年になってきた時、「動物園は何のためにあるのだろうか」、「本来なら広い大地を走り回っていた野生動物を、狭い檻に閉じ込めて、いくら私達にこのような種の動物がいますと見せるためでも、捕まえられた動物がかわいそうだ」と、動物園の存在意義に対する疑問が湧いてくることを抑えられなかった。

その疑問はずっと解決されないままだったが、このたび、文芸春秋2月号で、現園長の小菅正夫さんが執筆した『大人気、旭山動物園の秘密』という記事を読んで、氷解した気がした。

園長の小菅さんは、動物が大好きで獣医になり、他に行きたいところもなく、ちょうど求人のあった旭山動物園に、動物が好きだからと、深く考えることもなく就職したらしい。それが、飼育係長に就任したころ、人気低迷に歯止めが利かなくなり、市議会のほうからは「予算はどぶに捨てるようなもの」と言われたり、担当者からは「このままでは動物園がだめになる」と言われたりで、初めて、「動物園とは何のためにあるのか」考えることとなったのだという。

そこで、毎月の勉強会で、「動物園とは何か」「野生動物に何ができるのか」という理論と、限られた予算内でできる事業はないか、「どうしたら動物園を面白いと思ってもらえるか」という具体的なアイデアを考え、そこから生まれた案を一つずつ実行していった。飼育係のワンポイントガイド、親子動物教室、クイズを取り入れたウォークラリーなどである。
これにより、入園者の興味がどこにあるのかを把握することができ、「お客さんの視点に立った展示」が、その後の基本姿勢になったのだという。

また、そのときの園長さんから、将来を見据えてもっとアイデアを考えておくように言われ、有志4人で理想の動物園について議論することはもちろん、休暇を利用して日本はおろか、海外の動物園を視察していろいろな情報を得ていった。

そのアイデアを、飼育係だったあべ弘士さん(今は絵本作家)が一つ一つ絵にしていって、「ぺんぎん館」「あざらし館」「ほっきょくぐま館」「おらんうーたん館」の原型がつくられたのだそうだ。

基本理念、方向性として、野生動物が本来の行動を楽しめるよう、動物の幸せを考えた飼育と展示方法である「行動展示」をすること。その能力の高さを間近で見た人達が、野生動物を尊敬し、命の尊さや、動物との共生について考え、また、その動物がもともと住んでいる環境の保護まで思いを至らすことが動物園によってもたらされる可能性があるということ。
活き活きとした動物を前にすると見ているほうも楽しくなる。元気な動物達から、人間が元気をもらえるような動物園。

そのような動物園を目指そうとしていた。

今から10年前、その前年に初当選した市長から一本の電話があり、動物園改修の意見を求められた。ここぞとばかりに思いの丈をぶつけ、アピールしたところ、市長より深い賛同を得、早速予算がつき、子どもが家畜やペットと触れ合える「こども牧場」がオープンすることとなった。子ども達に命の大切さを伝えるこの施設が、「新生・旭山動物園」の大きな柱となったという。

それからは、次々にプロジェクトが完成していくことになる。「ととりの村」「もうじゅう館」「ぺんぎん館」「ほっきょくぐま館」。2004年には「あざらし館」が完成し、144万人の入場者を記録するまでになった。

動物達も、のびのびと能力を発揮できる環境にいると、繁殖にも好影響があるらしく、それまでは繁殖しなかった動物の繁殖成功例が、旭山動物園では増えているという。

動物の幸せを第一に考える環境を作り、人間も楽しく、命の重さを考えられる動物園。旭山動物園では、死んだ動物を告知する「喪中」の札を掲げるのだそうだ。命の大切さは動物の「死」によってより深く伝わるとの考えからなのだそうだが、実際、喪中の札を見て、手を合わせたり、鶴を折ってくれる子どももいるという。

このような動物園なら、罪悪感を持って動物を見なくてもいい。動物園の存在意義もわかる気がする。と、思った。

また、さらに、動物園を利用して、生物学、動物行動学、多様な自然環境などを教える教育機関としての役割を果たすことができれば、今後も多くの人たちから存在意義を認められる施設になるだろうと結んであり、これも、なるほどと思った次第である。

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2007年1月29日 (月)

美味しそうなお風呂

アクアグリーンの水面から立ち昇る鮮烈な柑橘系の香り。

思わず娘と「美味しそう!」と叫んでしまった。

レモングラスのアロマバス。

この前いろいろ仕入れてきた入浴剤のうちの一つ。

最近、娘に家の仕事もさせようと、お風呂掃除をさせている。

きれいに洗って、お湯を張って、自分の好きな入浴剤を入れさせる。

今日はどんな入浴剤を入れようか楽しんでいる。

レモングラスはトムヤンクンなどに使われるハーブ。

肌の張りを良くし、疲労回復、肩のこり、腰痛に良いのだそうだ。

レモンのさわやかな香りに心と体が高揚し、リフレッシュできそう。

これから、ゆっくり入るとしましょう♪

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2006年11月 5日 (日)

十割そば・菊祭り

今日は、車の調子も良く、夫は隔週の雑誌Sに出ていた、小布施の蕎麦屋Kに十割そばを食べに行きたいと言う。私としては、遠出して食べに行くそばなら、黒姫のFがいいと言ったのだが、日曜日は特に込んでいるとのうわさだから・・とのことで、運転する者の希望を優先して出かけることにした。

一日限定20食という十割そば。開店11時半になるかならうちにないお店は満員になってしまったので、早い者勝ちという感があった。

・・・が、期待して一口たぐって・・がっかり。
いつも行く地元のNと大差なし。いや、麺の舌ざわりや、汁の味は地元の店の方がおいしいのではないか・・・。新そばの時期なのに、新そばなのかな・・・?夫も黙って食べているので、同じ思いなのかと察する。

店を出てから「失敗だった」という夫。

まあ、天気が良くてドライブ日和、秋色に色づく木々も眺められたし、中島千波美術館の敷地内に屋台館があって、江戸時代(約140年から200年前)や、明治の始めに造られたすばらしい屋台(現在も現役!)を見ることができたし、いいとしよう。

おいしそうなパティスリーでパンを仕入れ、新栗の栗おこわもゲットして速攻で帰って来た。

さて、まだ帰ってきても日が高かったので、3日より浄興寺Dsc01864_1
で開催されている菊祭りを見に行ってきた。

かなりの人出で、さすがに年配の人が多かったが、中には若い外人のグループもいて、熱心に見ていた。

「菊人形」とかは見たことがあるが、私はこの年になるまで、じっくりと「菊祭り」の菊など見たことがないことに気づいた。

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Dsc01861_1

このたくさんの小菊は、何と根元は一本の枝なのだ。

ほかの出品された作品、皆そうだった。

舞台裏はこうなっている。Dsc01860

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盆栽菊。岩に根を這わしている。

Dsc01866_1 いろいろな種類の菊。

丹精こめて育てられている菊は、一見の価値があると思った。

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2006年11月 4日 (土)

文化の日の出来事

文化の日は、たいがい天気に恵まれるようだ。
娘が幼稚園のとき、作品展とバザーは、11月3日にしていたと思うが、いつも上天気で暑いくらいだったと思う。
今年は、特に十三夜で、「十三夜に曇りなし」とラジオで言っていたのを思い出した。

天気もいいし、山に紅葉を見に行くか、黒姫にそばを食べに行くか、小布施に行くか、などと言って駐車場に先に行っていた夫が、「残念なお知らせがあります。」と後から着いた私たちに告げた。「タイヤがパンクしてます。」

見ると、なんと左の後輪にビスが刺さり、タイヤの空気圧が下がっているではないか。

行楽どころではなくなって、新しいタイヤを求めてそろそろと車を出す。

目指す「タイヤ館」には行き着けなくて、8号線沿いのオートバックスで、あつらえる。もう、スタッドレスタイヤの時期に差し掛かっているので、今ノーマルタイヤの在庫がなく、取り寄せになるのこと。一瞬、「えっ」と思ったが、30分で取り寄せられると聞いて、ほっと安心。
取り付けてもらって1時間位で作業が終わった。それにしても、うぅ、散財だ・・・。

ここまで来たので、少し足をのばして、大潟の割烹にお昼を食べに行くことにする。「明治庵」というお店だが、夫がその付近にあるゴルフ場に行った帰りに、お友達とよく行っていた店らしい。魚がおいしいとのこと。

改装したらしく、前に夫が来ていたときとは少し趣が違って、小さな個室が何部屋もでき(掘りごたつ式で座るのに足が楽だった)、お昼の定食が「ミニ会席」になっていて、お値段も、2000円以内で食べられたのが2500円~3500円ほどに値上がりしていた。

でもお刺身はおいしく(今日のは、蟹と伊勢えびが秀逸。ぶりもほどほどの脂ののりでうまい。)、焼き魚(今日はかさご)は大きくて、味付けも薄味ながらしっかりしていてよかった。

食後、晩秋の日本海を眺めに行く。061103_140400

よく「日本海の荒波」といわれるが、それは冬の間のことであって、まだ波はかわいいものだ。サーフィンもできる太平洋に面した町で育った私にとって、夏の日本海は物足りないことこの上ない。

061103_1409 砂浜には、打ち上げられた漂着物や、ごみなどが散在していた。

その中に、ふたにハングル文字の書かれた空き瓶も。

そうだ。あの水平線の向こうには、ハングル文字の国があるのだ。

この海岸線を右手方向に北上していくと、蓮池さんたちが拉致された場所もあるはずなのだ。

今日は、写真に映っていない所で、岡釣りをしている釣り人が1人と、テトラポットの上に2~3人の釣り人らしき人影があったが、誰もいなかったら・・と考えると、少し、空恐ろしくなった。

さて、話題をかえて。

文化の日らしく漢字を学習しました。次の漢字は何と読むでしょう?(答えは反転文字で)

  • 咳流紫音 ・・・ セルシオ
  • 練雅姿威 ・・・ レガシー
  • 輪金阿亜路・・・ ワゴンR
  • 世怒利苦 ・・・ セドリック
  • 蘭沙亜 ・・・ランサー
  • 須加威羅員 ・・・スカイライン
  • 淫不烈炸 ・・・インプレッサ
  • 瑛州帝魔 ・・・エスティマ
  • 狼零流 ・・・ローレル
  • 瀬李華 ・・・セリカ

☆ヒント:オートバックスで見つけました。

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2006年10月30日 (月)

患者さんからの手紙

うれしい手紙が届いた。

小学校2年生の男の子からの手紙だ。

3歳のときから診ていたのだけれど、今年の始めに引越していった子だった。

小さな時から重症のむし歯に罹っていて、前歯を失い小児義歯も入れた子だった。

転居先の小学校の歯科検診で、学校歯科医の先生から、「きれいな歯ですね。これからもはみがきをつづけましょう。」と言われたそうだ。

「先生のおかげです。ありがとうございました。」と書いてあった。

本人は、誉められてよっぽどうれしかったに違いない。うちに帰ってから喜んで話をしたのだろう。

母親からも「・・・・・大変お世話になりました。今回このような事があり、ぜひ報告したいと思い手紙をかかせていただきました。・・・・」と書き添えられていた。

思いがけず、お礼の手紙をもらい、一日中暖かい気持ちになった。日々の診療の元気の素になった。

とてもありがたかった。

学校歯科医の先生にも感謝している。

子どもをしっかり誉めて、励ましてくれたのだから。

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2006年10月10日 (火)

灯りの小径

061008_1813 昨日今日とすこぶる良い天気で、夏の再来のように暑かった。

「体育の日」前後は、特異日のように毎年、半袖でも過ごせるくらいの陽気になるように思う。

それにひきかえ、ほんの2日前の10月8日は、発達した低気圧のおかげで、大荒れに荒れ、気温も低く、散々な一日だった。

おりしもこの日は、商店街振興のために、アーケードを中心に、「花」をテーマに趣向を凝らした作品を出品し、審査表彰、住民は鑑賞するためにそぞろ歩きをする、今年で8回目となるイベント、「花ロード」の中日だった。(1回目は女優の真野響子などが審査員として来ていた。)

また2~3年くらい前より、花の出品ではない企画もあって、娘たちの学年は、受け継ぐもの拓くもの、街づくりというテーマで「道」についての総合学習をしているところなので、「灯りの小径」という企画に参加した。

花や、街の特徴を絵や文にしてカップに描き、水を入れて、ろうそくを浮かべて灯りとする。
全員の分を並べるとあかりのみちとなる。・・・18:00に点灯式をして、わぁ~!となるはずだった。

ところが、暴風雨の影響が夕方になってもまだ残り、ビル風が容赦なく、ろうそくの灯りを消してしまうのだった。点けるそばから消えていくので、手で覆いをしたりして、守った。

ようやく「みち」のようになったので、すかさず携帯で写真を・・。(このあとまた消えてしまうもの多数。)

寒かった~!!

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2006年10月 1日 (日)

丸型ポスト

061001_1608 「寺町」を散歩中、見つけた丸型ポスト。

「赤色」でなくて「オレンジ色」だったけれど、懐かしいと思って携帯で撮影。

これは、昭和24年(1949年)から、それまでの『丸型庇付ポスト』(明治45年~)に代わって実用化された鉄製ポストなのだそうだ。『郵便差出箱1号』という名前らしい。

私の子供のときは、皆この形のポストだったと思うのだが、近頃では珍しい。角型ポストになってから久しいものね。

※明治4年4月20に日本で初めて郵便制度が開かれてから、ポストも作られました。最初は「書状集箱」とか、「集信箱」とかいわれていて、東京市内用、京都・大阪市用、東海道筋用の3種類あったようです。東京が12ヶ所、京都が5ヶ所、大阪が8ヶ所、東海道の宿場町に62ヶ所設置されたとのことです。その後のことは、「日本郵政公社郵政資料館」のサイトをご覧ください。※

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2006年9月28日 (木)

ようやく復旧

パソコンは嫌いだ。

よくわからないで使っている自分はもっと嫌いだ。

23日の朝、学会兼家族旅行に行くので天気を見ようとパソコンの電源を入れたら、突然変な画面が出た。

通常の終了ができず、強制終了しても、ゾンビのようにまた電源が入る。

仕方なく、コンセントを抜いて電源を切った。

旅行から、帰ってきたら完璧におかしくなっていた。

ショック!もしかしたら、即買い替え?あと少しでWindows Vistaが出るのに・・・

買い替え時期を逸したうちのパソコンは、笑うことなかれウインドウズの98。マイクロソフト社にサービスを打ち切られて、はや2ヶ月。だめもとで、FUJITSUサポートセンターに電話する。

セイフティモードの起動もできないし、ハードディスク自体の故障がないとも言い切れないけれど、とりあえずリカバリをしてみて下さいとのこと。

リカバリ!!う・う・2回目の・・・。

また、データが全部なくなってしまう。それにものすごく時間がかかるし・・・

前の経験で、バックアップが大切と、バックアップソフトを買ってきて、四苦八苦して一度は外付けののHDに保存したものの、やり方がよくわかってなくて、それ以来置物になっていた。

新しいのはあきらめなくてはならないが、まあ、少しは保存できてるので、それを復元すればいいか・・・。特に面倒なのはインターネットの設定だから、それはバックアップされてるはずだし・・・。

なんて、98ユーザーには許されていなかった。

肝心のHDを認識させるために、ドライバインストローラを、HPからダウンロードしてこなければならなかったのだ。(前にしたときのことなど、わけわからずしているので、覚えているはずもなく・・泣)
XPならそのままドライバがインストールされるのに・・・。

かくして、やはり、いちいちすべて、やり直すことに。

ADSLモデムーNVを認識させるのに、「簡単設定CD-ROM」があったが、「お使いの機器には対応していません」だと!この前はどうしたんだっけ。そうそう、書いてあるとおりにやって、ブラウザを起動させたんだった。・・・ところが今度は何度しても起動しない。画面が前と違うような・・・あれぇ・・・。お手上げ状態で、NTTのセットアップホットラインに電話。

20分くらいつながるまで待った。

ようやく窮状を訴えることができた。それなのに電話の向こうからの指示で、あれよあれよという間もなく、開通。「今から、インターネット使えますよ。」・・・はぁ、あの苦労はなんだったんだろう。無駄な時間をすごしてしまった。

メールも設定し直して、ひとまず再機能し始めたうちのパソコンである。

それにしても、私はやっぱりよくわかっていない。

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2006年9月23日 (土)

キンモクセイの香り

9月22日(金)

通勤途中に、はっと足を止めた。

金木犀の香りが風に運ばれて、どこからか漂ってくる。

馥郁と、ほのかだが、自分の存在を主張する香り。

ちょっと寄り道をして探したら、お庭に2本、金木犀の木がオレンジ色の可憐な花をつけていた。

携帯で写真を撮ろうと思ったけれど、不審者のようで断念した。

良い香りに小さな幸せを感じながら歩いた。060922_1528

秋だなあ・・・。

さて、職場(診療室)の隣、主人の実家の玄関に一歩入った途端、芳香に出迎えられる。

金木犀の一枝が生けられていた。

花言葉は
「謙遜」「真実」「陶酔」「初恋」

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2006年9月17日 (日)

男系男子継承とは・・・

続きです。

遺伝的に考えてみます。

人間は、22組44本の常染色体(染色体:遺伝情報の集まり)と2本の性染色体を持っているのですが、この性染色体がXXだと女性、XYだと男性です。

赤ちゃんができるとき、女性の卵子と男性の精子が受精してできるということは、生物とか、保健とか勉強した方ならご存知でしょう。

この卵子には、22本の常染色体と、染色体があります。(2本のX染色体のうち1本は不活化するのだそうです。)

精子は、22本の常染色体と染色体があるもの と、22本の常染色体と染色体があるもの との2種類できます。

受精の際、染色体をもった精子が卵子とくっつくと、22本+22本=44本の常染色体とという性染色体を持った受精卵となり、女の子ができます。

一方、染色体をもった精子が卵子とくっつくと、性染色体はとなって、男の子ができます。

さて初代の染色体がだとしましょう。
その妃の染色体がXXとすると、二人の間の皇子の染色体はとなります。

その皇子XXの染色体をもつ妃との間に皇子をもうけると、

またこの皇子と、その妃XXとの間にできた皇子だと

次の世代、XXだと・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり、「男系の男子」はどんなXXがきても、連綿と同じ染色体を受けついでいくことになります。まさに「万系一世の」血統です。

125代も続いているということで、これほど由緒正しき血筋は、世界中でも他には無いわけです。

ここで、男系の女子だと(。配偶者の染色体をXYとすると、女系男子となる皇子のY染色体は、ということになり、染色体は途絶えてしまいます。皇朝が変わるといってもいいでしょう。

と、こんな事を考えましたが、間違いがありましたら、どなたか、ご教授ください。

有識者会議では、はじめから結論ありきのように、拙速に女系天皇容認をうちだしましたが、本当に、「日本の伝統」ということを考えたのか、第2次大戦後GHQ主導のもとに臣籍降下された旧宮家のことも考慮したのかどうか、もっと議論が必要だったのではないかと思うわけです。

まあしかし、現在この世の中、光源氏のような振る舞いが許されるべくも無く、藤原道長達のように、権力を得ようと競って娘を嫁がせるようなことや、大奥とまでも行かなくても側室制度とか、あるわけがなく、かつ少子化のご時世、いずれ、今のままでは、「男系男子継承」が、立ち行かなくなるのは自明で、また、男女平等の尊重や、皇室に嫁ぐ方のプレッシャーを軽減するためにも、「女性の天皇」についても考えるべきではないか とも思うのです。

伝統を守りつつも、柔軟に。
良い方策がないか、時間をかけてもっと多くの人の間で話し合われることが必要だろうと考えます。

、XYだdddだだ

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2006年9月12日 (火)

なぜ男系男子継承なのか?

秋篠宮家のご長男のお名前とお印が決まった。

新宮さまのお名前は「悠仁(ひさひと)」親王、お印は「高野槇(こうやまき)」。

お名前は「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくこと」を願われ、お印は「大きく、まっすぐ育ってほしい」とのお気持ちからお選びになったという。

悠仁さまの健やかなご成長を、一国民としてお祈り申し上げたい。

さて、紀子さま御懐妊の前までは、世論は女性・女系天皇容認に傾きつつあったと思う。私もなぜ、女性の天皇ではいけないのかと思っていたし、男女平等の世の中なんだから、男子に限るというのはおかしいのではないかと思っていた。

この流れを危惧し、棹をさしたのが、それまでは東宮家を慮って、お子様お二人にとめおかれた秋篠宮殿下と妃殿下のご決断、ご挑戦だったのだろうと推察する。可能性に賭けられたのではないかと思う。

このままでは、男系の血筋が絶えてしまうのは時間の問題だったからだ。

この「男系」というのは、父方が天皇の子孫であるということで、皇位は、建国以来125代にわたって、例外なく「男系」によって継承されてきたのだという。

女性天皇も、10代8人いらっしゃったのだが、皆男系の方で、在位の間は独身で、ピンチヒッターのように即位され、また次代は男系男子の皇族が継承されたのだ。

神武天皇以来2666年間、「万世一系」の皇朝が続いている日本は世界でも例を見ない、特別の歴史と伝統を持っている国で、これを途絶えさせてもいいのかと問われると、「男女平等」といっている私も、肯定できない。

歴史を紐解いてみると、皇室における「男系男子継承」は連綿と続いてきた日本の伝統であり、女性蔑視とか、時代錯誤とか、そういう次元の話ではないと思うようになった。

遺伝的にも「男系男子」だと、とてもクリアな部分があることに気付いたのでまた、つづきは後ほど・・・。

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2006年9月11日 (月)

夏の疲れ

8月は忙しかった。

おまけに暑かった。診療室のエアコンが不調で、室温が30℃から下がらなかった事が何度も・・・。

電気店もなかなか来てくれなかったため、ようやく先週半ばに新しいエアコンが入って一息ついた。

疲れが出ているのだろうか、パソコンの前に座ると眠くなり、うとうとしてしまう。

寝る前のお肌のお手入れや、ストレッチ体操をする元気がなく、ソファで力尽きてしまう。

仮眠して、やる気が出てから、するべき事をしてようやく床につくのが丑三つ時。

これではまた眠くなる原因を作っているだけだと、頭では分かっているのだが。なかなか悪循環が断ち切れないでいる。

ブログも更新できず、メールにも返信できず今日まできてしまった。

「サプリ」が必要かなぁ・・・。

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2006年9月 4日 (月)

なごりの夏

9月3日(日)

朝夕、だいぶ涼しくなってきた。

おとといなど、窓を開けて寝ていたので、明け方寒いくらいだった。
すかっとした青空には、すじ雲(巻雲)や、秋の代表的な雲うろこ雲(巻積雲)がきれいにその姿を見せていた。

昼間は暑いけれど、確かに秋がきている。

夏の間にし残した事。・・・ところてんを食べに行く事。060903_1615

まだ、夏を感じるうちに食べに行こうと、3人で出かけた。

旧大島村のところてんのお店。「日本一」という看板が掲げてある。

鯉のいる池に面したテーブルで、外の暑さとは隔絶されたひんやりとした空気をまず楽しんだ。

060903_1601 冷たい湧き水で作られたところてん。

一本箸で食すのが、この店流。

最初に来た時は、一本箸でうまく食べられなかったが、今では何とか食べられるようになった。

一皿250円。

「日本一」かどうか、他所のところてんと、食べ比べた事がないので、断定はできないが、市販のものよりは、格段に美味しいと思う。

近郷近在の人たちもひっきりなしに訪れる。

「ちょっと、松代温泉に行って来た帰りで・・」「うちは、松之山に。」などという会話が聞こえる。

今日は、お子様サービスデーで、湧き水に沈む朝採りトマトを一個もらった。

私も一口おこぼれに預かったが、甘みも酸味もぎゅっと濃縮された、美味しいトマトだった。

夏の味に大いに満足した日だった。

あっ、ところてんのお土産を買ってくるのを忘れた!

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2006年8月10日 (木)

ロングバケーション

フジテレビの月9ドラマ、瀬名(木村拓哉)と南(山口智子)のコミカルなラブストーリー。

もう10年経ってしまったんだ・・・。私はこのドラマで、キムタクのファンになったのだっけ。

山口智子が良かったせいかも知れない。

久保田利伸の”LA・LA・LA LOVE SONG”もよかった。

CAGNETの”Close to You ~セナのピアノ”は大好きだった。

・・・・と、この話ではなくて、今日は何が言いたかったかというと、ウォーキングが「ロングバケーション」にはいったということ。

私も含めて、お盆の里帰りや、旅行、飲み会などで多忙になるため・・・。

暑いからいくらでもビールは入るけれど、自粛しないといけません。
(もう既に今日は歯科医師会の会合で生ビールを2~3杯飲んできてしまった・・・。)

明日の朝からは、娘と一緒にラジオ体操にでも行こうかな。

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2006年7月 7日 (金)

今日の出来事

7月6日木曜日 曇り時々小雨

今日は休診日。

朝、1回洗濯。

朝食を食べながら、ワイドショーで北朝鮮問題について、識者の意見を聞く。本当になんて国だろう。
あらためて地図を見ると、彼の国やミサイルの着弾域は日本海越しになんと近いことか。
ミサイルの脅威。
日本人はもう少し危機意識を持って、防衛対策をしないと・・・。

午前中は、乳幼児検診に出かける。
1歳児、2歳児、2歳6ヶ月児の歯科検診。

合併して市になった元村役場近くの保健センター。職員さん達は変わらないので、以前のままの方法が踏襲されている。市の検診と少し違うので、最初戸惑う。

20人くらいの単位でまとまって待っているため、誰かが「泣き」の音頭をとると、次々に連鎖反応が起きる。にぎやかなこと。

2歳児で口を開けない子がいた。
頭を綺麗にバリカン刈りした男の子。
すりすり頭をなでると手触りがいい。
『わぁ~、カッコイイなー。この頭どこでしたの?』
『お父さんがしてくれたのよね。』と、母親。
『すごいね、よくできたね。嫌がる子も多いけど・・。』
『この子、好きなんです。』
『へぇ~。えらいね!こんなえらい子は、お口も開けてくれるよね?』

彼は、こくんと頷いて、あ~ん と口を開けてくれた。
2歳児さん、ちゃんとに話しがわかってるんだね。

家に帰ってくると、お昼の時間。

夫も今日は自宅にいる。
2人分のお昼、何にしようか・・・。

彼はスパゲティを所望した。
よしよし、時間が無いから、パスタソースはレトルト+アルファでいこう。

午後からは、娘の学校の学習参観と、PTA。今日は中学の説明会もあるという。

先日の、教養講座で教わった通り、いつもより時間をかけ、目の下のくまにカヴァーファンデーションを塗り、アイライン、マスカラもつけてみる。
教養委員長さんから、『ばっちり。いいよ~。』とお褒めの言葉をもらった。
はい、受講した甲斐がありました。よい企画でしたよ(笑)。

娘が先生に指された。私の方が緊張してしまう。
なんて答えるだろうかと思っていたら、案外(←と言ったら怒られるかな?)きちんと考えた事を答えたので、ほっと、安心。

学年PTAでは、夏休みの親子活動について、もめた。意見がまとまらないままに、時間切れ。学年委員長さんは大変ね。私はその前に、居眠り病にかかっていて(ごめんなさい)、頭が働いていなかったので、意見を出せずじまい。帰りに、他の役員さんに話しておく。

夕方5時過ぎに帰宅。

義母から、ゴーヤチャンプルはどう作るんだったかという電話があったとのこと。ちょうど、レセプトチェックのし残しと、従業員の健康保険加入の手続きをするため、診療所へ行くつもりだったので、ついでに口頭で話してくる。

今日の夕飯は外食。

とんかつやで待ち合わせ。
お腹いっぱい、食べる。娘は、大分食べられるようになったが、まだ1人前は完食できない。もっと、お肉を食べて、筋肉つけて、さかあがりができるようになってよね。

夜7時から、町内会の役員会。
子供会の会長なので、役員会に出なければならない。

祇園祭りの子どもみこしのお手伝いをお願いした。

役員会の前に携帯に、お茶の誘いがあった。学年委員長さんから。
彼女のお宅は、私の自宅の目と鼻の先にある。

会議の後、お茶に呼ばれて、チーズケーキまで、ごちそうになった。
今夜はウォーキングお休みしたので、カロリーオーバーがこわい・・・。

今日は掃除をしてない、洗濯物をたたんでない・・・んだけれど、まぁ、いいか・・・。

こんな、とりとめも無い事をブログに書き留めようとして、ココログにアクセスするも、つながらない。本当にイライラする。おかげで、7月6日のうちに書けなかったじゃないか!

と、また腹立たしい思いがわいてきたが、このへんで、やめにしよう。おやすみなさい。

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2006年6月10日 (土)

時の記念日

6月10日は「時の記念日」です。

1920年(大正9年)5月16日から7月4日の期間に『時の展覧会』が教育博物館で開かれ盛況だったそうですが、この期間中に当時の「生活改善同盟」と、東京天文台によって、日常生活を合理的にしよう=「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善合理化を図ろう」と「時の記念日」の制定がなされました。

天智天皇が初めて人々に、時を知らせた日=唐から伝えられたという漏刻(ろうこく、水時計)で、「時の奏」(太鼓や鐘を打って時を知らせる)を行った日 に ちなんで、この日を時の記念日に制定することとしました。

日本書紀によると、これは天智10年(西暦671年)「夏四月の丁卯の朔辛卯の日( 旧暦の4月25日)のことで、現在の太陽暦に直すと6月10日であることから、6月10日を「時の記念日」としたのだそうです。

小学校の頃から、「時間を無駄にしない」「時は金なり」「時間にルーズではいけない」と親から言われ続けて早〇十年。親から離れてからは、夫からも言われ続けているというのに、いっこうに改善の兆しがみられません。

どうして、私の周りの時間はこんなに早く過ぎてしまうのだろう!

時間の使い方が下手で、もがいている毎日です。

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2006年5月16日 (火)

こんなに大きくなりました

熱帯魚の赤ちゃんが、成長しました。
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        ⇒

稚魚だったのに成魚の小型版になりました。

親(プラティー)の特徴がよくでてきました。

ここまで大きくなると安心です。

いろいろな場所を泳ぎまわっています。

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2006年4月22日 (土)

熱帯魚の赤ちゃん

060422_1427 待合室の熱帯魚の水槽に、いつの間にか熱帯魚の赤ちゃんが生まれていた。(何と言う名の魚かはわからない)

めちゃめちゃ可愛い。

祖父宅にいる娘を呼んで、見せた。娘も目を輝かせていた。

熱帯魚をたくさん飼っている患者さんが、お腹の大きいメスなど何匹か自宅から持ってきて、補充して下さっていたのだが、そのメスから生まれたものと思われる。

水草があると卵を産むというので、それまで偽の水草だったのを本物の水草にして、いつ生まれるかと楽しみにしていたのだった。

待っている時はなかなか産まなかった。

興味のある子どもも「ねえ、まだぁ?」と何度も聞いてきた。

あまり待たされるので、どうせまだだろうとここ何日か、目を離していた。そのすきに生まれたらしい。餌をやっているスタッフも気が付かなかったと見える。

今日、私が気付いた。

その時には、この赤ちゃん一匹だけになっていた。あとは捕食されちゃったんだろうな。

この赤ちゃん、生き延びただけあって、賢い。大きな魚があまり来ない、水面近くの、水草の絡まるところに隠れるようにして泳いでいた。もう少し大きくなれば、安全だろう。

それまで、無事に成長しておくれ!

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左が赤ちゃんで、右がママ。

(お魚は、ちっともじっとしていないので写真をとるのに苦労しました。)

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2006年4月15日 (土)

怒れ!国民

テレビ朝日系の2時間番組で、「怒れ国民!!小倉智昭の税金ムダ使い特命調査」というのをやっていた。

『ひどい!』の一言につきる。

家族で、憤慨しながら見ていた。

同じくテレビ朝日系の朝の番組では、官僚や一部の役人、政治家の恵まれすぎた実態や、明らかにムダと思われる施設などの事を、何度も取り上げている。

詳しい内容は、思い出しただけでも腹が立つのであえて書かないが、財源が無いといっていながら『こんな事が許されていいの?』ということばかりである。

診療報酬改定から二週間たった。

自分達の都合の良いように好き勝手している人達の決めたルールに従わなければならないという理不尽さに、まだなじめずにいる。

一週間前の朝日新聞の記事に、「リハビリ中止は死の宣告」という東大名誉教授 多田富雄氏のコラムがあった。

多田氏は脳梗塞の後遺症で重度の右半身麻痺や言語障害があるが4年リハビリを続けたおかげで、なんとか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送ることができるようになった。

ところが、今回の診療報酬改定で、医療保険の対象としては一部の疾患をのぞいて障害者のリハビリが180日=6ヶ月を上限として、実施できなくなったと担当の医師から告げられたという。

急性期を過ぎたので目立った回復は望めないが、リハビリによって、今でも少しずつ運動機能は回復している。それどころか、リハビリを続けていないと身体機能の低下を引き起こすことも体験した。

これ以上機能低下すれば、寝たきり、衰弱、死が待っていると、氏は危惧する。

今回の改定は、「障害が180日で回復しなかったら死ね」というのも同じことだと断ずる。

言語障害はもっと深刻だ。構音障害は運動麻痺より回復が遅く、1年たってやっと少し声がでるようになる程度だという。もし半年で打ち切られれば、一生話せなくなってしまう。

口蓋裂の子どもなど、半年で放り出されたら一生しゃべるなというに等しい。

医師なら誰でも知っている事だろう。

門外漢に決定権があるから、弱者にしわ寄せの来る制度となる。

ちなみに今回の改定はこんな視点よりなされたそうだ。(厚労省のHPより) 

(1)  患者から見て分かりやすく、患者の生活の質(QOL)を高める医療を実現する視点
(2)  質の高い医療を効率的に提供するために医療機能の分化・連携を推進する視点
(3)  我が国の医療の中で今後重点的に対応していくべきと思われる領域の評価の在り方について検討する視点
(4)  医療費の配分の中で効率化余地があると思われる領域の評価の在り方について検討する視点

どこが患者の生活の質を高める医療の実現なのか?

身体機能の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する予防医学にもなっていること、リハビリは単なる機能回復ではなく、話すこと、直立二足歩行という基本的人権を人間の尊厳を、回復するものであるということ。今回の改定はそれを踏みにじるものだと、多田氏は言っている。

本当におかしな国である。国民はもっと、怒るべきだ。

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2006年4月11日 (火)

春の嵐

昨日まで、気温7~8℃だったのが、今日は一気に15~17℃に上昇。

曇天の中、空気がなまぬるかった。時おり吹く大風。

夜になるにつれ、風は勢いを増し、まるで嵐のように吹き荒れた。

ウォーキングは中止にしようというメールがまわってきた。そうだよね、この風じゃあ。

明日も天気はぐずつくらしいが、最高気温は21℃まで上がるという予想が出ていた。

ピンクに色づいてきたがまだ固い蕾のままの桜もほっと肩の力を抜いて、ほころんでくれるだろうか。

<追記>

強風は、最大風速32メートルを記録したようです。 

「春の嵐」で、関東以西の各地に豪雨の被害が出ているようです。(実家のある、南房総でも川の氾濫した地区があったとか。)

お見舞い申し上げます。

 4月12日は天気予報どおり、こちらではものすごく暖かくなりました。暑いくらいでした。(最高気温24.5℃だったとか。)

天気も午後からは青空が見え始め、と思ったら、あっちの桜、こっちの桜が一気に開花し出しました。今まで、寒さに押さえつけられていた分を取り戻そうとするかのように、ほんとに見事にパッ、パッ、パッと一斉に咲き出しました。(桜は全体主義?日和見主義?)

早速夜のウォーキングは、お花見に!

缶酎盃片手に公園まで歩いて、おでんやたこ焼きを肴に、わいわいやってきました。

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2006年4月 2日 (日)

アンフェアなのは誰か?-つづき-

世の中にはフェアな事なんて何もない。
目には目を。
復讐には復讐を―
アンフェアにはアンフェアを

瀬崎の、アンフェアな世の中に対する復讐は、スケープ・ゴートとなる人達を殺めることでなされた。

安藤のそれは、アンフェアな人物そのものを、粛清することでなされた。
アンフェア=×(バツ)⇒  として。

そして、復讐しようとした者は全て、罰せられた。

このドラマをこのように捉えてみた。

―しつこいようだが、今回の診療報酬改訂における「歯科いじめ」を、ある情報をもとに、アンフェアであるという視点でなぞらえてみた。

今も時折ニュースにのぼる、1億円ヤミ献金事件。

日本歯科医師連盟・日本歯科医師会の臼田前会長がかかりつけ初診料に対して、便宜を図ってもらおうと、自民党の橋本元総理に1億円をヤミ献金したという事件だが、これを聞いた時、歯科医師会の末端会員の誰もが、「なんと馬鹿な事を!・・・」と思ったに違いない。

こんな、アンフェアなことをしなくても、当然、医科と歯科の初診料は同じであるべきなのに、自らそれを潰してしまったに等しく、歯噛みをしたことだろう。その上、世間を騒がせ歯科医師全体の信頼を失墜させたのだから。

(前会長に勝手に会費を流用されたことも腹立たしいが、末端の会員が会費の使い道について何も述べる事ができず、どう使われているのかもはっきりわからないような組織に辟易した。)

さて、この事件に並行して、中医協汚職事件があった。

臼田前会長の指示で、厚労省の2幹部(中医協事務局があった厚労省保健局の職員と、歯科行政を担当する医政局歯科保険課の当時の幹部)に現金を渡したというもの。

この事件で、厚労省の2幹部は更迭され、それを恨みに思った後輩が今度の改訂の担当となり、歯科医師会憎しとばかりに、歯科に対する改訂が甚だしく厳しくひどいものとなったと言う話だ。

これが本当なら、末端の歯科医師たちはスケープ・ゴートにされているようなものである。

復讐者には「罰」がくだるはずだが、お役人は手厚く保護されていて、罰のくだりようが無い。

臼田前会長は有罪となり、歯科医師免許も剥奪されるという「罰」を受けたが、橋本、野中、青木の各政治家には何のお咎めも無い。不起訴処分のままだ。

報告書に載らない献金は賄賂であり、贈った方も受け取った方も同罪であるはずなのに・・・。政治家は特別なのか?

アンフェアである。

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2006年3月31日 (金)

アンフェアなのは誰か?

「世の中にはフェアな事なんて何もない。
目には目を。
復讐には復讐を―
アンフェアにはアンフェアを」

のナレーションで始まる、TVドラマ「アンフェア」

篠原涼子扮する雪平刑事のかっこよさと、相棒の新米刑事安藤役の瑛太がウォーターボーイズの時より見違えるようになったのに惹かれて、毎回見ていた。脇を固める俳優陣も個性的な人が多くて、面白かった。

「殺人犯」達の原動力はアンフェアな事に対する怒り。復讐。

父親を殺され、殺人を憎む雪平は、目の前で人を殺そうとする犯人をためらいもなく射殺する。殺人(=アンフェア)には射殺(=アンフェア)を。目には目を。の構図がここにもある。

すべての謎が明らかになった最終回は、切なかった。

正直者が馬鹿を見る社会、フェアな事のない世の中を憂えた。

4月1日より、医療保険の診療報酬改訂がある。

「医療費削減」の名のもとに、医学的に根拠のない数字あわせの減点が行なわれる。

医者・歯医者は儲けているだろうという色眼鏡の役人達。正直に、まじめに、患者さんの事を思って治療すればするほど、儲からないのに、過度の医療費削減は、心有る医者・歯医者の生活そのものを圧迫し、医療の質の低下を招きかねない。

「削減」するのは、もっとほかにあるだろう!政治家、役人は、もっとフェアに自分達の税金の無駄遣いについて考えて欲しい。 

診療報酬について、医科と歯科で公平ではないと思うことがある。
初診料と再診料に大きな差があるのだ。

医 :  初診料274点→270点 

歯 : か初診料274点→180点(かかりつけ廃止)

医 :  再診料73点→71点
(診療所)

歯 : か再診料45点→38点(かかりつけ廃止)

医科では、この-4点と-2点について、あるサイトで「保険診療始まって以来の暴挙」であると書いてあったが、そんな事をいったら、歯科ではなんと言えばよいのか。

歯科では患者さんを診察する時、ミラ-、ピンセット、探針、エキスカベータ―、セメント充填器、それらを載せるトレーを全て、毎回、患者さんごとに滅菌消毒をして用いている。その手間にランニングコスト、設備投資、修繕費等々、外科以外の医科ではかからないような経費がかかっているのにもかかわらず、初診料が3分の2、再診料が半分に近いというのは、どういうわけだろう?

さらに、今回の改訂では不公平なことがある。

それまでは、医科と同じ条件で算定できたものが、歯科だけ、文書の提示を求められるものがあるのだ。何のために?

その他、文書の提示がなければ認められないという診療項目がいくつもあり、患者さんにも署名をしていただかなければならないものとか、いつから歯科は事務屋さんになってしまったのかと思うばかりの改悪である。煩雑な事務に時間を取られて、肝心の患者さんの治療の時間がなくなっては、元も子もない。
もちろん、患者さんから求められれば、インフォームド・コンセントとして、適切な文書提示は吝かではないが、口頭でも十分と思われるものにも文書提示で縛るようなやり方には悪意を感じる。

EBMに基づき、患者さんのためにもなる改訂だったら、減額されても納得できるが、まったく違う。このままでは、従来のとおりに治療した場合、今まで保健でできたものが、できなくなり、患者さんに自費でお支払いいただくか、歯科医が無報酬でせざるを得ない項目もある。プロとして誇りを持って行なう仕事にはその対価としての報酬があるべきと思うので、当然納得できない。

どうも、今回の改訂はフェアに審議されたものではない事は確かなようだ。

アンフェアなのは誰か?・・・。

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2006年3月13日 (月)

なごり雪

きのうから降り出した雪。春の雪らしく、水っぽいボタ雪ですぐに消えると思っていた。

ところが今朝、外を見て驚いた。冬の再来。一面の雪景色。

「なごり雪」といえるのかどうか。

スタッフの女の子から電話が入る。周りはどか雪。まだ除雪車がこないので、家から出られない。少し遅れます。

冬が居座り、春を扉の外に押し出したそんな感じ。

夜のウォーキングから帰ってきたら、吹きすさぶ粉雪でヤッケが真っ白になっていた。

                    (備忘録)

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2006年1月 8日 (日)

山川草木悉有佛性

V4010008 今年いただいた年賀状の中で目をひいた一枚。

なぐり書きをしているのだが、味のある字だ。

「さんせん そうもく しつう ぶっしょう」と読む。

最初、なんと読むのかわからなかった。意味は自然の中にも、ことごとく、仏性が宿っている・・アニミズム?などと思ったが、はっきりしなかったので、調べてみた。

~わかったこと~

出典は不明の仏教用語であること

私が思ったように、汎神論的な考え方で、アニミズムの思想と、仏教が習合してできた言葉であること  (これに対して否定的な考えもあること)

山や川などの動かぬ自然存在にも、物言わぬ草や木にも、悉(ことごと)く仏となる性質がある。どんなものもすべて仏となる性質をもっている故に、なにものも粗末にしてはならない、という思想であること

そういえば、この年賀状をくれた人は贔屓にしているスタンド割烹のマスターなのだが、よく「ものを粗末にする風潮は困る」とか「もったいない」とか言う事を口にしていたような気がする・・・。

食べ物はすべて生あるものを戴いているので、飽食や偏食については一家言持っている人だった。

これかな。

また、日経BPの未来生活の記事(枝廣淳子の幸せになる「もったいない」話)に「もったいない」ということと、「山川草木悉有佛性」についてなるほどと思う事が書いてあった。

『生きとし生けるもの、生けないもの(?)も、あるがままでそれぞれの価値を持ってこの地球に存在している。』

『単なる「モノを捨てるな、ゴミを増やすな、資源を無駄にするな、リサイクルせよ」という意味での「もったいない」ではなくて、私もアナタも、このコップもすべて、その持って生まれた大事な価値や使命(本務:サンスクリットで“sva-dharma”と言うそうです。岡田先生より)を十分に活かし切って、「もったい」ある生を全うしたい。全うしてもらいたい……。』

そうか。

昨日、彼のお店に食事に行った。

小上がりを除いて、カウンターの席はお客でほぼ満席。
忙しそうにしていたので、この話題は一言二言しか交わせなかった。

「今年の年賀状、仏教用語でしょ?」

「ちょっと頭の中に浮かんだので」「近頃ひどい事件が多くて・・・。なんで殺すんだろ、あんな小さい子」

去年の末、立て続けに起きた小1女児殺害事件の事を言っているらしい。

山川草木悉有佛性 況や人をや

彼の年賀状には、願いと共に、命を軽んじる犯人に対する静かな怒りがこめられていたのだった。

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2006年1月 2日 (月)

書初め

1月2日は、古来、書初めの日らしいので、今年のブログ書き初めとしましょう。ついでにテンプレートもお正月バージョンに変えて・・・と。

娘も今日、学校の宿題の書初めをするんだと張り切っていましたが、学校から持って帰ってきたはずの筆が無い!

まったく、しっかりして欲しいですね。

ところで、ネットで書初めができるサイトを見つけました。
工事とソフィーのJAVAお習字」というのですが、マウスで書くのは難しいです。

『早寝早起き』と書きたかったのですが・・・。

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2005年9月25日 (日)

Happy Birthday

さっき、東京から帰ってきた。

1日研修セミナーがあったのだ。何人も知った方々に会い、お話できて楽しかった。

帰り道、本当は京浜東北線の品川あたりで、「高輪の泉岳寺にちなんだ誕生日の・・・」と、かわいいプレゼントをくれるつもりだった友人・・・。今日はMy Birthday(・・・あっ、年バレました?)・・感謝です。

我が家に着くと、娘は私がいない間、散らかりっぱなしの部屋を片付け、花を買い、テーブルを飾り付けていてくれた。四葉のクローバーをあしらったソープや入浴剤をきれいにラッピングしてもらい、プレゼントまでしてくれた。ケーキを一緒に食べようと待っていてくれた。

(花やケーキは主人に買わせたようだ。)

日頃は、小言を言わなければしなかった宿題なども自主的に済ませていた。

この頃、娘には驚かされる。すごくうれしかった。

娘の買い物に付き合ってくれたのだろう主人の母や妹、それに義父も「お母さんが帰ってきたらおめでとうって言っといて」と娘に言ったそうである。おめでたい年ではないが、ありがたかった。

昼間、実家の母から電話があったそうだ。母は自分の産んだ娘の年を忘れて、孫である、私の娘に「お母さんいくつになったんだっけ?」と聞いたそうである。

私も、加齢への抵抗からか、暦齢と精神年齢のギャップからか、時々自分がいくつなんだか思い出せなくなる時があるので仕方ないか・・・(単なるボケでないことを願う)。

誕生日は自分を生んでくれた母親に感謝する日でもあるときいている。(電話口でそのことを実家の母に言うと、照れからか話題を変えてしまった。)

また一つ歳を重ねてしまったが、今日は本当にHappyだった。

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2005年9月 9日 (金)

台風一過

昨日、さしもの台風14号も北海道沖で温帯低気圧になった。

やはり、九州、四国、中国地方を中心に甚大な被害を与えて去っていった。 

もう少し、偏西風の強い時期だったら直撃もあったかもしれないが、日本海上をスピードを上げて北上してくれたため、私達の地方は、拍子抜けするほどあっけなく去っていってくれた。強風で多少農作物に影響が出たくらい、それからフェーン現象で今年の最高気温をのこしていったくらい・・・。

ニュースで水害に遭った方達の映像を見ていると、申し訳なくなるくらいである。

地形の影響もあって、宮崎県では、局所的に東京都1年分の降水量に匹敵するほどの雨がもたらされた。人智を超えるところがある。

台風のエネルギーは原爆2000個分にもなるという。

構造物の破壊をくいとめるはむずかしところがあるかもしれない。

ただ、人的被害については、各地にある土砂崩れしそうな危険箇所の徹底的なチェックとまわりの住民への周知、災害を想定した避難方法のシュミレーション、早めの避難勧告と、勧告だけでなく、一人暮らしや、足腰の弱ったお年よりには積極的に誘導する等々の対策を立て、実行していくことで死者、行方不明者の数を減らせるのではないか・・・。

台風一過の青空の下、そんなことを思っていた。

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2005年8月29日 (月)

行く夏

いつになく、朝からミンミンゼミが頑張って鳴いていた。

昼は、あっちの庭の木、こっちの庭の木で油蝉が競うように鳴いていた。

薄暮のころになっても、叢の虫の音をかき消すようなせみの鳴き声。

行く夏を惜しんでいるのか、し残したことがあるのか、一生懸命なせみ達。

夏休みの宿題もラストスパートだね。

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2005年8月16日 (火)

故郷に思う

生まれてから18年6ヶ月暮らしたまち。

進学で離れてからは、年3〜4回帰省していた。結婚後、主人の里に引越してからは年2回に減り、子供が生まれてからは、とうとう年1回になってしまった。

少子化の波を受け、だんだん活気のなくなるまち。私が小学生の時には4組あった学級も、今は2組に半減し、私が通ったカトリック系の幼稚園も今年の春に廃園になってしまったという。

毎年帰るたびに、メインストリートにあるお店が1軒、また1軒と少なくなっているようだ。

寂しい限り。

また、自分の記憶もあいまいなのに愕然とする。「ここには何があったっけ。」「確か、〇〇はこの辺にあったはずなんだけど・・・。」

18年余り、何を見てきたのか?もう少し、密度の高いかかわりを持っても良かったのではないか?

今となってはもう遅いが、そんなことを思ってしまった。

050816_2303.jpgこの時期にだけ昼間の人口が増える。海岸線は車の大渋滞。

ただ、首都圏の日帰りゾーンともなっているので、昔ほど、宿泊客によって潤うことが少なくなったと嘆く人も多いと聞く。

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2005年7月24日 (日)

祇園祭

昨日から夏祭。昨夜の花火大会に、今日の子供みこし。

明日は小学校のマーチングバンドと大民謡流しがある。050724_2335.jpg

その昔、日本各地に広がった京都の八坂神社の祭礼を継承したものらしい。旧暦6月の梅雨時にはやる悪病から免れるための祈祷(御霊会)がもとだとか。

祭りの時期もこれまでに多少代わってきたようだが、現在のようになったのはいつで、どうしてだったかは聞いたことがあったかもしれないけれど、忘れた。

T地区に来られた神様は各町内を順々に神輿で渡御され、お宮入り。T地区の祭りが終わると神輿川下りにより、神輿がN地区へ。N地区でも各町内を神輿渡御、屋台巡行。花火大会や大民謡流しなども同じような日程で行われる。そして御饌米が八坂神社に奉納されて「祇園祭」が終わる。

N地区では港町のせいか、T地区より雄々しく荒々しい趣があるようだ。

私の生まれ故郷も港町だったため、祭りのときは大変だ。豊漁を祈願する祭りだったと思うが、祭りの華はけんか神輿に、かつぎ屋台。

子ども達の引っ張る屋台も、もちろんあるが、男衆がかついで練り歩き、時には暴れる不安定な屋台の上でふんばりながら、勇壮な太鼓をたたいている人が格好よかった。腹に響く太鼓。懐かしい。

祭り好きの小中学生の男の子は、大人になったら派手な緞子(相撲の化粧回しのようなもの)をつけ、着飾って神輿や屋台を担ぐのが夢だった。

アフリカの原住民も祭りでは男達が着飾り、太鼓をたたき、踊る。人種を超えて何か共通するものがあるんじゃないかな。

実は、私も祭りの太鼓を聞くと、内部に秘めた血が騒ぐような気がしてならないのだ。

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2005年7月17日 (日)

娘の不在

「おかあさん、ハンバーグカレーおいしかったよ!なっちゃんのお母さんがハンバーグつくってもってきたの。」と電話の向こうから、娘の弾んだ声。

その前は、テントを張って、カレーの準備をしているという電話があった。娘は携帯電話を持っていっているので、結構連絡をくれる。娘から連絡が入ると、うれしそうな夫。

今、娘はお友達の子供会の行事に便乗させてもらって、飯綱高原のキャンプ場にいる。友達から誘われたと言ってきた時、相手のお宅に迷惑でなかったら、娘達にとってはとても楽しい経験になるだろうから、行かせてあげたいなと思っていた。お宅に電話をかけると、是非どうぞとのこと。

話が決まってから、娘のはしゃぎようは大変だった。あと何日、あと何日と指折り数えて待っていたのだった。もう一人便乗させてもらうお友達も同じだったようで、「もう、ニコニコだよ。」と彼女のお母さんも言っていた。

今日は、バレーボールのキューバ戦があった。いつもなら「日本チャチャチャ、日本チャチャチャ」と手拍子を打つ娘がいない。

メモ用紙に、赤い日の丸を描き、周りに、「ファイト!」「勝利!」「絶対勝つ!」etcなどとエールを書いてテレビの上にお札のように置く娘がいない。

何となく、空虚感。

あの小さな体でも、親にとっては大きな存在だったんだなと、あらためて気づく。

バレーは結局フルセット戦った末、最後の最後で負けてしまった。あの「娘のお札」があったら・・・彼女の日の丸はサッカーの試合には結構威力を発揮していたっけ・・・。

負けを見届けてから、すでにアルコールで眠気の差していた夫は寝室に行ってしまった。

取り残された私は、こうしてブログと向き合っている。

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無題

暑い一日だった。

今日はうちのスタッフ(歯科衛生士)の結婚式があった。26歳の新郎と24歳の新婦。

今時の、チャペルとガーデンを貸し切りにした結婚式場。働くスタッフも若い。まず違うと思ったのは、披露宴が始まる前、早く到着して待っている招待客には飲み物のサービスがあるのが普通だが、何も無かったということ。遅れることを非常に嫌う主人と20分も前に到着して手持ち無沙汰に待つことになった。親族、友人はチャペルでの挙式に参列しているので、披露宴だけ招待された者が少ないせいなのか・・・。

仲人もたてない、自分たちと友人たちのための結婚式。それはそれでいい。ただ、人がお祝いの言葉を述べている時に黙って聞けないのか、今の若者は。特に帝〇長〇高校野球部のOB諸君。君達は、他の人が話している時には静かに聞くようにと小学校で習わなかったのかな?

自分たちの元監督が挨拶している時には、大いに盛り上がっていたが、主人が、「新婦の職業である歯科衛生士は、小さな子供からお年寄りまですべての人の口の中をきれいにする大切な仕事であり、特にこれから、介護の問題を考えた時に、口腔ケアーはQOLを高める上で、なくてはならないもので、ますます歯科衛生士の役割は大きなものとなっていくでしょう。これからも誇りを持って頑張ってください。」というような趣旨の挨拶をしている時、まったく聞いておらず、私語でとてもうるさかった。

私は不愉快な思いを隠すように、ひたすら食べて飲んだ。シャンパン、ビール、白ワイン、赤ワイン・・・。

「自分達さえ良ければ、楽しければいいと思っているんだな。社会性が無いんだよ。年長者を立てるということも知らないようだしね。」これは、自宅に帰ってきてから主人がつぶやいたこと。

披露宴自体は、色々なアイディアが散りばめられていて、手作り感があった。ご両親、ご兄弟、友達には感動的なプロデュースだったのではないか。

だんだんアルコールの力で、どうでも良くなってきて、不愉快な気持ちでいることをやめた。

お隣の、新郎の元同僚の女性とお話をした。新郎の彼は、スポーツクラブのコーチをしていて、そこに来ていた新婦と知り合って、このたびゴールインということになったわけなのだが、色々な種目の色々なコースを教えていて、特にキッズコースでのちびっこからの人気は高かったらしい。最近、家業を継ぐ前提として転職するためにコーチをやめたのだが、「〇〇コーチはどうしたの?」「なんでいないの?」と何人もの子供達から聞かれるのだそうだ。

「いい人なんだな。」  私は、子どもは本質を見抜く力があるのではないかと思っている。

ひとつ、びっくりしたこと。キャンドルサービスではなく、一卓一卓テーブルをまわり一人ずつプレゼントを配ったのだが、そのプレゼントが、うちの診療所で患者さんに勧めている歯ブラシだったこと。(密かに業者から仕入れて用意していたのかな。業者からの祝電があったし・・・。まあ、私達がもらっても仕方が無いので、お隣の方達に差し上げたが・・・。)当たりシールがついていた人には、歯磨きグッズのセットもプレゼントされた。

最後に新郎の叔父や父から、「不行き届きがあったかもしれないが、お祝いの席に免じて許してほしい。」「未熟な半人前の2人だが、よろしくお願い致したい。」というような挨拶があって、ようやくもやもやした気持ちはきえた。

それにしても、昼間のお酒は良く効く。

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2005年7月14日 (木)

思い込み

自分の思い込み、いい加減さにあきれてしまった。

いただいたバラの名前、「プリンス」がついたことは、確かだったが、少しうろ覚えだった。花が咲いて喜びの記事を書いた頃、ちょうど、ダイアナ元妃やイギリス王室のことをワイドショーでしていたため、すっかり「プリンスオブウェールズ」だ、と思い込んでしまった。

念のためネットで検索してみると確かにその名のバラは存在する。花びらの形、つき具合や咲き方、花芯の色が似ていると思った。・・・ただ、花の色が「白」だった。

うちで咲いたバラは「紫がかった深い紅赤」だったので「あれっ」とは思ったのだが、「花屋さんで赤、白、黄色、ピンクなどいろいろな色のバラがあるから、これもバリエーションの一つか」ときちんと調べもせず、いい加減なまま、記事にしてしまった。

今日、バラを下さったお宅に写真を持ってお茶を飲みに行った。(自宅の一画を喫茶室にして、こじんまりと営業されている。)お話をしていたら、私は重大な間違いに気づいた。

私のバラは「プリンスオブウェールズ」ではなく、*イングリッシュローズの「ザ・プリンス」であったのだ。 『確かめず、思い込みでしてしまった』ことは、医療従事者の端くれとしてお恥ずかしい次第。反省・・・。

私は、確かにバラの香りは好きである。タルカムパウダーの香りもダマスクローズが一番好きだし、入浴剤のアロマもローズがいい。だから、バラのお話は興味を持ってお聞きしていたのだが、私を園芸好きと思われたのか、また、バラの苗を下さると言う。いや、バラを愛するママさんは、バラに興味を持ってくれた人のことがうれしく、気前良く人にあげてしまうのだろう。この前の時も、私以外のお客さんにもあげていたようだから。

ただ、私は園芸の能力に関してはいささか劣っていることを自覚している。マンションのベランダで、下に敷いた人工芝のおかげで、で照り返しが強くなっているのにも気づかず、何鉢の花を枯らしてしまったことか・・・。

バラは、主人の実家の庭においている。職場の隣なので世話もできる。今度いただいてきたものも一緒に置いておこう。

白い花の咲く、「サマースノー」、イングリッシュローズの「コンテ・ド・シャンパニュー」(淡いオレンジ~黄色)、と名前の不明な*オールドローズ(ザ・プリンスの小型版のような花が咲くという)が新しい仲間。今まで枯らしてしまった花々の罪滅ぼしに育ててみよう。

ちなみに、

*オールドローズ・・・約1868年以前のバラ。優美でクラシック。モダンローズに失われた上品で馥郁たる香りがある。色と形も多彩。

*イングリッシュローズ・・・オールドローズの優美な花姿、上品で 馥郁たる香りと、モダンローズの四季咲き性、耐病性とを交配した新しいバラ。

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2005年6月27日 (月)

やっと梅雨入り…

と思ったら、大雨洪水警報・注意報が‥去年の7.13水害のような災害がおきませんように!               

                                      050615_1830.jpg

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2005年6月26日 (日)

ザ・プリンス(2)

去年はうっかりして、虫に食べられ、葉っぱを丸ぼうずにされてしまったので、今年は早い時期から気をつけて、それなりに世話をしてきました。一度はもうダメかと思っていたのですが、手を掛ければ植物は応えてくれるんですね♪みごとに開花してくれました!050626_0945.jpg

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ザ・プリンス

おととしの6月、自宅の庭をイングリッシュローズやオールドローズでローズガーデンにしている方から、蕾のついたものを一鉢いただいたものです。050625_1321.jpg何もわからない私に開花後の注意などを親切に教えて下さいました。このイングリッシュローズのザ・プリンスは本来は四季咲きだそうですが、イギリスと気候が違うのか、私の管理が悪かったのか、秋はだめでした。そして去年の今ごろも・・・・

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2005年6月24日 (金)

ねぎぼうずのあさたろうPartⅢ

6/23の新聞(地域コミュニティ版)に私達の事が載っていました♪

050624_0205.jpgなかなか好意的な記事で良かったです。ほっとしました。

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