生と死と

2010年1月12日 (火)

献杯

開店30周年になるはずだった今年、惣菜膳『たぬき』が、のれんをおろした。

創作料理で、季節折々の味を楽しませてくれた、ほかにはないお店。

私達夫婦は、20年余お付き合いしてきた。

娘が、大人と同じものを食べられるようになってからは、娘も連れて行って、かわいがってもらっていた。

娘と、お気に入りのお料理を思いつくままにあげてみた。

出し巻き卵(厚厚、ふわふわで、大根おろしといただくと絶品だった。特に娘のお気に入りで、必ず注文した。3人で分けて食べるとちょうどいい分量に作ってくれていた。)

りんごのグラタン(くりぬいたリンゴの中にホタテなど入った海鮮グラタン。容器のりんごまで食べられる。はじめは、りんご?と思ったが意外にいける。りんご好きな娘のお気に入り。)

アスパラガス(または、うど)の豚肉巻き(アスパラガスやウドに豚肉の薄切りを巻き、フライにして揚げたもの。ソースとマスタードで食べる。太いアスパラが甘かった。これは、春先から、初夏にかけてのお気に入り。特に夫。)

牛ステーキ(厚さ4~5cmの牛赤身肉の塊に塩黒コショウをまぶし、網焼きしたもの。にんにく醤油、マスタード、大根おろしのうち、好みのたれでいただく。私たちはいつも大根おろしだった。付け合わせにセロリを焼いたもの。)

たけのこご飯(山たけのこの時期になると、炊き込みご飯にしてくれた。大好きだったので、いつもお土産にもらってきていた。私のお気に入り。孟宗竹のご飯もおいしかったが。)

たけのこのホイル焼き(山たけのこの白味噌焼き)

焼きおにぎり(締めは焼きおにぎりのことが多かった。お醤油か味噌か。)と お漬物(大根、ニンジン、きゅうり、沢庵、梅干しなど自家製のお漬物が一鉢。夏は、水ナスを冷水に浮かべたもの。青唐辛子を薬味にしていただくとおいしい。)

大根と牛すじ肉を炊いたもの(大根に良く味が染み、牛すじがトロっととろけ、ピリッと唐辛子が効いていて美味だった。)

しらたきのおでん(手巻きのしらたきの中に豚バラ肉を隠し入れてある。)

茶碗蒸し(冬は、下にお豆腐が敷いてあって、葛餡がかかっている。おろししょうがで体があったまる。夏は、冷やして、じゅんさいが浮いていた。中にウニが入っていたかも)

かぶら蒸し(中には、脂ののった白身魚、ユリ根、銀杏など。上には緑の豆のようなわさびが乗っていた。)

ツブ貝のガーリック焼き(エスカルゴと、サザエの壺焼きが合体したかのようなもの。貝殻を、もらったことがあったが、とても大きなツブ貝だった)

クジラ汁(初めてクジラ汁なるものを食べた。クジラの脂身と、ナス、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎなどの野菜がたっぷり入ってみそ仕立て。青唐辛子を入れて食べるといい汗をかき、夏バテも吹っ飛ぶ。)

おこぜのから揚げ(食べやすいように切り分けてくれるのでバリバリ食べられる。)

三つ葉サラダ(三つ葉と焼き椎茸、鶏ささ身が入り。ヘルシーで、焼き椎茸がいいアクセント)

魚介サラダ(たっぷり魚介の入った豪華なサラダ)

チーズフォンデュ(カマンベールチーズを丸ごと溶かし温野菜、ウインナを絡めて食べる。最後に、容器となったチーズも食べられる。)

牛肉の煮込み(赤ワインでとろとろになるまで煮込んである)

オニオングラタン(良く炒めた玉ねぎが何とも言えない)

冷やし中華(松の実が入っているのが特徴的)

そば(たぬきそばが多かった)

ラーメンも作ってくれたことがあった。

菊花巻き(紫と黄色の菊の花と、春菊の緑色が鮮やか。酢締めにした魚とともに、海苔でまいてある。酢の物。京都の千鳥酢を使っているのでまろやか。酢の物が苦手だった夫も、ここでは食べられるので、千鳥酢のことを聞いてからは、ずっと購入している。)

鶏レバーとゴボウの炊いたもの(突き出しで出されたものだが、レバーが美味しく食べられた。)

自家製イカの塩辛(ゆずが散らしてあって香りが良かった)

クリームコロッケ、牡蛎の中華蒸し、湯葉巻きあげ、等々・・・etc

まだまだ、たくさんある。

○ちゃん、みんな美味しかったよ。

今までありがとう。

一度は仕事ができるくらいに良くなったと思って、少しだけど安心していたから、こんなに早くお別れが来るとは思いませんでした。本当に残念です。

もう一度行っておけばよかった。

お見舞いにも行かず、不義理でごめんなさい。

抗がん剤の副作用に耐え、衰弱したからだに鞭打って、予約6人前のおまかせを一人で創り上げて力尽きたことを聞きました。
年末に入院してから、わずか11日目の旅立ちでした。最後まで、プロの料理人として戦っていたんですね。

無二の「戦友」け○ちゃんも、一緒に戦っていたんだと思います。

だから、私は、残された、け○ちゃんが心配なんだ。

お二人は、お互いあっての一人一人だったから。

「今は、両手足をもがれて暗闇に放り出されたようで、不安でたまらない」と言ってました。

○ちゃん。 け○ちゃんのこと、空の上から、ずっと励まして、そして見守っていて下さい。

玄関ののれんをくぐると、まず、焚きしめられたお香に出迎えられ、磨き上げられた階段を上ってドアを開けると、古流の師範の腕で活けられたお花と、「いらっしゃい」の声に迎えられる。
ジャズのBGMも心地よく、サーブするけ○ちゃんと、お料理するし○ちゃん二人との会話を楽しむ。お客さんが多い時には仕事の邪魔にならないよう、あまり話しかけないようにしながら。

出来上がった料理を盛り付け、供する間合いは、阿吽の呼吸があり、余人が一朝一夕にはできるものではない。

二人は、お客さんそれぞれに気を配る。お客は皆、居心地がいい。
時には、お店で何回か顔を合わせた常連さん同士で話がはずむこともある。

なによりも、繊細で美味しい料理。それに器もセンスが良い。

かけがえのないお店だった。

告別式の日は、皆の涙が集まって、みぞれとなった。

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2008年10月22日 (水)

おくりびと

今でも、山形の四季、自然の美しさ、荘内地方の山々をバックに奏でられたチェロの深くてやさしい音色とともに、親子、夫婦の情愛が心にしみてくる、素直に感動できる映画です。

『死』を扱っているのに重苦しくなく、ユーモアがあって、前半は思わずクスリとしてしまうところもあるのは、脚本と、本木雅弘・山崎努・余貴美子らの俳優陣の力でしょうか。
(日本アカデミー賞では、主演男優賞に本木雅弘、助演男優賞に山崎努、助演女優賞に余貴美子が選ばれました。8冠を達成し、まさに総ナメ状態でした。2009.2月加筆)

ほかに吉行和子、笹野高史、杉本哲太、峰岸徹(ご冥福をお祈りいたします)らのベテランキャストによって、いい味の映画となっていると思います。

モッくんや、山崎努・余貴美子・吉行和子さんなどは、好きなや役者でしたが、私にとって出色だったのは、広末涼子。母親になって演技に幅や余裕ができたのか、妻役を瑞々しく演じていて好印象でした。(広末は主演女優だったんですね。そう思ってみてなかった・・・。モッくんと15歳も年が離れているのにあまり違和感なく、新婚の夫婦役が演じられていたので、好ましいと思っただけなので。2009.2月加筆)

この映画で『納棺師』という職業を初めて知りました。

祖母が自宅で亡くなった時、北枕に寝かされ、枕もとに槍の剣先が置かれていたことは覚えているのですが、どういうふうに納棺されたか記憶にありませんし、おじ・おばを何人か見送りましたが、病院で亡くなったため、通夜に駆けつけてもすでに納棺されていたりで、身内とはいえ、この映画のように、納棺の儀に立ち会う機会がなかったからかもしれません。

『旅立ち』のお手伝いをする、納棺師・社長(山崎 努)と大吾(本木 雅弘)の所作は、美しく慈愛に満ちていて、見る者の心を打ちます。その技はイリュージョンのようで、目を見張るものがあります。

大吾が遺体の納棺の仕事をしていると知った妻、美香は自分に触れようとした夫に対して「汚らわしい!」と叫んでしまいますが、私も、思わずはっとしました。

死んだ人に触るのは汚いのかと。

おそらく、『死』に対する怖れが、忌み嫌うこと、触れてほしくないこと、穢れ・汚れに転じていって、このような感情を持ってしまうのだろうと推測しました。

死ぬことは、恐ろしく、嫌なことだけれども、誰にでも必ず、等しく訪れるものである。決して汚らわしいものではない。『死』は終わりではなく、向こうの世界への旅立ちである。映画を見ながらこんなことを考えていました。

納棺師の所作が美しいのは、遺体に対する尊厳、自分の仕事に対する誇り・矜持というものがなせる技だからなのでしょう。また、心のこもった「おくりかた」は、見守る遺族の悲しみも癒す働きがあるように思いました。

もしも、私がおくられびとになる日が来たら、モッくんや山崎努さんのような納棺師の方におくって欲しいと思わずにはいられませんでした。(日本アカデミー賞授賞式での機木希林の「うちには『おくりびと』がおりますので、安心して去れます。」というコメントは印象的でした。それに対して「心をこめておくらせていただきます。」というモッくんのコメントもよかったです。2009.2月加筆 

もう一つ心を打たれたのは、『いしぶみ』のエピソードです。こんなコミュニケーションの仕方があることに感動しました。

あと、細かいことで印象深かったのは、熱々でジューシーな、フグの白子・フライドチキンを食べる場面。なんともおいしそうでした。生きているということは食べること。食べるからにはおいしく。「困ったことにおいしい」という社長のセリフが効いていました。

遺体役の役者さんにも、感心しました。ピクリとも動かない。
特にニューハーフ役の役者さんはたいしたものでした。

もう、ひと月も前に観た映画ですが、今でもまだ余韻が残っています。

そうそう、この映画も音楽は久石譲でした。

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2006年5月10日 (水)

鬼の目にも涙

今日、ようやく、Wさんの後任が来た。

Wさんは、フットワークが軽かった。連絡するとすぐ来てくれた。

ここ何日か、ひょこりと「こんにちは、OKISHI**です。」とWさんが現れるのではないかという気がしてならなかった。

スタッフに言うと、彼女もそうだと言い、「私は、うちに帰ってもWさんの姿が浮かんできて仕方ありません。」「本当によくしてくれましたから・・・。」

夫は、旅行から帰ったばかりの、先輩のM先生に電話をかけて、Wさんの死を伝えた。連休中のことで、新聞の訃報欄にも載っていないからだった。M先生のところもWさんは担当していたはずだった。

M先生は、ショックを受けたようだったが、知らせてくれてありがとうと言い、すぐに、自宅にお悔やみに行ったらしい。

あとから、電話をくれた。

「鬼の目にも涙だったよ。」

あの、強面のM先生が・・・・・。

Wさんは、接する誰からも好かれていたのだと改めて思った。

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2006年5月 5日 (金)

追悼

訃報が入った。

開業当初から取引のあった材料商・営業のWさん。くも膜下出血で、病院に運ばれたが間に合わなかったという。

にわかに信じられなくて、何度も聞き返した。

連休に入る前に集金の事で話したばかりだった。
いつもはきちんとしているWさんが、請求書を持ってき忘れたのだ。「風邪を引いて頭がぼーとしていて・・・申し訳ありません。」と言っていた。風邪のなかなか治らなかった夫とも「今の風邪は性質が悪くて・・・」と2人で同病相憐れんでいた。

3日に亡くなったそうで、今日がお葬式だった。

時間ぎりぎりに到着したので、最後尾の列に着席した。しめやかな式だった。皆、義理ではなく、心から最後のお別れに来ている人がほとんどだった。ハンカチで目を押さえている人が多い。女性だけでなく、男性もハンカチを握っている。

友人代表の弔辞、喪主である奥さんの挨拶に、彼の人柄が凝縮されていた。

正義感の強いまじめな人だった。決していい加減な事はせず、こちらの利になる事をまず、考えてくれる人だった。困った事や急ぎの用とかに、「なんとかします。」と努力してくれる人だった。多種の趣味を持ち、その好きな事をするのを許してくれる、再婚した奥さんと幸せそうに暮らしていた。

夫と私が、全幅の信頼をおいていた人だった。

納棺の際、花を参列者全員で一輪ずつ入れた。棺に横たわる彼の顔は、いつにも増して、やさしく、微笑んでいるようだった。

涙があふれて困った。

人前ではめったに涙を見せない夫も、ポケットからハンカチを取り出していた。

曹洞宗の太鼓と、シンバルの音が響く。今生と、彼岸とを分かつように。

少しせっかちなところがあったかもしれない彼は、53才で旅立った。

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2005年8月 9日 (火)

しゃぼんだま

娘が、生まれたばかり、まだはかなげな存在だった頃、「しゃぼんだま」の歌を聴いたり、口ずさんだりすると、涙があふれてきて仕方がなかったことを思い出した。

野口雨情作詞の「しゃぼんだま」。ご自分のお子さんが、生まれてまもなく亡くなってしまったときに作詞をしたのだという。

子どもの時分にはそんなことは知らないので、楽しく歌っていたように思う。ただ、メロディーに一抹の寂しさが漂っている気はしていた。

     しゃぼんだま  とんだ

     やねまで  とんだ

     やねまで  とんで

     こわれて  きえた

    

     しゃぼんだま  きえた

     とばずに  きえた

     うまれて  すぐに

     こわれて  きえた 

 

     かぜ かぜ  ふくな

     しゃぼんだま  とばそ

2番の歌詞がうたえなくなった。

生まれたばかりの我が子を失った痛み。もしかしたらこの子も・・・・

野口雨情の心情にオーバ-ラップさせている自分がいた。

今、同じくらいの年齢で、成人前の子どもがいるという同じ立場だった彼女の突然の死を目の当たりにして、もしかしたら私も・・・明日はわが身かもしれないという思いが拭えない。

   

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2005年8月 6日 (土)

千の風になって(追悼)

その一報は、昨日の午後、仕事中にあった。

「信じられないと思うけど、Aさんの奥さんがさっき亡くなったの。」「えっ!」ついこの間まで、子供会の花火見物やお神輿で明るい姿を見せていたのに。持病はあると言っていたが、お元気そうだったのに・・・。

去年の春、同じ町内に引っ越してきた。勤務医のご主人と3人のお子さんの5人家族。子供会の役員の一人である私は、入会のお願いと会費徴収という役目のため、お宅を訪れた。彼女は、じつに気さくに、協力的に事を運んでくれた。役員として最初の仕事で緊張していた私は、すっと肩の荷が下りた覚えがある。

それ以来、子供会の行事には、ほとんど参加してくれた。自分が来れない時は、ご主人を出して。何かする時は、「私がしょうか?」と言ってくれた。最近も、急な連絡事項があり、連絡網を回すよりも、もう一人の役員と手分けをして電話したほうが確実だろう、ということで電話をしていて、彼女にかけたとき、「あと、誰かに連絡しておく?」と気を利かせてくれたし、私が「今回は私達だけで連絡するからいいよ」と言うと、「ご苦労様!」と本当に気持ちをこめてねぎらってくれた。

皆(私を含めて)、余分な仕事はいやだと言う人が多い中、この人は違うなと思っていた。

別の友達が教えてくれた。彼女は今年の4月から、末の息子さんが入っている小学生のサッカーチームの会長になって、市内の80余名のサッカー少年と保護者のまとめ役をしていたのだそうだ。「ふー、大変大変」と言いながらも、司令塔として活躍していたのだそうだ。

どうしてそんなに一生懸命できたのだろうか?

今日、夕方からお通夜があった。100名近くの参列者。椅子が足りず、立って、法要を聞いた。ご夫婦ともこちらの出身ではないのに、この参列者の数は、彼女の活動の幅を反映しているのか。私もそうだが、親子連れが目立つ。

焼香が進む中、ハンカチで始終目を押さえていた娘さん2人に加え、とうとうご主人や一番下の息子さんの顔がゆがんで真っ赤になってきた。遺族席に一礼して戻る時、これを見たら、私ももうこらえきれなくなって、鼻の奥がツーンと熱くなった。目からあふれるものもなかなか止まりそうにない。

喪主であるご主人の挨拶。気丈に話し始めた。

―突然のことだったので、家族もまだとまどっている。参列された皆さんもさぞ驚かれたことと思う。

―妻のことをお話したい。妻は末の息子が2歳になった10年前、SLE(全身性エリテマトーデス)を発症し、以来、病とともに生きることとなった。不治の病のため、本人も家族も、ある程度、「死」は覚悟していたつもりであったが、こんなに早く急に訪れるとは思っていなかった。

 ここ2~3日体調を崩していたが、いつも通り朝食を作って、私を送り出してくれた。「いってきます」「いってらっしゃい」が最後の会話になってしまった。

 私を送り出したあと、少し横になって、娘に買い物を頼んだ。娘が帰ってきた時、母親の異変に気付き、救急車を呼んだが、すでに手足は冷たくなっていたようだ。病院で手当ての甲斐なく帰らぬ人となってしまった。くも膜下に出血があったときいたが、持病の影響もあったのだろう。

―妻は何事にも一生懸命だった。伴侶として、母親として、本当に良くやってくれた。それに引き換え、私は医者でありながら、妻に何もしてあげられなかった。何もしてあげられず、申し訳ない。

そこまで話すと、男泣きに泣かれた。

会場はすすり泣きの渦になった。

お付き合いは1年余り。そんなに深く付き合ったわけではない彼女だったが、今までにこんなに悲しくなるお通夜には出たことがない。

私の脳裏に『a thousand winds』―原作者不明の英語詩、それを日本語詩にした新井満の『千の風になって』が浮かんだ。

      私のお墓の前で  泣かないでください

     そこに私はいません 眠ってなんかいません

         千の風に  千の風になって

      あの大きな空を  ふきわたっています

        秋には光になって 畑にふりそそぐ

      冬はダイヤのように  きらめく雪になる

      朝は鳥になって  あなたを目覚めさせる

        夜は星になって あなたを見守る

      私のお墓の前で  泣かないでください

     そこに私はいません  死んでなんかいません 

          千の風に  千の風になって

       あの大きな空を  ふきわたっています

          千の風に  千の風になって

       あの大きな空を  ふきわたっています

       あの大きな空を  ふきわたっています                                     

                                                        

43歳で急逝されたAさん。私より、お若かったのですね。

SLEの症状のほか、ステロイドの副作用で、ずいぶん辛い思いをされたに違いないでしょうに、いつも笑顔で、私達に病気のことを微塵も感じさせませんでした。

その強さと明るさ、前向きな姿勢を見習って、これから私も生きていきたいと思います。

『千の風になって』は、旅立っていった人からのメッセージです。Aさんなら、やっぱり、「みんな、泣かないで」と私達残された者にメッセージを送ってくださるのではないでしょうか。

お名前の中に『千』の字がはいっていたAさん。どうか『千の風』になって、ご家族と、私達を見守っていて下さい。

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