上杉謙信
確か来年のNHK大河、「風林火山」で、Gacktが謙信役だったはず。不犯説や女人説までも登場する、孤高のヒーロー、ストイックで戦の天才武将謙信を、中性的でビジュアル系のGacktがどう演じるか、ちょっと興味があるなぁと思いつつ、最近、訪れる場所場所で「上杉謙信」の名を耳にしたり、目にしたりしていたので、記事にしてみました。
まずは、娘の学校の親子活動で訪れた、春日山城址。
言わずと知れた、謙信の本拠地。
謙信の立像がありました。間近で見たのは初めてでした。
五智国分寺では、天平年間(729~749)に創設された越後国分寺(建立された場所は今でも詳細不明)が、衰退していたのをみかね、上杉謙信が1562年にお膝元の五智で再興したという話を聞きました。
最初は、当時謙信が信仰していた真言宗のお寺だったのが、江戸時代にはいろいろ事情があって天台宗となったということなども。
娘のマーチングを見に来た実家の両親を案内した浄興寺(歓喜踊躍山浄土真宗興行寺の略称)
の宝物館でも「上杉謙信寄贈の梵鐘」を目にしました。
また、浄土真宗浄興寺派本山のこのお寺(現在、国の重要文化財に指定)は、開祖である親鸞聖人が、越後配流(1207~1214)の後に常陸国で開山したものですが、火災から、信濃国に移って300年近く、今度は川中島の戦い(1553~1564)で戦火にあったため、上杉謙信が越後春日山に避難させたと寺
伝にありました。(その後、同国福島を経て、松平氏城下の高田に移り、地震に被災した後、1646年に現在の地に落ち着くことになったのですが。)
ここで、素朴な疑問が湧いたのでした。
『真言宗、もとい、毘沙門信仰をしていた謙信が、何故、宗派の違う浄土真宗を保護したのか?』
『また、幼少時から修行した、長尾氏の菩提寺林泉寺は曹洞宗だったはずだが?』
重箱の隅をつつくような疑問ですが、勝手に推論してみました。
謙信の母、虎御前(青岩院)が真言宗に帰依していたというが、謙信は母の影響を受けているのではないか。
四天王の一人、毘沙門天(多聞天)は戦勝護国の軍神だが、同時に仏法を護る役をつかさどっている。自らを毘沙門天の化身であると言っていた謙信は、宗派を問わず、「仏法」を仏像や経典などを保護することが自分の使命だと思っていたのではないか。
頼まれれば、義のために戦をした謙信だから、困っているものは見捨てられなかったのではないか。
ほぼ同時期に、国分寺を再興しているがその場所は、まさに親鸞聖人ゆかりの地。親鸞が越後に上陸した居多ヶ浜に近く、配所の竹之内草庵跡も本堂の右手にあった。
謙信がこの地近くに親鸞が開いた浄興寺をもってくるのは、偶然ではないのではないか。
と、まあこんなことを考えていたのですが、良くご存知の方から、ご意見をいただければ幸いです。
何はともあれ、裏表なく、敵将にも信頼される謙信は、人間的に好きなタイプです。
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