謙信公祭の人出
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上越市の「第83回謙信公祭」に、今年もGackt謙信が登場した。
*去年の記事(写真入り)はこちら
本当に有言実行の人だなぁ。
謙信の「義の心」を体現しようとしている。
昨日から県外の方たちが大勢訪れている模様。(上越市の財政にとって、ありがたいことです。)
私は昨年と同じく仕事で、見に行けないので、JCVで華麗な勇姿を観ました。
やっぱりカリスマ性があってかっこいいと思います。
昨夜のウォーキングの時のことだが、Gacktが去年宿泊したといわれているホテルの前には、出待ち(入り待ち?)のグループが並んでいて、普段とは違う光景だった。
実は少し前に、『去年Gacktが泊まったとき、フロア中にお香みたいなものを焚き染めちゃっって、なかなか匂いがとれなかったから、今年は泊まるの断ったみたいよ』などという流言があった。『えっ、じゃあ今度はどこに泊まるの?』などと思ってしまったが、やはり、それくらいでは、お断りするなんてもったいないではないか。
そう思っていたので、ウォーキング途中に、たまたま、某ホテルの近くに住んでいる知人と会ったので、その話をしたら、『今年も同じところだよ。旦那が、去年と同じ、Gacktの車があるのを見たって。』と言っていた。
彼女は去年、その車のある場所で出待ちをしていたという。
1時間くらい待ったら、Gacktが出てきたのだけれど、3人の黒人のボディーガードと市役所の係りの人達に囲まれていたそうだ。
それで、市役所の人が『写メはご遠慮下さい』と呼びかけていたけれど、注意されるまでもなく、『大男のボディーガードが怖くて、とても近づけなかったよ。』とのこと。
ボディーガードといえば、私もこんな経験がある。
東京駅で、上越新幹線 Maxとき を待っていた時のこと。隣で屈強な大男3人に囲まれた、何やらオーラを放つ男の人がいた。よく見たら、矢沢永吉だった。
当時、小学校のPTA会長が、永ちゃんに心酔していたので、サインでももらえたらと思ったけれど、やはりでかいボディーガードが怖くて、ただ、横目で見るだけで終わってしまった。
・・・話はそれてしまったが、今年はどのくらいの人出があったのだろうか。
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今日は、長崎原爆の日。
だが、メディアは、オリンピック一色の感がある。
6日の広島原爆忌では、この一年で新たに5302名の被爆者の方が亡くなり、これで、258310名の死没者が記録されたとの報道を目にしたり、耳にしたが、長崎ではどうだったのだろうか。
何日か前のTVで、長崎の爆心地に近い2つの小学校で、それぞれ1500人ほどの児童のうち1400人近くの無辜な命が、一瞬の閃光で奪われたと聞いた。
忘れてはなるまい。
伝えていかなければならない。
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一昔前に比べて、一人当たりのむし歯の数は減っているけれど、むし歯を持っている子は、相変わらず一人で何本も持っている。個人差が著しい。ここにも格差社会が、あるよう・・・。
資料(スライド)を整理していて、暗澹たる気持ちになった。
1歳代で、母乳や、ミルク、スポーツ飲料の夜間摂取が原因で、広範囲にひどいむし歯になってしまった子達が、治療後、定期健診をすすめても来院していない場合が多いことに気付いたのだった。
どうしているだろうか。特に子どもの場合、一度治療しても、環境が変わらなければ、またむし歯ができることは必発なのに。
反対に、家庭でも気をつけた上で、歯科医院で定期健診を続け、サポートしていけば,むし歯は予防できるのだ。小さなむし歯なら進行を抑えることもできる。
今は、時間的にたっぷり余裕があるので、時間をかけて説明できるのだが、当時は少し時間が足りなかったかもしれない、むし歯を作ってしまった母親の気持ちに寄り添ってなかったかもしれない。…と、反省。
まあ、けっこう遠方から来ている子もいたので、近くの歯医者さんで診てもらっているかもしれないし。
そう、そう、重症のむし歯の子のスライドは撮るのに、定期健診にまじめに来ていて、むし歯が進まない子達のはなかった。定期健診の大切さをアピールするために記録しておこうかなと思う。
むし歯の治療から、矯正治療に移行した子たちは、資料が残っている。
毎月来院するので、矯正治療プラスむし歯予防の介入ができる。
一人、学校でフッ素洗口をしているからと安心していたら、装置を外した時に見事にむし歯ができてしまった子がいた。聞いてみたら毎日必ず夜にお菓子を食べていたとのこと!
それ以来、だ液の検査をしてリスクを調べ、飲食回数は必ずチェックし、フッ素洗口している子でも、フッ素塗布もして、フッ素入りの歯磨剤を必ず使うようにしてもらっている。おかげで、カリエスフリーの永久歯列になる子も増えてきた。
これからは、むし歯の治療で歯医者に行くのではなく、むし歯にならないように行くことが当たり前になることを願っている。
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20世紀枠で出場した千葉県の安房高が、今日2回戦でサヨナラ負けをしてしまった。
途中まで3点差で勝っていたのでこのまま2回戦突破か、と思っていた。
創部100余年を誇りながら一度も甲子園の土を踏んでいなかった同校野球部が、初出場で1回戦を勝ち進み、2回戦も勝利という快挙をなしとげるかと期待していたのだが。
実は、私に朝寝坊の癖さえなければ進学していたかもしれない高校で、一番下の弟と、甥っ子の母校である。つい、親身に応援してしまう。
そうそう、X-JAPANのYOSHIKIの母校でもあり、彼は甲子園球場にヘリで駆けつけて1回戦を応援したかったらしいが、大騒ぎになるとの理由で、高野連から自粛を要請されたとの報道があった。
それならと、大勢の生徒が応援に来れるように母校にポンと1000万円寄付をしたとも聞いた。
YOSHIKIは、弟の1つ下の学年で、学生時代から目立っていたらしい。
有名になっても「愛高心」は忘れないんだね。
選抜野球と関係ないけれど、有名人と高校つながりで思い出したこと。
謙信公祭で、上杉謙信を演じてくれたGacktが、上越を第2のふるさとのように思っていて、また絶対に来ると言っていたことを高校の卒業式で実行したのだ。
自ら市役所に電話を掛け、謙信の「第一義」を校是とする高田高校を選び、卒業式にサプライズで登場、卒業生にエールを送った。
律儀な人だなぁ。
ちなみに高田高校は夫の母校である。
両校の生徒達には、一生忘れられない思い出ができたことだろう。
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今日は、新潟市に行っていた。少し風は冷たかったが、よい天気であった。
上越にもどってくると、夕方というのにまだ気温も高く、「春」を感じた。
夜のウォーキングから帰ってきたら、目がかゆくてたまらない。
スギ花粉か。
花粉症は、20余年前、東京に住んでいた時に発症した。
何かの用で、木々の多い目白の道を歩いた後で、原因不明の目の充血とかゆみ、涙目、くしゃみ、鼻水が生じた。
それは、ひどいものだった。
目も鼻もぐじゃぐじゃになって、苦しかった。
これが、スギ花粉症であるということを少しあとになって知った。
私の場合、8月頃のブタクサの季節にも、症状が出た。
元国立小児病院に勤務するようになって、上司の先生から、アレルギー科外来があるから受診してみたらと勧められた。
アレルギー科では、パッチテスト・血液検査で、アレルゲンの特定をしてもらった。
スギ、イネ科、ブタクサ、ハウスダストなどに特に反応した。
点眼、点鼻薬の対症療法や抗アレルギー剤の服用のほかに、減感作療法をしてみないかといわれた。
スギとハウスダストの抗原液を、ごく微量の濃度から、週1回の割で皮下注射して、だんだんに濃度を上げていき「減感作」するというもので、これとアゼプチンや、肝臓の機能を強化する薬などを毎日服用して、体質改善するというものだった。
診療の合間に、アレルギー科に行って注射を打ってもらっていた。
週一回2年間続けた。根気のいる治療である。
症状は、だんだん改善していったが、もう少し維持療法が必要という時に、上越に越すこととなった。それからは、東京に行くたびに、抗原液をもらい、自分で打っていた。
1年くらいそれを続けただろうか。
もう、スギの季節になってもこわくはなかった。ほとんど症状は出なくなっていた。
ただ、少し経つと、ブタクサや、5~6月のイネ科植物の開花期には、くしゃみと鼻水が出ることはあった。
あと、ハウスダスト。いつもまめにお掃除をしていなければならないのに、ちょっと埃がたまってから掃除をしたりすると覿面に鼻水が・・・。掃除にはマスクが必需品だ。
でも、スギには大丈夫だったのに。
減感作の持続にも期限があるのだろうか。
年のせいなのだろうか。
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自宅マンションから、診療所へ通う毎日。
同じ敷地内で診療所の隣が夫の実家。義父母、義妹が住んでいる。
そのおかげで、娘をあずけながらずっと仕事が続けてこれた。
今、娘は中学生になって、部活で帰りが遅くなり、義父母宅に寄らないことが普通になってしまった。
それまでは、私の仕事が終わるのを義父母宅で待っている娘を迎えに行って、一緒に帰っていたのだが、娘がいないとなると、私も事務や技工の仕事で遅くなったときなど、そのまま、外で「おやすみなさい。」と声掛けしただけで帰ってしまうことが多くなっていた。
自分では、それで良いと思っていたつい先日。
ちょっと用があって、診療室に残っていた時、日頃はめったに来ない義父が、手にアルミホイルの包みを持って、あがってきた。
その翌日が娘のお弁当の日だった。義母が揚げ物をしたので娘の弁当のおかずにと、おすそわけしてくれたものなのだが、「いつ帰っちゃうかわからないから」と義母に言われて、義父が届けにきたのだった。
これには、参った。
やっぱり、外から「おやすみなさい」といっても、耳の遠くなった人達では、聞こえないことも多かったのだろう。
不精はいけないと反省。
それからは、また娘がいた時と同じように、帰りに寄って、しっかり言葉を交わしあってから帰宅することにした。
心なしか、義母の機嫌がいいようで・・・。
何かがあると持たせてくれる。
昨日は、佐渡の一夜干しするめ。
大変おいしくいただいた♪。
ちょっとしたことだが、挨拶・コミュニケーションは大事な潤滑油であることに気付かされた出来事。
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娘を寝かしつけ、自分も寝る支度をしようと部屋を出る。
と、なぜか、鴨川の実家にいる。
いつの間にか、お勝手口に行くと、街灯が煌々と点いていることに気づく。
あら、お母さん消し忘れたのかしらと、スイッチを消す。
ふと、お勝手口のドアを見ると見慣れないドアだ。
戸じまりはしてあるよね。でもどこでカギをかけてあるのかわからない。
まさか、閉め忘れってないよね。
何となく不安がよぎったその時!
そろりそろり、ドアが開いてきた。
えっ!・・・
押し戻そうにも、金縛りにあったようにまったく体が動かない。
ますます開くドアに、頑張って近づいたその刹那、
覗き込んだ男と目が合った。
外人のようだった。
うわっ!
ドアを押してみるが、びくともしない。
逃げる。
パニックになりながらも、頭の中では、娘が寝ている部屋からは遠ざけよう、両親の寝ている二階にはいかないようにしよう、私が囮になれば・・・という思いがあった。
玄関まで逃げたが追いつかれた。
男は刃物を持った日本人に変わっていた。
私が大声を出すことで、二階の父か母が気付いて騒ぐことなく、うまく110番通報してくれたら・・・と思うのだが、全く声が出ない。
私は無力だ。こんな状態で、いったい私に何ができるというのだろう?
『お金をあげるから、助けて』という言葉が浮かんだ。
一生懸命、「お金を・・」と声に出そうとするのだが、全然だめだ。
全身を振り絞るようにして、漸く「お金をあげるから!」「助けて!」と発音できた時、
そして男が、「早くしな!」と言った時、
耳元でざわっと音が聞こえ始め、私は、いつもの部屋で布団に横たわっていた。
非常に疲れた。心臓がばくばくしていた。
実は数年前、実家では、両親の留守中に強盗に入られたことがある。
勝手口のドアノブを壊して侵入され、金庫を破壊して、中に入っていた現金数百万円(集金してこれから納金予定だったもの)が盗まれ、その他、金目の時計やらバッグがやられたそうだ。破壊された金庫の周りには、台所から持ってきたと思われる包丁が2~3本並べてあったという。盗みの最中に出くわしたら、命も危なかったかもしれない。
警察では、荒っぽい手口から、2~3人の外人グループではないかと言っていたらしい。
実家では、セコムに入り、厳重警備をすることとなった。
犯人が捕まらないでしばらくした時、お勝手口のドア横に傷があることを母が見つけた。犯人が再犯に戻ってきたが、警備体制にあきらめ、くやしまぎれにつけていった傷であると思われた。
いまだ、犯人逮捕の報告はない。
何で今頃、このような怖い夢をみたのかわからないが、実際、こうした状況になったときどうすればいいのだろうかと、考えてしまった。
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ここ数日、断続的に雪が降っている。
でも、細かい粉雪で、あまり嵩がいかないのと、時々日が差すおかげで溶けたりして、大雪というほどではない。
夜10時をまわってから、夕方の買い物で買い忘れたものがあることに気づいた。
アルコールが入っているし、歩くしかないが、運良く雪がやんでいる。
今だとばかりに家を出る。
一人で夜道を歩くのは少々怖い気もしたが、外は意外に明るい。
普段は暗い街灯だと思っていたところも、一面が雪だと案外明るいものだ。
朝の準備か、車が出やすいように雪かきをして平らにならしている人がいる。
まだ起きている家庭が多く、窓から明かりがもれ、雪に反映して薄明るい。
500m先のスーパーマーケットまで、ちょっとしたウォーキング。
川沿いの桜並木は、雪明りの道。
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本日は「スキーの日」。
明治44年1月12日に、オーストリアの軍人レルヒ少佐が、高田の金谷山において、日本で初めてスキー術を指導したことを記念して、平成14年に制定されたという。
今日は、金谷山スキー場のレルヒ像の前で記念イベントが開かれた。
世界7大陸の最高峰スキー滑降を成功したプロスキーヤーの三浦雄一郎さんや冬季五輪金メダリストで、参議院議員の荻原健司さんらが参加し、あいさつや献花をおこなったとのこと。(1月13日付けの地方紙に掲載された写真)
レルヒ像への献花は一輪花を持っていけば誰でも参加できたので、できれば行きたかったのだが、仕事のため断念。
ちょうど記念イベントは、昼休みの時間帯に行われていたので、行こうと思えば行けたのだが、交通量・駐車スペースにゆとりがあるかが分からない中、折から雪混じりの氷雨が降っていて、傾斜のきつい山道を限りある時間内で行って帰って来なければならないこと、焦った場合、などを考えると、私の運転技術では無謀であろうと判断し、泣く泣くあきらめたのであった。
晴れていたら、行っていたのに・・・。
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天気予報で、北陸地方、日本海沿岸地方は大雪の荒れた天候という予想は的中。
一晩で、白銀の世界となった。
こちらでは、大晦日に「お年取り」といって、家族が集まり、ご馳走を食べる習慣がある。
主人の実家で義母の作った料理と、仕出屋さんに頼んだオードブルとお刺身、お鮨などがテーブルに所狭しと並ぶ。私も二品作って持って行った。
まずは純米酒で乾杯。次に夫は米焼酎のお湯割に。
毎年、私達がステーキ肉を買って持って行くのだが、私は出張料理人である。少し前までは、サ-ロインだったが、この頃「脂」に弱くなってしまい、去年から、フィレとランプ肉になった。
肉を焼く頃には、赤ワインが一本空く。義兄も、義妹も飲めるくちなので、簡単にお酒がなくなっていく。酒飲み家族だねぇ。実家の弟達もアメフトやラグビーの倶楽部で鍛えられているので、お酒の強さは半端ではないけれど・・・。
お腹がいっぱいになると、男組は2階に退散。「K-1」などを見ているのか。
女組は、下のTVで紅白歌合戦を見るのが定番。
娘が小さい時は早々に自宅に帰っていたのだが、中学生ともなるといっぱしに大人並に起きているので、今年はずっと一緒に見ていた。
私も娘も、コブクロと、DREAMS COME TRUEが聞きたかったので、ほとんど終わり近くまでいたのだった。
雪の降る夜道を新雪を踏みしめながら帰ってきたが、「夜遊び」の好きな娘は「大晦日って楽しい!」「新雪踏むのは好き!」とずっとご機嫌だった。
私も今年の大晦日はいつもより楽しかったので、来年はよい年になるかなと、いや、なって欲しいと願ったところである。
皆さんもよいお年を!
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毎年12月30日に欠かさずしていることがある。
新年のお飾りを玄関にかざることだ。
「一夜飾りはいけない」というゲンをかつぎ、いわば強迫観念にかられて、どうしても30日には・・・と思ってやっているのだが、夫は理解していないだろう。
診療所と自宅とにお飾り、鏡餅、切花を買い揃える。
年の瀬は、新年の準備に何処も彼処もたくさんの人が来ている。駐車するにも一苦労。レジでも行列で、買い物も一仕事なのだ。
日が暮れて寒い中、広い診療室ではすぐに暖かくならないので、あえて暖房もせず花を生け、鏡餅の三方を組み立て、玄関の色紙を新春用にし、お飾りを飾っていると、ピンとした空気に、新しい年を迎えるという改まった気持ちになる。
「お正月」が、私が子どもだった頃に比べて「ハレの日」ではなくなってきて久しいが、それでも、新年の準備をしていると、特別の気分になるので、この例年の行事は私には必要なことと思えるのだ。
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今日で2007年の診療が終了。
スタッフも夫も、流行の風邪に悩まされながら何とかやり終えた。
私は、10月にひどい風邪をひいたが、今のところ気力で風邪を追い払ってきた。
少し早めに終わって大掃除。
忘年会をいつものお店で。
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12月1日のことを、古くは「川浸りの朔日=かわびたりのついたち」とか「乙子の朔日=をとごのついたち」ともいい、もちをついて食べると水難を免れるとされてきたそうだが、この縁起を担ぎ、上杉謙信が川中島の合戦の際、川を渡る前夜にもちをついて兵に食べさせ、大勝したと伝えられている。
その故事にちなみ、上越地方では、12月1日にあんころもちを食べる風習があり、このもちを「川渡もち=かわたりもち」と呼んでいる。小ぶりの牡丹餅くらいの大きさ。
小・中学校では、給食にも出される。
市内の菓子店では、11月30日・12月1日の限定販売で、夜明け前から菓子職人がもちをつくという。
こしあんとつぶあんの2種類があるが、私はつぶあんが好み。
毎年、義母が皆の分を買ってきてくれる。
今年も、無病息災を願い、私も1個いただいた。
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ケーキの美味しいお店はないかと、CarWinngで聞こうかと思ったけれど、夫が、「赤倉に行くか」と言うので、「そうね、ホテルメイドのケーキはいいんじゃない」と、行き先は、今年創業70周年の赤倉観光ホテルに決定。
眺望の良いテラスレストラン(標高1000m)で、窓ガラス越しに山々を見渡しながらティータイム。
(写真は屋外のテラスから、野尻湖方面を見て撮ったもの。右上の山のふもとに白く横たわっているのが野尻湖。スキーシーズンにはリフトからも望める。天気の良い日は水面がきらきら光ってとてもきれいだ。)
ここのフルーツケーキは絶品だったので(新潟のオオクラホテルで買ったのよりおいしかった!)他のケーキも期待できそう。
あれもおいしそう、これも・・・。と迷ったが、今が季節のものにしようと、アップルパイや栗の入った抹茶クリームのケーキ、モンブランなどを選ぶ。クリームブリュレや、チョコレートのケーキ、ロールケーキにも未練はあったけれど、またのお楽しみということで。
いつもの事ながら、3人でシェアする。
やっぱりここに来て正解!
アップルパイには、いっさいジャムが入っておらず、たっぷりのりんごのシロップ煮が、ちょうど良い甘さで、酸味とのバランスも良い。
抹茶クリームのケーキは、濃い抹茶の味が好みだった。
モンブランは、洋酒の香りが効いていて、今まで食べたモンブランの中ではNo.1。
満足満足。
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ゴルフシーズンの休みの日には、余り家にいたことのない夫が、この時期(11月3日~5日)には罪滅ぼしのように、家族サービス?を兼ねて、ちょっと遠出をしておいしいものを食べに行こうと言う。
今年は、去年私が行きたかった、黒姫のFというおそば屋さんに行くことにした。3日のことだった。
思えば、ちょうど13年前のこの日、娘がまだおなかの中にいた頃、このお店で新そばを食べて、感動したのだった。
目立った看板も無く、ひっそりと落ち葉に埋もれてたたずんでいる普通の家なのだが、知る人ぞ知るという感じで、私たちの後から入ってきたのは、妹尾河童さんご夫妻と、三國清三さんだった。河童さんの本を読んだばかりだった私は、思わず会釈してしまった、なんてことを思い出した。
去年、小布施の蕎麦屋で、そば嫌いになってしまった娘に、ここのそばを食べさせれば、そば嫌いが治るかもしれないと期待して出かけたのだった。
11時半の開店を前にもう数台の車が停まっている。その日に打ったそばがなくなると閉店してしまうお店だが、この人数ではまだ大丈夫のはずだ。
開店時間となり、来た順に店の中に入って行く。
最後に私たちが玄関前に行った時、玄関横に張り紙がしてあるのが目に入った。
「予約制。予約のない方は、インターホンかお電話で相談ください。」という趣旨のもの。
青天の霹靂・・・。気を取り直して、インターホン越しに予約してないことを告げると、残念ながら、本日は予約でいっぱいですと言う返事。
・・・がっかり。何でも、去年から予約制にしたそうな。
10才未満のお子様お断りの店なので、娘が10歳になるのを待って行ったときも、いつの間にか定休日が増えていて、間の悪いことにその定休日にあたってしまって、あきらめたこともあった。・・・ふられ続けている。
もういいやと、「明日ならあいてますが。」という言葉を背に辞してきた。
さて、では、お昼をどこで食べよう?蕎麦屋はもういい。
とりあえず、池の平、赤倉の方に行けば何とかなるかと、いもり池まで戻った。
あいにく、妙高山は雲の笠に覆われて頂上が見えず、絶景とは言いかねるが、お天気が良いため、沢山の人出だった。
いもり池のほとりの茶店では、露天で、きのこ汁やおでんなどを販売し、皆、戸外のテーブルで食べていた。
私たちも食欲をそそられ、きのこご飯、きのこ汁、お汁粉を食べることにした。夫だけは、ざるそばにも挑戦しようということで注文した。
地場産、季節物のいろいろな種類のきのこがおいしかったせいもあるが、青空の下で食べる食事はうまい。チャレンジしてみたそばも、案外いけた。新そばだからかもしれない。
(ただ、つゆがいまいちだったけれど・・・)
でも満足満足。
ここで、次はデザートだ。(つづく)
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四季咲きのミニバラが、次々に花を咲かせている。
イエロー→イエローオレンジ→ピンクオレンジに色が変わる。
「なごり雪(スノーインファント)」→
「花吹雪」
よく分からないままに世話をしている。
花の咲き終わった株を、梅雨が明け頃に、一回り大きい鉢に替えてやったものが、やはり元気良く、また花を咲かせてくれている。
ミニバラではないが、イングリッシュローズの「ザ・プリンス」。
↓
これは、去年鉢換えしたら、どんどん背を伸ばし、一番最初の茎も木の幹のように太く堅くなり、葉をたくさんつけたが、一向に花を咲かせる様子がなかった。
今の鉢では、また小さくなったようで、根が土の上に出てきていたが、どうせ花が咲かないんだから・・・と、そのまま放っておいたら、いつの間にか花芽ができていたらしい。
しかも3つ。よっぽど振り向いてもらいたかったのかな?
これは、蕾→咲き始め→全開では、全く違う色、イメージになるようだ。
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大正15年9月13日に、郷土の名将、上杉謙信公の遺徳を称えるために初めて開かれてから、今年で82回目の「謙信公祭」が、先週25日と、26日にわたって行われた。
今年の目玉は、何といってもNHK大河ドラマ『風林火山』で、謙信役を熱演しているGacktが、出陣行列に参加してくれたこと。
前評判を呼んで、2日間で過去最高の20万3100人の入り込みとなったらしい。特にGacktが来た25日は、出陣行列に8万人、川中島の合戦再現に(これは、予定を変更して、間近にGacktより急遽、参加の意向が伝えられたとのこと)4万人が訪れ、計18万5200人の人出となったそうだ。Gackt効果絶大だったようだ。
Gacktは、前日に上越入りし、林泉寺にお参りして、記者会見。帰ってきたという感じか、懐かしい気持ちがしたと述べた。ドラマの撮影前には米沢に行ったそうだが、上越には、ドラマの中で、少しでも謙信公の届けたかったものが表現できてからと思っていたとのこと。
謙信公のカリスマ性、大きさ、正義感、義を貫く心の清らかさ、清らかさだけではやっていくことができないむなしさたはかなさ、そういうものが、大河ドラマで出ればいいと語り、謙信公の日本人らしい、心の美しさと真っ直ぐな考え方、日本人とはどういう民族であるのかを、同世代や、多くの若い世代に感じてもらえればと熱い口調だったようだ。
地方紙は、何日かGacktが一面を飾っていた。これらの写真はその一部。
親戚の女性陣は、「キャー!」の世界だったらしいが、生Gacktは、男性が見てもかっこよく、オーラを放っていたようだ。
私も仕事がなかったら、きっと見に行っていたにちがいないが、残念。夜の部のTV中継で我慢することにした。
白馬に颯爽とまたがり、サービス精神旺盛なパフォーマンスを披露するGackt。特に好きではないと言っていた友達も、TVにくぎ付けになってしまったらしい。
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、敵を掌に入れて戦えば疵つくことなし・・・」(謙信公が春日山城の本丸の壁に書したといわれる壁書)
「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり・・・」
「二度の震災にみまわれし、この上越に、時を超え、上杉謙信まかりこした。皆の者、勇気を出せ、我とともに立ち上がるのじゃ!」
いろいろ練ったであろうセリフに迫真の演技。
義妹の撮った生写真。
今回の謙信公祭は、10月20日に行われる、『にいがた狼煙プロジェクト』のプレイベントも兼ね、開幕を知らせる狼煙が、春日山城をはじめとする市内16の山城と、南魚沼市・坂戸城、 十日町市・節黒城、室野城、 小千谷市・時水城、 柏崎市・旗持城、 糸魚川市・徳合城、 妙高市・鮫ヶ尾城などで上がった。
県内に遺構として残っている山城は千百ヵ城あるといわれ、この中で、国・県・市町村の文化指定になっている百十ヵ城すべてで狼煙が上げられると良いのだが、と関係者の弁。
中越地震、中越沖地震からの復興の狼煙である。
さて、今回のGackt招聘には、プロデュースや警備費などに、市の予算500万円を使ったそうである。「当市の知名度の向上に加え、経済効果も計り知れない」と市では言っているようであるが・・・。そうあってほしいものである。
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エルミタージュ と聞いて、
エルミタージュ美術館(サンクト・ペテルブルグ市、冬宮・エルミタージュ宮殿などの5つの建物、ルーヴル美術館・大英博物館と並ぶ世界三大美術館、華麗なる宮廷美術、270万点のコレクション、西洋+ロシアの美術・工芸・調度・絵画・etc、去年の秋から美術館展、巡回展開催中、山口智子がナビ役のTV放映、15年前、新潟市で開催した時、実際にコレクションの一部を見て感嘆)
エカテリーナ2世(1729-96、在位1762-96、夫ピョートル3世亡き後の女帝、ロマノフ王朝の最盛期、一代でエルミタージュ美術館のコレクションを築く、大黒屋光太夫を謁見、おろしゃ国酔夢譚、そういえば昔映画を観た、etc)
などと、思い浮かべる。
エルミタージュ・・・フランス語で「隠れ屋」を意味するという。
フランス志向だったエカテリーナが、冬宮(ピョートル1世・大帝が、娘で女帝のエリザベータのために建てた)に隣接して建てたロココ調の離宮に、そう名づけた。
ワイン好きの(というか、酒好きの)友人Sさんに誘われて連れて行ってもらったお店が、「エルミタージュ」。とあるビルの2Fの奥まったところにひっそりある、ワイン専門店。混んでいて入れなかった時もあるとか・・。
ワインセラーにびっしり並ぶワイン。(・・あの黄色いラベルはヴーヴ・クリコかな?最近覚えたばかりの・・・。) 棚に大小、広口細口のグラスが、ずらっと整列している。ワインによってグラスの大きさを変えるのだ。(グラスは、ひょっとして、<リーデル>?)
ワインリストに、舌を噛みそうなカタカナが記載されていたが、Sさんも私も、ワインのことはよくわからない。「白で辛口の」とか「赤で軽めの」「赤で重厚な」「この料理に合うワイン」といった頼み方で、ソムリエのマスターから選んでもらう。(奥様もソムリエで、二人でお店に出ている。)
ボトルで頼む方法も、グラスで頼む方法もあり、グラスで頼むと、二人で違うワインを飲み比べられる。
一人で一本分は空けてしまいますね。
料理もたくさん頼んでしまった。
前菜(イベリコ豚の生ハム、ホタテの香草焼き、キッシュ、テリーヌ)に始まり、
チーズの3種盛り合わせ(6~7種のうちから好きなものをチョイス。白カビ系と、山羊のチーズ、シェリー酒につけたチーズを選ぶ。チーズによって切り方が違い、カシスやマーマレードなどのジャムが添えられている。くせの強いチーズもジャムをつけるとOK)
鶏レバ―・ペースト、パン添え(Sさんお勧め。レバーがだめな人はどうかわからないけれど、私にはとっても美味しく、Good)
エスカルゴの香草焼き(ふんわりしていてなかなか美味)
イベリコ豚の生ハム(大きなももの塊を、注文を受けてから切っていた)
カルパッチョ
牛頬肉のワイン煮込み
オムライス(卵がふわとろで良かった)
稲庭うどん(これだけ、「和」なのがおかしかった)
ジェラート(2種)(←キャラメルともう一つなんだったか・・もう、この辺で少々酔っていたかも・・・。)
生チョコ、コーヒー
満足満足。
今度は、ワインの勉強をしていって、リストから選んでみたい・・・などと思ってしまった。
エルミタージュ、また行きたいお店。
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7~8月は、70m幅の外堀一面に、はすの花が開く。
なんでも、1871年に藩の窮乏を救おうと、大地主が私財を投じて、レンコン栽培を始めた事がきっかけとなったらしい。
その規模はたいしたもので、はすの研究で有名な大賀一郎博士からも「蓮池でこのような規模のものは世界でもまれで、特に赤白入り混じって咲いているのは珍しい。」と賞賛されたとか。
娘と散歩に行ったら、観光ボランティアの方が、いろいろ説明してくださった。
蓮の種類は世界で300数十種類あり、このお堀には150種類くらいの蓮があること。もちろん、2000年前の実から開花した「大賀ハス」も。
「蓮の花の命は4日です。」
「1日目は朝6時ころから開き始め、蕾がふくらんだお椀形に開きます。」
この後、じきに閉じて蕾の状態に戻る。
「2日目は、暗いうちから開き始めて、深皿状になるまで開きます。」
一番花の美しい時。朝9時ごろまでが見ごろ。午後には閉じてしまう。
「3日目は同じように開いて、さらに下の方の花びらが水平になるくらいまで開きます。」
開ききった状態。花の色も褪せてくる。
「4日目は朝開いたあと、だんだん花びらが散りだして、午後には全部散ってしまいます。」
何と潔い事。花の真中にあったハチスの部分だけが残る。
蓮の花が、開閉を繰り返して4日で散るというのは初めて知った。そういえば、わらべうたで、「ひ~らいた、ひ~らいた 。な~んのは~なが ひ~らいた。れんげのは~なが ひ~らいた。ひ~らいたとお~もったら、い~つのま~にか つ~~ぼんだ。」という唄があったことを思い出した。このことを歌っていたんだ。
「よく、蓮の花が咲く時に『ポン』という音がすると言われているようですが、実際に音はしません。」 そうなのか。早起きして、『ポンッ』という音を録音してみたいと思っていたのだけれど・・・。
「蕾から花開くまでの期間が短いのと、この花の大きさから一気に『ポンッ』と咲くようなイメージがあるんでしょうね。まあ、そう思っていても楽しいんじゃないかと思いますよ。」
なかなか、勉強になってよかった。
その他に聞いたこと。
蓮の花の生育は、春先の水温に左右されるという。
蓮の咲く外堀は、道路に区切られて3区画に分けられるが、そのうち中央部の成育が悪い。花がまばらなのだ。はす祭りのメイン会場なのに。
これは、この区画が春の観桜会のときも、人が集まる場所なので、ぼんぼりの照明効果をあげようと、堀の水位を川の水を引き入れて1mくらい上げるのだそうだが、今年は大雪の影響でその水は冷たい雪解け水だったからだという。
ハスはもともとインド原産の暖かい地方の花だから、冷たい水にやられてしまったらしい。
今年、一番綺麗に咲いているのは、なんと、私達がいつもウォーキングをしているコースの蓮だった。
いつもは夜だからわからなかったけれど、朝歩いてみると「へぇー、こんなに綺麗だったの。」と新しい発見をした。
夏は早起きをして歩いてみるのもいいものだと思った。
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「あじさい」を漢字で書くと、「紫陽花」ですね。
ぼけが木瓜、たんぽぽが蒲公英で、つつじが躑躅、ひまわりが向日葵、さるすべりが百日紅、おみなえしが女郎花、さざんかが山茶花・・・というのりだったのですが、どうも「紫陽花」という表記は誤用がそのまま定着したらしいのです。
あじさいは、万葉集では大伴家持の歌に「味狭藍」、橘諸兄は「安治佐為」と表され、平安時代には「安知左井」や「安豆佐為」との漢字が当てられていました。
明治時代の「大言海」で「あじさい」の語源として「集あず 真藍さあい」が有力視されています。つまり、青系の(日本は酸性土壌が多いので)、たくさんの花が集まって咲いている様をあらわしたものといえます。
さて、「紫陽花」という表記についてですが、10世紀の『和名称』の編者、源順が白居易(白楽天)の詩集「白氏文集」の中に出てくる「紫陽花」を日本のあじさいと思い込んで、「あじさい」=「紫陽花」としたことから、使われるようになったとのこと。他の表記は残らず、「紫陽花」だけが残りました。
こうして、現在まで1000年以上も「紫陽花」と使われている事になるわけですが、漢字の見た目が綺麗なイメージ、視覚的に好感が持てるからなのかなと思ってしまいました。ただ、梅雨時の花なのに「陽」とは?とふと疑問に思った事もありましたが・・。
ちなみに、白楽天が「紫陽花」といった中国の花は、ライラックではなかったかと言われているようです。中国では、あじさいのことは八仙花、綉球と表記されるそうです。
アジサイ
ユキノシタ科アジサイ属
原産国 日本・アジア
花言葉 高慢、移り気
学名 Hydranngea Macrophylla ハイドランジア・マクロフィラ
(Hydrangea:ギリシャ語のhydro=水 とangeion=容器の合成語)
(Macrophylla:大きな葉)
江戸時代後期にシーボルトが初めてヨーロッパに日本のアジサイを紹介。その時には、学名に自分の日本妻のお滝さん(楠本滝)の名前をつけてHydorangea Otakusaとしていました。
ヨーロッパでいろいろ交配がおこなわれ、さまざまな品種が生み出されました。現在ハイドランジアとして 切り花、鉢花に逆輸入されています。
日本でも原種のガクアジサイやヤマアジサイ、エゾアジサイをもとに改良して、現在の日本のアジサイ (花序全体に装飾花をつけたもの)をつくりました。
花弁に見えるのは、がくの変化したもので、本当の花は、その内側のごく小さなものだそうです。
大きな花序は豪華で迫力がありますが、私はガクアジサイ系の少し地味めな花の方が好みです。
「あじさい」一つをとってもいろいろ調べると、今まで分かっていたようで分かっていなかった事のなんと多い事かに気付かされます。筆力が足りないので、調べた事を全部整理して書けなくて不満ですが、知らなかった事をまた一つ知ることができたということで、よしとしましょう。
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大分前に、銀の無限角さんから『哲学バトン』をお受けしていましたが、ようやくできました。
はじめ、この言葉達の大群は何なんだろうと思いましたが、銀の無限角さんの「キーワードに答えて、次々とキーワードを増やして繋げてゆくんですね。」という説明と、極楽うさぎぃさんのブログを見に行って、ようやく理解できました。
私の答えです。
Q1 受け取ったキーワード「こだわり」に対する自分のイメージ
職人魂、その人を色づけるもの
Q2 渡すキーワード
「子ども」
Q3 今までのそれぞれのキーワードに最初に思いつく言葉
「死」…来世へのはじまり
「時間」…いつのまにか過ぎ行くもの、
無駄に使ってしまうものの一つ
「信頼」…裏切られたり、裏切ったりしたくないもの
「至福」…美味しいものをたべたとき
「写真」…記録したい記憶
「アート」…自己表現
「情熱」…老いても内に秘めていたいもの
「家族」…よりどころとなるもの
「好奇心」…行動の源となるもの
「癒し」…好きな音楽、絵画、陶磁器
「本」…心と頭の糧
「父」…立ちはだかる壁となるべきもの
「掃除」…苦手!
「心」…自分でもどうしようもない時があるもの
「春」…麗らかな日差し
「記憶」…薄れゆくもの
「不思議」…マジック
「ムダ」…不要な公共事業
「友人関係」…今、築いているもの
「無」…ゼロからの出発
「正義」…勝ってほしいもの
「青春」…アミーゴ♪
「対話」…意志の疎通
「平和」…人類の希求
「無限」…宇宙
「桜」…お花見、幽玄
「天」…大空と太陽
「窓」…光
「生」…エネルギーの放出
「自由」…憧れ
「世界」…手を結び合いたいもの
「痛み」…自己防御反応
「滲み」…インク
「楽」…深い眠り
「輪廻」…因果応報
「幸福」…家族愛
「母」…感謝
「大地」…恵み
「命」…万物に備わっているかけがえのないもの
Q4 渡してくれた人へのメッセージ
たくさんあって、少し大変でしたが、自分を見つめる事ができたのでおもしろかったです。
それにしても、なかなか思いつかないものもありますね。
自分の意見を確立させてから、他の人の答えを見るとまた楽しさ倍増かもしれないと思いました。(先入観がないように、余りじっくり読んでなかったので)
Q5 渡す人
negioyaさん、しりあげむしさん、生まれた時から雪国さん、太った11才のおれさん
のお答えを見てみたいです。
全部のキーワードとは申しません。お渡ししたキーワードと、すぐに思いつくもので結構ですので、よろしかったらお願いいたします。
あと、バトンをつなげてやろうという奇特な方が、もしいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。
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引き続きバレンタインの話題。
2月14日は、紀元3世紀のローマ帝国時代、イタリアで、強国にする目的で禁止されていた、兵士の結婚に力を貸した司教ヴァレンティノが、反逆の罪で断罪され、殉教した日でした。
もともとは、ヴァレンティノの死を悼む宗教的行事が行なわれていた日だったそうですが、14世紀ごろより、ヴァレンティノが兵士達の愛を守ったということで、愛の守護聖人と呼ばれるようになり、この日も、若人の愛の告白日となっていったらしいのです。季節も春の訪れ間近で小鳥もさえずり、愛の告白にはふさわしいとされたのです。
花束を贈ったりカードを送ったりして告白したのですね。
そもそもチョコレートはまだこの頃、ヨーロッパにはないのです。
チョコレートの原料のカカオの存在は6~10世紀のマヤ文明に記されているのだそうですが、実際にカカオ飲料としていたのは、14~15世紀のアステカ文明です。貴族の飲み物だったらしいです。カカオ豆は、飲料や貨幣の役割もしていたとのことです。
アステカ文明は1521年スペインのコルテスにより滅ぼされますが、この後、ヨーロッパにカカオがもたらされるんですね。
でも、チョコレートとバレンタインデーはヨーロッパでは結びつかないんです。
最初に、バレンタインとチョコレートを結びつけたのは、日本の青年でした。
メリーチョコレートで当時アルバイトをしていた2代目社長が、ヨーロッパの風習の花束やカードのかわりにチョコレートを贈るようにしたらとひらめいたのが始まりだそうです。1958年のことでした。けれども、この年は大失敗だったようです、たった3枚しか売れなかったのだそうで・・・。しかし若い2代目はあきらめませんでした。
翌年は「女性が男性に年に一度チョコレートを贈って愛の告白をする日」というキャッチコピーを考え、ハート型のチョコに贈る人と相手の名前を鉄筆で彫るサービスを前面に打ち立てたところ、大盛況だったとのことです。
昔は、女性から告白なんてできなかったのでしょうが、それが、おおっぴらにできるということと、また、時代と共に女性の権利の拡大を求める声も高まり、女性主導のアクションが支持されるようになっていたからなんでしょうね。
そして日本では1970年頃より、「チョコレートを贈る日」として定着したようです。
チョコレート会社の販促だったわけで・・・。なあんだ。
でも、チョコレート大好きな私にとっては大事な日です。
日頃は、むし歯が、カロリーが、と気になって2回に1回は我慢して買わないようにしているのに、この日ばかりは遠慮なく買えるから。
もちろん、だんな様には毎年チョコレートを贈っています。私の食べたいチョコレートを。
今年は、写真のチョコレート、産地別カカオ75%含有のものにしてみました。10枚、500gもあります。まずは1枚目、ジャマイカ産のものをご相伴しました。ビターで、酸味もあり、なかなか好みの味です。だんな様もお気に召したみたい。は、は、は・・・。
『テオブロマ・カカオ』・・ギリシャ語由来の『神の食べ物』であるカカオという学名を持つカカオの木。高貴な食べ物を遠慮なく、いただいております。
追記
前述の娘、おじいちゃんやお友達にはチョコレートをあげたけれど、「パパには?」と聞くと、「はっ」と、わざとらしく驚いたふり。あげる気がない、とみた。
パパは、娘がおじいちゃんに上げているところや、チョコレート作りを見ているので、自分にはないと知ったら・・・。ショックかな?と思ったので、サブに買い求めた私のストックから1個、「パパに渡したら?」と娘にあげた。いい奥さんだなぁ・・・。
何も知らないパパは喜んだみたい。
知らぬは旦那ばかりなり。このブログ読むわけないし、秘密は保たれるであろう。ほ、ほ、ほ。
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啓翁桜は雪の中で眠っていた桜の枝を切り出し、暖かい温室の中に入れる事で春と勘違いさせて、花芽をつけさせるのだそうですが、知人より、「雪の中、温室で春の陽気を人工的に作り出すのは、電照菊のハウスが煌煌としているのを見たときと同じような違和感を感じるのですが・・・」とのご意見をいただきました。
う~ん、考えてみると、確かにそういう側面もありますね。
お年寄りの役に立ったり、私のように観る者を癒してくれる桜ですが、そして私はそれでいいと思っていたのですが、自然でないもの=人工的に作り出すものは、必ずエネルギーを必要とするわけです。便利さを追求して、エネルギーを消費し続けることに、知人は警鐘を鳴らしたかったのかもしれません。
そういえば、私も違和感を覚える事があります。
『苺』です。
苺は、春の果物だったはずなのに、この頃、クリスマスの前から店頭に並び、すっかり冬の果物になってしまったかのようです。ハウスものが台頭しています。また、かえって今の季節のハウスものの苺の方が、春になって出てくる、地物・露地物より甘くておいしい事も多いし、値段も、旬だからといってけっして安くはないので、苺の旬とは?と考えてしまいます。
今からおいしい苺が食べられるのを、苺が好きな私としては歓迎したいのですが、真冬のハウスは、よりエネルギーを消費するんでしょうね。
苺だけではありません。本来なら夏野菜のトマトやきゅうりが一年中食べられる。他にも例を挙げたらきりがないくらい・・・。
それから、今はコンビニも、スーパーも24時間営業のところが増えてきましたが、これはエネルギーの無駄遣いではないかと、常日頃思っています。便利でよいのですが、24時間でなくてもいいのではというのが、私の意見です。
一度、利便さを享受してしまうとなかなか、抜け出せないものですが、一人一人、グローバルに、エネルギーの問題を考える時が来ているような気がします。
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銀の無限角さんから、“夢バトン”渡されました。
Q1:小さいころ何になりたかった?
Q2:その夢は叶いましたか?
Q3:現在の夢は?
Q4:宝くじで3億円当たったら?
Q5:あなたにとって夢のような世界とは?
Q6:昨晩みた夢は?
Q7:この夢の話を聞いてみたいと思う5人は?
「夢」って結構好きな言葉なので、ちょっとまじめに考えてみようと思いました。
Q1:小さいころ何になりたかった?
<幼稚園時代>
お姫様だったかな?お嫁さんではなかったことは確か。余り記憶にない。
<小学校時代>
スチュワーデス 『兼高かおるの世界の旅』を見ていて、世界を飛び回ってみたかった。
ピアニスト ピアノ教室の先生に誉められてうれしかったので。
科学者 キュリー夫人の伝記を読んで憧れた。
作家 『赤毛のアン』が好きで、こんな物語を書く人にもなりたかった。
小学校の先生 5,6年の時の担任の先生がいい先生だったので。
<中学校時代>
医者 荻野吟子(日本で最初の女医)の話を読んで憧れた。
Q2:その夢は叶いましたか?
・・・いいえ・・・
お姫様・・・叶う叶わない以前の問題。
スチュワーデス ・・・物理的に身長が足りず断念。
ピアニスト、作家 ・・・自分の才能を客観的に見られるようになってから断念。
科学者・・・キュリー夫人が食べるひまも寝るひまも惜しんで研究に没頭したという所を読んで、食べることも寝ることも好きな私は無理かなと・・・。
小学校の先生・・・どういうわけか、父が学校の先生と警官を好きではなく、(何か良くない思い出でもあったのか。)娘である私にもなってほしくないようなことを言っていたので。 (勝手な親だ。) 「体制側」「上からものを言う」という偏ったイメージをもっていたためらしいのだが・・・。(いい先生もいるのに。) 今はどう思っているんだろう。
医者・・・偏差値の問題、経済的な問題が発生。国立の医学部でなければ行かせられないと言われ・・・。浪人すれば・・とも思いましたが、根本的に受験勉強が嫌いだったんでしょう。現役で入れたところでよしとしてしまいました・・・。
まあ、節操もなく、いろいろなりたいものはあったのだけれど、どれも本当に好きでとか、信念を持ってとかということがなく、実現のために熱情を持って、努力し続けるということもなかったので、夢は夢で終わってしまったような気がします。ミーハ―な性格、熱しやすく冷めやすい性格が災いしたのかな・・・。
現実的な問題で妥協しちゃったんだろうと思います。
でも、現在の職業を考えた時、これら(科学者、先生、医者)の要素が少しずつ入っているかも知れないと、これを書いていて気付きました。
また、今続けているブログは、一種の自己表現かなと思われますし、近頃習い始めた大正琴は、音楽もまだ捨てていないことの表れかしらなどと思ってしまいました。
あきらめたはずの夢のかけらはまだ心のどこかに残っているんでしょうね。
Q3:現在の夢は?
リタイアして、日本全国をはじめ、世界中を旅行してまわりたい。
小学校の頃、シュリーマンのことを読んで、行ってみたいと思っていたトロヤやミケネの遺跡、東京の博物館でみた(と思う)ツタンカーメンの黄金のマスクに触発され、行きたくなった、エジプト・王家の谷、インカ帝国の空中都市マチュピチュなどは、是非行ってみたいな・・・。
Q4:宝くじで3億円当たったら?
夢の実現に使う。
それから、犬や猫の飼える、小さな一戸建ての家が欲しい。
残りは、しかるべきところに寄付をしよう。
Q5:あなたにとって夢のような世界とは?
指をパチンと鳴らすと、すべてのものが片付けられ、整理整頓されて、居心地の良い空間がつくりだされる世界。(夢のようなと言うより、魔法の世界かな・・・。)
Q6:昨晩みた夢は?
巨人の清原がでてきたような・・・なんで?
えっ、内容?忘れた・・・。
Q7:この夢の話を聞いてみたいと思う5人は?
あ、バトン落としちゃった・・・。
皆に聞いてみたいと思っていたのだけれど・・・。
バトン拾ってくださる方、どなたでも結構です。お話して下さい!
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清々しい季節になってきました。
今日は気持ちの良い秋晴れ。秋茜も日の光りに羽をきらめかせながら、止まり木を探していました。
『ほら、ここにあるよ♪』
羽を休める秋茜…
特技?かな。
(それにしても巨大な私の指・・・)
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