読んだ本

2009年1月20日 (火)

うさぎパン

娘が、学校の図書館から本を借りてきた。

基本的に娘は本が好きな方だと思うが、「世界の名作」と言われるような本は食わず嫌いをしているようなところがある。小学校の時は、よく図書館に連れて行ったが、そのコーナーにはついぞ立ち寄ろうとはしなかった。私が試しに借りてきても全く興味を示さず、読み聞かせをしてやろうと思っても、違う本をリクエストされる始末だった。

借りてきた本は『うさぎパン』。

内心、「またか。本当に軽い本しか読まないんだから・・・」と、失望したが、その本を手に取ってみて、ちょっと気が変わった。

装丁がいいのである。紙質、色合い、デザインにこだわりがあり、かわいい。

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娘が図書館や本屋で本を選ぶ時の選び方を、前に聞いたことがある。

「まずね、題名を見るでしょ。次に、カバーの色やデザインを見て気に入ったら、中を読んでみて、面白そうだったら借りる(買う)の。」

そうか、題名に『うさぎ』ね。

娘は、小さい頃、『うさぎ』が大好きだった。Ca380137

お弁当の日、食が細かった娘のためにうさぎをかたどったチキンライスにしたり、リンゴもうさぎの耳をつけてあげると完食してきた。

洋服も、うさぎが付いたものがお気に入りだった。

Ca380139_22~4才の時に着ていたセーターや、5~6才の時に着たトレーナーは、手放すのが嫌だと言って、まだ箪笥にしまってある。(それ以外、小さくなったものはほとんど、2歳年下の従妹にあげて、着てもらっていたのだが。)

ソックスもうさぎ。

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髪の毛も、毎日、いろいろなチョッピンで、ウサギの耳のように頭の両横にゆわえて登園していた。

『パン』・・・パン屋さんか、パティシエになりたいと言っていた時期があった。

そんな娘だから、『うさぎパン』という題名はストライクゾーンど真ん中だったはずだ。

それに、手に取ってみると、紙の質感が暖かいし、私も魅かれた装丁である。中を読む前にもう、借りようと思っていたに違いない。

主人公は、高1の優子。3歳の時に「母」の聡子を亡くした。父親は単身赴任中で、「継母」だけれどいい関係のミドリさんと一緒に暮らしている。1学期の成績が悪かったため、家庭教師として、美和ちゃんがやってくる。25歳、難関大学物理学科の大学院2年生。美和ちゃんには、ミドリさんにいえないことも言える。

同じパン好きの冨田くんと意気投合して、パン屋めぐりをしたりする中でほのかな恋心も抱く。友達との楽しい学校生活。

それらが、爽やかに、魅力的に書かれていて、あっという間に読めてしまった。

この本の中で、印象に残ったこと。

それは、優子が美和ちゃんに、「元素記号って意味あんの?」とか「役に立たない古文の助動詞活用を覚える必要ってあるの?」などと聞いた時の答えなのだが、

「頭は使わないとなまっちゃうのよ」

「忍耐力を養うためだよ」

「世の中に必要なものしかなかったら、とんでもなく殺風景なことになるわよ」

「まだ若いんだから、意義のあることだけに集中するには早すぎるよ」

・・・なかなか、良いことを言っていると思った。

作者の瀧羽麻子さんは、1981年兵庫生まれ。京大卒。この作品で、2007年第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞した。美和ちゃんと等身大の彼女は、作中の美和ちゃんとダブってみえる。

難を言えば、途中からファンタジーっぽくなってしまったり、「聡子」と「ミドリさん」と父親の関係については、突っ込みどころが満載なのだけれど、全体的には、読んで良かったかなと思える。特に娘と共通の会話ができたことが収穫かな。

蛇足だけれど、この本の目次が、普通と違う。

Ca380135_2 パンの挿絵なのだ。

これも、装丁を手がけた、名久井直子さんのアイデアなのか。

彼女はとても凝った装丁をする人のようである。

何よりも手間をかけることを厭わない、本作りを楽しんでしていると言うような人のようで、こちらも好感が持てたのであった。

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2008年9月 6日 (土)

そうか、もう君はいないのか

Pa0_0045_2 広田弘毅を書いた、城山三郎の「落日燃ゆ」を読もうと思って、取り寄せていたが、同じ作者の未完の遺稿とされる、「そうか、もう君はいないのか」が、図書館からの電話で借りられることになったので、読みやすそうな、こちらから読むことにした。

これも、何ヶ月か前に予約しておいて、予約したことを忘れていたものだった。

題名からして、亡き妻への思いがあふれているようだと思ったが、妻との出会いから、永久の別れまでを時折ユーモアを混ぜて書いてある本編は、妻、容子さんへの愛情で満ちていた。

うらやましいほどの、夫婦の絆である。

偶然の出会いで一目ぼれ。一度は、容子さんの親に時期j尚早と遠ざけられたが、「天使」ともたとえた人と、奇跡的に再会できて一緒になれたせいで、べた惚れだったからなのかもしれないが、ずっと少年の日の心を失わず、奥さん第一、奥さんへの思いが変わらなかったのは、日本の男性としては珍しい。

ふつうの日本の男は、若い日はともかく、やっぱり自分の母親を第一に考えるものだから・・・。(自分の奥さんは、子供の母親と考える男が日本には多いのではないか。)

結婚して何年もたたずして、母親が亡くなってしまったこともあるのだろうが、大陸的な容子さんは、妻であり、母であったのかもしれない。
そればかりか、妹であり、取材の旅の相棒であり、『パイロットフィッシュ』であり、何物にも代えられない存在であったのだろう。

一方、容子さんのほうも、夫として、兄として、作家「城山三郎」のファンとして、終生慕い、敬愛する気持ちを持ち続け、献身的に尽くし、支えていった。
子供たちからみて申し分のない母親であったが、心の底では夫が一番だったという告白を受けて娘さんが多少ショックを受けたようなことが、娘さんのあとがきにも書いてあった。

まさに夫婦の理想。

これも娘さんからのエピソードだが、城山が亡くなった時、その死に顔は穏やかで笑顔を浮かべていたという。「お母さんが迎えに来たんだね、良かったね、お父さん。」と、子どもたちに思わせる生き方、死に方は、お手本にしたいものだ。

娘さんのあとがきには、心温まるものがあったが、知らないうちに、ボタンの掛け違いが始まっていたことに気づいた私たちの夫婦関係を考えてしまうと、少しジェラシーのような気持ちが浮かんで読み終えた本だった。

また、蛇足だが、「城山三郎」のペンネームの由来は、織田信長の出城があって通称「城山」と呼ばれている名古屋市の東郊に、三月に引っ越したからなのだそうだ。

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2008年7月31日 (木)

読書 -死中に生あり-

興味の赴くまま、書店でピックアップ、インターネットでポチっ。
と、積読の得意な私。

読む本は多々あるけれども、やっぱり手を伸ばしてしまったのは、夫が読み終えた『ハリーポッター 死の秘宝』。

結末を言いたくて、うずうずしている夫に言わせてなるものかと、上下巻を、ほぼ2日で読み切る。

7巻全部読んでみて、作者J.K.ローリングの想像力、構成力に脱帽した。
ここが、ここにつながって、へぇー、そうだったんだ。

イギリスには、質の良いファンタジーものがたくさんあるけれど、そういう風土なのかなと思う。

訳者 松岡佑子が、あとがきに いみじくも載せていたが、33章の内容と、32章の最期の言葉が胸を打った。ある人物の、報いられない愛に捧げた生涯に感動を覚えた。

湖に沈むグリフィンドールの剣に導く、銀色の牡鹿を守護霊とする人物を予想したのだが、敵を欺くには味方、いや読者からのごとく、「でも、まさか」と打ち消してしまっただけに、見事に作者にしてやられた感がある。

最終章は、蛇足のような気がしたが、ハリーの子供の名前を見て、かの人物へのオマージュを示したかったのだろうと納得した。

さて、図書館から「ご予約の図書がはいりました。」との連絡があったが、何を予約したか忘れていた。

なんだっけと、出向いてみれば、『天地人』の上下巻だった。

そうそう、ずっと前に銀行で自分の番を待っている時に、置いてあった本に目を通してみたら面白そうだったので、図書館のPCで予約しておいたものだった。

「後にご予約の方がいらっしゃいますから、必ず期限内にお返しください。」とくぎを刺され、とりかかっているところ。もう少しで上巻が読み終わる。

地名などにな馴染みがあり、とても親近感を持って読める。歴史小説は作者のロマンも色濃く反映されるが、史実にも忠実だと思うので、知らなかったことが分かり、面白くためになる。

直江兼継について知らないことが多かったと改めて思う。(高校の頃、大学入試は世界史を選択したため、受験科目でなかった日本史はかなり手抜きをしていたので・・・。最近、「日本人なら、日本史はしっかり勉強しなければ」という思いがふつふつと湧いている。)

夫も、はまったようで、もう下巻を読んでいる。

来年の大河ドラマが楽しみになった。

追記

「生中に生なく、死中に生あり」とは、上杉謙信から直江兼継に受け継がれた教えであるが、ハリーの勝利もまさに、「死中に生あり」だった。

なんの脈絡もなく読んだ2つの本だったが、重要なつながりがあったことに驚いているところである。

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2006年12月21日 (木)

セーラー服と機関銃

「か・い・か・ん」と、機関銃を撃ち放った後に恍惚の表情でつぶやく薬師丸ひろ子ちゃんの姿が、衝撃的だった映画「セーラ-服と機関銃」から、25年。

長澤まさみちゃん主演、21世紀バージョン星泉のTVドラマ「セーラー服と機関銃」がこの間まで放映されていた。

普通のまじめな高2の女の子星泉が、突然目高組というやくざの組長にされてしまって、最初はとまどう、逃げ腰になる。5人いる組員のうち、特に英樹と健次の若い2人は、いくら前の組長の遺言だからと言っても、こんな女の子が組長だなんて、認められないと始めは反発する。

ところが、目高組に対する嫌がらせや、不当な行為に対しての、泉の、怒りを表わし、誰に対しても筋を通そうとする姿に、若い組員達も信頼を寄せるようになり、組長として認める。そして皆が、「組長を守る」という絆で結ばれるようになり、それぞれ孤独を抱える者たちが寄り添うことで、父親も亡くし、天涯孤独となった星泉にとっての「家族」となるのだ。

そんなささやかな幸せが、麻薬とそれにつながる人間の欲望によって、次々に打ち砕かれていく。次々に大切な組員達が殺されていく。武、金造、それから英樹と健次。皆、「家族」の誰かを守って死んでいくのだ。毎回涙なしでは見られない。

とうとう、若頭の佐久間だけになったとき、星泉の中で、抑えきれないものが爆発する。
「一度だけ、人の道を踏み外していいですか?」
封印してあった機関銃を携え、浜口組のビルへ乗り込む。太っちょ:国会議員の三大寺、悪徳警官黒木、浜口らが、因縁の麻薬を積み上げ、一堂に会している中、星泉は胸のすく啖呵を切り、機関銃をぶっ放すのだ。机・いす・壁・そして麻薬。何億円相当の麻薬が小気味良く粉塵と化す。

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堤真一の佐久間が超カッコ良かった!
筋を通す任侠の人。自分より他人のことを考えられるやさしい人。時には迫力のあるドスをきかせることができる人。

この佐久間が、早い回のうちに、誤解から義弟に撃たれるシーンがあり、「まさか、こんなに早く。」と気が気でなかったが、星泉よりもらった「安産」のお守り(笑)に銃弾が当たったおかげで、命びろいをする。「佐久間は死なないで。」と思っていたが、やはり最後には、喧嘩を放っておけなくて仲裁に入ったところを、胸を一突きされ即死という筋書きだった。(泣)

私は、1978年に書かれた赤川次郎の原作も、映画も観ていなかったが、このTVドラマを見て、興味を持ったので、原作を読み、映画のビデオを観ることにした。

本の方は手に入り、ついでに、9年後に書かれた「セーラー服と機関銃・その後-卒業-」も読了した。だが、ビデオの方は、同じことを考える人がいるようで、レンタルビデオ店に借りに行っても、何度か貸し出し中だったため見られず、昨日ようやく見終えることができた。(見てからブログを書こうと思っていたので、遅くなってしまい、タイムリーな記事にならなかったことが、ざ・ん・ね・ん。)

原作は、星泉と共に、彼女のクラスメートで「泉ファン」の3人の少年も、探偵団よろしく活躍する、青春冒険ミステリーという感じだが、映画は、原作を踏襲しながらも、やはり薬師丸ひろ子ちゃんの魅力を引き出すことに力点が置かれ、それが成功しているように思う。少女から大人の女性になろうとしているあやうさや、きらきらした輝き、包容力などが、表わされていたのではないか。TVでは、長澤まさみちゃんの可憐な強さと「家族」「任侠」など人情ものに仕上がっているように感じた。

映画の中の佐久間は渡瀬恒彦が演じていて、「かっこいいオジン」と言ってもいい。

「か・い・か・ん」というせりふは、25年経っても鮮烈な印象があるが、おそらく地雷で両足をなくしたという設定の太っちょ(映画と原作、TVでは、太っちょの人物設定がずいぶん違う)が、星泉に地雷をふみつづけさせながら、『死の恐怖と肉体の戦慄が入り混じって・・つまり快感・・だよ。快感は死と隣り合っているものなんだ。』と語った、「快感」を踏まえたものなのだろうか。少なくとも直接的な「快感」ではなさそうだ。原作ではもちろん、TVでも、この有名なせりふがなかったが、このせりふは、薬師丸ひろ子ちゃんの専売特許でいいと思う。

「セーラー服と機関銃・その後-卒業-」は、星泉がもっと活躍する、どきどきの冒険ミステリーだが、原作では、ただ一人生き残った武が「その後」で重要な役割を果たすので、すべて死んでしまった映画やTVで、続編を作るのはむずかしいように思われる。

リメーク版は、原作や、前作に比べられて厳しい眼で見られることも多いが、このTV版「セーラー服と機関銃」は、独自の切り口で良いドラマだったというのが、すべてを見た私の感想である。

また、主題歌も、エンディングで目高組6人が並んで歩くシーンに流れていたのが効果的だった。
『さよならは、別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束・・・』『愛した男達を思い出にかえて・・・』というフレーズが、ぴったりだった。映画よりも、あてはまるように思われてならない。


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