教育

2013年2月19日 (火)

大学受験

国公立の前期日程一般試験まで、とうとう1週間を切った。

センター試験の数学の失敗で、数学の点数がそのまま反映される第1志望校はあきらめざるを得なくなったのだが、学校での三者面談で提示された大学は、大学の難易度で偏差値的にほとんど変わらない大学だった。

どうしてこちらの方が判定がいいのだろうと思ったが、配点が、センター試験については「外国語・200点」「国語か数学のうちのどちらか1教科・200点」「地歴公民・理科のうちの1教科1科目・100点」というもので、数学の点数がまったく無視できるものだったのだ。

同じことが、センター利用で受けた私立大学にも言えて、どうせ滑り止めにするなら確実にというわけで、同一学部の2教科型・3教科型・4教科型で受験したものは合格。5教科型で受験してちょっと難しいのではないかと思った大学も、、数学の配点が100点に圧縮されていたため、奇跡的に合格した。

おかげでセンター利用で受験した3校すべて合格。合格通知が5通も来て、嬉しいような申し訳ないような・・・。

総合点でのみ合否判定を受けてきた古い人間としては信じられないような思いである。泣きだすほど数学の点数はひどかったのに。

さて、急遽国立の志望校を変更したため、一般入試の個別学力検査の試験科目が全く違ってしまった。

変更前は、英語・国語・日本史が試験科目だったのに、今度は、「総合問題」である。
英語の長文を読解して自分の意見を書いたり、図表から基礎的な計算や、分析、解釈を行ったり、あるテーマでの小論文的な記述が必要だったり、娘はとまどっていたようだった。

それまでは、勉強すればするだけ、わかるし、点数も伸びる手ごたえがあったのに、総合問題の記述となると、何をどう勉強していいか、また正しい答えは何かはっきりわからないもどかしさがあって、やる気がそがれ始めた。しかも、行こうと思えば行ける大学が決まっているので、一時期モチベーションが下がってしまった。

私ですら、「まあ、いいか。島崎藤村の後輩になるのも。『Do For Others』の建学の理念もいいし・・・。」などと思ってしまったくらいだから。

しかし、また、過去問を解いて、小論文を書く練習をし始めたようである。

さっきまで原稿用紙と格闘していた。手元にあったものを使い果たしてしまい、家に原稿用紙はないかと聞かれたので、ワードで作ってプリントしてあげたところである。

「受験勉強」の中ではあるが、社会の問題に対して自分の考えをまとめ、書くというトレーニングをするのは、人生において無駄ではないだろう。
試験の結果はどうあろうと(本人が、私立大学で運を使い果たしたので、受かる気がしないと言っているのだが)、こういう経験をするのは良いことではないかと思っている。 

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2011年8月12日 (金)

「学校の先生」って?続き

「学校の先生」の中には、立派な方・生涯の恩師として敬愛に値する方も大勢いらっしゃる。

現に私の小学校の5・6年生の時の担任の先生は、授業以外にも生徒とかかわりを持って一人一人と向き合ってくれるような先生で、私には、医師・歯科医師への道に目を向けさせてくれた「恩師」であるし、娘の中学2・3年の時の担任の先生は、生徒の気持ちを良く理解しようと努め、かつ全人的に接してくれる熱血先生で、娘は今でもその先生のことを慕っている。

そんな先生も多くいる半面、「ちょっと・・・」どうかと思うような人に先生が多いのも事実である。

夫の患者さんで、すぐキャンセルしたり、予約時間に遅れてくるのは学校の先生が多かったらしい。

「忙しい」から当然といった態度だったとのこと。

私が娘の中学の学年委員をしていた時、役員でありながら、役員会や、PTA活動に全く顔を出さない人がいた。

「忙しい」高校の先生だった。

秋の親子活動に向けて、夏から、ホームセンターなどで必要なもののリサーチおよび注文など、それぞれ役割分担して動いていた時も、その人だけ役員会に来ないので、何もしなかった。

皆、仕事を持っていてもやりくりして役目を果たしているのに。

私もいつも忙しいわけではないが、急患が入る時もある。

学年委員主催の懇親会で司会をしなければならなかった日、休診日だったので家にいてそろそろ支度をと思っていたら、患者さんからの電話。
矯正をしている子どもが自転車から落ちて歯をぶつけて装置が変形してしまった。本人が相当ショックを受けているので、お休みのところ申し訳ないがなんとか診てほしいとのことだった。

至急来てもらって、なんとか無事処置した。火事場の馬鹿力が働いたのかもしれないが、懇親会にもぎりぎり間に合った。

いったん役目を引き受けたら、それを全うする責任があるのではないかと私は思っているので、「忙しくて来れない」というのがどうしてもわからなかった。だったら、何で役員を引き受けたのか。

学校の先生は、「忙しい」ことを錦の御旗のように掲げていれば何でも許されるのか。

(かの人は、後から聞いた話では、私が唯一回行けなかったPTA に一度だけ顔を出して仕事をしたたらしいが・・・。)

そのほかに、小学校に歯科検診に行った時のこと。

担任の先生も検診しているそばにいるのだが、明らかに家庭環境にも問題ありそうで、むし歯も多い子どもに対して、「ひどいねぇ。そんなにたくさんむし歯作って。」というようなことを口にした女の先生がいた。

そんなデリカシーの無い言葉を聞いて、私は耳を疑った。

いくら本当のことでも、皆の前でその子をけなすような言葉を言っていいのか?

先生公認の「いじめ」の対象になりはしないか?

そんなことを心配した。

また、検診でむし歯が見つかるのが、まるで悪いことのように、いちいちがっかりした声をあげる人もいて、子どもたちにもそれが伝染していたことがあった。

いい悪いで検診しているのではないのだけれど。

「小さいうちに見つけてもらって良かったね。早く治そうね。」ぐらい言って欲しいものだと思っていた。

(まあ、これは、少し前の話で、近頃はそういう先生にお目にかかってないが。)

このような方々には、「先生って非常識で、尊大で、デリカシーがなくて、勘違いしている人」などといわれないように、常に「先生」と呼ばれるに値する自分であるように戒めるべきであろうと、同じく先生と呼ばれる身から、自戒をこめて申し上げるものである。

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2011年8月 6日 (土)

「学校の先生」って?

義母の愚痴の聞くのは私の役目。

お隣さんが半分土地を売って、それを購入した人が家を新築している。
ほぼ完成したので、お祝いを持って行ったそうだが、

「顔を見ても何にも言わないんだよ。」

建築業者のトラックや、資材など、隣のよしみで、うちの駐車場におかせてあげたりしていたのだが、建築業者から最初に挨拶があっただけで、ご当人からは、それについてのコメントはいっさいないとのこと。

「ありがとうございましたの一言でいいんだけどね・・・。」

また、その向かいの○○さんの土地を通る排水路に向かって排水口が作られていることについて、

「○○さんには何もことわりがないそうだよ。」

利便上、この辺の人は、自分の土地でも、持ちつ持たれつ、好意から人の分も排水など通してあげたりしているのだが、

「通させて下さいねの一言あっていいんじゃないの。」

「本当に、あれで学校の先生なんだから。子どもに礼儀を教える人じゃないのかい。」

義母の憤懣は続く。

「そういえば、□□さんちの**ちゃん。お正月に帰って来た時、車を置かせてあげても、お礼の一つも言わないで黙って帰っちゃうんだものね。」

「あの子も小学校の先生だよ。」

さらに、

「そうそう、駐車場を舗装する前、あそこはいろんな草花が植わってる庭でね・・・。」

義母が、たまたま庭に出たら、男の人が椅子に腰かけて花を写生していたのだそうだ。義母が近づいても何も言わなかったとのこと。

「人の庭に黙って入りこんで、何も挨拶がないとはあきれたもんだ。」

で、その人は数軒先の隣の町内の△△さんちの息子さんで、やはり、「学校の先生」だった。

「教える立場の人が、こんなことでいいのかい」

実家の母からの憤慨も思い出した。

私の小学校のときのピアノの先生で、いろいろかわいがってくれたおじいちゃん先生。母も女学校で音楽を習ったという先生が亡くなった時のこと。私は母に香典を託した。

葬儀が終わってまもなくして、先生の娘婿が、実家の新聞販売店に顔を見せた。

母はてっきり私からの香典のお礼かと思っていたら、なんと『故人が新聞を読んでいたので、もう亡くなったから、新聞を止めてほしい』と言いに来たのだそうだ。香典のことなど一言も触れず。

「義理も人情もあったものじゃない」「人の心がわからないのか」と不満をもらしていた。

この娘婿、高校の先生である。

「学校の先生」は聖職であるという思いが強いため、こうあって欲しいという人物像からはずれると、ほかの人よりは非難の対象になってしまって歩が悪いのかもしれないが、やはり、こうもエピソードが多いと、「学校の先生」って常識ない人多いんじゃない?と思ってしまう。

私も、書いているうちに2~3思い出したことがあったので、次回の記事に。

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2010年3月13日 (土)

心のメモ

Dsc00666 A6版のノート。

娘の3年間の心と活動の軌跡。

担任・副任・教生の先生方との交流がつまっている。

Dsc00667_2 全5冊。

今、読ませてもらっているところ。Dsc00668

娘の「つかれた」「ねむい」などのことばも、やさしい励ましのコメントが寄せられている。

娘が書いた行数より多くのコメントが書かれていることも。

先生の言葉

『悩む=強く太く生きるために必要なこと。』

『春って嬉しさと寂しさの詰まった季節ですね・・・(泣)』

かなり、娘のことを把握してくれているいい先生方だった。

娘も、私に「読んでもいいよ」と渡す前に、一通り自分で目を通して懐かしがっていたようだった。

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2010年3月 9日 (火)

卒業式

昨日は娘の卒業式だった。

1部は、厳粛な卒業証書授与式。ちょうど第30回の節目の年。みんな真剣な面持ちで校長先生から、卒業証書を手渡されていた。リハーサルで練習した通りなのだろう、スムースに行われた。

ビデオを取る人写真を取る人多数だったが、私のは古いデジカメのせいか、シャッターを押してから、実際に切れるまでタイムラグがあるため、後で見たら、ぶれまくっていた。あぁあ・・・。

来賓の祝辞は、型どおりだったが、今年のPTA会長の挨拶は、一人の母親として、かつ人生の先輩としての温かいエールで、少しうるっときてしまった。

2部は、3年間の足跡として、先生たちが撮りためた膨大な子どもたちの写真の中から、スライドにしたものを上映。

その後2年生の新生徒会長・副会長からの贈る言葉があり、全校合唱を挟んで、3年生からの感謝の言葉(←私たちの時代には、送辞、答辞だった)が述べられた。全校合唱「ハレルヤ」は、混成4部合唱を原語で歌うので、なかなか迫力があった。これは、この中学の伝統といえる。新しく音楽の先生が赴任してきたら、このことが引き継ぎ事項として伝えられるのだろうか。

やっぱり、目頭が熱くなるのは、卒業記念合唱を聞いた時。

「手紙~拝啓15の君へ~」と「旅立ちの日に」の2曲をうたった。
娘は、私の前に座っている保護者達の頭に隠れて何も見えなかったが、泣きながら精いっぱい歌ったらしい。指揮者のO君が、目を真っ赤にして歌いながら指揮しているのを見て、がまんができなかったのだそうだ。

生徒会会長のラストメッセージも、近年になく良かった。

「僕が生徒会会長の仕事をまっとうできたのは、僕の後ろにいる157人の協力があったからです。」と言って、くるっと180度向きをかえてみんなの方を振り返り、「ありがとう」「だいすきだよ」と、みんなを泣き笑いさせた。

良い卒業式だった。

式後、各教室で最後の学活があったが、うちのクラスでは担任の先生が、1人1人に手紙と、各人にふさわしい「贈る言葉」を英単語1語で書いてきてくれ、それをコメントを付け足しながら、手渡してくれた。

うちの娘は『progressive』という言葉をもらった。

先生の生徒を思う心と努力に感動した次第。

この先生からの手紙は、これからの人生で素晴らしい思い出として残るだろう。

娘から、「ぐじゅぐじゅ泣かないでね」とくぎをさされていたので、涙を必死に我慢した。

3年間、あっという間だった。

いい先生と、気の合う友達に恵まれた楽しい中学校生活が終わった。

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2009年3月 2日 (月)

involvement Forum 2009

昨日、上越教育大学で、メインテーマが、 「~発達障害者支援の今後~ ライフステージ支援の在り方を探る」と題したNPO法人りとるらいふ主催のフォーラムが開かれた。

私は、新潟県はまぐみ小児療育センターの東條恵先生の基調講演が聴きたいので出かけて行った。

ずいぶん前に、新潟大学小児歯科より紹介された患者さんが来院したとき、はまぐみに通院しているとのことだったので、東條先生にお問い合わせをしたことがあり、今回、直に先生の講演を聴けるということで楽しみにしていたのだ。

「発達障害に必要な理解と支援と環境と」と題して行われた講演は、発達障害の中の自閉症スペクトラムのうち、特に知的障害のない、高機能広範性発達障害(アスペルガー症候群)を中心にしたものだったが、むずかしいところもわかりやすく、飄々と、時折ユーモアを交えながらお話された。

彼らは、情報処理(入力・分析・出力)に不具合がある。特に「心の理論(人の心を読む、共感する、他者の目を持つ)」ということが不調なため、自らの感覚・感情・論理に従うしかなく、自己中心的な思考と行動をすることになる。

入力では、フィルタの不調で、情報過多となりパニックを起こす。サバイバルのために、シャットダウンをする。日本語があたかも外国語のように聞こえる。写真的記憶は得意だが、人の表情が読めない。味覚、皮膚感覚、嗅覚に好き嫌いがはっきりしている。

分析はall or nothing。好きか嫌いか。

出力は、分かっている範囲で律義に。語学力、会話力に問題があるため、戸惑い不安の強い外国人的立場に立たされているかのようである。

社会適応のためには、

異文化交流としてとらえるとよい。
互いに認識し合うこと。
本人に不足している語学、行動様式、規則、文化を学習させる。

本人と、社会・世間を双方向に結ぶコンタクトパーソンが重要で、コンタクトパーソン的支援は、ライフステージを通じて断絶することなく受けられることが必要。

環境調整により、安定化をはかる。
不安解消グッズサバイバルキットやグッズ(お守りなど)を身につけ、不安解消スペース(サバイバルスペース、グッズ )を確保。

批判・叱責の対象ではなく、不安や戸惑いの強い立場に立たされているから、支援・援助対象であるという視点の切り替えが必要。

などが、かいつまんでいうとあげられる。

なるほどと思うことも多く、有意義な講演だった。

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2007年6月15日 (金)

ブカツとジュク

中学生は忙しい

朝早くから、夕方遅くまで

朝練習に放課後練習

部活、部活

日曜日も

ヘルメットを被り、

それぞれのスクールカラーのジャ-ジを着て

自転車乗って、急いでる。

中学生は忙しい

夜は塾か習い事

シャッター下りたアーケード街

時間になると、ジャ-ジ姿の中学生であふれてる。

駐車禁止の車道にも、

お迎えの車の行列、行列

中学生は忙しい

いつからこんなに忙しくなったのか?

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2007年5月 8日 (火)

漢字力

朝刊一面の記事に、「小学生の苦手な漢字」という見出しがあった。

2004年4~5月、全国の小学2年~中学1年の計3万7835人を対象に、実施した調査で、各学年に対して、前年に習った漢字についての試験を行った結果が、苦手ランキングとして公表されたものである。

「読み」では、一年生で『八つ』を『はちつ』と読む誤答例が、示されていたが、本当?と思わず首を傾げてしまった。「書き」では、『ひとつ』を『人つ』とかくのだという。う~ん・・・。

ためしに、中1の我が家の娘にやらせてみたら、「読み」は、ほぼOK。
ほぼ、というのは、『存亡』を『ぞんぼう』と読みそうになって、「えっ、『そんぼう』だった。」と言い直したため。(「そんぼう」が正しいのだが、私のこのPCは「ぞんぼう」を変換しても「存亡」になる。どうなってるの? )

「書き」では、
『支持』と書くべきところ『志持』、
『付近』を『布近』とか『府近』とか、
『物資』を『物貿』などと・・・。

人のことを笑っていられなくなった・・・。

小学校では、毎年、毎学期、漢字力テストなんていうものをしていたはずなのに、あまり身についてないというか、その場限り覚えて、忘れたとか・・・。

「ゆとりの教育」なんて、訳のわからないことを言っているから基礎学力が低下するのだ。(最近では、見直す風潮のようだが。

やはり、「鉄は熱いうちに打て!」である。

脳細胞が元気なうちに、徹底的に鍛えるべきであろう。
(と、この頃、新しいことがなかなか覚えられなくなってきたおばさんが、羨望の意を込めて思う次第。)

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2007年4月11日 (水)

中学校生活

今日は、市内の多数の中学校で、NRTがあった。

小学校の基礎学力がついているかを見る実力テスト。「入学したらすぐテストがあるよ」と聞いていたので、娘には、小学校の復習をするように、問題をそれとなくおいたりしていたが、全然見向きもしなかった。

「塾に行っている子は、春休みも講習があって勉強してるんだよ」と言ってもどこ吹く風。それどころか、「お母さんは、すぐ人と比較する。人は人。」と反論される始末。

夫に言っても「今の実力を見るテストなんだから、特に勉強する必要ない。」とにべもない。
「はい?」
夫とは、どうも娘の勉強に対しては意見が合わない。
春休み中、小学校の時の友達と遊び歩いていたので、もう6年生で習ったことなど記憶からなくなっているんじゃないかと、それでも少し勉強すれば思い出して、定着してくれるのではないかと思ってのことだったのだが・・・。

案の定、今日帰ってきてから、テストのことを聞いてみたら、数学(算数)は時間が足りなくて2~3問できなかっただの、他の教科では時間は余ったが、見直してもわからない問題があっただのとか惨たんたるものだったようだ。

先が思いやられる。

ということで、思い出したのが、4日にあったガイダンスのこと。
中学生活のプレスタートといえるもの。
5・6年生の時は皆勤だった娘なのに、あろうことか、3日の夜から喉の痛みを訴え、4日の朝はとうとう発熱して、ガイダンスを欠席した。

幸先の悪いスタートだなと思っていた。

仲の良かった小学校の仲間たちがばらばらになるのに、最後まで抵抗していて、私が「小学校の時の友達は友達で、中学校では、また、新しい友達もできるよ」といくら言っても耳を貸そうとしなかった。
そして「卒業はやだ、入学もやだ」などと言っていたので、大事な時に急に熱が出るなんて、天罰かもしれないなどと思ってしまった。
(私の言うことを聞かないこと、我を押し通すところは誰かにそっくり!困り者だ。)

ガイダンスでは、体育館で教材を購入することになっていた。
中学校に欠席の旨電話すると、折り返し、担任になる先生から電話がかかってきた。保護者が、お金とひきかえに教材を取りに来るようにとのことだった。

「ご用意してお待ちしております。」と確か先生は言ったはずだった。

昼休みに取りに行くと大きな紙袋を2つ渡された。
家に帰ってから、どんな教材なのか出してみた。リストがはいっていた。
先生が「用意して」と言ってたから、もう確認するまでも無く、しっかりそろえられているだろうと思っていた。
でも念のため、どれがどの教材になるのか、一つ一つチェックしてみた。

「あれ?」
何回確かめても、6冊・個足りない。
「ちょっとちょっと、先生!」と思いながら、丸刈りのきびっとした、30代であろう男性教師の顔を思い浮かべた。感じの良い先生だったのだけれど・・・。

再び電話をすると、始めは信じられないといった風だったが、私が、リストの何番と何番が足りないとまくしたてると、すっかり恐縮したように謝って、「入学式までに、業者にいってまちがいなく、そろえておきます。」

先生が悪いのか業者が悪いのか、はっきりわからないが、とにかく早々にトラブルが生じたことは間違いない。

そんなこんなで、6日の入学式。
娘の熱も下がって、母と娘、胸に不信・不満を抱きつつも、無事に式はすませたのだった。

入学式とPTA入会式が終わってから、保護者が自分の子どものクラスに行って、学級活動を参観する、という日程があった。

ここで、私の不信感は徐々に消えていくことになる。

丸刈りのM先生は、実に生徒の気持ちをつかんで話を進める。きびきびしていてわかりやすい話をする。

決定的だったのは、皆にこんなクラスを望んでいると先生が語った時

「このクラスにはいろいろな人がいます。背が高い人、低い人。足が速い人、遅い人、負けず嫌いの人、のんびりした人。等々、等々。・・・、・・・。」「みんな誰もがそれぞれの個性を認め合える、そしてお互いに気遣いのできる、そんなクラスになって欲しい。」「もし、少し違うからといって、からかったり、馬鹿にしたりすることがあったら、私は絶対に許しません。」

いじめは許さないと、先生は断言したのだ。

この所信表明演説に、私は少なからず感動を覚えた。

「こんなしっかりしたポリシーを持った先生なら、教材の数を多少間違えたとしても、些細なことじゃないか、今度はちゃんとにもらったし。」ということで、M先生に対する評価はがらっと変わってしまった。

良い担任に恵まれて、娘も中学生活を楽しめるのではないかな、と思った次第である。

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2006年11月30日 (木)

「いじめ」への提言

私の拙い体験から一番に思うことは、『人は誰でも「いじめ」の加害者になり得る』ということである。

小学校3年生のときの私がそうだった。自分が受けた暴力を自分より弱い者に向けた。

思わず湧き上がった、サディスティックな感情をコントロールできず、暴力をエスカレートさせてしまった。

親も先生も、この点をしっかり認識することが必要だと思う。
まちがっても自分の子はいじめをするわけはないとか、いじめをする生徒はいないとか思わないことだ。

まず、いじめの加害者にならないようにすることを教えよう。
「人の痛みがわかる」想像力・感性を養い、自分の感情を律する強い心を育てていこう。

私の小学校の時の体験は、ほんの些細な「いじめの芽」にすぎなかったかもしれない。だが、これが始まりなのだと思う。1対多数の卑怯ないじめに移行する前、まだいじめが根付かず、「芽」のうちなら、摘み取れるはずだ。

逃げないこと。声をあげること。あきらめないこと。
これで、1年生のときは乗り切った。何も言わず、黙っていると相手はつけあがってくる。執拗に繰り返してきたら、何度でも迎撃しよう。

相手と対等だと思うこと。卑屈にならないこと。相手を認めること。
3年生のときのいじめっ子は、自分のことを私が認めたので、満足していじめをやめたように思う。いじめる側は何かしら欲求不満を抱えているものだと思う。
私が、たった一度いじめる側になり、それを増長させたのは、相手の卑屈なまなざしが原因だった。決して、自分を卑下することなかれ。

嫌なことははっきりと「やめてほしい」とアピールすること。
6年生のときのあだ名は、私がもう少し強く嫌だと言っていたらどうだっただろうか。少なくても中学まで続くようなことはなかったのではないか。

娘が、学校で自分の嫌なあだ名で呼ばれることがあったらしいが、その時にちょうど、先生が皆に「何か、嫌なことを言われるとかということはありませんか?」と聞いてくれたのだそうだ。娘は勇気を出して、「○○ちゃんが、私のことを私の嫌なあだ名で呼ぶので、私はやめて欲しいです。」とはっきり主張したところ、やめてくれたというエピソードを最近話してくれた。

もし、それでも、そのあだ名が続く場合、
発想の転換をする。
私の場合だったら、「世界的に有名なミッキーマウスだってねずみなんだから、ねずみだって悪くない。」というふうに思う。プラス思考をする。
こだわらない。気にしないことにする。
高校になって仲良くなった違う中学出身の女の子まで、「○○チュ-」と呼ぶようになったので、なんでそんな呼び方をするのか聞いたところ、「かわいいじゃん」との答え。こだわっているのがバカらしくなって、気にしないことにしたのだった。

悪気のない仲間外れの場合、
相手の誘いを待っているのではなく、自分から行動を起こす。
迎合するわけではないが、たまに共通の話題をもつように努め、わいわいやるのも楽しいので、そうしたかったら、ちょっと努力することも必要。

以上は、私の体験を元にした、「いじめ」のほんの初期の段階における対処の仕方である。

このようにして、自力でいじめの芽が摘み取れればよいが、そうもいかず、根付いてしまったり、深刻になってしまった場合には、まったく違う方策をとる必要がある。

相談する。
一人で抱え込まないこと。誰かに話すことで少し楽になるはず。親も子供からの相談を待っている。何も言ってくれないことの方が心配なのだ。

学校では担任一人だけで対処しない。
相談を受けたものは学校と連携、学校は事実を確認する。加害者側の親にも事実の徹底調査をしていることを連絡する。このときに担任一人ではなかなか把握できないと思うので、何人かの先生方がチームを組んで行動できるといい。
いじめ問題の専門家のような人の協力を要請できれば、なお良い。

クラス全体での話し合い。
いじめの事実、経緯等を明らかにし、いじめ加害者に謝罪させる。と、同時に、見てみぬふりをしたり、周りではやし立てたりしていたものも同罪であることに気付かせる。卑怯ないじめは断固として許さないという毅然とした態度を先生方はとること。

ここまでしても、なおいじめが残るような時、
また、いじめが陰湿すぎたり、相談もなかなかできないような場合、
そして死んでしまいたくなったような時、
逃げよう。
生きていく世界は何もここだけじゃない。
飛び上がって周りを見回してみよう。
もっと、広い世界があることに気付くだろう。

「死」はすべてを解決するものではない。死んだら楽になるという保証は何もないじゃないか。この世に念を残して死んだ場合、成仏できないと聞いたことがある。あの世とこの世との狭間で、未来永劫に霊魂がさまよっていなければならないとしたら・・・。それでも死を選ぶだろうか。

新しい自分に生まれ変わって、新しい環境で頑張ること、だ。

そこまで人を追い込むようないじめをする加害者は、残ったものに対しても再犯を繰り返すだろうから、
クラスの中からいじめ加害者を引き離すこと。
この子達にも、ストレスなど何か抱えるものもあるだろうと思われる。親ともども
専門の施設でカウンセリングを受けるといい。
もし行っていたいじめが犯罪に近いものだったら、処罰も視野に入れておくことだ。

歯科の場合でも、お手入れが悪くて、細菌が歯の表面に強固なバイオフィルムを作ってしまうと、手用の歯ブラシではなかなか破壊することができないし、普通の薬剤も中には浸透できない。それと同じで、いじめも陰湿にしみついてしまうと、容易には撲滅できなくなる。

日ごろのお手入れが大事である。いじめも芽のうちに摘んでおくことだ。

だが、場所によっては歯磨きが困難なところもあり、PMTCと呼ばれるプロフェッショナルなクリーニングが定期的に必要となる。
いじめについても、定期的にプロの目で見回って、プロの手を介入する必要があるのではないだろうか。




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